証券マンが消えた街で

証券マンが消えた街で
東京証券取引所を中心に数多くの証券会社が建ち並び、かつては日本を代表する金融街だった「兜町」。バブル期に多くの証券マンであふれた街のにぎわいは、株の売買の自動化などに伴って急速に失われていきました。
しかし今、この街に若者たちが集まり始めているのをご存じでしょうか?
かつての証券マンも驚く、生まれ変わる「兜町」。その“変貌”と“街の歴史”を取材しました。
(経済部記者 野上大輔)

世界屈指の金融街が…

かつては証券会社が所狭しと建ち並ぶ、日本の金融の中心地だった「兜町」。

あの渋沢栄一の邸宅があり、渋沢によって設立された日本最古の銀行である「第一国立銀行」の最初の本店があったのも兜町で、「銀行発祥の地」としても知られています。

日本中が好景気に沸いた1980年代のバブル期には、証券マンたちが街にあふれ、兜町はニューヨークのウォール街、ロンドンのシティなどと並ぶ“世界屈指の金融街”といわれていました。
私が金融業界を担当していたのは2019年から2年余り。

日銀や東京証券取引所の記者クラブを取材拠点にしていた私は、マーケット取材などで兜町・茅場町界隈をよく訪れていました。

通りには証券会社の看板や昔ながらのオフィス、そして老舗の喫茶店。

東京駅から徒歩で15分ほどの好立地でありながら、大規模な再開発が続いている「大手町」や「丸の内」と比べると、古い建物が目立ち、人影もまばら。

担当した当初は、街の独特の雰囲気も相まってどことなく“昭和の匂い”を感じていたのが正直なところです。

若者が証券の街に!? 変わり始めた兜町

ところが、それから2年余り。

最寄りの茅場町駅から証券取引所まで歩く道すがら、白いワイシャツにスーツ姿の証券マンではなく、カジュアルな服装の若者たちの姿が目立つようになったことに気づきました。

街をくまなく歩いてみると、若手料理人が共同でプロデュースしたダイニングや、洋菓子が並ぶパティスリー、フレンチのお店。そしてクラフトビールの店に、新しいホテルまで…。
かつて銀行や証券会社だった古い西洋風の建物を改築し、若者をターゲットにした新しい店が次々にオープンしていたのです。

「兜町が変わり始めている…」街の変化を取材してみると、着々と進んでいたのが、兜町の「再開発プロジェクト」でした。

兜町再開発プロジェクト 始動!

この再開発プロジェクトを主導しているのは、不動産デベロッパーの「平和不動産」。

兜町周辺エリアの物件のおよそ4割を保有し、東京証券取引所の大家でもあります。
このプロジェクトが目指しているのが、東京都が掲げる「国際金融都市構想」の一翼を「兜町」が担うこと。

メガバンクの本店など多くの金融機関が集積する「大手町地区」、日本銀行がある「日本橋地区」と役割を分担しながら、地域の特色を生かして国内外の金融系の企業や人材が集まる国際金融都市を目指そうというのがねらいです。
プロジェクトのメンバーの1人、荒大樹さん。

「兜町」がかつての金融街としての活気を失ってきたことに、強い危機感を持っていたといいます。
荒大樹さん
「大手町などはみんな知っていますが、兜町と聞いてピンとくるのは1980年代から90年代に現役バリバリで働いていたサラリーマンの世代までなんですよね。それ以降の世代には、兜町の認識が薄まってきていて、『暗いエリア』『人が減っている場所』という印象を与えることがあったんじゃないかと思います」

立会場閉鎖 “場立ち”が消えた

世界屈指の金融街だった「兜町」の活気が失われたのはなぜなのか。

そのきっかけの1つが、株の売買の自動化による、東京証券取引所の「立会場」の閉鎖です。
今の証券取引所の建物が完成したのはバブル景気のさなかだった1988年。

当時はまだ株取引の電子化が進んでおらず、証券マンは、取引所の「立会場」で売買の注文を“手ぶり”で伝えていました。
買い注文が膨らめば拍手が沸き、売り注文が殺到すれば怒鳴り声が響く。

こうした「場立ち」と呼ばれる証券マンは、多いときには2000人を超え、立会場では景気の先行きを肌で感じることができるとも言われました。

しかし、株取引の自動化によって、立会場は1999年に閉鎖。

株券の電子化やインターネット取引の時代になり、証券取引所から「場立ち」の姿が消えたのです。

証券会社も次々移転…

立会場が閉鎖され、街の様子も変化していきました。

バブル期の1988年、兜町・茅場町のエリアには58社もの証券会社が軒を連ねていましたが、立会場の閉鎖や株の電子取引が進むにつれ、証券会社が兜町から次々に移転していったのです。
金融商品取引業者の登録所在地のデータを調べてみると、去年11月末時点で、兜町・茅場町に本店を構えている証券会社の数は15社。

バブル期の4分の1に減っています。

スマートフォンで誰でも手軽に投資できる時代になり、証券マンが投資家の相談に乗る店舗の窓口も、いまやほとんど見られません。

こうして街の活気が失われていきました。
荒大樹さん
「株取引の電子化や証券会社の統廃合で多くの人たちがこの街を出て行き、街の印象も暗くなってしまいました。大胆な再開発を進めて兜町のブランディングをしていかなければ、家賃収入も下がっていきます。新しい金融街として生まれ変われるように環境を整えていかなければならないと考えました」

“フィンテック企業”を呼び込め!

街に再び活気を取り戻すにはどうしたらいいのか。

プロジェクトのメンバーがねらいを定めたのが、金融とIT技術を融合した「フィンテック」と呼ばれるサービスを手がける新進気鋭の若手経営者たちです。

まず整備したのが、若手経営者が魅力を感じるオフィス環境。

かつて証券会社などが入居していた兜町と茅場町のビルの4か所に、新たな拠点となる「Fingate」と呼ばれるオフィスを開設しました。
起業して間もないフィンテック関連のスタートアップ企業が、少ない資金でも利用できるようにシェアオフィスのスタイルにしています。
荒大樹さん
「兜町は都心にありアクセスもいいのですが、同じ金融街の大手町や日本橋のエリアと比べると家賃は割安です。だから創業まもない若手経営者でも利用しやすいと考えました。ただ、家賃の安さだけでは企業の誘致を進めることができません。立地のポテンシャルだけではなく、“生まれ変わった新たな金融街”というイメージを持ってもらうことを意識しています」
さらに、入居を検討する企業が事業立ち上げに困らないようサポートも行っています。

金融商品取引業の登録作業のほか、弁護士や司法書士、コンサルタントなど専門人材の紹介といった支援体制も整えています。

また、入居する企業は、クラウドサービスや会計ソフト、金融情報システムの利用料など事業を展開する上で必要となるサービスを格安で利用することができます。

若者をターゲットにした飲食店などを次々に誘致したのも、こうした「再開発プロジェクト」の一環なのです。

新たなランドマークも誕生

去年8月には、兜町の新たなランドマークとなる地上15階建てのオフィスビル「KABUTO ONE」がオープンしました。
1階のロビーには天井から吊された立体的なLEDディスプレイがあり、日経平均株価や東証株価指数=トピックスと連動して色が変わります。

ビルには、書店とカフェを兼ね備え、誰でも自由に利用できるコワーキングスペースや、500人以上を収容できるホールなどもあります。
荒大樹さん
「金融に特化したバックアップを整えているオフィスがある街は珍しいと思います。かつての証券マンの街というイメージではなく、起業を目指す若い世代など新しいチャレンジをする人たちが口コミで集まってくれる街になればいいなと思っています。そうすれば投資家たちも自然と集まってくるはずです」。

新たな金融街にアップデート

新たな金融街として変わり始めた兜町。

シェアオフィスの「Fingate」には現在、50社以上の金融関連企業が入居し、スタートアップどうしのコミュニティーも生まれ始めています。

2018年に創業したフィンテック関連企業の社長、大原啓一さんもその1人。

入居する企業どうしが交流する機会も多く、金融関連の事業を展開する上で強みになるといいます。
大原啓一社長
「フィンテック企業へのサポートが手厚く、メリットが大きいと考えて兜町を拠点にすることにしました。アクセスの良さや家賃の安さも魅力ですが、企業どうしの情報交換などビジネスに直結するコミュニティがあることが、この街の最大の魅力です」
明治以降、証券や金融の街として発展し、日本経済の歴史を彩ってきた「兜町」。

2025年には外資系ホテルの進出も予定されるなど、これからも再開発が続きます。

新たな「金融の街」としてアップデートし、再び、日本経済の中心地としてのにぎわいを取り戻すことができるのか。

これからも新しい「兜町」の姿を見届けていきたいと思います。
経済部記者
野上 大輔
平成22年入局
金沢局を経て経済部
金融やIT業界を担当