北京オリンピック『一起向未来(ともに未来へ)』 の内と外

北京オリンピック『一起向未来(ともに未来へ)』 の内と外
2022年2月4日。北京オリンピックが開幕した。
開会式で“鳥の巣”と呼ばれるスタジアムに『一起向未来(ともに未来へ)』という大会スローガンが大きく映し出された。
2008年夏の大会から14年、世界第2の経済大国となった中国が迎えた2回目の北京オリンピック。
新型コロナウイルスの感染が収束しない中、外部との接触を断つ「バブル方式」の感染対策が徹底された大会の姿を、バブルの『内』と『外』の両側から見つめた。
(北京オリンピック取材班:中国総局 大山吉弘・巻田直紀・伊賀亮人/スポーツニュース部:今野朋寿)

“中国式バブル”『内』の感染対策

1月23日、午後2時すぎ。
北京の空港に到着すると、飛行機の窓から見えたのは駐機場で作業をする防護服姿のスタッフたちだった。

数時間前に飛び立った羽田空港とは異なるものものしい雰囲気に、海外でのオリンピック取材に向けて高揚していた気持ちが緊張に変わった。
職員の誘導に従いながら入国手続きは淡々と進む。
空港の壁には、パンダをモチーフにした大会の公式マスコット「ビン・ドゥンドゥン」とともに「WELCOME」のメッセージが。
だが、本当に歓迎されているのかどうか複雑な心境になった。

出発前から数えて3回目となるPCR検査を受け、バスで北京市内のホテルに着いたのは夕方だった。

視界に入ったのは、ホテルの出入り口に設けられた金属製のゲート。
警備のスタッフによって、そのゲートがゆっくりと閉じられたとき、完全に隔離されていることを実感した。
「これがバブルか」

思わず声が漏れた。
去年夏の東京大会でも、海外メディアの関係者は原則、競技会場やホテル以外に行かないよう求められていた。
ただ、その出入りを物理的に制限するゲートまでは設置されていなかった。

今回は、競技会場とホテルの間の移動手段も、決められたバスやタクシーに限定されている。
毎日求められているPCR検査も含め、明らかに東京とは異質な空間の中に入った感覚だ。ここから『外』の中国をうかがい知ることはできない。

“ゼロコロナ政策”『外』の実情は

その『外』では、オリンピックに合わせて開催地の北京をピーアールしようと、当局がメディア向けの取材拠点を設けている。
対象は、バブルに入れない中国メディアや、北京に常駐する外国メディアなど。
取材拠点には、北京の観光名所の写真などが展示され、連日、歴史・文化・企業活動などを紹介するツアーも企画されている。

ここでも、厳しい感染対策がとられている。
取材拠点に入るための記者証は、ワクチンの接種を終えていなければ発行されない。

さらに、取材拠点に入ったりツアーに参加したりするたびに、48時間以内に受けたPCR検査の陰性証明が求められるという念の入れようだ。

実は、北京では1月15日以降、オミクロン株も含めた市中感染が散発的に広がり、開催を控えた首都に緊張が走った。
31日からは、旧正月「春節」の大型連休も始まり、ふるさとに帰る人などで移動が増えることもあって、地元当局は、必要がないかぎり北京から出ないよう呼びかけるとともに、感染者が1人でも出た地域では、大規模なPCR検査を繰り返し行った。

背景にあるのが、感染を徹底的に封じ込めようという「ゼロコロナ」政策だ。
習近平指導部は、オリンピックの成功を演出し国威発揚につなげるため、バブル『内』だけでなく、『外』でも徹底した感染対策をとっているのだ。

『外』から懸念 中国の人権状況

新型コロナとともに、中国が神経をとがらせてきたのが、新疆ウイグル自治区などをめぐる人権状況への批判だ。

中国は、2008年夏の大会で苦い経験をしている。
その年に起きたチベット自治区での暴動をめぐって、中国政府への抗議が世界的に広がり、聖火リレーで抗議デモが起きたり、一部首脳が開会式を欠席したりする動きが出た。

今大会でも、去年12月にアメリカやイギリス、オーストラリアなどが、新疆ウイグル自治区での人権問題などを理由に、北京オリンピックに政府関係者を派遣しない「外交的ボイコット」を表明。
日本も「外交的ボイコット」という表現は使わなかったが、政府関係者の派遣を見送ることを決めた。
中国は、こうした動きが広がれば、大会の権威だけでなく、国家のイメージそのものにも大きな傷がつくことから「スポーツの政治問題化に反対する」と、繰り返し主張してきた。

外国メディア『内』の関心は?

中国の人権状況は、バブル『内』でも取り沙汰されている。

1月28日に大会組織委員会が開いた、聖火をともすトーチについての記者会見。
外国の記者が「外交的ボイコット」を表明した国への対応について質問すると、担当者がすかさず答えた。
「私たちはスポーツの政治化に反対していて、聖火で希望の光を照らしたいと考えている。大会そのものに集中すべきだ」
各国のメディアのスタンスを知りたいと思い取材すると、反応はさまざまだった。

イギリスの公共放送BBCのスポーツ部門のチームリーダーの男性は「イギリスは外交的ボイコットを表明しているが、この影響についてどう思うか」と尋ねると、表情を曇らせた。
「あまり気にすることではないと思っている。事態そのものは変えられないので、現地からはスポーツに焦点をあてて発信したい」
そして、最大の関心はイギリスが金メダルを狙えるカーリングだと笑顔を見せた。
同様に「スポーツそのものに集中したい」と答えるメディアが多かった一方で、政治的な問題に高い関心を示すメディアもあった。

カナダの公共放送CBCの女性記者は、カナダも表明している「外交的ボイコット」によって、これまでの大会と違いが生じるかに注目していると語った。
「記者としてこの問題に意見を述べる立場にはないが、何が正解なのか答えを知りたい。中国当局はボイコットを選択してもしなくても何の違いもないとしているが、そうではないと主張する人もいる。どういう影響があるのかを見極めたい」
また、地下2階にあるプレスセンターで原稿を執筆していたイギリスのネットメディアの男性は、中国の女子プロテニスの彭帥選手をめぐる問題にも関心があると述べた。
「そもそも北京での開催に反対している人も多く、大会への抗議と怒りが渦巻いている。中国の人権に関する問題は明らかに大きな話題であり、ここにいる間はずっと取材を続けるつもりだ」

ショーケースの『内』から

人権状況と対照的に、中国側が対外向けの大きなショーケースとして捉えている場面に、バブル『内』ではよく出くわす。

例えば、メディアセンター内にある食堂だ。
料理を注文すると、ガラス越しに並べられた機械が自動で調理。完成すると、ロボット掃除機に似た機械が天井の通路を渡り、席まで自動で配膳する。
新型コロナの感染防止対策も兼ねたこのシステムは、中国のロボット技術の一例として、各国のメディアに取り上げられている。

世界的に関心が高い環境問題に関する最先端技術についても、積極的に発信している。
大会のコンセプトに“低炭素”を掲げ、高速鉄道の利用を促しているほか、大会関係者が乗るバスやタクシーは電気自動車や水素燃料電池を使った自動車などのクリーンエネルギー車が全体の約85%を占めるという。

輸送サービスを担当する、北京市の水素エネルギーを扱う会社は、自社で開発と生産を行った水素燃料電池を使ったバス150台を運行。
技術部門の責任者は、今大会は中国の技術力を世界にアピールするチャンスだと意気込んでいる。
技術部門の責任者の男性
「中国の炭素削減目標における中心企業としての責任を果たす。また会社の燃料電池技術が世界をリードする技術であることを示したい」

経済効果がレガシー?景気に重荷?

バブル『外』で中国政府が期待するのが、大会開催の経済効果だ。
「スケートやスキーに関連した産業の規模は2025年に1兆人民元(=18兆円)に達すると予測され、中国経済の発展の重要な要素を構成する」
開幕前、大会組織委員会と北京体育大学が共同で発表した報告書は、このように開催の意義を強調した。

中国ではもともと、冬のスポーツは夏に比べて競技人口が少なく、冬のオリンピックへの関心も高くなかったといわれる。

だが、今大会の開催が決まった2015年、習近平国家主席は冬のスポーツの愛好者を3億人に増やす目標を打ち出し、政府主導で振興を進めてきた。
開幕の1週間余り前、北京中心部から車で1時間ほどのところにあるスキー場を訪れた。平日の日中にもかかわらず駐車場はほぼいっぱいで、コースは大勢の人でにぎわっていた。

ぎこちない滑りの初心者も多いが、話を聞くと毎年滑りに来ているという人も多く、冬のスポーツが着実に人気を集めていることがうかがえた。
中国政府も、15年以降でスケートまたはスキーに参加した国民が3億4600万人に上ったとして「3億人という目標が現実になった」としている。

しかし、気がかりな点もある。来場客の多くが北京市内からだったのだ。
スノーボード用品の店員に聞くと、厳しい感染対策で北京から出られないので市内の客が増える一方、ほかの都市からの客が減っているため、全体としてはコロナ前と比べてやや減っているという。
その影響は、世界遺産・故宮の周辺で取材すると、より顕著だった。
いつもなら多くの観光客が訪れる場所だが、人の姿はまばら。

「観光客が来ないので店を閉めている」という飲食店の経営者や「コロナ前と比べて売り上げが9割落ち込んだ」と嘆く土産物店の店員もいた。

中国では「ゼロコロナ」政策の影響などで個人消費が停滞していることが景気減速の要因の1つとなっている。

北京大会に向けて厳しい感染対策が続くことが、景気の重荷になるとも指摘されている。

『一起向未来』が意味する未来とは

開幕前日の2月3日。

IOC=国際オリンピック委員会のバッハ会長は、北京に到着してから初めてとなる記者会見をメインメディアセンターで開いた。
「世界的な新型コロナの大流行という困難があるにもかかわらず、北京大会のバブルは高い効率性を実現している」

「中国の3億人を超える人々が冬のオリンピックの新しい参加者になる。世界の冬季競技の新時代の幕開けだ」

「オリンピックのビジョンは、競技で世界を一つにして、多様性の中で人類を団結させて常に橋を架けることだ。オリンピックはすべての社会的背景、人種や性的指向、政治的信念を平等に尊重している」
バッハ会長のよどみないスピーチを聞きながら、今大会のスローガン『一起向未来(ともに未来へ)』について、改めて考えさせられた。

オリンピックにとっての未来も、巨大市場を持つ中国との二人三脚の先にあるー。
そんな含意が込められている気がしてならなかった。