“日本のミケランジェロ”と“幻の六歌仙”

“日本のミケランジェロ”と“幻の六歌仙”
みなさんご存じですか。
日本のミケランジェロともいわれる、幕末の彫刻家、石川雲蝶のことを。

1814年(文化11年)江戸に生まれ、越後でその生涯を閉じた石川雲蝶。元は幕府お抱えの彫り物師でしたが、縁あって新潟県各地の寺や神社などで作品を手がけることになります。その数1000点あまりとも。壁や天井などに彫られた作品が多いので、県外に流出することはなかったと言います。

なるほど「越後人はつつましく、アピール下手」と言われるから県外では無名なのだと合点。そんな雲蝶に関する興味深い情報が去年12月、私たちの元に寄せられました。

“幻の六歌仙と呼ばれる欄間が雲蝶の作品の中で唯一、県外に流出した”

「幻の六歌仙?」「雲蝶作品で唯一、県外に流出?」
これはぜひ、見てみたい。私は石川雲蝶の世界に足を踏み入れました。

(新潟放送局記者 豊田光司)

大迫力!! つり天井の透かし彫り

まず、訪れたのは新潟県魚沼市にある西福寺開山堂です。
竜や虎がいまにも飛び出してきそうなダイナミックさ。

終生の大作ともいわれる「道元禅師猛虎調伏の図」です。

日本における曹洞宗の開祖、道元が中国に修行に行った際、山で虎に出くわし、襲われそうになったところ、持っていた杖を投げつけると、それが竜に変わり、虎を追い払ったという伝説が彫られています。
よく見るとカメやコイ、スズメなどの生き物もたくさんいて、細部へのこだわりが感じられます。
「透かし彫り」という技法で彫られているそうですが、いったいどうやって彫ったのか。完成当時から色あせていないという鮮やかな色彩も見る者を魅了します。

これが日本のミケランジェロか。
感動のあまり、ただただ立ち尽くしてしまいました。

酒好き、女好き、ばくち好き?

石川雲蝶のことをもっと知りたい。私は、次に魚沼市の永林寺を訪ねました。この寺には雲蝶が手がけた彫刻など100点余りの作品が残されています。

その中でも、代表作として知られる彫刻が天女の欄間です。
この寺で、どうして多くの作品を残したのか。
寺の住職に雲蝶にまつわる言い伝えを聞きました。
永林寺の住職
「雲蝶さんは女性が大好きだった方だそうで、この天女はその大好きな女性を残したそうです。その条件が“目細”“鼻高”“桜色”といって、目が細く、鼻は高く、桜色の肌をした女性に恋い焦がれていて、時の美女だったそうです。この寺に関しては、好きだったものを残しているらしいです。大好きだったのが酒、ばくち、そして女性。欲望のままでも集中して作品を彫るときにはすばらしいものができた」
そもそも、越後の地に来たのも、金物のまち、三条の金物商に「よい酒と(道具の)のみを終生与えるから」という条件で連れてこられたという雲蝶。

この永林寺で多くの作品をつくったのも、当時の住職から「雲蝶が勝ったら金銭を支払い、私が勝ったら寺の本堂いっぱいに力作を手間暇惜しまず制作する」という条件で賭け事をして、雲蝶が負けたからだとも伝えられています。
とにかく作品をつくるのが大好きで、雲蝶は永林寺で13年かけて数々の傑作をつくったと言います。

また、地域の人とも交流し、お酒を飲ませてもらったり、泊めてもらったりしたお礼に作品を作ったとも言われています。
なんとも人間味あふれる人。一気に親近感が沸いてきました。
幕末、30代前半で越後に移り、神社や寺に泊まり込んだりして作品を作り続けたという雲蝶。およそ40年間で制作した彫刻や絵画などは、県内に1000点以上残っているとされます。

行方不明の“六歌仙”

さて、そんな石川雲蝶がどんな人だったか、徐々にわかってきたところで、唯一、県外に流出したという「幻の六歌仙」の欄間について。

六歌仙というと…。

在原業平、僧正遍昭、喜撰法師、大友黒主、文屋康秀、小野小町

高校時代の日本史で学んだ気がする、平安初期のすぐれた6人の歌人のことですね。

雲蝶がその6人を彫ったというのだから、ぜひ、見てみたい。
私は情報提供者に会いに行きました。
情報を寄せてくれた、南魚沼市の中島すい子さんです。
雲蝶の作品のすばらしさにひかれ、観光ガイドとしてその魅力を伝えています。
中島すい子さん
「石川雲蝶の魅力は、いまにも飛び出してきそうな圧倒するような彫り方。これでもかこれでもかと彫るところ。私にとって憧れの人です」
8年前、中島さんは観光ガイドをするなかで、行方不明の作品があると知ったんだそうです。

それが「六歌仙」。
「小野小町をはじめとする6人の歌人を、2枚の欄間に分けて作られました。色も美しくすばらしい格調高い作品です」
「すばらしい格調高い作品」。

いったいどこにあるのか。

およそ1億円!? “幻の六歌仙”はいずこに

中島さんの紹介で、その「幻の六歌仙」の欄間を実際に見たことがあるという男性に会うことができました。
湯沢町で暮らす小林守雄さん(90)。およそ40年前の昭和56年、当時住んでいた堀之内町、いまの魚沼市の近所の住宅にその欄間があったというのです。
小林守雄さん
「欄間があったのはものすごいお座敷で、1階の天井は普通の家の2階の高さですよ。改めて見たいなと思っています」
しかし、住んでいた地域は豪雪による被害を受け、その住宅は集落ごと移転することになり、そのとき、欄間も売り払われたというのです。小林さんは移転を前に、集落のことを記録しようと写真を撮っていました。その中で六歌仙も撮影していたのです。

これが雲蝶が手がけた「六歌仙」の欄間。2枚の欄間に6人の歌人が色鮮やかに彫られています。調べてみると、昭和56年当時の地元紙に「作品の価値が1億円にのぼるかもしれない」という記事も載っていました。
いまよりも雲蝶の名が知られていなかった当時でさえ、その価値。作品の貴重さがうかがえます。
しかし、小林さんも「六歌仙」の欄間のその後は知らないということでした。
中島すい子さんによると、「名古屋方面にある」とか「瀬戸内海の方で見た」という情報もあったそうですが、どれも空振り。なかなか作品にはたどりつけていません。
40年間、行方がわからなくなっている「幻の六歌仙」。
結局、私も本物を見ることはできませんでした。

いったい「六歌仙」はどこにあるのか。
手がかりになる情報をご存じの方がいたら、以下の窓口からぜひお寄せください。
新潟放送局記者
豊田光司
平成29年入局。大阪局で府警を3年間取材し、令和2年から新潟局へ。中越地域や文化などを担当。石川雲蝶は彫刻だけでなく、絵もすてきでした。ちなみに、好きな芸術家は目の錯覚を利用した作品で知られるオランダの画家、エッシャーです。