【動画】石原慎太郎氏 これまでの歩みは

東京都知事や運輸大臣などを務め、芥川賞作家としても知られる石原慎太郎氏が、1日、亡くなりました。89歳でした。

石原氏のこれまでを映像とともにまとめました。

(動画は5分15秒です。データ放送ではご覧になれません。)

青年時代から初登院 初入閣

一橋大学在学中の昭和31年、小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞した石原氏。

昭和43年に政界にデビューして参議院議員を1期務めたあと、衆議院議員となり、環境庁長官や運輸大臣などを歴任しました。

この間、渡辺美智雄氏らとともに派閥横断の政策集団「青嵐会」を結成し、アメリカをはじめとする自由主義諸国との連携の堅持や自主憲法の制定を訴えました。
平成7年、議員勤続25年の表彰を受けたその日に衆議院議員を辞職。

東京都知事初当選 独自の政策を次々と打ち出す

そして、平成11年、「新しい発想と強いリーダーシップ」をアピールして東京都知事選挙に立候補し、初当選を果たします。
都知事として、有害物質を排出するディーゼル車の規制や、大手銀行への外形標準課税の導入など、独自の政策を次々に打ち出します。

東京マラソンスタート

2期目には、都心を駆け抜けるコースで東京マラソンを実現し、国内最大規模の市民マラソンとして定着しました。
しかし、3期目に入ると都政運営にかげりが出始め、石原氏が選挙公約として掲げ、都が1000億円を出資して平成17年に開業した新銀行東京が経営危機に陥り、ずさんな融資や税金による救済に批判が相次ぎました。

2016年夏のオリンピックの招致にも失敗します。

尖閣諸島の購入計画発表

平成23年に4回目の当選を果たすと、よくとしの4月、個人所有だった沖縄の尖閣諸島を都として購入する考えを表明。

結局、島は国有化されましたが、国の外交に一石を投じました。

都知事辞職 国政復帰

その後、再び国政に挑戦するため、平成24年10月、任期途中で都知事を辞職。

保守勢力の結集を目指して、新党「太陽の党」の結党に参加したあと、当時の大阪市の橋下市長が率いる「日本維新の会」に合流して代表となり、その年の衆議院選挙では比例代表で当選し、国政復帰を果たします。

政界引退へ

その後は、橋下氏とともに、「日本維新の会」の共同代表を務めましたが、平成26年、「結いの党」との合流をめぐる意見の違いから分党して、「次世代の党」を結党し、最高顧問に就任。

しかし、その年に行われた衆議院選挙で議席を獲得できず、政界からの引退を表明しました。

百条委員会に証人として出席

その後は、小池都政のもと、築地市場の豊洲への移転をめぐって、豊洲市場の整備に巨額の費用がかかったことや、あるべきはずの盛り土がなかった問題が発覚し、5年前の3月には都議会に設置された百条委員会に証人として出席し、都知事当時の経緯の説明を求められました。