“揺れたら逃げる”の落とし穴

“揺れたら逃げる”の落とし穴
あの日から10年以上、東北の被災地では「揺れたら逃げる」という津波の教訓を伝え続けてきました。では揺れなかったら安全なのか?その問いを突きつけたのが、南太平洋、トンガの海底火山で起きた大規模な噴火による津波でした。
(仙台放送局記者 杉本織江 塘田捷人 藤家亜里紗)

避難所への避難 対象の1%未満

1月16日午前0時15分、日本の広い範囲に津波警報や注意報が発表されました。宮城県内では沿岸の14市町で最大、およそ8万8000人に避難指示が出されました。

しかし、市や町が開設した避難所に来る人はまばらでした。

宮城県によると、避難所に来た人の数は、最も多かった午前5時10分の時点で177人。この数には、車中泊や親戚の家などに避難した人は含まれませんが、対象全体の1%に満たなかったことになります。

去年3月、宮城県内で最大震度5強を観測する地震が発生して津波注意報が発表された時は、最も多いときで9市町で合わせて407人が避難所に行きました。今回はそれと比べても半分以下です。
各自治体の防災担当者を取材すると、未明の発表だったことや、コロナ禍で分散避難をする人が多かった可能性を挙げていました。

それでも複数の担当者からは「車の渋滞も心配したが、実際は確認されなかった。避難した人はかなり少なかったのではないか」という声が出ていました。

地震がなくて津波だけ「なんで?本当なの?」

なぜ多くの人が避難しなかったのか。宮城県東松島市の海岸から450メートルほどの場所に住む二宮敏美さんと弥生さんの夫婦に話を聞きました。
2人が住む家は東日本大震災の時、1階の天井近くまで浸水しました。敏美さんは震災で家族を亡くしました。

津波に対する危機意識は強く、これまでの大きな地震で津波警報や注意報が出た際は必ず避難所に向かっていました。しかし今回は震災後初めて、避難行動に移ることができませんでした。
一番の要因は、“地震がなかったこと”だったといいます。
二宮敏美さん
「地震が起きたら津波が来るというのは体が覚えているが、地震がなくて津波だけというのには『何で?本当なの?』って思った。素人の考えで、勝手な判断をしてしまったが、今考えると逃げるべきだったかなと思う」
2人は午前0時半ごろ、親族からの電話で津波注意報に気づきました。トンガの大規模噴火も知らなかったためテレビをつけて驚き、東松島市の沿岸に避難指示が出ていることも知りました。

しかし敏美さんは「大丈夫だ」と判断し、起きて10分ほどで再び就寝しました。

弥生さんは、もし津波注意報が警報に切り替わったら敏美さんを起こそうと、2階で朝までテレビを見たり、家族と連絡をとったりして過ごしました。

震災から10年以上がたち、いざというときの心構えが少し、変わっていたかも知れないと振り返ります。
二宮弥生さん
「トンガと言われても、そんな遠くで火山が爆発してここまで来るのか、という思いもあった。震災の時よりは油断していたわけではないが、堤防などもできて、安心感もあったのかもしれない」

気象庁の「心配ない」 足かせに…

宮城県亘理町で行政区長を務める福本眞さんも、今回はすぐに避難することができなかったといいます。

普段は地区の防災訓練などを指揮し、防災意識はとても高いはずの福本さん。今回避難したのは、避難指示が出たおよそ3時間後でした。前日夜の気象庁の発表が、足かせになったといいます。
福本眞さん
「気象庁は『被害の心配はない』と言っていたので、注意報が出てすぐは情報が不確定で、はっきりわからないと感じた」
15日午後7時すぎ、気象庁は「多少の潮位の変化があるかもしれないが、被害の心配はない」と発表していました。

しかしその後、国内各地の観測点で大きな潮位の変化が捉えられ、津波警報や注意報を発表しました。

福本さんは念のため午前3時すぎに避難しましたが、避難所の中には3人ほどしかおらず、30分ほどで自宅に戻りました。
福本眞さん
「本当は解除されるまで待たなければいけないとわかっていたが、各地で1メートル以下の観測だったこともあり、これ以上津波が来ることはないだろうと思った。100%ではないけど大丈夫と」

避難指示出した自治体 「空振りと思わないで」

消防庁によると、今回、避難する途中でけがをした人が2人いたものの、ほかに人的な被害は確認されていません。

避難指示を出した自治体は「空振り」と思わないでほしいと呼びかけています。

370世帯、933人に避難指示を出した東松島市では、避難所に避難したのは最大で12人でした。渥美巖市長は、避難指示を出して大きな被害がなかったことが、住民の危機意識に影響しないか、警戒しています。
渥美市長
「東日本大震災の前まで、結果的に空振りとなった避難があった。それによって住民の気が緩み、震災で逃げなかった人が命を落としてしまった。自治体としては今後も最悪を想定して『高いところに逃げてください』と言い続ける。自宅や避難ルートの地理的な状況なども考えながら、個人個人が避難の必要性を判断してもらわなければならない」

2つの教訓

東日本大震災で津波の脅威を身をもって知る人でさえも、命を守る行動に移るのが難しかった今回のケース。避難行動に詳しい東北大学災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授は、教訓として2つのポイントを挙げています。
「揺れたら避難する」は大事だが、固定化は危険
「宮城沿岸の人たちは、東日本大震災で『揺れたら避難する』という意識が定着しているが、揺れがなかった今回は、逆にその意識が避難行動を阻んだのではないかと思う。知識や経験は非常に重要だが、それを固定化することは危険」
状況が分からない時ほど危険
「日本では、地震による津波はある程度予測することができるが、今回は噴火に由来するため観測データが十分ではなく、すぐにシミュレーションすることができなかった。こうした、何が起きるか分からないときほど危険な状況だと判断して行動すべき。災害では避難の判断を1つ、2つ上げて行動することが重要になる」
今回の津波は過去に例がないと言われていますが、だからこそ、国や自治体、住民がとった行動は、未来の防災につながる貴重な記録とも言えます。それぞれの立場で検証を行い、改善につなげなければなりません。

避難を呼びかける私たちメディアの側も、検証を重ねていきたいと思います。
仙台局記者
杉本織江
2007年入局
国際部、アジア総局(バンコク)を経て現所属
震災と防災を担当
仙台局記者
塘田捷人
2018年入局
事件や行政取材を経て現在は震災と防災を担当
仙台局石巻支局記者
藤家亜里紗
2019年入局
事件・司法取材を経て、去年11月から現所属