「誰ひとり取り残さない」小さな赤ちゃんと親のための母子手帳

「誰ひとり取り残さない」小さな赤ちゃんと親のための母子手帳
「産まれて14日目、目があきました」
「28日目、手のひらでだっこ」
「生後1か月、体重442グラム。カンガルーケアができました」
小さく産まれた赤ちゃんの母親がつけた成長の記録です。

昭和23年に日本で作られ、世界50以上の国や地域で母子の健康を支える母子手帳。
その母子手帳はいま、それぞれの子どもの発達や特性に合わせた、よりきめこまやかな成長の記録として形を変え、再び全国に広がろうとしています。

「誰ひとり取り残さない」そんな母子手帳の必要性を訴える母親たちを取材しました。
(横浜放送局記者 有吉桃子)

母子手帳は“パーフェクト”ではない

「母子手帳は、パーフェクトではない」

そう話すのは、国際母子手帳委員会の事務局長を務める板東あけみさんです。
板東さんは、小学校の特別支援学級などの教員として働いたあと、ベトナムで障害がある子どもたちへの支援に携わったのがきっかけで、母子保健の大切さに気付き、日本発祥の母子手帳を世界各国に伝えてきました。
妊娠が分かると自治体から交付される母子健康手帳、通称「母子手帳」。
妊娠、出産、それに育児期間を通じた母親と子どもの健康状態などが記録できます。

戦時中、妊婦への配給を優先的に行おうと作られた「妊産婦手帳」からスタートし、昭和23年には「母子手帳」となって、乳児や妊産婦の死亡率の改善に大きく貢献してきました。

今や世界にまで広がる母子手帳ですが、板東さんは、その母子手帳に「向き合うのが苦しい」という親も多くいるというのです。
板東あけみさん
「日本は世界で初めて母子手帳を作った国ですが、かといって日本の母子手帳がパーフェクトではなくて、やはりカバーできないところがあります」

小さく産まれた赤ちゃんの母親は

神奈川県平塚市で3歳の長女、芽(めい)ちゃんを育てる坂上彩さんもその1人です。
坂上さんは妊娠24週の時、妊婦健診で羊水が少ないことなどがわかり、緊急帝王切開で出産しました。
370グラム、26センチで産まれた芽ちゃん。
無事に育ってくれるのかどうか。
どうしておなかの中で育てられなかったのか。

坂上さんは、小さい芽ちゃんを前に泣きながら「ごめんね」と繰り返したそうです。
坂上彩さん
「出産の時って、産まれた赤ちゃんをだっこして『かわいい』とか『ありがとう』というイメージで、それに憧れてきたんですけど、私の口から出てきたのは『ごめんね』だったんです。
私はそれを覚えてなくて『生きていてくれてありがとう』とか『おめでとう』とか『ごめんね』という3つの気持ちがあったんですけど、出てきたことばは『ごめんね』だったというのをあとから夫に聞きました」
坂上さんは、芽ちゃんが近くの病院に転院できるまでの産後3か月間、昼夜を問わず3時間おきの搾乳を続けながら、毎日、往復3時間かけて病院に通いました。
坂上さん
「会えない時間に何かあるかもしれないと思うと帝王切開の傷も痛いし、自分もつらいけど、早く行って会わなきゃというのが大きかったです。そばにいて何ができるわけではなくて、保育器の中にいる芽にたまに触るぐらいなんですが、それでもそばにいることしかできないので、そばにいたいと思っていました」
命の危機を脱し保育器の中で芽ちゃんは坂上さんに見守られて頑張って成長を続けます。
産まれて14日目、目があきました。

28日目、手のひらでだっこすることができました。

生後1か月、体重は442グラムになりカンガルーケアができました。

52日目、呼吸器が取れて産声を聞けました。

58日目、初めてのもく浴。

体重800グラム弱。
坂上さんは、高齢出産なこともあって母子手帳への憧れは強く、できるだけたくさん芽ちゃんの成長を記録に残してあげたいと思っていました。
しかし、これらの記録を母子手帳に残すことはできませんでした。

なぜ、母子手帳に書くことができない?

母子手帳に書き込めるのは、身長は40センチ、体重は1000グラムからです。
そして「首座り」や「寝返り」など、月齢ごとに発達の目安と、できるようになることが詳しく示され、いつできるようになったかを記録する欄がありますが、小さく産まれた子どもや、発達に特性がある子どもの親は、なかなか書けなかったり「できますか?」という問いに「いいえ」と答えざるを得なかったりすることも多くあると言います。
坂上さん
「1歳ぐらいまではどうしても定期的に母子手帳を見る機会があるんですが、そのたびに『あーあっ』て言って、閉じる感じでした。当時は月齢と(予定日を起点にした)修正月齢を両方書いていたんですが、3年たった今は『これなんだっけ?』『なんでいっぱい線が書いてあるんだっけ?』という感じです。母子手帳にすごく憧れていたのに、こんなになっちゃったんだと今思っています」

小さな赤ちゃんと親のための母子手帳

芽ちゃんのように小さく産まれた赤ちゃんと、その親のために、今、全国の自治体で、それぞれの子どもの発達や成長に合わせて、記録ができる「リトルベビーハンドブック」という専用の手帳が広がっています。
静岡県では3年前から、従来の母子手帳に加えて、県内の団体が10年前に作った手帳をもとに作られた県独自のリトルベビーハンドブックの配布を始めました。

実は、坂上さんも最近になってこの静岡県のハンドブックを手に入れ、当時の記録を書き写すようになりました。
リトルベビーハンドブックでは、身長は20センチ、体重は0から書き込めます。

子どもの発達や、できるようになったことは「はい」「いいえ」ではなく、できるようになった日付を、親が書き込みます。
坂上さん
「表紙に小さく産まれた赤ちゃんと、ママパパのためのものと書いてあるので、私たちを受け入れてくれていると思えます。先輩ママのメッセージも書いてあって、本当に1人じゃないよって言ってくれてるんですよね。自分なりに芽の成長を記していましたが、それはあくまでも自分のメモであって、こうやって行政の作ってくれたもので、きちんと認められたかったという気持ちがすごくあります」

「すべての人に届けたい」動き出した母親たち

坂上さんは、このリトルベビーハンドブックを神奈川県にも作ってほしいと当事者サークルを立ち上げ、ことし10月、黒岩知事に直接、要望しました。
2500グラム未満で生まれる「低出生体重児」は、産まれる赤ちゃんのおよそ1割、1500グラム未満で生まれる赤ちゃんも0.7%います。

坂上さんは「神奈川にもこんなハンドブックがあれば、自分を責めたり、悩む気持ちが減ったかもしれないと思います。その存在が小さく赤ちゃんを産んだママたちの心の支えになると信じています」と訴えました。

リトルベビーハンドブックを全国に

母子手帳を世界に広げる活動をしてきた板東さんは、坂上さんをはじめこうした親子に寄り添う活動を今、全国で続けています。
赤ちゃんが小さく産まれた親たちとともに、およそ20の自治体を訪ね、各都道府県でそれぞれこのハンドブックを作成して、配布するよう求めています。

板東さんが重視しているのは、ハンドブックを作る過程で、県庁などの担当者に当事者の声を聴いてもらうこと。

単にハンドブックを作れば終わりではなく、こうした親子の実情を知ってもらうことで、さまざまな事情や背景を持つ親子に目を向けてもらい、必要な人に必要な支援が、切れ目なく届いてほしいと考えるからです。
今月9日、板東さんは岐阜県庁を訪れました。

岐阜県では、昨年度からリトルベビーハンドブックが配布されるようになったほか、
双子の場合の「ふたご手帖」
ダウン症の場合の「+Happyしあわせのたね」
医療的ケアが必要な場合の「かけはしノート」の
4種類の手帳が母子手帳のほかに用意されています。
岐阜県 子育て支援課 宗宮侑香さん
「リトルベビーに加え、多胎だったり、ダウン症だったり、医療的ケアが必要なお子さんについては、ネットで調べないと情報が出てこないとか、調べれば調べるほど不安になるということがあります。たとえ少数派だとしても、そうした方のニーズにこたえ、誰ひとり取りこぼさないという思いで取り組んでいます」
さらに岐阜県はことし、リトルベビーハンドブックを病院のNICUで配布する際に、地域の担当保健師とリトルベビーを育てた先輩ママが同席して、一緒に話をする仕組みも作りました。

リトルベビーハンドブックの作成に関わってきた先輩ママの加藤千穂さんは、この取り組みに協力し、赤ちゃんを小さく産んだ親たちの不安を少しでも癒やすことができたらと願っています。
当事者サークル「たんぽぽの会」会長 加藤千穂さん
「リトルベビーハンドブックがあれば、気持ちの面で前向きになったり明るくなれたりすると思いますし、直接会って渡すことができればこちらの気持ちも伝わり、必要な情報も提供できると思います」
板東さんは、各地の県庁などを訪ね歩く中で、こうした先進事例についても情報提供し、どこに住んでいても、必要な親子が必要な支援を受けられるようにしたいと活動を続けます。

板東さんはこの日、岐阜県庁での面会を終えてすぐ、栃木県と群馬県に向かいました。

板東さんや、当事者のママたちなどの活動によって、リトルベビーハンドブックはすでに6つの県で作成され、神奈川県などおよそ30か所で、作成に向けた動きが生まれているということです。
板東さん
「たとえば岐阜県では、木で言ったら幹は母子手帳で、枝葉のところにさまざまなニーズに特化した専門の冊子が用意されている。日本の母子手帳はあって当たり前だけど、当たり前で終わらずに、ひと味もふた味も改訂の余地があると思います。誰ひとり取り残さないと口で言うのは簡単ですが、それを一つ一つ形にして、切れ目を作らない、誰ひとり取り残さないことを具体的に行動で示す方法の一つとして、リトルベビーハンドブックがあるんだと思っています。これから人口減の社会で、母子を本当に大事にしていく国にするための1つの具体的な方策ではないでしょうか」
来年度は、おおむね10年に1度の母子手帳の改訂の年にあたります。
これに向けて、ことし開かれている厚生労働省の検討会では、乳児死亡率や妊産婦死亡率が下がった一方で、児童虐待や母親の孤立などが課題となっているとして、関係者や支援団体などから、母子手帳への意見を聞いています。

そこには、次のようなさまざまな意見が寄せられました。
「父親の情報のページがあるとよい」

「『親子手帳』などに名前を変えたほうがよい」

「デジタル化を進めてほしい」

「発達障害があると母子手帳は『いいえ』ばかりになる」

「子どもに病気や障害がある場合の相談先を載せてほしい」

「少数派にも思いを寄せる手帳であってほしい」
命が宿った瞬間から、親子に寄り添い続ける母子手帳。
子どもが育ったあとは、一つ一つの命が大切に育まれてきた証ともなります。
それだけに、それぞれの親子の事情をくんだ温かいものであってほしいと願います。
横浜放送局記者
有吉桃子
2003年入局
宮崎局、仙台局を経て政治部、ネットワーク報道部
2020年から横浜局で横浜市政や子育てなどを取材