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あなたの街の慰霊碑に名前は入っていますか?

阪神・淡路大震災で亡くなった2人の肉親をしのび、静かに手を合わそうと訪れた兵庫県芦屋市の公園で、男性は、大きな違和感を覚えました。

そこに掲げられていると思っていた母と姉の名前を見つけることができなかったからです。

(神戸放送局 記者 井出瑞葉 / 震災が発生した平成7年生まれ)

慰霊碑に「銘板がない」

「芦屋から離れていたので、久しぶりに追悼式に出席しました。ここに2人は休んでいるんだなと、慰霊碑の名前に向かって『やすらかに』と言おうと思ったら銘板がない。なかったんです」
こう話すのは、兵庫県芦屋市の増田潤さん(71)です。
増田さんは、母の悦子さん(当時71)と姉の美紗子さん(当時47)を27年前の阪神・淡路大震災で失った遺族です。

退職を機におよそ20年ぶりに地元に戻り出席した芦屋市の追悼式での出来事でした。

慰霊碑には名前が刻まれていると思っていました。

なぜ公表していないの?

増田さんが手をあわせた芦屋市の「阪神・淡路大震災慰霊と復興のモニュメント」は、市役所から歩いて5分ほどの公園にあります。
芦屋市のモニュメント
大きな石のモニュメントは震災の翌年に完成。その後、犠牲となった市民452人全員の名前を刻印した銘板が、目の前の“地中”に「奉納」されました。

つまり、外から名前は見ることができません。
なぜ「奉納」という形を取ったのか。市役所を訪ねると、担当者が古いメモを取り出して、いきさつを教えてくれました。
市の担当者を取材
震災から10か月後の平成7年11月、地元のロータリークラブから「モニュメントを寄贈したいので、犠牲者の名前を刻印するため名簿を借りたい」という申し出があり、当時の市の幹部たちは、1か月かけて議論を行いました。

しかし、遺族の了承を得ることが難しいことや名前公表の基準がないことから、名簿を外に出さないと判断したそうです。
芦屋市担当者
「遺族と亡くなった人がつながってる1つの絆として名前があるというのは痛烈に感じます。それを、外に出してご自身で確かめたいという意見もあれば、逆に、名前は内に秘めておきたいという人もおられる。同じ思いだけども真逆の答えが出てしまうところをどうするか。当時の職員たちも葛藤したのだと思います」
芦屋市で家族を失った増田さんは「2人が生きた証しを残してほしい」と、希望者だけでも名前を公開してほしいと市に伝えました。

しかし「震災から年月がたち、遺族などの消息がつかめなくなったケースも多く、一人一人に確認をとるには膨大な時間がかかるので、新しい慰霊碑を作る予定はありません」との答えが返ってきました。

家族の名前 残したい

そんな増田さんが行き着いたのが隣の神戸市でした。

毎年、震災が起きた1月17日に灯籠を並べ、追悼のつどいが行われる公園、東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」には、神戸市以外で犠牲になった人たちの名前も掲げることができると聞いたからです。
管理するNPOによると、現在ある5000人を超える人の名前のうち、およそ230人が市外で亡くなった人だということです。

どこで亡くなっても、同じ震災の犠牲者だという考えからです。

先月11日、増田さんは母親と姉、2人の名前を刻んだプレートをこの場所に加えることができました。
涙を流しながら名前を掲げた増田さんはこう話していました。
増田さん
「名前があるから碑の前で亡くなった人に感謝できるし、謝ったりできると考えています。震災を忘れてはいけないというけれど、防災のためにも名前は必要だと思います。この場所で永遠に『地震は怖い』、『苦しい』、『死んだらあかんぞ』ということを世の中に発信し続けてくれると思います」

生きた証しを実名で

慰霊碑に名前を入れるかどうか。

自治体によって判断がわかれますが、議論の末、震災から四半世紀がたって慰霊碑に名前を刻んだ自治体があることが分かりました。

119人が亡くなった、兵庫県宝塚市です。

『忘れない 阪神・淡路大震災』という文字が刻まれた追悼の碑は、市内を見渡す高台の公園におととし建立されました。

碑には、亡くなった人のうち75人の名前が記されています。

(※総務省消防庁は平成18年に確定報として117人と発表。市は独自集計を続け、その後、震災関連死含め2人増えて119人に)
その経緯を最もよく知る人に話を聞くことができました。去年まで12年間にわたって市長を務めた中川智子さんです。
宝塚市 中川智子 元市長
「あいさつで犠牲者の数しか言えなくて、一人一人がイメージできなかった。それがつらかったです。それぞれ家族や暮らしがあり、明日への希望があった。その人が生きた証しでもあり、亡くなった方々への思いをはせることで、災害があった時に命を守ろうと決意をする事ができると信じていました」
中川さんは市長就任後、犠牲者の名前が入った慰霊碑をつくろうと働きかけます。遺族はどう考えているのか直接聞いてみたいと、市は連絡先を把握していた遺族113人全員を対象にアンケートを実施しました。

結果、慰霊碑を作ることには71人が賛成、9人が反対でした。
(未回答・宛先不明など33人)

さらに賛成した人のうち61人が名前を入れることに賛成、10人が反対という結果でした。

中川さんは遺族からの意見を記したメモを見せてくれました。
『賛成』
・息子が生きた証しになる
・宝塚に銘板はないし神戸は遠い。家族が暮らす宝塚の地に証しを残してほしい
・宝塚の地で亡くなったので銘板の建立を願います
・忘れることなく思い出すために
『反対』
・ひっそり静かにしておいてほしい
・(すでに名前の入っていない碑もあるので)2つも必要ない
そっとしておいてほしい
・死は家族の個人的なことです。思い出したくない。
・早く忘れたい。
賛否のわかれる中で、税金を使って新たな慰霊碑を作ることはできないと、結局、平成28年に計画は白紙に戻りました。
そんな中川さんに、平成31年2月、1通の手紙が届きました。
「慰霊碑に名前を残していただけないでしょうか」
そうつづられた手紙の差出人は福岡県の船越明美さん(74)。将棋のプロ棋士を目指して宝塚市で暮らしていた当時17歳の息子、隆文さんを亡くしていました。
亡くなった船越隆文さん
船越さん
「息子の名前が刻まれた慰霊碑を作る計画がだめになったと聞き、残念でした。地元を離れ慣れない土地で息子が頑張っていたという形を残してほしいと率直な思いをつづりました。いつでも手を合わせ息子を感じられる場所があるといいなと思いました」
この手紙に背中を押され、中川さんは再び動きだしました。市民に呼びかけて集まった寄付をもとに、慰霊碑を建立したのです。
宝塚市の慰霊碑
幅1メートル35センチ、高さおよそ1メートルの小さな碑ですが、そこには、確かにこの街で暮らした人たちの名前が刻まれています。

中川さんは、除幕式にやってきた遺族たちが、家族の名前をなぞりながら悼む姿が忘れられないといいます。
中川さん
「家族が生きてきた場所に名前が刻まれることで、残された遺族も前を向いて進んでいく決意ができるのではないでしょうか。人の気持ちは変わるものです。当初は名前を出したくないと思っていても、その後『刻もうかな』と思ったときにそれができるよう、余白を作ってあります。そんな慰霊碑になればいいと思っています」

東日本大震災の被災地では

東日本大震災の被災地では、了承を得た人の名前だけを出す、あるいは、名前を取り外せるようにするという選択肢を設けたうえで、慰霊碑を建てるケースがいくつもありました。

岩手県陸前高田市では去年、津波で亡くなった市職員を悼む2つの碑が完成しました。

最後まで市民のために尽くした証しを残そうというもので、1つは遺族の了承がとれた犠牲者93人の名前が刻まれています。

もう1つには『避難誘導に携わっていた市職員百十一名の仲間もその尊い命を失いました』という内容が書かれています。

また、宮城県多賀城市は、駅前の公園にモニュメントを設置。中心部の円筒内に犠牲者105人の名前が彫られた金属プレートが収納されています。

ふだんは見ることができませんが、震災が起きた3月11日だけ解錠されて内部が公開されているということです。
1064人が犠牲となった岩手県釜石市に平成31年3月に完成した追悼施設「釜石祈りのパーク」

ここには1001人の名前が書かれた「芳名板」が設置されています。

名前を書いたプレートをはめ込む形で、遺族の意向によっては名前を取り外すことができるようになっています。
釜石祈りのパーク
釜石市担当者
「当初はプライバシーもあるので、全員分の名前を掲示するべきではない、見えないような形で奉納しようという意見が出ました。一方で、当時の震災の甚大な被害の記録を残し、犠牲者の多さを後世にも受け継いでいくためには名前を残すべきだという意見も多くでました。そこで、取り外し可能な形式であれば、遺族などの感情にあわせて脱着できると考えました」
取り外しを望む声もあったということですが、その理由は「五十音順ではなく、家族を一緒に並べて欲しいから、1度取り外した上で並べ直して欲しい」というものでした。

おととし、一部を並び替えたということです。今後、名前を加えることができるスペースも残されています。

専門家「慰霊碑に名前入れる余白を」

阪神・淡路大震災からの復興や防災への提言を続けてきた、兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科長の室崎益輝さんは、亡くなった犠牲者1人ひとりの命の重みを想像し、災害の記憶や防災の教訓をつないでいくことが大事だと指摘します。
兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科長 室崎益輝さん
「阪神・淡路大震災では6400人が1度に亡くなりました。1人1人が亡くなった積み重ねがこの数字になっていると認識して、慰霊することが私たちに求められてると思いますが、そのためには名前をしっかり確認することが欠かせません。遺族の感情を尊重することが大前提としたうえで、まずは希望する人だけからスタートしていく。その後の時間経過とともに名前を刻んでほしいという人が増えればどんどん名前を増やしていく。そうすれば個人のプライバシーの侵害や遺族の名前を公表したくないという気持ちに反することにはならないだろうと思う」
その上で室崎さんは、こう付け加えました。
室崎さん
「多くの人が亡くなった災害を社会全体で共有していくためには、行政が後押しをする、先頭に立つことが求められると思います。そうして、1人1人の名前を刻んだ慰霊碑を残すという責任があるのではないでしょうか」
慰霊碑は何のためにあるのか。名前をそこに掲げる意味は何なのか。答えは1つではないと思います。

最初に紹介した兵庫県芦屋市は、慰霊碑に名前が入っていないものの、震災20年の式典で犠牲者の名前を読み上げ、亡くなった一人ひとりを追悼し、毎年1月17日には遺族に銘板の写しを公開しています。

大切なのは、名前を刻みたいという思い、それを望まないという思い、それぞれの思いを尊重しつつ、より多くの人たちに記憶と教訓をつないでいくことだと思います。

災害の慰霊碑はどうあるべきか。みなさんご自身は、どのように考えますか?

●この内容については1月14日(金)の「おはよう日本」でお伝えする予定です。
神戸放送局 記者
井出瑞葉
2017年入局
震災が起きた平成7年生まれ
去年7月から神戸局で震災取材に

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