体操 内村航平 現役引退を発表 五輪で個人総合2連覇

オリンピックの体操で個人総合では2連覇を果たした、内村航平選手が現役を引退することを、所属する事務所が発表しました

内村選手は長崎県出身の33歳。

優れた空中感覚と他を圧倒する練習量を武器に力をつけ、19歳で北京オリンピックの代表に選ばれ、個人総合で銀メダルを獲得しました。

その後、着地の正確さと6種目すべてで難度が高い技を美しくこなす、世界最高のオールラウンダーに成長しました。

個人総合ではロンドンオリンピックから2大会連続金メダル、世界選手権は6連覇と圧倒的な成績を残しました。

また団体でも日本の大黒柱としてリオデジャネイロオリンピックでの金メダル獲得に貢献しました。

その後、肩の痛みや体への負担を考慮して、個人総合ではなく種目別の鉄棒に専念して、東京オリンピックの代表にも選ばれました。

4大会連続出場となった東京オリンピックでは鉄棒の予選で落下して、金メダル獲得はなりませんでした。

去年10月、生まれ故郷の北九州市で行われた世界選手権では、種目別の鉄棒で6位でした。
内村選手が所属する事務所は11日、内村選手が現役を引退することを発表しました。

内村選手は今月14日に記者会見し引退の決断に至ったいきさつや今後の活動などについて説明する予定です。

19歳で北京五輪代表 日本の絶対的なエースとして活躍

内村選手は3歳で体操を始め、日本体育大学などで練習を積みました。

優れた空中感覚を持ち味に力をつけ、2008年の北京オリンピックの代表選考を兼ねた全日本選手権で、当時の日本のエース、冨田洋之さんらをおさえて初めて優勝を果たし、大きな注目を集めました。
19歳で北京オリンピックの代表に選ばれると、オリンピック本番では団体のメンバーとして日本の銀メダル獲得に貢献しました。

さらに個人総合では、決勝の演技であん馬で2回の落下があったものの、得意のゆかや跳馬で得点を重ねて銀メダルを獲得し、国内外に鮮烈な印象を与えました。

北京オリンピック以降は、世界選手権や全日本選手権など出場したすべての国内外の大会の個人総合で優勝。

日本の絶対的なエースとして2012年のロンドンオリンピックを迎えました。

本番では、団体こそ銀メダルだったものの、個人総合では、6種目すべてで15点台をマークするなど圧倒的な演技を披露して、日本選手としては具志堅幸司さん以来28年ぶりとなる金メダルを獲得しました。

充実期を迎えた一方で苦難の道のりも

内村選手は、リオデジャネイロオリンピックで個人総合と団体の2つの金メダルを獲得し、27歳にして体操選手としての充実期を迎えました。

しかし、その後は苦難の道のりが続きました。

リオデジャネイロオリンピックの次の年、2017年にカナダで行われた世界選手権では、大会7連覇を目指した個人総合の跳馬で、着地の際に左足首をケガして、大会を棄権しました。
次の年の全日本選手権では当時19歳だった谷川翔選手に敗れて大会の連覇が10で止まり、その年の世界選手権でも調整不足などから個人総合での出場を見送りました。

さらに2019年は肩の痛みなどから全日本選手権で本来の実力を発揮できず、40位で予選敗退。

日本代表にも選ばれず、2008年以降続いていたオリンピックと世界選手権の出場を逃しました。

内村選手は東京オリンピックの代表選考を見据えて、治療とリハビリをしながら個人総合での調整を模索していく中で、おととし2月に唯一、体に痛みが出ないとして、得意種目の鉄棒に絞って東京オリンピックを目指すことを決めました。

それまで6種目で勝負することに強いこだわりを持っていましたが「東京オリンピック出場は自分だけの目標ではない。自分だけのプライドはいらない」と大きな決断をしました。

鉄棒は内村選手の最も得意とする種目で、これまで武器としてきたG難度の「カッシーナ」などに加え、H難度の大技「ブレットシュナイダー」を新たに取り入れて、新型コロナウイルスで1年延期となった東京オリンピックを目指しました。

当初は、6種目の個人総合から1種目のみに絞ったことで調整の難しさなどがありましたが、サブ会場でこれまでとおりに他の種目もこなすなど、さまざまな方法を試して、種目別のみの競技に合った調整を身につけていきました。

その結果、去年4月から6月まで行われた東京オリンピックの代表選考会では、圧倒的な成績を残して、4大会連続のオリンピック代表を決めました。

大技 跳馬「リー・シャオペン」 鉄棒「ブレットシュナイダー」

内村選手はその競技人生で、跳馬や鉄棒の大技にこだわりを持ってきました。

跳馬では「リー・シャオペン」。後ろ向きに踏み切って体をひねりながら手をつき、さらに2回半ひねる大技です。
2016年のリオデジャネイロオリンピックに向けて取り組みはじめ、本番で見事に成功させ高得点をあげて、団体、個人総合の金メダルにつなげました。

一方、2017年の世界選手権ではこの技の着地に失敗して左足首をケガ、個人総合の大会連覇が6で途切れることになりました。

ただ、その後も種目別の鉄棒に専念するまでは東京オリンピックに向けて「リー・シャオペンをやりたい。ケガのリスクはあるけれど、諦めきれない」と強いこだわりを見せていました。

もう1つは鉄棒の「ブレットシュナイダー」です。鉄棒を手をはなして、伸身の姿勢で空中で2回宙返り2回ひねりをして、再び鉄棒をつかむH難度の大技です。
おととし2月に鉄棒に専念することを決意したあと、東京オリンピックに向けて本格的に取り組み始めました。

去年行われた3回の代表選考会ではいずれも成功させて、他の選手を大きく引き離す15点台の高得点をあげました。

オリンピック本番でも予選で成功させましたが、その後の技で落下し、メダル獲得はなりませんでした。

佐藤寛朗コーチの存在

リオデジャネイロオリンピックの後の内村選手を語るうえで欠かせないのが、佐藤寛朗コーチの存在です。
佐藤コーチは内村選手と同じ高校の1学年下の後輩です。

現役時代、全日本選手権など国内トップレベルの舞台での実績はありませんが、オーストラリアに留学して体操の指導方法を学ぶなど、選手それぞれの特徴や長所を生かす、みずからのコーチングスタイルを確立しました。
2016年に内村選手のコーチに就任、その後は積極的なアドバイスで内村選手を支えました。

2018年に内村選手の全日本選手権の連覇が「10」で止まったあと、平行棒で実力を発揮できない内村選手が「このバーは滑る」と言ったことに対して、佐藤コーチは「バーが滑るのではない。技術が追いついていない」などと指摘し、内村選手の信頼を積み重ねました。

2020年2月には、得意の鉄棒に専念して東京オリンピックを目指すことを進言し、内村選手の大きな決断のきっかけを与えていました。

東京五輪で「金」橋本大輝の実力を早くから評価

内村選手は、東京オリンピックの個人総合で金メダルを獲得した橋本大輝選手の実力を早くから評価していました。

内村選手は、橋本選手が高校生のときから跳馬や鉄棒の技術は国内でもトップレベルだと評価していたほか、去年3月の東京オリンピックの代表選考を前にした強化合宿では、橋本選手ら若手の演技を目の当たりにして、自分がいなくても日本が団体で金メダルを獲得できると感じたということです。

その橋本選手は、東京オリンピックの個人総合で金メダルを獲得し、およそ3か月後に行われた世界選手権では、個人総合や種目別の鉄棒などで着地が乱れた減点が響き、わずかな差で金メダルを逃しました。

ともに大会に出場していた内村選手は、あと一歩で金メダルを逃した橋本選手に対して「着地を止めなければ世界では勝てない」ことを伝えるため、橋本選手の目の前で行ったみずからの鉄棒の演技では最後の着地をピタリと決め、世界で結果を残してきた王者としてのメッセージを若きエースに向けて発していました。

橋本選手は大会のあと「内村選手が世界で勝ち続けてきたことの難しさを身を持って知ることができたし、自分の課題が着地だと気付かされた。いちばん大事なところで着地をしっかり決めるすごさを感じられた」と話していました。

JOC山下会長「日本のスポーツ界を引っ張ってくれた」

JOC=日本オリンピック委員会の山下泰裕会長は内村航平選手の現役引退について「長きにわたり日本の体操界はもちろん、日本のスポーツ界を引っ張ってくれた。彼自身もアスリートの代表として自分が先頭に立たなければいけないという思いがあったと思う。かなり精神的にも肉体的にも酷使してきたと思うので、自分の精神と体を褒めて、いたわって、少しゆっくり休んでほしい」とねぎらいました。

そのうえで「1つの大きな区切りだが、彼のこれまでの人生、体操と向き合う姿勢に人生成功のエッセンスがいっぱい入っていたと思う。少し休んだら心の中に新しいやる気、情熱が出てくるのではないか。新しいスタートを切ってくれたらと思う。われわれにできることがあれば新しい人生で精いっぱいサポートしていきたい」と話していました。

日本体操協会 藤田会長「心からの尊敬と感謝の念」

日本体操協会の藤田直志会長は「1人の偉大なアスリートとして、そして1人の人間として、内村航平選手のこれまでの生き方、功績に対して、心からの尊敬と感謝の念を表します。今後も体操競技のみならずスポーツ界に携わっていただくことを熱望し、新たな人生での活躍を祈念しております」とコメントを発表しました。

具志堅幸司さん「本当によく頑張った」

内村航平選手が初めてオリンピックに出場した北京大会で日本代表の監督を務めた具志堅幸司さんは「これまで本当によく頑張った、ご苦労さまのひと言だ。来るときが来たなと。しんみりしてるのかなと思ったらそうではなくて、さばさばしていた。やっと任務が終わったという表情をしていた。本当に誇りに思う」と心境を話しました。

具志堅さんは内村選手の大学時代の恩師でもあり当時を振り返り「入学して最初の2年間は叱りまくっていた。こんな練習じゃダメだと。ところが北京オリンピックを体験してからこちらがけがするのではないかと心配するくらいに極限まで追い求める選手に成長した」と話しました。

また2012年のロンドン大会の男子個人総合で具志堅さん以来となる28年ぶりにオリンピックで金メダルを獲得したことについては「本当にうれしかった。教え子が世界のひのき舞台で活躍するということは本当に指導者冥利(みょうり)に尽きる思いだった」と振り返りました。

そして、最後のオリンピックとなった東京大会での内村選手の姿については「最後の最後までもがき苦しんだが、自分の体操の総決算のような集大成を見せるというエネルギーを感じた。体操が好きという思いが周りに伝わってきた。終わりまで悔いのない選手生活だったのではないかなと思う。まずはゆっくり休んでもらいたい」とねぎらっていました。

体操男子日本代表 水鳥寿思監督「若い選手を五輪に導いた」

体操男子日本代表の水鳥寿思監督は「これだけ長くトップでやり続けてきたことが、ほかの人ではできないことなのですばらしいと思うしお疲れさまと言ってあげたい。その中で1人の体操ファンとしては、内村選手の演技は感動をいつももらえるので寂しさもあるが、若手の選手に彼がやってきた美しい体操をしっかり引き継いでほしい」とねぎらいました。

内村選手が体操界に与えた影響については「本当に言い切れないくらいだ。彼の活躍で体操を知りオリンピックを目指そうと思った選手が、まさに東京オリンピックで一緒に戦ったメンバーだ。若い選手を間接的であってもたくさんオリンピックに導いていると思うと、彼なくして『今の体操日本はない』と言っても過言ではない」と最大限の賛辞を送っていました。

アテネ金 冨田洋之さん「体操のすばらしさ伝え続けてくれた」

元体操選手でアテネオリンピックの金メダリストの冨田洋之さんは「まずは、長年お疲れさまと言いたい。世界の体操競技のトップとして日本の体操競技のすばらしさを伝え続けてくれたことは大変な功績だと思う。さらに、若い後輩たちにも進むべき道筋を示し、けん引してくれたことに感謝したい」と話しました。

そのうえで「航平の意思はこれからの選手たちがしっかりと継いでくれることでしょう。これからはまた違った形での内村航平を表現してほしいし、これからも体操競技のすばらしさを伝えてほしいと思っています」と今後の活躍に期待していました。

リオ金 白井健三さん「世界中の体操選手に影響を与えている」

リオデジャネイロオリンピックの体操団体で、内村航平選手と金メダルを獲得した白井健三さんは「驚きやさみしさよりは、僕も引退しているのでこれから体操の新しい挑戦を一緒にしていけるんだろうなという楽しさやワクワクが自分を包んだ印象だった。本人の中でいろいろな考えはあったと思うが、競技に対して一つやりきったという思いからこそ、決断に至ったと思う」と話しました。

そのうえで「内村航平さんは憧れの選手というよりも、内村航平さんに憧れていた。練習以外でもたくさんのことを僕に学ばせてくれた。いちばん教わったのは『体操がうまい人間が偉い人間ではないよ』ということ。そういう一緒に過ごした一日一日が印象に残っている。それを僕も若い選手に伝えていきたい」と振り返りました。

最後に内村選手へメッセージをおくり「お疲れさまということばよりは新しい体操界への貢献をまだまだしてくれるのではないかと期待を持てる。誰にも止められないような記録や取り組みは、僕だけでなく世界中の体操選手に影響を与えていると思う。そういった意味で門出としておめでとうということばを贈りたい」と話していました。

出身地の長崎県諫早市 引退を惜しむ声

出身地の長崎県諫早市では引退を惜しむ声が聞かれました。

70代の女性は「いつかは決断しないといけなかったと思いますが、今はただ『お疲れさまでした』と言いたいです。ときどき諫早に帰ってきて子どもたちに体操を教えてほしいです」と話していました。

また60代の女性は「いつかこういうときが来るかなと思っていましたが、残念です。夢をたくさん与えてくれて感謝しています。体操の指導者として後継者を育ててほしいので、今後の活動を楽しみに見守っていきたいです」と話していました。

50代の男性は「オリンピック連覇のほか、最後は鉄棒一本に絞ったことなど、最後まで勇気を与えてくれました。県外で仕事をしているときは、活躍を見るたびに同郷としてパワーをもらいました。長い間ご苦労さまでした」と話していました。

ロンドンオリンピックとリオデジャネイロオリンピックのあとに内村選手の凱旋(がいせん)パレードが行われた諫早市の栄町商店街協同組合の平野吉隆理事長は「凱旋パレードのときはこの商店街が始まって以来の人出で、諫早の地名を全国に知らしめてくれてとても感謝しています。本人が相当覚悟して決めたことだと思うので、残念ですがこれからも後輩の育成など尽力し、諫早に元気を与えてほしいです」と話していました。

叔父の小川太洋さん「『お疲れさまでした』と声かけたい」

内村航平選手の叔父で、内村選手の出身の諫早中学校の校長を務める小川太洋さんは「十分すぎるくらいに頑張ってきたと思うので『お疲れさまでした』と声をかけたい。気が付けば体操をしているような体操一筋の子どもでしたが、最後までオリンピックに出場する信念と挑戦する気持ちを見せてくれた。これからも子どもたちに夢や希望を与えるような指導者などとして人生を歩んでほしい」とねぎらっていました。