カーリング 本橋麻里 追い求めた本音のコミュニケーション

カーリング女子で、オリンピック出場を決めたロコ・ソラーレ。チームを立ち上げたマリリンこと本橋麻里さんが目指したのは「ピンチのときでも復活できるようなチーム」。そのために、チーム全員が本音でぶつかり合える「本当のコミュニケーション」を追い求めてきました。
(聞き手:札幌局 筒井亮太郎アナウンサー 取材:札幌局 小山凌アナウンサー 釧路局 西阪太志アナウンサー)

カーリング 大切な会話

本橋さんのふるさとは、オホーツク海に面した北見市常呂町。
町の子どもたちは、学校の授業の一環としてカーリングを教わるという地域です。
本橋さんがカーリングと出会ったのも、小学校の授業でした。常呂町のカーリングのリンクでは、いつもにぎやかに声が飛び交っています。
カーリングは、およそ40m先、電車2両分ほどの先にある目標、ハウスをめがけてストーンを投げあう競技。
コミュニケーションが欠かせないと言います。


(本橋)
カーリングのプレー中は、かなり声を出します。試合だと、一斉に試合をしているので、もっと大きい声を出して話さなきゃいけなかったり、体を使ったりしながら、コミュニケーションを取ってショットを決めるというのが、カーリングでは普通ですね。
石を運ぶ「スイープ」をする人たちは、今、どれぐらいのスピードがあるよっていうのを伝えたり、投げた人は、指示されたとおりに投げられているか、ちょっと違うように投げた場合は「ちょっと外に投げちゃったよ」とかって伝えることもあるんですけれど。
(筒井)
意見が合わなくなる時とかないんですか?
(本橋)
もちろん、あると思います。
私はこう思うっていうのを話すんですけど、やっぱり、コミュニケーションをスムーズにするために、氷の外でもミーティングしたり、会話をしたりしますね。

背負いきれなかった「頑張れ」のことば

幼い頃から運動が大好きだった本橋さんは、中学生の時には世界ジュニア選手権に出場。
より高いレベルを目指して、18歳で日本のトップ選手たちが所属するチーム青森に入ります。翌年、2006年には、トリノオリンピックでオリンピック初出場を果たし、強豪のイギリスやカナダから勝利を挙げる快進撃を見せました。


(筒井)
私、当時、テレビを通して本橋さんの活躍を見ていたんですけど、やっぱり印象的なのが、両耳を伸ばしたあのおどけた表情ですね。
(本橋)
本当におそろしい。
(筒井)
一視聴者ながら、本当にリラックスして、オリンピックを楽しんでいるなと思っていたんですが…
(本橋)
右も左も分からない。気付いたら選手村にいた、IDがあった、公式練習をしていた、みたいな感じですね。初戦が誰だったかも、もう覚えていないぐらいなんですけど。


本橋さんたちの活躍に、日本では空前のカーリングフィーバーがわきおこります。本橋さん自身もマリリンの愛称で多く人に親しまれました。
一方で、そのころ、本橋さんの心に大きな変化が起きていました。


(本橋)
ただただ、オリンピックの影響に驚かされている日々だったっていう感じはありましたね。スーパーで買い物していたら、「お疲れさま」とか、「頑張ったね」とか。あと、「これからも頑張ってね」って、言われることが多かったので、それが逆に、どんどん、気付かないうちにプレッシャーになっていき始めていましたね。ジュニアのころから「頑張れ」って言われて、自分なりに背負ってはきていたんですけれど、オリンピックの終わった後は、期待が膨らみすぎて、初めて背負えないと思っちゃった瞬間かもしれないですね。


4年後のバンクーバーオリンピックでは、前回大会の主力が抜け、本橋さんは、チームの中心選手として挑みました。しかし、前回を下回る10チーム中8位という結果で終わります。


(本橋)
もろにプレッシャーを抱えての戦いでした。簡単じゃない。震えましたね。
(筒井)
応援されるって、うれしいことでもあると思うんですけど、時折、つらく感じるんでしょうか?
(本橋)
でも、それがやっぱり、本当にトップのトップアスリートに行けなかった理由だなと思いますね。その応援を完璧に力にできてなかったっていうのは、誰のせいでもなく自分の力量なので。そういう絶望感はありましたね。
(筒井)
何が足りなかったんですか?
(本橋)
チームメイトに「余裕ないよね」って言えればよかったんですよね、お互いに。
(筒井)
弱さを見せ合う?
(本橋)
そう。真面目なメンバーがそろっていたっていうのもあったんですけど、まともに、みんな背負ってしまって。大変なのはお互いわかってはいたんですけど、つらいとか、弱さを見せる瞬間は、ちょっと少なかったのかな。
今振り返ると、もう一歩上の、それこそコミュニケーションの取り方があったなって。あの時に戻れるんだったら…って感じですね。
(筒井)
当時の本橋さんは、周りへのコミュニケーションが、まだ、そこまで得意というわけではなかったんですか?
(本橋)
そうですね。試合に出してもらわないといけなかったので、そういった意味で、やっぱり、ちょっと「ピリピリ感」はありましたよね。常に、コーチに認められるためだけにいた、みたいな感じだったんです。
でも、「いや、一緒に戦うのは、コーチじゃない、プレーヤーどうしじゃん」っていうことにハッと気付いたというか、そこが変わらないと、絶対、選手としては腐るなって。
「じゃあ、腐りたいか」って自分に問いただしたときに、嫌だって思ったんです。それはすごく強烈に残っていますね。

故郷で立ち上げた伝え合うチーム

バンクーバーオリンピックから半年後。本橋さんはおよそ5年間所属したチーム青森を離れることを決意します。選手としてのリスタートの地に選んだのは、ふるさと、北見市常呂町でした。


(筒井)
常呂町に戻ってくると、本橋さん自身、すごく楽になれるんですか?
(本橋)
そうですね。逆に、かっこつけていると笑われる町なので。
本当に自分自身のままでいると、みんなも普通に接してくれて、ちょっとかっこつけたりなんかしちゃったりすると、そんな肩に力入れないで、みたいな感じに。素直な意見をぶつけてくれる人が多いので、本当に感謝しています。
だから、リスタートするんだったら、もう、ここしかないなと。もし、これが大失敗に終わったとしても、失敗して私が消える地はここだなと思っていたので。


本橋さんは、常呂町で地元の選手を集め、新たなチームを立ち上げました。それが、ロコ・ソラーレです。


(本橋)
チーム作りっていうのはどういうものかっていうのを、本当にやらないとだめだなって。他人の痛みも自分の痛みも、ちゃんとわかるようになりたいと。
(筒井)
どんなチームにしよう、どんなチームを作ろうと思いました?
(本橋)
一人一人が、しっかり考えて意見を持って。チームと違う意見であっても、チームのためを思って言っている意見であればよしとしようというか、本当に十人十色でいいというような考えで。
(筒井)
どうして、そういうチームをつくろうと思ったんですか?
(本橋)
やっぱり今までやってきたチームが、なかなかそこまでいかなかったというか、すごく大きな舞台を戦うのに、本音でぶつかりあえていなかったなっていうのはあったので、しっかりと、本当に氷の上でも、そしてその倍、氷の外でも支えられるようなチーム作りをしなきゃいけないし、一緒に戦う選手を、より理解しなきゃいけないなと思っていたので。他人に興味を持つっていう所から始まったんですよ。
(筒井)
それまで、なかったんですか。
(本橋)
あんまりなかったですね。自分にも特段、興味がなかったんですよ。勝つためにとかいうことには、興味あったんですけど。
だから、人間リサーチみたいなことに取り組んで、1年目は自分の中でいちばん苦労したけど、楽しかった。
(筒井)
例えば、どんなリサーチをしたんですか?
(本橋)
その子がどんな色が好き、食べ物何好きぐらいはわかっていたんですけど、どんなことにつらいと思うかとか、どんなことに感動するかとか、心が動く瞬間のことって、全然知らなかったなと思って。
本当にたあいもない、くだらない話とかをしている中でも、結構、氷の上で使えるヒントとかがあったりするんです。「こういう声かけで、この子、喜ぶんだな」とか、「こういうふうに言うと、ことばが次に出なくなっちゃうんだな」とかって。その子のスキルを上げていくために、一人一人の話をよく聞いて相手を知るっていう作業をしてきました。
過去を振り返ると、これまでは、なんとなくある程度トップチームの試合ができちゃっていたんだけど、氷の上で使えるなっていうほどの意識をもって、アンテナを張って雑談をしていたかなと。あうんの呼吸をちゃんと作るためには、やっぱりこういう作業をしていかなきゃだめなんだな、私、大事なものを見落としていたなって思いながら歩みましたね。
(筒井)
そうか、意見をぶつけあうっていうことは、相手も知らないといけないですもんね。
(本橋)
知らないといけない。傷つくことばで攻撃するんじゃなくて、相手の気持ちを引き出すための会話をしなきゃいけないなって。私は全然そこができていませんでした。
一方的に自分の意見をぼーんとぶつけて終わり。それよりは、ちゃんとキャッチボールができて、どんどんどんどん深く掘り下げていくようなことができないとだめだなって思いました。
(筒井)
それは最初から、うまくいきました?
(本橋)
それが、全然、うまくいかなかった。
まず、自分が思っていることを、ことばでちゃんと言えなかったんですよ。
(筒井)
本橋さん自身が?
(本橋)
そう。考えすぎちゃって。「これ言ったらだめ?」「これ言ったら、私、嫌われる?」「これ言ったら、損するの?」みたいな。だから、誰かのために何かを言うっていうことができなかったんです。で、「あちゃー」と。自分を守ることしか考えてなくて。けっこう自分の損得で、ミーティングしちゃうときがあるんで。
でも、それって本当にチームのためを思っているのかって言ったらそうではない。誰かが悪者にならなきゃいけないときがあるけど、それを避けていると、核心に全然触れられないっていうか、どんどん離れていってしまう。でも、ふわっと「それでよし」みたいな感じで終わるミーディングを何回か経験して、やっぱりだめだなって思っていたけど、勇気を出して言えていない自分もいたりして。
そこをしっかり変えていこうって思いましたね。

本音をぶつけるチームがつかんだ大逆転

互いに本音をぶつけることを繰り返すうちに、関係性が変わったと感じる瞬間がありました。

(本橋)
ミーティングのときに、これも鈴木夕湖だったのかな。
私、経理っぽいのもやっていたんですが、「麻里ちゃん、大変そうだから、私やるよ」って言ってくれて。
そのときにいたほかのメンバーからも、「本当、麻里ちゃん、人を頼らないよね」みたいなことを言ってくれて、すっきりしたみたいな。
(筒井)
ショックじゃなかったんですか?
(本橋)
全然。むしろ、うれしかったですね。
前のチームでは、私自身が張り詰めすぎて、それすらもつっこめない雰囲気を出していたんだなって思いましたし、逆にみんな、ある意味、いじってくれてよかったなと。
(筒井)
でも、その意見をぶつけあえるチームが、なぜ強いチームになるんですか。
(本橋)
支え合うっていうことは、やっぱりことばの数も増やさなきゃいけなくなりますよね。相手を理解して、相手の気持ちに寄り添うっていうことができないと。氷の上でも、勝っているときはいいんですよ。でもピンチのときに、それがやっぱり露骨に出るので、ピンチのときでも復活できるようなチームになりたいんです。


そうした本橋さんの思いが結果として現れた試合があります。
去年9月、北京オリンピックへ向けた日本代表決定戦。ロコ・ソラーレは2連敗を喫し、後がない状況で第3戦を迎えました。
第3戦を前にしたミーティング、選手たちは、本音をことばにしていったと言います。


(本橋)
かっこつけて、大会に出ていたなって。
負けた試合でも、選手たち一人一人が、悔しいっていうキーワードを出さないようにしていたのか、出なくなっちゃっていたのかわからないんですけど。2敗しても、大丈夫、大丈夫って。でも、本当は、全然大丈夫じゃない。めっちゃ悔しいみたいなのを、みんな出してくれて。
やっぱり、そういうふうに全部を出しきれる、そして全部を受け止められるスタッフもいてくれて、私は本当にほっとしたというか、よかったって。
やっぱり選手たちも、改めて自分たちに素直になれて、スタッフもみんな、誰一人諦めている人がいないって、みんなで気持ちを合わせられたので、全然怖くなかったですね。


ロコ・ソラーレは第3戦から3連勝。大逆転の末、日本代表の座をつかみました。そして、12月にオランダで行われた北京オリンピック世界最終予選で勝利し、2大会連続のオリンピック出場を決めました。
気持ちに寄り添い、声を掛け合う。本橋さんが思い描いたチームの形です。


(本橋)
ロコ・ソラーレは勝ちにこだわるというよりは、プレースタイルや、中身にこだわったほうが、結果がついてくるチームだなと思うので、かっこつけずに、そのままのみんなでやってくれると、応援している人たちも、笑ったり泣いたりするんじゃないかなと思います。
(筒井)
少し大きな話になるんですけど、そういった意見を言い合える、腹を割って話せるチームメイトがいるというのは、人生もすごく豊かになるものですか。
(本橋)
豊かというか、ハッピーになりますね。
私自身も、常にみんなも変化していってくれるから、私も進化しなきゃいけないなって思い続けられるので、いい意味でのライバルでもあるし、戦友でもあるし、家族みたいな感じにみんながなってきているので、これからみんなが歩んでいく道も、すごく楽しみだし、応援しているし、本当にエネルギーをもらえる、そういう仲間がいて楽しいですね。


『インタビュー ここから カーリングチーム代表理事 本橋麻里』
放送は、総合テレビ1月10日(月)午前6時30分から。