タリバンからの殺害予告 日本に逃れたアフガニスタン人家族は

タリバンからの殺害予告 日本に逃れたアフガニスタン人家族は
「フルートを演奏した」
「女性がスポーツをした」

こんな理由で、命を脅かされることになったアフガニスタン人の若者が、いま日本に逃れてきています。20歳のフルート奏者と18歳の女性柔道選手の兄妹。イスラム主義勢力タリバンが再び権力を握る中、これまでおう歌していた自由が突然奪われてしまったのです。

私たちは2人の来日直後から密着取材を許されました。新たな生活を始めようとする彼らの目に映る日本の姿は、私たちから見えている姿とは大きく違って見えました。

(社会番組部ディレクター 酒井有華子、おはよう日本ディレクター 村上隆俊)

※この内容は1月10日のおはよう日本で放送予定です

音楽家・スポーツ選手という理由で命をねらわれて

去年11月、退避した家族が暮らす都内の施設を訪れました。長男、ジャムシッド・ムラディーさん(20)、長女ラティファさん(18)、そして母親のビビグルさんが出迎えてくれました。

多くのアフガニスタン人が退避後もタリバンを恐れ、顔や実名を出しての取材をためらう中、家族はあえて顔や名前を隠さずに真実を話したいと取材に応じてくれました。
ジャムシッドさんはアフガニスタン国立音楽院を卒業し、フルート奏者としてアメリカやアジアなどでコンサートに参加してきました。ラティファさんは東京オリンピック出場を予定していた柔道選手でした。

夢を追う2人を、母親のビビグルさんは掃除の仕事をして応援してくれたと言います。
ジャムシッド・ムラディーさん
「父を病気で亡くし、3人家族でしたが、母は私には音楽を、妹には柔道を、自由にやらせてくれました。自分たちの人生を見つけ出すことを、いつも願ってくれていました」
しかし、2人はたびたびタリバンから命をねらわれてきました。

ラティファさんは、女性がスポーツをすることをよく思わないタリバンから殺害を予告する脅迫状を送られていました。

兄のジャムシッドさんも、音楽活動や娯楽を禁止するタリバンによって、コンサート中に自爆テロの被害にあったと言います。

昨年7月、タリバンが各地域を制圧する中、家族は命の危険を感じて隣国イランに逃げました。その後、ビザの期限が迫りアフガニスタンに強制送還されそうになっていたところ、日本の支援者とつながり、11月に日本に退避することができたのです。
ジャムシッド・ムラディーさん
「タリバン政権になってしまったら、地獄のようになると思いました。これまでの生活をすべて捨てて、大好きな母国を出るしかありませんでした。これから全く知らないところへ行き受け入れてもらえるのか、さらにひどいことにならないか、心配はつきませんでした」

日本に逃れても安定しない生活…

日本に退避したジャムシッドさん家族は、公的な生活支援がない中、支援団体やボランティアなどのサポートを受けて生活を送っています。命の危険を感じることはなくなりましたが、大きな課題に直面していました。
家族が日本に入国する際に発給されたのは「短期滞在ビザ」です。期限は90日間で、就労は原則認められず、健康保険にも入ることができません。
ジャムシッド・ムラディーさん
「今は短期のビザで、更新できるのか常に考えなくてはならないし、仕事をすることも許されていません。ちゃんと働けて、安定的に日本での暮らしを送れるような在留資格を得たいと思っています」
ジャムシッドさん家族は、命を救ってくれた日本に長く住み続けたいと考えています。

当初、公的な支援を受けられる難民認定の申請も考えていましたが、2020年に難民と認められたのは約1%。ジャムシッドさんは、アフガニスタンでも多くの人たちが「日本は難民を受け入れない国だ」と言っているのを耳にしたため、今は就労ビザなど、日本に長期的な滞在ができるビザへの切り替えができないか模索しています。

しかし、そのためには就職活動をして雇用してくれる企業を見つける必要があり、簡単ではありません。
ジャムシッド・ムラディーさん
「私には日本語の問題もあります。まだ来たばかりなので、僕たちも日本のこと、日本の文化や日本人のことをもっと知らなくてはと思っています。でも、それには時間がかかります。私はこれまで20年間生きてきて、結局いますべてを失ってしまいました。今度こそ、家族と一緒に、日本で新しい人生を切り開いていきたいと強く願っています」

流ちょうな日本語で書かれたSOS

日本から、ジャムシッドさん家族の来日を支援した、瀬谷ルミ子さん(NPO法人REALs理事長)です。瀬谷さんのもとには、連日のようにアフガニスタンからの退避を求めるSOSが届き続けています。

主に日本が退避を受け入れているのは日本大使館やJICAの現地職員などに限られます。ジャムシッドさん家族のような人たちを受け入れるケースは非常に珍しいと言います。
瀬谷ルミ子さん NPO法人REALs理事長
「日本では就学・就労先が決まっているなど、日本の中での安定的な暮らしが、ある程度見えないと受け入れをしてもらえないのです」
「私たちは今とても危険な状況にいます、助けてください。」

アフガニスタンから瀬谷さんのもとに日本語で書かれたSOSのメッセージが届きました。送ってきたのは16歳のアフガニスタン人の少女。父親が日本の大学に留学していた関係で6年間日本に暮らし、2年前に帰国していました。
「海外の思想に染まっている」― 日本に長く住んでいたことでタリバンから迫害の対象とされ、家族全員で潜伏生活を余儀なくされています。首都カブールが制圧された直後から、家族は国外退避の方法を探してきましたが、いまだに具体的な方策は見つかっていません。

少女はどのような思いで瀬谷さんにメールを送ったのか。私たちは、直接少女と連絡をとり、話を聞かせてもらうことにしました。

通信状況が悪く、電話が途切れ途切れになる中で、少女は日本で学んだ日本語でしっかりと自分の思いを語ってくれました。
SOSを送った16歳の少女
「タリバンが来たあと、充実していた毎日がたった2日間で地獄へと変わりました。タリバンは海外にいた人たちをとても嫌っています。私たちもその一人なのでとても怖いです。アフガニスタンの治安が悪くなったとき、私たちができることは、ただメールをすることだけでした。助けてという思いで瀬谷さんにメールを送りました。もし日本に逃げることができるのなら、日本の学校に通って勉強を続け、将来は医者になりたいです。このままでは私たちの未来はとても暗いものになります。毎日助けてくれることだけを願っています」
この少女のように、かつて日本に留学したことがあるなど、日本への退避を希望している人はまだ多く残されています。瀬谷さんは、人道的な受け入れが難しい日本で受け皿を広げるため、就労ビザ取得の機会を増やせないかと、就労先の確保に動いています。
瀬谷ルミ子さん NPO法人REALs理事長
「今アフガニスタンで危険にさらされている人たちが、就労先とか在留資格がとれれば日本で受け入れられるんですよね。そういった仕組みがないと、置き去りになってしまいます。場合によっては日本と関わっていたということで危険にさらされている人たちもいるので、日本で少しでも受け入れができる手立てができないかっていうことを今後具体的に進めていきたいと思っています」
日本が東京オリンピック・パラリンピックで、多様性と共生社会を掲げていた頃、テレビから流れてくるアフガニスタンの首都カブール制圧のニュースを、どこか遠い国の出来事のように感じていました。

しかし、アフガニスタンから逃れてきた家族との出会いで、国を追われて異国の地に逃れ、在留資格や言語、住居、そして仕事…生きるために必要となる一つ一つを手にしていくことがどれだけ大変なことなのかを思い知らされることになりました。

多文化共生を掲げる日本。取材の中でジャムシッドさんが語った「みんなが日本は難民を受け入れない国だと言っていた」という言葉が重く心に響きました。世界で起きていることをひと事とせず、私たち一人一人が、自分たちにできることはなんなのか、考えていかなければならないと感じました。

私たちに何ができるのか…

アフガニスタンからの退避に関して、日本の支援団体などがサポートを続けています。以下の団体では、寄付や支援などを募っています。

1 NPO法人 REALs
アフガニスタンからの国外退避の支援を続けるとともに、現地で困窮する人たちのための食料・生活支援も行っています。その支援のための寄付を募っています。

2 アフガニスタン退避者受け入れコンソーシアム
アフガニスタンからの退避者の受け入れを支援しようと、現地で長年事業を行ってきたNGOなどが中心となって結成。シェルター、日本語教育、就職訓練、地域での交流などについて支援できる方々からの申し出を取りまとめています。
寄付は各団体で受け付けています。

3 TaiYouSymphony-太陽交響曲
現在、アフガニスタンから退避してきた人たちへの生活相談と、物資の提供などを支援しています。衣服や食料、日用品などの寄付を団体で受け付けています。
社会番組部ディレクター
酒井 有華子
2009年入局
沖縄局、東京、大阪局を経て2020年から現所属
おはよう日本ディレクター
村上 隆俊
2016年入局
徳島局を経て2020年から現所属