せっかく退院できたのに

せっかく退院できたのに
2021年6月11日、記者になって3年目、福島県警キャップを務めていた私は、閉廷したばかりの殺人事件の裁判の原稿を昼ニュースに入れようと、蒸し暑い裁判所の廊下で必死にパソコンに向かっていた。

「死体遺棄事件被疑者の通常逮捕について」。近隣の警察署からの発表連絡だった。

「容疑者から、介護施設の入所者がいなくなったとの通報を受けて捜索したところ、介護施設が管理するアパートの室内で女性の遺体を発見した」

なぜそんなところで…?
この時感じた違和感が、この事件を半年以上追いかけることになるきっかけだった。
(福島放送局記者・高野茜)

なんで被害者が匿名?

警察署までは車で10分ほど。裁判の原稿を出し終えた私は、署に駆けつけ、すぐ取材を始めた。

亡くなっていたのは80代の女性。逮捕されたのは、郡山市内の介護施設の所長、石田兼也容疑者(当時39歳)。発表文には、「容疑者が遺体を遺棄したことを認めたため逮捕した」と書かれていた。しかし、被害者が誰なのか、何度尋ねても、広報担当の署の幹部は「言えない」の一点張りだった。

なんで? 介護施設の入所者がいなくなったという通報があって、近所で高齢者の遺体が見つかり、施設職員が遺棄を認めて逮捕されたのなら、被害者はその施設の入所者でしょ?
しかも、みずから警察に「いなくなった」と通報したらしい。どういうこと?

現場は

遺体が見つかったのは、介護契約を結んでいた施設の向かいにある木造2階建てのアパート。

しばらくして、石田所長が1人で女性の介護を担当していたことや、4月下旬に部屋を訪れた時には女性がすでに死亡していたこと、死亡の事実を遺族にも介護施設にも伝えていなかったことがわかった。

そしてここで、現場アパート付近で取材している後輩記者から、さらに謎を深める情報が入った。
「アパートの大家は、『現場の部屋は、2~3年前に介護施設側から、従業員の休憩場所として借りたいという申し出があって契約を結んだ。人が住むという申し出はなかったし、どうして遺体が出てきたのかわからない』と証言している」
介護報酬欲しさに限界を超えて利用者を受け入れ、施設外の部屋で暮らさせていたということ? ところが、確認のため介護施設に取材すると、「その部屋は備品倉庫で、所長だけが使っていた。施設の利用者がここで暮らしているという認識はなかった」との回答。何なの、この部屋。

そこに、隣町でまた別の事件が発生したという連絡が…。デスクの矢のような問い合わせに答えながら、何が何だかわからなくなるほどあちこち駆けずり回って取材して、どちらの事件もどうにか夕方のニュースに間に合わせ、超多忙な1日が過ぎていった。

謎だらけの事件

家なのか物置なのかわからない謎のアパートで起きた、謎だらけの事件。翌日、気になって現場取材を続けていた後輩記者が、隣の部屋の住人から重要な証言を得ることができた。
「3月ごろ、それまで誰も住んでいなかった部屋に人が住んでいるような気配がするようになった。『ゴホン、ゴホン』という女性が激しくせきこむ音が、5日ほど夜通し続き、やがて静かになった。体の奥から出しているようなせきだった」
コロナ感染で亡くなったのではないか。

そう思った。

郡山市では、春先、感染状況が厳しさを増し、大規模なクラスターの発生が相次いで、多くの命が失われていたからだ。「遺族の希望」や「特定を避ける」という理由で警察が匿名発表を貫いていたことも、こうした推測を強める要因になった。

しかし、遺体発見まで50日余りかかったことから、司法解剖でも死因は特定できず、女性がなぜ亡くなったのかは謎のまま。介護施設を訪ねても取材拒否。近隣で聞き込みを行っても、ヒントすら得られず。

お手上げ状態のまま時間が過ぎ、やがて石田所長は起訴され、捜査も報道もひと区切りとなった。

モヤモヤを抱えて…

数日後の夜、モヤモヤとした思いを抱えながらも次の事件の取材に移ろうとしていた私に、知り合いの捜査関係者から事件の核心に迫る情報がもたらされた。
「被害者にコロナ感染歴があったため、介護施設側が受け入れに反対した。家族の元に帰すと迷惑がかかると思い、独断でアパートに隔離したと供述している」
強引な取材はしない。遺族の気持ちを考え、報道の利益ではなくこの事件のことを知りたいと思っている県民の利益になる取材をする。この約束を条件に、ある筋から被害者の氏名や住所などを教えてもらい、私たちは再び謎多き事件の取材に動きだした。

遺族も知らなかった死の真相

亡くなった女性は、官野(かんの)リキイさん(当時83歳)。

遺族は、コロナ感染が発端となって今回の事件が起きたことを警察から知らされておらず、「それが理由で…」と、とても驚いた様子だった。そして、重い口を開き、母親をあの施設に預けてから変わり果てた姿で見つかるまでの経緯を語ってくれた。
(※裁判の過程で実名が公表されたため後に警察も実名発表に切り替えた)
リキイさんは、家族の介護を受けながら郡山市内の自宅で暮らしていた。去年2月下旬、利用していたデイサービスでコロナ感染が相次いだことを受けてPCR検査を受けたところ、感染が確認され、医療機関に入院した。

発熱やせきなどの症状が見られなくなったため、3月上旬に退院。ところが、この間に認知症が悪化し、自宅で介護を続けることが難しくなってしまった。入居できるグループホームが見つかるまでの預かり先として紹介されたのが、デイサービスやショートステイなどを行っていたあの介護施設だった。

契約を結んでから10日後、3月下旬に施設へ。石田所長は、初日から、リキイさんを介護施設ではなくあのアパートの1室に入れた。そして、4月19日。リキイさんが室内で亡くなっていることに気付いた。

この間、感染対策を理由に面会の求めを拒み続けたという。家族には、介護関係者を通じて、「リキイさんはレクリエーションを楽しんでいる」などと、うその近況を伝えながら…。

わらにもすがる思いで預けたのに…

6月になって入居できるグループホームが見つかったことが、転機となった。

施設を移るには事前の面接が必要なため、その日程を設定したところ、石田所長は「熱があるから行けない」とか「リキイさんがいなくなった」などと言って面会を避けようとしたという。不審に思った介護関係者が確認に赴いたところ、石田所長は「この人です」と言ってベッドで寝ている別のお年寄りを指さした。

その場でさらに問いただされ、「本当はまだ見つかっていない」と弁解したため、警察が捜索に乗り出し、遺体が発見されたのだった。
「最後の親孝行と思って数年間介護してきたが、最後にコロナで歯車が狂ってしまった。家族で介護を続けることが難しくなり、わらにもすがる思いで預けたのに…。おふくろはもう帰ってこない。こんな結果になるなんて、裏切られた思いだ」
母の死を知ってからおよそ1か月、なぜ亡くなったのか腑に落ちないまま過ごしているという遺族は、こう語った。

報道 追起訴 でも解けないモヤモヤ

翌日、これまでの取材の結果を報道した。
「入居から死に至るまでの経緯はわかったが、問題は“なぜ亡くなったのか”の部分なので、引き続き捜査している。そこがわからないと、遺族も悔しいだろう」
ある警察幹部はこう語っていたが、やはり死因不詳の壁は厚く、「致死」での立件はできなかった。それでも捜査当局は、石田所長を、リキイさんの体調が悪いことに気付きながら医師の診察を受けさせず部屋に放置した「保護責任者遺棄」や、死亡したことを家族に知らせず介護費用を払わせ続けた「詐欺」などの罪で追起訴し、執念を見せた。

しかし、モヤモヤはまだ解けない。県警担当を卒業し被災地・南相馬の支局に異動したあとも、私は片道2時間運転してこの事件の裁判に通い続けた。

やはり 避けられた死だった

10月18日の第2回公判。追起訴分の罪状認否などの手続きが終わったあと、法廷でリキイさんの死因に関する医師の意見書が読み上げられた。
「死因は全身の機能不全による老衰と見られる。しかし、肺炎や敗血症の可能性も排除できない。点滴などをしていれば栄養状態が改善し、救命できた可能性がある。数日前に病院に連れて行き、抗生物質や栄養剤を投与していれば、命を救えたかもしれない」
やはりそうだ。避けられた死だったのだ。法廷でのやり取りなどから、リキイさんがアパートに入れられて間もない頃、こんな出来事があったこともわかった。
「アパートのレースのカーテンが揺れていたので様子を見に行ったら、部屋の中に正座しているおばあちゃんがいた。『助けてください』と言われた」
リキイさんと言葉を交わしていた別の職員がいたのだ!手が冷えきっていたため、介護施設に連れて行って温かい飲み物を飲ませたところ、リキイさんは安心し落ち着いた様子を見せたという。しかし、石田所長に連絡すると…。
「その人のことを知っている。ケアマネにも連絡しておく」
こう言われたことから、家族のもとに戻されたと思ったという。リキイさんを救えるチャンスだったのに、取り返しのつかない結果になる前に過ちを正せるチャンスだったのに、なぜ石田所長はいつかは露見するうそをつき続けたのか。

12月2日に行われた被告人質問で、ようやく本人の言葉を聞くことができた。

ようやく語られた“理由”

弁護人
「契約の経緯は?」
被告
「3月12日の朝、『コロナに感染して前の施設には戻れないけど、家族が翌週から仕事に戻るので、緊急に泊まれるところを探している』という電話がケアマネからあった。3日後からの希望だったので、『検討する』と言って電話を切った。1時間ほどして『受け入れる』と返答した」
弁護人
「時間を空けたのはなぜ?」
被告
「コロナに感染していたということが不安で、1度電話を切った」
弁護人
「なぜ受け入れようと?」
被告
「困っているし、なんとか力になりたいと思った。施設の利益が出ていないし、契約が取れれば運営にも良いし、コロナで拒否されることもある中で、受け入れると今後のアドバンテージになると思った」
弁護人
「3月15日には受け入れなかった?」
被告
「当日は受け入れられなかった。従業員から『コロナが不安』と反対された。15日からは受け入れられないと担当のケアマネに電話し、1週間後の3月22日からに変更した。週明けに保健所に「コロナで退院したあとの受け入れは可能か」と相談したうえで、職場のミーティングで1週間かけて『大丈夫だ』と説得した。22日に間に合うようにスタッフを説得しようとしたが、できなかった。説得はできなかったが、受け入れると約束していたので、迎えに行った」
確かに、コロナ禍が深刻さを増す中で、介護施設は入所者・利用者やスタッフの感染に神経をとがらせていた。自分がスタッフだったとしても、上司から突然「元コロナ患者を受け入れる」と言われたら、利用者や自分の家族の安全が気になって難色を示したかもしれない。

でも、そうしたことを契約を結んでしまう前に伝えて職場の理解を得ていれば、こんなことにはならなかった。少なくとも、ダメだとわかった時点で正直に事情を話して謝っていれば、最悪の結果は避けられたはずだ。

そう考えず、「アパートで1人で世話をしようと思った」、「時期を見て別の施設に移ってもらおうと思った」という被告。しかし、そうした考えを家族に伝えようとしたか問われると…。
被告
「そこは伝えていない。それはできなかった」
弁護人
「なぜ?」
被告
「契約したし、困っているようだったし。施設を開業した際に借金をしていた。稼働と売り上げが上がれば、給料も上がる仕組みだった。毎月の売り上げは本社も見ていて、強いプレッシャーを感じていた。だから受け入れた」
当初は通常のごはんを食べていたというリキイさんは、4月に入って、徐々に食が細っていったという。
弁護人
「4月上旬のごはんの量は?」
被告
「ラーメンどんぶりの3分の2ほど。ごはんとおかずで」
弁護人
「4月中旬は?」
被告
「時間がかかった。量も減った」
弁護人
「対応した?」
被告
「回数を増やして補った。朝昼だけでなく、時間があるときに食べさせた。反応は若干鈍くなっていたが、亡くなる直前も『うん』などの反応はあった。体調が悪いという認識だった」
弁護人
「病院には?」
被告
「今は、連れて行くべきだったと思う。体調が戻ることを優先した」
弁護人
「なぜ行かなかった?」
被告
「受け入れたことを会社に報告していなかった。連れて行けば発覚してしまう。プレッシャーがあり、バレたくなかった。体調が良くなったら連れて行こうと思っていた」
弁護人
「施設に入居している人だったら?」
被告
「間違いなく連れて行っていた」
リキイさんが亡くなっていることに気付いたあとは、頭が真っ白になって、そのまま放置。アパートのほかの住民に気付かれないよう、100円ショップで布団圧縮袋を買ってきて、その中に遺体を遺棄した。

さらに、うその発覚を防ぐため、2か月分の請求書を作って家族に介護費用を請求。不審に思われないよう「口座の変更手続き中なので」などと取り繕い、翌月集金に行って直接金を受け取っていた。

被告が繰り返した言葉

「バレたくない」「バレたくなかった」。そう繰り返す被告に、代わって質問に立った検察官は、こう尋ねた。
検察官
「バレたらどうなると思った?」
被告
「発覚したらまずいなと。責められるのが嫌だった」
検察官
「なぜ死亡に気付いた?」
被告
「食事を与えようと行ったら、声をかけても反応がなかった。肩をたたいても反応がない。おかしいと思って脈を測ったらふれていない。亡くなったと思った。知らせなきゃと思ったが、バレて責められるのが嫌だった。逮捕も嫌だった。一生バレないとは、思っていなかった」
これが、コロナとの闘いに勝って退院することができたリキイさんが、水道もガスもない物置のような部屋で、誰にもみとられず生涯を終えなければならなかった“理由”だった。

「自己の体面を保持するとともに介護施設の業績を上げて給料を増やす意図で被害者を単独で引き受けた挙げ句、体調悪化や死亡の後に適切な行動を取らなかったことが発覚することをおそれたという犯行の経緯や動機は、身勝手極まりないもので、極めて悪質だ」。検察はこう指摘して懲役5年を求刑。

弁護側は、「施設側に隠して個人で介護する形で受け入れた背景には、新型コロナに対する周囲の過剰な反応と『なんとかしたい』という被告の思いがあった。受け入れを拒むことで被害者やその家族が不利益を受けないようにしようとしただけで、積極的に危害を加えようとしたわけではなかった」として、執行猶予付きの判決を求め、結審。

今月14日に判決が言い渡される。

それでも 知りたい 伝えたい

「コロナがなければ、デイサービスに通いながら楽しく暮らしていたはずなのに…。コロナがなければ、もっと早く異変に気づけたのに…。コロナがなければ…」
最初に会った時こう語っていた遺族は、何度か通ううちに口を閉ざしてしまった。

「何が起きたのか、なぜこんなことになってしまったのか、知りたいが、それを言っても仕方がない。知りたいと言ったところで、何も変わらないから」。それが理由だという。

それでも私は知りたい。そして伝えたい。コロナ感染歴がきっかけで、せっかく助かった命が失われるという悲しい出来事が、もう2度と起きないようにするために。

【1月14日追記】
福島地方裁判所郡山支部は、1月14日、「自己保身のために被害者の安全などを害した卑劣というほかない犯行だ」として、懲役3年6か月の実刑判決を言い渡しました。
この特集を「一言一句漏らさず読んだ」と言ってくれたリキイさんの遺族は、判決の後、「死因がわからない状況の中で捜査機関の方々に力を尽くして頂いた結果実刑判決だったのは良かったが、遺族としてはなぜ母が亡くなったのかもっと詳しく知りたかった」と話していました。
福島放送局 記者
高野 茜
2019年入局
警察司法担当を経て昨秋から南相馬支局で原発事故の被災地や漁業などを取材