賃上げ、実現できる? ~“財界総理” 経団連会長に聞く~

賃上げ、実現できる? ~“財界総理” 経団連会長に聞く~
2022年、日本経済の焦点。その大きな柱が、賃上げです。
「新しい資本主義」の実現を掲げる岸田総理大臣は、コロナ禍にあっても、3%を超える賃金引き上げへの協力を経済界に要請しています。
この求めに、“財界総理”、経団連の十倉雅和会長はどう応えるのか。
NHKの単独インタビューに応じました。(経済部記者 山田賢太郎)

賃上げの“キーパーソン”に直撃

賃金など働く人の労働条件を、企業の経営者と労働組合が毎年交渉する春闘。

その春闘をはじめとする重要な課題について、日本の代表的な企業1400社あまりの意見をとりまとめ、政府や労組側などと対話を進めるのが「経団連」です。

大手化学メーカー 住友化学会長の十倉雅和氏は、前会長の病気療養に伴い、去年6月からその経団連の会長を務めています。

経済界のトップとして大きな影響力を持ち“財界総理”とも呼ばれる経団連会長。

政府が求める賃上げについて、どう考えているのでしょうか?

成長と分配 “最後のチャンス”

経団連 十倉会長
「我々はもとより、株主だけでなく、あらゆるステークホルダー(利害関係者)の価値を重視すると打ち出しています。
中でも従業員は最も大切なステークホルダーで、成果を還元するのは当たり前ではないかと」
インタビューでこう力を込め、コロナ禍にあっても、賃上げに前向きな姿勢を示したのです。

この考え方は、経団連のことしの春闘方針にも反映される見通しです。

収益が拡大している企業の基本給については、「ベースアップの実施も含めた賃金引き上げが望まれる」としています。

その上で、賃上げへの経済界としての決意をこう表現します。
十倉会長
「成長と分配の“好循環”というのがミソだと思うのです。じゃあどうしたらよいかというと、ひょっとしたら、最後で最大のチャンスが来ている気もします」
「最後で最大のチャンス」。

十倉会長は、デジタル化と脱炭素社会の実現に向けた大きな変革期だからこそ、日本国内での投資を拡大し、賃上げの原資を生み出す企業の成長につなげられる、千載一遇の機会だというのです。

また、将来の暮らしの不安を解消するための社会保障制度の構築も急務で、それができなれば成長は成し遂げられないと指摘します。
十倉会長
「企業は海外に多く投資しているから、なかなか国内投資ができなかった。
海外投資して配当をもらっても、国内で投資しないと国内の循環が起こらないですから、DX(デジタル変革)や、グリーントランスフォーメーション(脱炭素社会への変革)は日本で投資をしなきゃいけないんですね、研究開発も設備投資も」

「また、賃上げをしてそれが消費に回らなければいけないのですが、今は貯蓄に多く回っています。
老後の不安があるからです。
賃上げがきちんと消費に向かうよう、やはり安心で持続可能な社会保障制度を作らないといけません」

“官製春闘”ではない

賃上げをめぐってはここ数年、いわゆる「官製春闘」とも呼ばれる形で、政府が経団連に求める構図が続いてきました。

ただ十倉会長は、岸田政権下での3%を超える賃上げ要請への対応は、「官製春闘」ではないと言います。
十倉会長
「賃金は、それぞれの企業が経営環境を踏まえて、労使がよく話し合って決めるという、この原則は崩さない。
それと、いま日本は『K字回復』ですから一律というのはないと。
国家資本主義じゃないですから、国から何%賃上げしろと言われて、民間企業がやるというようなことはおかしいし、政府もそんなことは言っていないので、あくまで期待表明です」

成長への懸念は新型コロナ

「成長と分配の好循環」に向けて新たな経済対策を打ち出し、来年度のGDP=国内総生産が過去最高になると見込む政府。

ただ十倉会長は、成長の実現には、新型コロナの影響に十分注意する必要があると指摘します。
十倉会長
「ここに来て、オミクロン株の問題がやや不安材料で、会員企業に聞くと、2022年度も“ウィズコロナ”の中で、どう経済や社会を回していくか。
また製造業からは、資源価格の高騰を心配する声が上がってきています」

“第6波”でも経済活動の維持を

その上で、今後“第6波”が来ても経済活動を維持するために、政府や企業は、過去の感染拡大期を教訓に、冷静に対応することが必要だと主張します。

就任以来、一貫して新型コロナ対策と向き合ってきた十倉会長は、コロナ禍で停滞した経済活動の正常化を進めようと、ワクチン接種の迅速化や、海外とのビジネス往来の緩和など、これまでに10を超える提言を政府に行ってきました。

その提言のキーワードが「科学的な視点」です。

十倉会長が挙げる「科学」。

それは、3回目のワクチン接種や飲み薬の普及に向けた動き、医療体制の整備だけではありません。

「日本では65歳以上の高齢者の接種率が9割を超えている事実」や、さらには「ワクチン接種が進んでも、マスクを着けてソーシャルディスタンスを取る国民性」といった社会的な観点も総合的に考えるべきだというのです。
十倉会長
「私はウィズコロナで経済社会を回していけると思います。もう新型コロナはパンデミックじゃなくて『エンデミック』、感染するけれども治せる普通の病気になってきているのではないでしょうか。
水際対策については、とりあえず大きな網を張るというのはいいと思いますが、日本はグローバルな世界で生きていますから、そちらの方も科学的見地に基づいて徐々に緩和し、内外ともに経済交流もやれると思うし、ぜひやっていただきたい」

格差への問題意識

経済界は伝統的に、企業活動への政府の介入を極力避け市場での自由な競争を重視する立場を取ってきました。

その中にあって十倉氏は、市場にすべてを委ねれば経済が良くなるという発想から転換すべきだと強調します。

その持論は、会長になってもぶれることはありません。
十倉会長
「私の問題意識は、市場一辺倒の新自由主義が大きな2つの副作用を生んだことです。1つは『格差』、もう1つは『生態系の崩壊』です」
かつて1億総中流社会とも言われた日本ですが、企業の利益のうち人件費にあてられる割合「労働分配率」は低下傾向にあり、実質賃金の伸び率も他の欧米の先進国より低い水準にとどまっています。

賃上げが十分でない中で、中間層の低所得化が進み、格差が拡大しているとの指摘もある中、“沈む中流”を再び浮かび上がらせる取り組みは、個人消費を刺激し経済を上向かせるためにも喫緊の課題です。
十倉会長
「新自由主義の考えが大きな潮流となった1980年代くらいから、格差が固定化され広がっているというデータがあります。
格差が再生産されているということです。
恵まれた人は教育面でも恵まれるが、そうじゃない人は恵まれない状況を何とかしないといけない。
気候変動問題も、地球温暖化がすごい勢いで進んでいて、元に戻れるかどうかの瀬戸際に立っている。
適切な競争を促してイノベーションを生むことは今後も堅持していくべきですが、市場で解決できない問題に対しては分配と成長をセットで考えることが必要です。
それこそが好循環だと信じています」

『義を見てせざるは勇なきなり』

2022年を「最後で最大のチャンスの年」だとする十倉会長。

日本経済の変革への意欲は賃上げにとどまらず、エネルギーや経済安全保障、ビジネスと人権をめぐる問題にも及び、政府から具体的な対応を期待される場面が、ますます増えそうです。

『義を見てせざるは勇なきなり』の思いで経団連会長を引き受けた」という十倉会長。

社会の要請に経済界としてどう応えていくか、その手腕が問われる年となりそうです。
経済部記者
山田 賢太郎
平成14年入局
自動車や電機メーカーなどの担当を経て
経済3団体などの財界を担当