WEB特集

声に出し 伝えることに 意味はある

自分が経験したことがない戦争の悲惨さを友人や子どもたちにどう伝えればいいのか。

実際に戦争を知る高齢者が減るなか、SNSなどデジタル技術に慣れ親しんだZ世代の若者たちが取り組んだのはアナログな「紙芝居」でした。みずから絵を描き、声に出して届けたメッセージは同世代の共感を呼んでいます。

(岡山放送局記者 入江和祈)

“カムカムエヴリバディ”の舞台・岡山で

日本三名園の一つ後楽園(岡山市)
大学時代を長崎で過ごした私は原爆や平和について考えることが多く、戦争をテーマに取材したいと思ってNHKに入りました。そんな私にとって、初めての赴任先である岡山には取材の機会がたくさんあります。

例えば、連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で描かれたように、終戦前の6月には岡山空襲で市街地の6割以上が焼け、1700人以上が亡くなったとされています。

原爆が投下された広島の隣県でもあり、8月6日には県内最大の被爆者団体「岡山県原爆被爆者会」が犠牲者を悼むとともに核兵器のない平和な世界を祈る慰霊祭を毎年開いてきました。

ただそうした行事の参加者は、ほとんどがお年寄りです。岡山県内の被爆者の平均年齢は84.9歳と、高齢化が進むとともに原爆の記憶が受け継がれなくなってしまうのではないかと気がかりでした。

若い世代はどのような活動をしているのだろう。
リサーチしていたとき、岡山市の山陽学園中学校・高校の生徒たちが原爆の紙芝居を制作したと聞いて取材を始めました。

同じ年代の経験をもとに

紙芝居は、岡山県倉敷市に住む豊田冨士子さん(91)の広島での経験がもとになっています。

昭和20年8月6日午前8時15分、15歳だった豊田さんは爆心地から約2キロ離れた女学校の寮にいました。朝食をあと一口で食べ終わるというときに、一瞬ものすごい青光りがしてとっさにテーブルにもぐり込んだといいます。

崩れ落ちた建物の下敷きになりながらも自力ではい出し、地獄のような光景のなか同級生の捜索や看護にあたりました。

今回制作にあたった山陽学園の生徒たちと当時の豊田さんはほとんど同じ年齢です。そのとき豊田さんはどのような気持ちだったのか、想像力を働かせながら2年をかけて紙芝居「フジ子ちゃんと原爆~ひとりの卒業生も出さなかった学校で~」を完成させました。

キャラクターはかわいらしく 悲惨な現実はリアルに

絵を担当したのは高校3年生の喜井和奏(きい・わかな)さんです。

美術部で静物画や人物画などのスケッチに取り組んできた喜井さんにとって、戦争で人々が苦しんでいる場面を描くのは初めての経験でした。

原爆で体の皮膚が垂れ下がった人やけがをした友達など、自分が見たことがない悲惨な情景をどう表現すればいいか。

悩んで筆が止まることもあったといいます。
喜井和奏さん(高3)
喜井和奏さん
「実際に本当の写真や資料を見るのも勇気がいりますし、苦しそうな表情とか、けがをした感じとか、全く私たちの日常にはない世界なのでどう表現すればいいか、ものすごく悩みました」
それでも喜井さんは写真や資料を調べ、当時の様子が伝わるように絵を描き続けました。
原爆が投下されたあとの焼け野原を歩く人々。
毎晩のように続く空襲から避難したこと。
腐っていても喜んで食べたおにぎり。
全部で19枚の絵と向き合い続けました。どの絵にも柔らかいタッチで戦争の悲惨さがはっきりと表現されています。
喜井和奏さん
「キャラクターの絵はかわいらしく、キノコ雲やけがをした人などはリアルに描くようにギャップを意識しました。戦争を知らない子どもたちのためにも紙芝居を通して戦争や平和について考えるきっかけができたらいいなと思っています」

自分が経験していなくても伝えることに意味はある

読み手を担当したのは高校2年生の勇乃衣(いさみ・のい)さんです。

勇さんが戦争の問題に関心を持ったきっかけは、ひいおじいさんの來山秀光(きたやま・ひでみつ)さん(98)の体験を聞いたことでした。
勇乃衣さん(高2)と來山秀光さん(98)
戦争について学ぶ授業で來山さんが終戦後にシベリアで強制労働を強いられていたことを知ったのです。

勇さんが來山さんの話を聞いて書いたリポートには、当時のつらい生活がびっしりと書かれていました。
「シベリア行きの貨物列車で寒くて死んでしまう人が100人単位でいた」
「亡くなった人を埋める穴を素手で掘った」
どれもいまの平和な日本では想像しがたい出来事です。

元気に畑仕事をしては家族に果物などを送ってくれるひいおじいさんが、実はすさまじい経験をしていた。勇さんはひいおじいさんの話をむだにしないためにも、紙芝居のせりふ一つ一つを大事に読み上げようと誓っていました。
勇乃衣さん
勇乃衣さん
「自分の身近な人が戦争を経験してきて、それをちゃんと覚えていて、話してくれるというのがすごいことなんだと思いました。ひいおじいちゃんはたくさんの人の前で話したりすることはありませんが、子どもたちの世代に話していかなきゃいけないと言っていたので、戦争の歴史を伝えていくことが大事だと思うようになりました」

次の世代につながるバトン

完成した紙芝居を発表する日が来ました。

招待したのは、紙芝居の制作を依頼した被爆者の子や孫でつくる「被爆2世・3世の会」のメンバーです。

戦争の記憶を若者に受け継ぎたいと、生徒たちに依頼したといいます。
仲間と一緒に作った紙芝居を勇さんは心を込めて読んでいきます。友人が亡くなるシーンでは主人公にいっそう思いをはせました。
「苦しいよー 苦しいよー しんどいよーという声が次第に大きくなっていきました。友達がこれ以上ない大きな声で『おかあさん』と言ったかと思うととうとう息を引き取りました。涙が止まりませんでした」
生徒たちは発表会のあと、感想を発表し合いました。勇さんの熱意は周囲の生徒にも届いていました。
生徒たちが発表した感想
「紙芝居を作っているときは必死すぎて何も感じていなかったけど、勇さんが読んでいるのを聞いて涙が出そうでした」

「これまで戦争について全く気にしていませんでしたが、紙芝居を見て当時の悲惨さや残酷さ、どれだけ大変だったかなどがよくわかりました」

「そのときの状況が目に浮かんできたし、その場に自分がいるような気持ちになりました。自分のような気持ちをたくさんの人たちに知ってもらえたらいいなと思いました」
生徒たちが紙芝居と向き合い、戦争について考えるきっかけとなったことが伝わってきます。

勇さんにとっても貴重な機会となりました。
勇乃衣さん
「ひいおじいちゃんがすごくたくさんの人が亡くなるのを見てきたと言っていたので、そこを一番伝えなきゃいけないと思っていました。私たちは経験していないので何もわからないというか、話しか聞いていないんですが、話を伝えていくことに意味はあると思っているので伝えていくことが大切なんだと再認識できました」
被爆2世・3世の会のメンバーも、生徒たちが戦争や原爆について自分で調べ、紙芝居を作り上げてくれたことを喜んでいました。
被爆2世・3世の会 加百智津子(かど・ちづこ)さん
被爆2世・3世の会 加百智津子さん
「若い人の受け止める力、表現する力、伝えていこうとする力を感じてとてもいいバトンを渡すことができました。人間は忘れてしまうとまた同じ過ちを繰り返してしまうと思うので、若い生徒の皆さんがこれから紙芝居で伝えていってくれるのは本当にうれしいです」

かみ砕いて「自分事」に

生徒たちは紙芝居を学校で披露するとともに、核兵器の廃絶に向けた署名活動にも取り組んでいます。
私も含め戦争を知らない若い世代がどうやってその記憶を受け継いでいけばいいのか。

一見難しいように思いますが、勉強や部活などに悩みながらも友達と一緒に冗談を言って笑い合っている生徒たちを取材して「そうではない」と感じました。

デジタルネイティブのZ世代がみずから絵を描き、声に出して発表したオリジナルの紙芝居には手触り感がたくさん詰まっています。

一人一人が戦争の悲惨さや平和の大切さを自分なりにかみ砕いて行動につなげること、いわば「自分事」にしていくアナログなプロセスこそが若者たちに共感を広げ、次の世代に記憶を継承していく重要なカギになるのではないかと思いました。
岡山放送局 記者
入江和祈
2021年入局
「平和を祈る」が名前の由来
警察を担当しながら戦争や平和をテーマに取材を続ける

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