シリコンバレーに渡った日本人医師 ~“痛み”をチャンスに~

シリコンバレーに渡った日本人医師 ~“痛み”をチャンスに~
日本の山あいの地域医療の現場から、世界のテクノロジーの先進地、アメリカ・シリコンバレーに渡った医師がいる。
スタンフォード大学・主任研究員の池野文昭さん、54歳。
『Necessity is the mother of invention=必要性は発明の母である』
日本の“痛み”をテクノロジーの力で解決することで、世界に先駆けた新たなビジネスを生み出そうとしている。
池野さんに、思い描く“ニッポンの未来”、そして私たちが“ウィズコロナ時代”を生き抜くためのヒントについて聞いた。
(NHKスペシャル「ウィズコロナの新仕事術」取材班)

異色の医師が見た“日本の未来”

池野さんは異色の経歴を持つ医師だ。

静岡県浜松市出身。

日本の医科大学を卒業後、4年間は静岡県の山あいにある小さな病院の臨床医として地域医療に携わっていた。

その現場で見たのが「ニッポンの未来」。

高齢化が急速に進み、いわゆる「老々介護」や「高齢ドライバーによる人身事故」、「高齢者の孤立化」など、今後の日本が抱えることになる課題がすでに顕在化していたという。
スタンフォード大学 主任研究員 池野文昭さん
「今から25年前ですが、その地域の高齢化率がすでに40%だったんですね。
それは2050年の“未来のニッポン”の姿でした。
ここで起こっている問題は、将来必ず日本全体で顕在化する。
この問題をなんとか解決しなきゃいけないと思いました」

30以上の“異なる顔”

2001年、池野さんは、シリコンバレーに数々の優秀な人材を輩出してきたスタンフォード大学に留学。

それから21年間、世界一の高齢化社会、日本で感じた課題をテクノロジーの力で解決しようという取り組みを続けている。

シリコンバレーでは、これまで200社を超える医療ベンチャーの研究や開発などに関与。

医療機器のスタートアップを支援するベンチャーキャピタルも立ち上げた。
ただ、池野さんの仕事はこれだけではない。

日本国内でも10以上の大学で客員教授などを務めているほか、その豊富な知見を生かし、政府や地方自治体、企業のアドバイザーとしての役割も果たしている。

いまや池野さんの役職は、アメリカと日本で“30以上”に上っている。
「今、日本でもすごく言われていますけど、別に副業・兼業をしたくてしているわけでは本当はなくて。
ただ、東日本大震災の直後に、もともと私は日本で医師をしていたのに日本のために何もできないという自分をすごく感じることがありました。
その時に『自分の生きている目的、やれることは何だろう』って考えて、『医療×ベンチャー企業』とか『起業家精神を生み出す教育』とか、シリコンバレーと結んで医療やヘルスケアの産業を作っていくのが自分の立場、役割なんじゃないかと思ったんです。
そういうことをやってたら、いつの間にかすごい数になってしまったと」

コロナで激変した働き方

アメリカと日本を月3回、年間36回も往復するという多忙な日々を送っていたという池野さん。

1年のうち1か月は飛行機で空中にいた計算になる。

しかし新型コロナの感染拡大で、その働き方は激変したという。

国をまたぐ移動が難しくなる中、どのように仕事を進めているのだろうか。
「アメリカでは2020年3月にロックダウンになり、今までとは生活が全く変わりました。
これまでは国の会議や大学の授業もオンラインじゃダメで、全部、対面でやっていたんですね。
それがロックダウンを契機に、突然すべてオンラインでできるようになりました。
対面でやっていたときは移動時間がすごかったんですよね。
年間36回往復するということは、冷静に考えてみると1年のうち1か月は飛行機で空中にいたっていうことですから。
その時間がコロナによってまるまる自分のために使えるようになったんです
生活や仕事は、コロナ前よりむしろ充実するようになったというのだ。
時差がありますから、昼間はアメリカの仕事をして、夕方5時は日本時間の午前9時なので日本の仕事をするってことを繰り返しています。
ただ、それって働き過ぎじゃないかという話になるんですけど、基本的に家で仕事をしているわけなので、妻と散歩したり、子どもと遊んだり、家族で一緒にごはんを食べられるようになったり、これまでなかなかできなかったことができるようになった」
「例えば学生の講義が1時間あったら、移動時間なく、また次にすぐ行けますしね。
僕にとってはなんか24時間が増えたみたいな感じで、自分の志のための活動が効率よくできるようになったというのは、コロナでプラスになったことなのかなと思います

テレワークは遠距離恋愛?

テレワークをフル活用し、効率的に仕事をこなるようになったという池野さん。

ただ、リアルコミュニケーションの重要性も感じているという。

キーワードとして挙げたのは『遠距離恋愛』だ。
「じゃあ対面で会わなくていいのかって話なんですけど、実は全然違ってですね。
大学の授業でもありますが、オンラインだといい結果が出ないこともあるんですね。
対面じゃなきゃできないこともいっぱいある。
これは『遠距離恋愛』と一緒だと思っているんです。
毎日会わなくてもいいかもしれないけど、たまに会うのがいい。
モニターで見ている学生に実際に会うと『ああ、おまえか、よしハグだ』みたいな感じでかわいくてしょうがないわけですよね。
メリハリをつけてオンラインとリアルをつけて使い分けるということが重要だと思います」

“超高齢化”をビジネスチャンスに

いま、池野さんがふるさとの浜松市で進めているのが「浜松ウエルネスプロジェクト」。

テクノロジーを活用して高齢者などが病気になるのを未然に防ぎ、健康で幸せに暮らすことができる都市を目指そうというという官民連携のプロジェクトだ。
地元の自動車メーカーや保険会社などが参加し、デジタル技術を使って高齢者の健康を支えるシステムやサービスを生み出すための実証実験が進められている。
まさに日本が直面している社会課題の中に、新しい仕事を見つけるヒントがあると思っています。
日本は今、世界でダントツの高齢化率、およそ29%と言われていますが、これは日本だけではなくて、日本から遅れて欧米・アジアの国々が同じように高齢化社会に突き進んでいくんですね。
東京に比べて地方都市は29%よりさらに高齢化率が高い。
つまりこれから世界で求められる課題やニーズがすでに顕在化しているということです
“超高齢化”、そして課題が山積する地方にこそ、世界に先駆けた新たなビジネスを生み出すヒントがあると考えているのだ。
『Necessity is the mother of invention=必要性は発明の母である』とよく言いますが、ペインポイント、つまり痛ければ痛いほど、そこを取り除いてあげるとものすごく喜ばれるわけですね。
困っていること、必要なことをいかに見つけて、それに対してアイデアを出してどう前に進めていくか。
そういう意味では日本にはニーズがすでに現場に落ちている。
これはアメリカがどう背伸びしても追いつかない“日本の強み”ともいえると思うんです。
これから『メイドイン浜松』『メイドインジャパン』のものを世界へ広げていく仕組みを作りたいと思っています

転機は45歳?

33歳の時に地域医療の現場からアメリカに渡り、いまや“30以上”の異なる顔”を持つようになった池野さん。

新卒一括採用や終身雇用などの「日本型雇用システム」をどのように見ているのか聞いた。
「海外に住んでいる日本人という視点で見たときに、おもしろいなと思うところがあります。
日本って大学を卒業して一斉に就職して、60歳や65歳で一斉に退職する社会システムになっていますが、このような国は世界中でほかにないと思うんですよね。
特に転職が当たり前のアメリカではあり得ない話です。
同じ会社に居続けるのもいいことですが、気をつけなければいけないのは、やはり65歳から先が長いんですよね。
退職してから20年くらいはひょっとしたら現役で働けるような体力も精神力もあるのに、ストンと切れてしまうと。
同じ会社にいて同じタイプの仕事だけしていると、ひょとしたら65歳以降に時代についていけなくなるリスクはあると思うんです
そして重要な転機になるとして挙げたのが『45歳』だ。
「私も33歳で渡米して、それから6年くらいは大学で研究を一生懸命やりましたけど、自分の知識とか経験が周りから遅れているというのを実感してきて、そのときに『何か違うことをしなきゃいけない』と思ったんですね。
私自身はやっぱり40歳から45歳、ちょうど社会や会社にも慣れてきたところで、次の第二の人生も含めて、こっから1つ違うギアを入れる。
違う種類の知識を身につけるタイミングとして『45歳』っていうのはベストかなと思っています
45歳からのチャレンジ。それが「人生100年時代」の豊かさにつながると感じている。
「もちろん日本では同調圧力じゃないですけど、本当は飛び出したいのに、集団に入ってしまうと組織から1人で抜け出すのは簡単なことではないと思います。
今はだいぶ変わったと思いますが、『転職するのはあまりお行儀がよくないよね』『我慢できないやつだね』みたいな見方もありましたしね。
だから抜けたくない人は抜けなくていい。さまざまな事情もあると思いますしね」
「ただ、45歳でチャレンジしやすくする選択肢を与えることはできますよね。
少なくとも副業や兼業を許容できる社会になれば、人生100年時代の日本で、生きがいやりがいを見つける1つの手だてになるのかなと感じています
1月3日放送のNHKスペシャル「ウィズコロナの新仕事術」社会の仕組みや価値観が大きく変わる時代にどう働けばいいのか。

池野さんら経済の新潮流を切り開く4人のリーダーが、私たちの疑問にとことん答えます。

ぜひ、ご覧ください。
大型企画開発センター ディレクター
西田勝貴
2008年入局 初任地高松局では「盆栽」や「直島」を取材。報道局では政治番組を担当し、「永田町」の権力攻防を味わう。現在は、「NHKスペシャル」や「クローズアップ現代+」などを担当。時代の変化に取り残されないかと不安な毎日。

政経国際番組部 ディレクター
新野高史
2011年入局 京都局、首都圏局で勤務し、環境問題や防災、不動産などを取材。2021年から経済番組を担当、日本経済を基礎から勉強中