WEB特集

キャッチボールができない君と歩んだ “9時間16分55秒”

私はまだ、小学生になる息子の言葉を聞いたことがない。
朝起きて「おはよう」と声をかけても返ってくるのは、“シュー、シュー”という無機質な呼吸器の音だけだ。いつか結婚して、もし男の子が生まれたら、休みの日にはキャッチボールをする。漠然と思い描いていた未来にはなりそうもないけれど、君はたくさんの贈り物をくれた。
ことし、君と歩んだ “9時間16分55秒”を私はこの先もずっと忘れないだろう。

(取材 ネットワーク報道部 廣岡千宇)

息子のために、私は主夫になった

私、土屋義生(42)が、児童相談所の職員を辞めて主夫になったのは3年ほど前のことです。息子の荘真(8)のためでした。

彼は生まれてすぐ髄膜炎を発症した影響で脳に障害があり、話したり体を動かしたりすることはできません。人工呼吸器が欠かせず、24時間介助が必要です。

共働きだった私たち夫婦は、交互に育児休職を取得し介助を担ってきましたが、その期間も終わり、決断を迫られました。

やりがいを感じていた仕事を何とか続けられないかと、荘真を預けられるところを必死に探しましたが、見つかりませんでした。妻と長い話し合いを経て、比較的、家事が得意だった私が仕事を辞めることになりました。
荘真との日々は、楽しいながらもいつもどこかで気が張っています。
もしも私が寝ている間に何かの拍子で呼吸器の管が外れてしまったら…。毎晩、医療用ベッドの近くに布団を敷いて床につくものの、私の眠りはずいぶん浅くなったように感じます。

コロナ禍の年の瀬 1通の匿名の投稿

そんな去年の年の瀬。
息子との日々をつづっていた私のブログに匿名の投稿が届きました。
「言い方は悪いですが、重い障害を持った方は、一生税金頼みの生活です。一年でどのくらいのお金がかかっているかわかって生活されていますか。一生懸命仕事をして、それでも生活がかつかつであると、とても不公平を感じます」
新型コロナの感染者が増え続け、再び緊急事態宣言が出されるのではないかと緊張が高まっていた時期でした。光の見えない生活の中で、誰に助けを求めていいかさえ分からない人もいたと思います。

想像していなかった言葉に、精神的に受けるものは大きかったですが、少し冷静になるにつれ「こう考えるのはこの人だけではないかもしれない」という気持ちがよぎり、無視することはできませんでした。

私は一晩考えて返事をしました。
土屋さんの返信
「コメントありがとうございます。税金、確かにそうですね。我が家は手当などかなり助けてもらっています。仰るように不公平な世の中だと思います。生きにくさを感じている人たちが責め合う社会ではなく、どんな人でも生きることに困らない、生まれてきて良かったと思える社会になって欲しいと思います」
(ブログ『ともに歩む日記』より)

登校から下校まで 新たな日課

4月。「匿名の投稿」のことを自分なりに受け止め始めたころ、荘真は元気に小学2年生になりました。

私の日課は、週4日の特別支援学校への付き添いです。地域によって状況は異なりますが荘真の学校ではたんの吸引など医療的なケアは親に求められるため、登校から下校まで校内で待機します。
荘真は言葉はなくとも感情の起伏が豊かで、嫌なことがあると体を硬くしたり、わざと医療機器のアラーム音を鳴らしたりもします。
それが学校の前の日には、表情からわくわくした気持ちが手に取るようにわかります。その姿に、親としてはできるだけ学校に通わせてあげたいと思うのです。

ある日の散髪と、親たちの葛藤と

6月。わが家に美容師さんが来ました。久しぶりの荘真の散髪です。
「荘真の髪を切ってもらって、びっくりするぐらい気分が変わりました。日常の介助に追われるばっかりで、荘真の髪を切ってもらったり、カッコよくしようなんて発想が全然なかったもんなぁ。荘真はまんざらではない表情です」
(土屋さんのブログより)
実は、いつも担当してくれる美容師さんも、重い障害のある子どもの介助をした経験があります。この日、今は亡きその子との時間の中で感じた葛藤を話してくれました。
美容師の女性
「私、ちょっとひどいかもしれないけど、娘をレスパイトで病院に預けたとき『あー休める』って思っちゃってたんですよね。お兄ちゃんたちを連れて遊びに行っちゃったりして。本当はあの子とも、いろんな所に行きたかったな…」

※レスパイト=家族などの介護者が一時的に休めるよう短期入院や一時預かりをするケアを呼ぶ
荘真も3か月に1回程度、このレスパイトで短期入院をさせてもらっています。
家族が倒れないようにする仕組みなのだから、堂々と休めばいいのかもしれませんが、私もいつも罪悪感がよぎります。
散髪を終え、さっぱりした表情を見せてくれた荘真。
どんな風に思っているのか、聞きたくなりました。

コロナ禍の夏 パラリンピックを見つめて

7月。少し特別な夏が訪れました。
新型コロナの感染者が連日、過去最多となる中で、“多様性と調和”を掲げた東京オリンピックが開幕。
荘真は感染そのものが命に直結します。家族みんなで神経をとがらせていただけに、選手のことは応援したいものの、大会の開催には違和感を拭えませんでした。
そして、8月に始まったパラリンピック。

振り返ってみると私はパラリンピックというものを意識して見た経験がありません。
パラアスリートたちの姿が、できないことにあらがっているように見え、直視することができなかったのかもしれません。
マラソンの道下美里選手と伴走の志田淳さん
けれどこの夏、気がつけば私はパラリンピックに夢中になっていました。

そこには、ただ純粋にスポーツを楽しむ選手たちと、自分のことのように喜び、時に涙する伴走者の姿がありました。

自分と荘真との日々を重ねながら声援を送り続けていました。
「勝ち負けじゃなく、競技自体を楽しんでる。障害、違いを超えて共に何かを目指す楽しさ。人からどう思われようと、意味があるかないかはともかく、やりたいからやる。それはとても楽しく、幸せなこと。勝ち負けだけじゃない本質を見たよう感じがして、なんか勇気をもらえました」
(土屋さんのブログより)

実りの秋に それぞれ変化と成長

10月。荘真は8回目の誕生日を迎えました。

当初は医師から自発呼吸は難しいと言われていましたが、家族から「ふーしてみて!」と声をかけられると…。
呼吸器を外したのど元から息を出してロウソクの火を消してくれました。
「そーちゃん、すごい!!」
荘真の姉も妹も、妻も私も家族全員で歓声をあげました。

できないと思っていたことが、想像を超えてできるようになる。親が勝手に限界を決めるべきではないと、教えられる日々です。
そして、変化や成長しているのは荘真だけではありません。
「そうか、5年頑張ればいいのか」
妻の真澄(41)は医師から「片手の指、生きられるかどうかです」と告げられたとき、24時間介助の過酷さを考えほっとしてしまったと、のちに明かしてくれました。

その気持ちは、荘真との日々の中で変わっていったようです。
母 真澄さん
「8年前の自分に、今の楽しい暮らしを伝えても信じないかもしれないですが、荘真がわが家の一員としていてくれることで、成長も喜びももらっているので、今は成人式も迎えてほしいです。いろんなことを助けてもらわないと生きていけないですけど、それはみんな一緒で、私だって助けてもらいながら生きてるんですよね」
病気を発症する前の荘真と姉の由真
姉 由真さん
「私だって、休みにはもっと出かけたかったし、バリアフリーじゃないレストランにも家族そろって行ってみたかった」
荘真の3つ上の姉、しっかりものの由真(11)。
我慢もたくさんしてきたと思いますが、自分の通う学校に荘真を連れてきてほしいと言います。
「この機械はなに?」
「どうやって、ごはん食べてるの?」
違う学校に通う荘真に、由真の同級生たちは純粋に興味津々の様子でした。
姉 由真さん
「チョコレートが大好きな荘真。くちびるにチョコをあててあげると、うれしそうにペロッとする。妹とささいなことでけんかをしていると、すごく悲しそうな顔をする。そうやっていつも家族の輪の中にいる。荘真にだって言いたいこと、考えていることがあって、一緒にいると何となく分かってくる。だから私は、学校のみんなにも荘真のことをもっと知ってほしいと思う。荘真がいるからいけない場所はあるけど、荘真がいるから出会えた人がいる。私たち家族をいろんな世界とつなげてくれているんだ」

挑戦 君とともに生きていく

11月。子どもたちの成長とパラリンピックに背中を押されるように、私は荘真とある挑戦をしました。初めてのスポーツ、それもフルマラソンへの参加です。

大会は全員が同時にスタートするのではなく、参加者が自由にコースを決めてGPSで記録を送信します。私は横浜市内のかつての職場や夫婦で暮らした場所など、荘真と一緒に家族の思い出をたどりました。
体重が17キロの荘真を10キロ以上ある医療用の車いすに乗せ、時に段差に阻まれながらひたすら歩き続ける。

これまでのいろんなことが頭を巡りました。
自分や荘真がこの社会で生きる意味とは何なのかー。

30キロを過ぎたあたりで私の足は棒のようになっていました。きっと、1人だったら、そこで諦めていたことでしょう。

荘真はというと、寒さや道路からの振動に音をあげるのではという私の予想を裏切って、嫌がるそぶりを見せずにつきあってくれました。
「父ちゃん、頑張れ!」
そして、スタートから9時間16分55秒。

私たちは42.195キロを一緒に完走しました。
「荘真とマラソンをして、ただ、楽しかった。荘真と移りゆく時間を共にできた。目標に向かって共に歩くことができた。それだけで幸せでした。その幸せは荘真と一緒にいたからこそ感じることができたんだと思う」
(土屋さんのブログより)
キャッチボールはもちろん、息子とのスポーツは夢のまた夢だと、勝手に諦めていた自分はいつしか消えていました。

ことしも、来年も、その先も君と

仕事を辞め、自分の価値はなんだろうと悩んだ時期もありました。これからも葛藤しながら生きていくのかもしれません。

でも、そんな私に荘真は本当に多くのことを教えてくれます。
人生が豊かになりましたし「弱いところを見せてはいけない」という呪縛からも解放してくれました。ある意味、すごく生きやすくなりました。
フルマラソン完走のメダルが誇らしげ
ありのまま生きていけばいい。
それは荘真が気付かせてくれたことです。

来年も、その先も、君とともに歩んでいけば、迷わないのかな、大切なことを見失わないのかな、そんな風に思うことしの年の瀬です。
ネットワーク報道部 記者
廣岡 千宇
2006年入局
2年前から土屋さん家族を取材

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