コロナと差別「病気より大衆が怖い」元ハンセン病患者が語る

コロナと差別「病気より大衆が怖い」元ハンセン病患者が語る
「病気より大衆の目の方が怖かった」「私たちが苦しんだ差別や偏見がひとつも変わっとらん」
アナウンサーとして連日、新型コロナウイルスのニュースを伝えている私が、元ハンセン病患者から聞いた言葉です。
そこには、差別・偏見、そして人権侵害に苦しめられてきたからこそ語ることができる、今に通じるメッセージがありました。(岡山放送局アナウンサー 姫野美南)

ハンセン病 根強く残る差別

ハンセン病は、らい菌という「菌」によって皮膚や神経が侵される感染症です。
国はかつて、患者に療養所で暮らすことを強制する隔離政策を行いました。

「あそこの家、ハンセン病出たって」「家族もうつってるんじゃないの」

患者は、顔や手足の変形や、まひといった後遺症や、ハンセン病は感染力が強いなどという誤った認識により激しい差別・偏見にさらされてきました。

その後、国は政策の誤りを認めましたが、差別や偏見は根強く残り、今も元患者の多くが療養所で暮らしています。

怖いのは社会の空気

コロナ禍でも差別や偏見が社会の大きな問題になっています。

私は、元ハンセン病患者の皆さんの言葉の中に、今に通じるメッセージがあるのではないかと思い、岡山県にある国立ハンセン病療養所・長島愛生園を訪れました。
ここで70年以上暮らす中尾伸治さん(87)は、新型コロナに対しても、ハンセン病と同じように差別や偏見があることに憤りを感じていました。
中尾伸治さん
「今、コロナが流行っていますけども、私たちが受けたのと同じような差別や偏見が起きたことを不思議に思いました。私たちは、病気ひとつで、隅っこに追いやられて、捨てられてしまったということを覚えておいてほしいと思います」
中尾さんは、14歳の時にふるさとの奈良を離れて療養所に隔離されました。

一番つらかったのは「家族との関係が絶たれてしまったこと」だと言います。
患者たちは療養所に入ると、家族に差別や偏見が及ばないように、名前を変えたり、籍を抜いたりしていたのです。

そんな中でも中尾さんのお兄さんは、名前を変える必要はなく、家族のつながりを保ったままでいいと励ましてくれました。

しかし、お兄さんに、新たな家族ができるとその関係は絶たれました。
中尾伸治さん
「そんなことを言っていた兄が、自分が結婚して子どもができ、家庭ができた時に、やっぱり自分の家族を守るという意味で『帰ってくるな』と言いよったんだと思います。それから、手紙もくれなくなったし、電話もくれなくなったというのが現実です」
中尾さんはそれ以降、家族とは一度も会わずに、療養所で暮らしています。

優しいお兄さんが言わざるを得なかった「断絶」の言葉。
その奥にあるものを中尾さんはこう表現しました。
中尾伸治さん
「世間じゃな。『患者は家に近づくな、死んでくれ』というのが当たり前の雰囲気がありましたから。病気が治っても療養所から帰してくれないというのが現実にあった。この療養所の中で終生過ごさなくてはならなくなりました」
怖いのは病気そのものではなく、世間の雰囲気や、社会の空気。
それは一人の感染症患者と、その家族を追い詰めるのに十分な圧力でした。

SNSが当たり前になった今、誤解や憶測があっという間に広がる恐れがある。

中尾さんの話を聞き私は、コロナ禍で、社会や大衆が、無意識に感染者を追い詰めてしまうことがあるのではないかと感じました。

みんな社会のいち構成員

中尾さんは“感染症によって社会から切り離される人が二度と出ないように”という一心で、ハンセン病の歴史を伝える語り部を続けています。

改めて、コロナ禍のいま、伝えたいメッセージを聞きました。
中尾伸治さん
「今年もコロナコロナで終わっちゃったけど、なんでこうも同じようなことが起こるんだろうと不思議に思いました。元気な人がいて、病気を患っている人がいて、障害のある人もいて、みんなが一緒になって生活できる、そんな世の中であってほしいと思います。みんな、社会のいち構成員だもんね」

「あの人、感染症らしいよ」その言葉が怖い

東京・東村山市の国立ハンセン病療養所・多磨全生園で暮らす、山内きみ江さん(87)にも会いに行きました。

この療養所では、新型コロナの感染予防のため、人の出入りを厳しく制限しています。

ハンセン病による隔離生活を経験した山内さんは、今のコロナ禍に当時と同じ寂しさを感じています。
山内きみ江さん
「なんか、あたしは過去のハンセン病思い出しちゃって。当時は、来る人も無くて、あたしたちは外を歩くこともできない。そのことを思い出して、すっごく寂しい思いをしました」
山内さんは22歳の時、療養所に入りました。
後遺症はあるものの、その時すでに病気は治っていました。

しかし、家族への差別や偏見を恐れて、自ら療養所へ向かうことを決意したのです。
山内きみ江さん
「当時は“無らい県運動”で、近所でハンセン病が出たら誰かが通報して、その人の家の裏庭から畑まで真っ白になるまで消毒されるような時代。家族全員でそんな肩身の狭い思いをしなくても、あたし1人がふるさとを離れればいいって」
自分の地域からハンセン病患者をなくそうと、各県が競うようにして患者を療養所へと送り込んだ“無らい県運動”。

未知の感染症を恐れるあまり排他的になる空気が山内さんを療養所へ向かわせたのです。

“断種” 社会を守ることが暴走する危うさ

山内さんに聞いた話の中で、特に印象に残っているのが10年前に亡くなった夫・定(さだむ)さんとのことでした。

療養所で知り合った二人は、おしどり夫婦として知られていました。

ただ、二人が結婚するときに想像を絶する、人権侵害がありました。子どもが生まれないように手術する“断種”です。
当時、各地の療養所で行われていました。

山内さんたちも結婚の条件として、断種を迫られたと言います。
「『あなたか、ご主人どちらかが手術しないと結婚できません』って。あたしたちだって一人の人間として子孫を残したい、本当にその子がハンセン病って限らない訳でしょ。命を奪うのを国がやってる。でも、納得する以外にないんですよ。ここでお世話になるには」
社会を守ろうとすることが暴走すると、大変な人権侵害につながる可能性を持っている。
その「危うさ」を教えられました。

隠すべき事ではない

長年、差別や偏見にさらされてきた元ハンセン病患者たち。

その多くは過去のトラウマから、自分が元患者であることを知られたり、体の後遺症を見られたりすることを恐れるといいます。

しかし、山内さんは詩集を出版したり、ドキュメンタリー映画に出演したりして、ハンセン病の経験や、その人生を積極的に伝えてきました。
山内きみ江さん
「好き好んでこんな病気になったんじゃないよって。なった人が自分の姿を見せて、体験として一人ひとりに分かるようにお話しして社会に理解してもらう。そういうことを示さなかったらいつまでたってもハンセン病の偏見はなおらない」
山内さんの姿勢から、新型コロナにかかることに後ろめたさを感じさせてしまうという、今の社会に通じるメッセージを受けとりました。

取材の最後にコロナ禍の今を、山内さんはどう見ているのか聞きました。
山内きみ江さん
「コロナじゃないけど、また何が出てくるか分からない。それ以上の病気が出てくるかもしれない。その時に、ハンセン病を思い出してくださいと。うつるからよしてとか、怖いからそばへ寄るなという風潮、これを克服しようということにつながってくれりゃいいなと思います」
「今ちょっとしばらく我慢してね。今が一番辛い時ですよ。この辛さを乗り越えてください、そう言いたいです。私たちもその言葉に慰められて今日まで来ましたので。一生続くんじゃないんだから、ほんの一時ですから。長いと思うけど一生に比べたらほんのわずかなもんですから、その辛さを乗り越えたら必ず春が来ると思います」
※この記事の内容は、12月27日(月)午後8時5分からラジオ第1で放送する特別番組「コロナ禍のいま、伝えたい~元ハンセン病患者のメッセージ~」でお伝えします。
岡山放送局アナウンサー 
姫野美南
2019年に入局し岡山局に赴任
ハンセン病療養所や西日本豪雨の被災地の取材を続ける
アナウンス室 アナウンサー
塩田慎二
2003年に入局
前任地・出身地ともに岡山
療養所取材を現在も続ける学生時代に障害児教育を専攻