「終わらせたくない」事業承継 職人が託した相手は…

「終わらせたくない」事業承継 職人が託した相手は…
家具職人としてひとり立ちした38年前、会社を立ち上げました。

家具の製造から販売まで手がけ、成長させてきました。

しかし年齢も60歳を過ぎたころ、売り上げは伸び悩みました。

「会社を終わらせたくない」

その時現れたのは、ある若者たちでした。

職人の店、感じた限界

東京 原宿エリアに店舗を構える「ウッドユウライクカンパニー」。

社員は30人ほど、創業者で家具職人の神山公一さん(69)が経営してきました。

無垢の木からつくる「100年使える家具」を目指し、修理やリメイクにも対応。

根強いファンから愛されてきました。
しかし、時代が変わる中でいつしか新たな顧客がつかめなくなり、売り上げは頭打ちに。

「昔のようにアイデアが浮かばない…」

事業を次に託すことを考え始めました。

「お見合い」を重ねたけれど…

社内から後継者を見つけられないかと考えたものの、会社は職人たちの集団。

「急に経営を任せるのは難しい」と、神山さんは会社の外に道を探りました。

国の事業承継を支援する制度を利用して、中小企業のM&Aの専門家を紹介してもらい、「お見合い相手」を探し始めました。

最初に仲介されたのは、いわゆるファンド。

華麗なプレゼンにひかれるものはありましたが、提示された会社への査定は厳しいもので、神山さんにとっては到底受け入れられるものではありませんでした。

次の相手はIT企業。

希望に沿う金額が示されたものの社長が一度も工房に来てくれず、事業を継承する相手として信じきれなかったといいます。

さらに、ブライダル関連の企業からも声がかかりました。

これまででいちばん大きな会社でしたが、それだけに「ただの下請けになるのでは」と不安が拭いきれませんでした。

金額が見合わない、見合っても人柄が分からない、将来が見通せない…

決断ができませんでした。
神山公一さん
「契約寸前まで話が進んだこともありましたが、ドタキャンのような形で断ってしまって。仲介会社からもあきれられていたと思います」

事業承継は簡単じゃない

条件面では折り合えそうなのに、最後の決断ができない。

中小企業の事業承継ではよくあることなのでしょうか。

「中小企業基盤整備機構」のまとめでは、経営者の高齢化や支援制度の広がりで事業承継の成約数は増加しています。
ただ、決め手になるのは企業の評価額だけではないといいます。
中小企業基盤整備機構 担当者
「お金はもちろん大事です。ただ、中小企業の経営者はずっと育ててきた会社に対して思いが強く、成約までにはそれなりに時間がかかります。買い手側の事業への理解や、ある種の“フィーリング”も大切なんです」

離れていく社員たち 最後に出会ったのは…

会社の将来を決めきれないまま、5年以上が過ぎました。

この間、社員たちの気持ちも離れ、辞めていった熟練の職人も少なくありませんでした。

そんな中で神山さんが最後に出会ったのは、デザイン会社「KESIKI」を経営する若者たちでした。

創業メンバーの平均年齢は30代半ば。

デザイナー、投資銀行、経営コンサルタント、メディアなど、背景はさまざまです。

それぞれの武器をいかして、製品やサイトのデザインをするだけでなく、「ビジネス自体をデザインする」会社として、ブランディングや企業文化づくりのコンサルティングを手がけてきました。
神山さんが初めて彼らに会って話を聞いた感想は、「何をやっているかさっぱり分からない」。

ずっと、家具づくりだけにまい進してきたのですから、無理もありません。

ところが若者たちが帰る時、神山さんは笑顔になっていました。

「いい感じ」

承継に必要だったのは「愛される」

神山さんを引きつけたのは、KESIKIが掲げる「愛される会社をつくる」というコンセプトでした。

偶然にも神山さんの会社の社是は「愛される無垢の木の家具をつくる」。

ともに「愛される」がコンセプト。

両者を結びつけたのは、共感でした。
その後、話し合いを重ねる中で神山さんの心は決まっていきます。

「若いメンバーに託して、長く大事に会社を成長させてほしい」

出会って5か月後、神山さんは事業の譲渡契約を結びました。

なぜデザイン会社が承継に?

でも、そもそもなぜデザイン会社がものづくり企業の承継に乗り出したのか。
KESIKI 石川俊祐さん(デザイナー)
「0から1を生み出すようなイノベーションに注目が集まりがちです。でも、日本にはすでに手仕事、ものづくりの伝統がある中小企業がたくさんあるって気づきました。それを磨き上げれば、価値はちゃんと伝わると思ったんです」
しょうゆやみその工場、伝統ある旅館…。

みずから企業を経営しようと候補を探すと、実は承継先を求める企業は山のようにありました。

その中から100年使える家具を目指す神山さんの会社にひかれたのは、必然でした。
KESIKI 内倉潤さん(投資銀行出身)
「愛される会社をつくりたいと思っていたら、すでに愛される仕組みを持った会社を見つけたんです」

会社をデザインし直す

とはいえ、長く伸び悩んだ時期が続いた会社、社内をデザインし直す必要がありました。

何より大事だったのが人です。

KESIKIのメンバーは、社員との1対1のインタビューを2時間、およそ20人に対して行いました。

分かったのは、社員たちが「自分の会社」と思いきれていなかったこと。

会社の経営も家具のデザインも神山さんが担い、良くも悪くも創業社長の影響力が強い組織だったのです。

社員一人ひとりに会社のことを「自分ごと」として捉えてもらう必要がありました。
そこで、社内にいくつかのチームを立ち上げます。

会社としてのミッションや制度の検討、商品の企画、ユーザーの体験設計など、社員自らにカルチャーづくりを求めていったのです。

この間、特にコミュニケーションをとったのが「エース格」と目される職人でした。

辞めるのをやめた「エース」

佐々木淳史さん(39)は高い技術と真面目な人柄で、若手の職人を引っ張る中心的な職人でした。

ただ、先行きが見えない状況に不安を感じ、会社を辞めようとしていたといいます。
佐々木淳史さん
「経営者の神山さんを職人としても尊敬していますし、もともと会社に可能性を感じていました。しかし、会社の成長が止まって魅力が感じられなくなっていたんです。引きとめもされましたが、数日悩んでお断りしました」
佐々木さんは自分が借りる工房を見つけ、独立の準備を進めていたそうです。

そんなやさきに、KESIKIのメンバーと出会いました。

「どう転ぶか分からない、劇薬だ」

期待も不安も、少しの怪しさも感じていた佐々木さん、そこから徹底的に話し合うことになります。

その数、20回ほど。

時には酒を交えながら「くだらない」話もしました。

これまで会社になかった、突っ込んだコミュニケーションでした。

「会社のことは皆さん自身が決めるんだ」

そう何度も言われ、じわじわと気持ちが変化していました。

ある時、妻に言われたそうです。

「独立の話より、会社のことを話している時のほうがいい顔をしているね」

佐々木さんはすでに気持ちが固まっていたことに気付きました。

そして、伝えました。

「辞めるのをやめます」

若者たちに託された

職人が立ち上げた家具の会社は100年愛されるため、若い個性的な経営者たちと、若い職人たちに託されました。

もちろん、すぐに会社が上向くとはかぎりませんし、新たな体制での経営はまだまだ始まったばかりです。

それでも、会社を託した神山さんの表情には安心感がにじんでいました。
神山公一さん
「次の30年を託せる相手が見つかって、心がすっと軽くなりました。少しだけさみしい気持ちもありますけど、子どもが大事なおもちゃを取り上げられたようなもんですよ」
38年もの間、経営を担った職人は柔らかく笑っていました。
ネットワーク報道部 記者
加藤 陽平
2008年入局
富山局、経済部などを経て現所属
デジタル分野や学生の就職活動などを取材