拉致被害者の家族会前代表 飯塚繁雄さん死去 83歳

幼い子どもを残したまま北朝鮮に拉致された田口八重子さんの兄で拉致被害者の家族会代表として14年にわたって救出活動の先頭に立ってきた飯塚繁雄さんが18日未明、入院先の病院で亡くなりました。
83歳でした。

飯塚繁雄さんは、昭和53年に1歳と2歳の幼い子どもを残したまま北朝鮮に拉致された田口八重子さんの兄で、八重子さんの行方が分からなくなって以降、2人の子どものうち当時1歳だった耕一郎さんを引き取って育ててきました。

北朝鮮が、八重子さんを含む日本人の拉致を認めた平成14年の日朝首脳会談の後、拉致被害者の家族会の活動に加わり、当時の代表、横田滋さんを支えながら政府への訴えのほか、被害者の救出を求める署名や講演を続けてきました。
14年前からは、横田さんに代わって家族会の代表に就任し、埼玉県内の機械メーカーの工場で働きながら、救出活動の先頭に立ってきました。
平成21年には、北朝鮮当局の指示で八重子さんが日本語の教育係をさせられた大韓航空機爆破事件の実行犯キム・ヒョンヒ(金賢姫)元工作員との面会が実現し、耕一郎さんとともに韓国を訪れ、当時の状況について詳しい話を聞きました。

また、平成29年と令和元年には来日したアメリカのトランプ前大統領と面会し、被害者の帰国に向けた協力を呼びかけました。

持ち歩いている手帳に八重子さんの写真を挟み、子どもたちのもとに母親を取り戻してやりたいという信念で活動を続けてきましたが、この3年は病を抱えながらの活動となり、11月中旬、体調を崩して入院したのを機に家族会の代表を退いていました。

拉致問題がこう着状態にある一方、被害者家族の高齢化が進むことに危機感を募らせていた飯塚さんは、代表として最後の出席となった11月の集会で「絶対にあきらめるわけにはいかない。解決に向けた日程表を作り、それに対する答えを出してほしい」と、政府に具体的な取り組みを求めていました。

飯塚さんは、その後も入院先の埼玉県内の病院で治療を受けていましたが、18日未明、亡くなりました。

“拉致”と“爆破事件”のはざまで

北朝鮮による拉致と航空機爆破事件。

飯塚さんは、この2つの事件に人生を大きく翻弄されてきました。

“アルバム” に込めた思い

22歳だった八重子さんが幼い子どもを残したまま突然、消息を絶った昭和53年。

飯塚さんは自動車メーカーの技術者でした。

3人の小学生の子どもがいましたが、当時1歳だった八重子さんの長男、耕一郎さんを引き取って実の子として育てることを決めます。
本当の親子ではないことを悟られないよう、アルバムを作り、飯塚家の子どもとして耕一郎さんの名を記しました。

家計のやりくりは楽ではなかったということですが、家族としての思い出を残してやりたいと、時間を作っては旅行に出かけました。

航空機爆破事件で葛藤

八重子さんの失踪から13年後の平成3年。飯塚さんは、妹が北朝鮮にいることを思わぬ形で知ることになります。

115人が犠牲になった大韓航空機爆破事件。実行犯として韓国当局に逮捕された北朝鮮のキム・ヒョンヒ(金賢姫)元工作員の供述から、八重子さんが拉致され、李恩恵(リ・ウネ)という名で元工作員の日本語教育係をさせられていたことが明らかになったのです。

拉致の被害者なのに、八重子さんが爆破事件に加担したように見られることに心を痛め、中学生になっていた耕一郎さんに真実を伝えることはできませんでした。

打ち明けた真実

耕一郎さんが自分の生い立ちを知ったのは、それから7年後の平成10年。

21歳の時にパスポートを作ろうと取り寄せた戸籍謄本に「養子」と記されていたのです。

飯塚さんは自宅近くのすし店に耕一郎さんを誘い、そこで全てを打ち明けました。

それでも、耕一郎さんが拉致問題の渦中に巻き込まれないよう、前年に結成されていた拉致被害者の家族会に加わりませんでした。

平成14年の日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認め「八重子さんは死亡した」と説明したのをきっかけに、公の場に出て事実を追及しようと決断。

「子どもたちのもとに母親を取り戻してやりたい」。その覚悟だけが飯塚さんの救出活動の支えでした。

田口八重子さんの長男 飯塚耕一郎さん「再会がかなわず無念」

田口八重子さんの長男で、母親が拉致されたあと飯塚さんに育てられた飯塚耕一郎さん(44)がコメントを出しました。このなかで耕一郎さんは「生前、父が本当に全国の多くの方々にお世話になり大変感謝しております。改めて息子である私からも御礼申し上げます」としています。

そのうえで「ただ、田口八重子さんとの再会がかなわなかったことが無念であり、非情な結果となってしまった形です。2002年に父、飯塚繁雄が妹を救う活動を公の場で開始して以降の長い年月がすぎてしまいました。もう少しなにかできなかったものかと悔悟し、今後、私個人として、この悲しみ、怒りをどうすべきかとも考えております」とコメントしています。葬儀は家族葬で行い、別途、お別れの会などを開く予定だということです。

横田めぐみさんの母親の早紀江さん「本当に悔しい」

中学1年生の時に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの母親の早紀江さん(85)はNHKの取材に対し「信じられません。さぞかし八重子さんに会いたかっただろうと思います。とても立派な方で、真心を込めてまじめに生きてきたのにこんなことになって、本当に悔しく、かわいそうです」と、言葉を詰まらせながら話していました。

その上で早紀江さんは「被害者との再会を待つ家族どうし、励まし合ってきましたが、高齢となった多くの家族が亡くなっていき、がく然としています。飯塚さんは国のことを信じてまじめに再会を待ち、一生懸命活動してきたのに、政府は『国民の命のために』と言いながら、このような状態が続いていることをどう考えているのでしょう」と強い口調で話していました。

横田めぐみさんの弟の拓也さん「ことばにならない」

12月11日に飯塚繁雄さんから被害者の家族会代表を引き継いだ横田めぐみさんの弟の拓也さん(53)はNHKの取材に対し「残念のひと言で、ことばになりません。八重子さんに会わせてあげたかったなと本当に無念です。家族には残された時間がなく、拉致問題は一刻を争う命がかかった問題なので、日本政府には、一刻も早い被害者の帰国に向けて動いてほしい」と話していました。

横田めぐみさんの弟の哲也さん「残念で悔しい」

横田めぐみさんの弟の哲也さん(53)は「体を患っておられたので心配していましたが、訃報を聞き残念で悔しい思いでいっぱいです。一緒に闘ってきた同志として、八重子さんに再会するという結果を出してあげることができず、申し訳ない気持ちです。飯塚さん自身も悔しかったと思います。政府は飯塚さんの思いを受け止め、さまざまな手を駆使して被害者の帰国実現のために動いてほしい」と話していました。

増元るみ子さんの弟の照明さん「心労をかけた」

拉致被害者、増元るみ子さんの弟の照明さん(66)はNHKの取材に対し「先日、代表を退かれて具合が悪いんだろうとは思っていましたが、やはりこういう時が来るのか、という気持ちです。飯塚さんは、代表として、冷静に物事を見て話をしていただける方でした。代表としての務めが長くなりすぎて心労をかけたと思っています。安らかに眠ってくださいと祈るしかありません。『ありがとうございました』と言いたいです」と話していました。

「救う会」の西岡力会長「必ず繁雄さんの宿願をかなえる」

拉致被害者の家族の支援組織「救う会」の西岡力会長は「とても残念です。愛する妹である田口八重子さんに会わせることができなかったこと、申し訳なく思います。14年間、家族会代表として誠実に激務をこなして下さったこと、心から感謝します。本当にまじめな人柄でした。飯塚代表がいたからこそ、拉致被害者救出の国民運動は多くの方々に支持されてここまでやってくることができました。必ず八重子さんたちを救い出して繁雄さんの宿願をかなえます」とコメントしています。

元カメラマンの稲川和男さん「残された被害者の帰国を」

拉致被害者の家族会の結成当初からその姿を追ってきた元カメラマンの稲川和男さん(72)はNHKの取材に対し「活動を間近で見てきたが、このところ、飯塚さんの体力が急激に衰えていくことに衝撃を受けていた。まだ信じられませんが、訃報に接し、つらく、とても悲しい。決してあからさまに政府を攻撃せず『頑張ってほしい』という言い方をされてきたが、これは飯塚さんの人間性だったのではないか。政府は何をしているんだと思うが、飯塚さんのためにも、残された被害者の帰国を実現させてほしい」と話していました。