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残業代が消えて… 低所得化する“中流”

「正社員として20年以上働いてきて、こんな状況は考えられませんでした」
給与明細を手に、50代の男性は肩を落としました。

正社員・マイホーム・妻と子ども2人の一家4人での暮らし。
手に入れた理想の生活が崩れた原因は、残業代の激減でした。

「基本給だけでは、生活できない」
社会の“中流”だと考えられてきた正社員の暮らしが、今、厳しい現実に直面しています。
(社会部記者 黒川あゆみ 宮崎良太/おはよう日本ディレクター 中村幸代)

残業代が減って住宅ローンが払えない

正社員の男性(50代)
大手自動車メーカーの下請け企業で働く、50代の男性です。
正社員として毎月手取りで30~35万円ほどの収入があり、妻と子ども2人の一家4人で暮らしていました。
妻もパートで働いていたため、世帯年収は900万円ほどありました。
2年前に建てたマイホーム
男性は2年前にローンを組んで、夢だった新築一戸建てのマイホームを購入。
キッチンや水回りの設計には、妻と娘のこだわりを取り入れ、食卓はいつも笑顔があふれていたといいます。
住宅ローンの返済額は月々15万円でしたが、当初は家計にとってさほど大きな負担ではなく、計画的に支払える見通しが立っていました。

しかし「安定していた」はずの暮らしは、コロナ禍で一変してしまいます。給与が急激に減ったのです。
男性の給与明細の残業手当額(感染拡大前後の比較)
明細をよく見てみると、それまで15万円ほどあった残業代が4万円ほどにまで減っていました。
以前は1か月60時間以上の残業をこなしていましたが、新型コロナの影響で工場の稼働日が減り、残業時間がほとんどなくなってしまったからです。
男性
「ここまで減るとは、全く想定していなかったですね。正社員だから収入は安定していると思い込んでいましたが、実は残業手当に頼ることが多かったんだなと気付きました。自動車の製造業は安泰だと信じていましたし、残業は当たり前にあるものだと思っていました」
さらに追い打ちをかけるように、コロナ禍で妻もパートを雇い止めになりました。
900万円あった世帯収入が400万円ほどにまで下がり、住宅ローンの支払いが難しい状況に追い込まれていきました。
それでも、新型コロナが落ち着けば残業時間も元に戻るのではないかと期待し、車や趣味のものを売って、なんとか住宅ローンの返済を続けました。
賃貸のアパートに引っ越した男性 
しかし1年以上たっても残業代は戻らず、ついに会社側から「残業はコロナ前のようにはもう戻らない」と告げられた男性。
家族と相談した結果、ことしの夏、家を手放すことを決めました。
男性
「つらかったですね。せっかく建てたのに手放さなきゃいけないというのは情けないというか。悔しかったです。普通の正社員、普通のサラリーマンで安泰だと思っていたのが、もう安泰じゃないという現実を突きつけられて、これからどうなっていくのかわからないですね」

“中流”の層に打撃 コロナ禍で減った残業時間

これはすべての産業の、主に正社員を対象にした残業時間の平均の推移を示したグラフです。
新型コロナの感染が拡大した去年の春以降、残業時間は最大3割余り減少しました。
現在は増加の傾向ですが、それでもコロナ前よりは減少した状況が続いています。

相次ぐ売却相談 3割は正社員

住宅売却の相談を受ける不動産会社
こうした中、東京や愛知などに事務所がある不動産会社では「住宅の売却を検討したい」という相談が増加。
新型コロナの前は月に100件程度でしたが、120件以上寄せられるようになりました。
その3割は正社員からの相談です。
「残業代が減って住宅ローンが払えない」という理由が増えているといいます。
不動産会社 安達真也 代表相談員
不動産会社 安達真也 代表相談員
「中間層の方からの相談がここ最近多く見受けられることが、私たちも意外だと思っています。これまで残業代ありきで住宅ローンを組んでいる方が多かった。誰もがこのコロナの状況を想像していなかったのだと思います」

浮き彫りになった“残業ありき”の“中流”

残業代の減少によって正社員の収入が大きな打撃を受けている現状に、専門家はもともと日本社会に潜んでいた構造的な問題が、あらわになったと指摘します。
独立行政法人 労働政策研究・研修機構 高橋康二 主任研究員
独立行政法人 労働政策研究・研修機構 高橋康二 主任研究員
「日本の企業はもともと終身雇用で、欧米などと比べて、雇用の確保を優先してきた。失業率は低い水準にある一方で、基本給を抑え、景気の変動には残業などの増減で調整してきた。労働者は、好景気の時には残業による長時間労働で生活が維持できたが、不況になると一気に生活が悪化する。残業がなくても安定した生活ができるように、企業の生産性の向上や技術革新などで基本給の水準を引き上げる仕組みをつくるべきだ」

30年で世帯所得が大幅減 沈む“中流”

コロナ禍で広がる“中流”の低所得化。
実は、こうした傾向は以前から進んでいました。
そのことを物語るデータがあります。
これは、1世帯あたりの所得の分布を示した図です。
“中流”の範囲について明確な定義はありませんが、30年前のデータと比較しました。

2018年は1990年に比べ、400万円台から上が減った一方で、それより下の層が軒並み増えていることがわかります。

この30年間に分布の山が大きく下にずれて、いわば「沈む“中流”」ともいえる状況が起きているのです。

なぜこのような状況が生まれているのか。

調査を行っている厚生労働省の幹部を取材すると「世帯の構造変化でみると、急速な高齢化や単身世帯が増えたことがその要因の1つとみることができる。さらに、非正規雇用の拡大や正社員であっても賃金が上がらない人たちの増加など、所得の低下が大きく影響していると考えられる。そのため、結婚をしたくてもためらう人も増えていて、単身世帯の増加にもつながっている」という見方を示しています。

また、“中流”の研究に取り組む、慶応義塾大学の駒村康平教授は次のように指摘しています。
慶応義塾大学 駒村康平教授
慶応義塾大学 駒村康平教授
「高齢化の影響だけでなく、90年以降でみると、バブルの崩壊やグローバル化、非正規雇用の拡大、また、製造業中心の産業構造の変化やリーマンショックなど、“中流”を取り巻く環境も大きく変わっていて、幅広い世代で社会を支えてきた“中流”の中から所得が低い層に落ちていく人たちが出てしまっている」

変わる“中流”のイメージ

低所得化してきた“中流”の人たち。
今、街の人たちは、“中流”の暮らしについて、どのようなイメージを持っているのでしょうか?
街の人たちの声を取材
東京の新橋駅前で街頭インタビューを行いました。
サラリーマンや主婦など幅広い世代のおよそ40人に、“中流”のイメージを聞くと、いわゆる「マイホームを持てる」「余暇を楽しめる」など、一昔前の“中流”のイメージとは違ってきていることがうかがえました。
・「親の世代とは同じようにいかないと思う。定年退職したあとも、いつまでも働かないといけないのかな」(女性・50代)

・「いまは仕事があって、毎日ごはんが食べられるので“中流”の基準を満たしていると思う。だけど、もし子どもができたら、大学まで出させてもらった自分と同等の教育を受けさせてあげられるか心配」(女性)

・「一応所得はあるけど、コロナ前と比べてだいぶ収入は落ちている。その分使うお金を抑えているので、なんとか生活できている。“中流”だと思っていたい」(女性・60代)

・「いま産休育休に入っているけど、その後は職場に戻らないと生活は大変。夫婦共働きが“中流”のイメージ。“上流”ではないので、なかなか専業主婦にはなれない」(女性・30代)

・「普通のサラリーマンだったけど、去年コロナで仕事を失った。以前は“中流”の暮らしだったけど、この状況で結婚も諦めた。先が見えないし、現実はひどいですね」(男性・40代)

年収300万円の正社員 その実態は?

では、先ほど示した2018年の所得分布図で、多くを占める層の人たちは、どのような状況に置かれているのでしょうか。

ある洋菓子メーカーの正社員として働いていた、26歳の女性が取材に応じました。
洋菓子メーカーの正社員だった女性
以前は居酒屋でアルバイトとして働いていましたが、安定した生活に憧れて正社員になったという女性。
百貨店の洋菓子売り場で、商品の管理やディスプレイを担当していました。
月給は額面で24万円、年収にすると300万円ほどでした。
しかし、奨学金の返済などもあり、生活の余裕は全くなかったといいます。
女性
「食堂があったので毎日500円くらいで済ませていましたが、そのお金も出すのが厳しかったです。正社員になったら少しはカツカツにならずに生活できるかと期待していたけれど、そうではなかったですね」
“基本給17万円”
しかも、1か月の給与のうち基本給は17万円ほどで、残りの7万円は残業代が占めていました。
毎月50時間以上の残業を続けてきた女性。
体調も崩しがちになりましたが、残業代抜きでは生活は成り立たなかったと言います。
女性
「正社員って自分の時間が取れて、生活も安定していると思って転職したけど、イメージと全然違いました。毎日遅くまで残業するのが当たり前で、それでなんとか24万円もらえるというのは体力的にも精神的にもしんどいです」
厚生労働省の統計によると、正社員の8人に1人は基本給が20万円未満です。
沈む“中流”のなかには、正社員であってもこの女性のように働き続けるケースが少なくありません。

沈む“中流” 日本社会はどうなる?

“中流”の低所得化が進むと、これから社会はどうなっていくのでしょうか。
慶応義塾大学の駒村康平教授は、3つの点で日本社会全体にマイナスの影響が出るおそれがあると指摘しています。
1 所得が上がらないことによる、経済全体の消費の低下。

2 結婚や出産をためらう世帯が増え、人口減少に拍車がかかる。

3 教育に投資ができない家庭が増えると、将来、技術革新の低迷につながる。
慶応義塾大学 駒村康平教授
「社会における“中流”とは、活発に消費をおこなって経済を回してくれる層なのですが、その層が減って低所得化してくると、経済全体の需要の足を引っ張るようになります。自分の親と同じ生活を送れない、家も持てない、結婚もできず子どもも持てない、教育も受けさせられないとなると、人々が将来を諦めてしまいます。これはもう意図的に、政策的に復元しなければならない状態になっているのです。自然に中間層が復元するなんていうことは期待できません」
今回の取材を通じてほんの少し像を結び始めた、沈む“中流”の現実。
さらに取材を重ね、その実態に迫っていく必要があると感じました。

NHKでは、皆様の暮らしに関するアンケートを募集しています。
あなたは今の暮らしをどう感じていますか?

ぜひ、こちらのアンケートフォームから情報をお寄せください。
社会部記者
黒川あゆみ
2009年入局
熊本局、福岡局を経て現職
主に社会保障・医療分野を取材
社会部記者
宮崎良太
2012年入局
山形局を経て現職
厚生労働省担当として、雇用や働き方を中心に取材
おはよう日本ディレクター
中村幸代
2015年入局
北九州局、福岡局を経て現職
格差社会をテーマに貧困・労働問題などを取材

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