WEB特集

“歴史から消された” 対北朝鮮特殊部隊

半世紀前、突如として姿を消した韓国の男性。
実は、キム・イルソン主席(金日成)を狙うために、ひそかに創設された韓国の特殊部隊に所属していました。

しかし、その4年後には、男性は死刑に。
家族がそのことを知るのは、さらに30年以上もたったあとでした。
(ソウル支局記者 佐々一渡)

半世紀にわたり泣き続けた遺族たち

慰霊祭でのイム・チュンビンさん
イム・チュンビンさん
「とても悔しいし、許すことはできない。50年たったのに、国は今も責任を取らず、胸が痛い」
ことし8月、ソウル近郊の韓国軍の施設で行われた慰霊祭。
特殊部隊にいた24人のためのものです。
新型コロナウイルスの影響で小規模なものとなり、静かな会場には、家族を思う遺族たちの泣き声が響き渡りました。

政府への憤りを隠せずにいるのが、イム・チュンビンさん(任忠彬 63)。
部隊には兄がいました。
今も遺体が見つかっておらず、十分な供養ができていないと感じています。

特殊部隊創設の背景に南北間の緊張

イムさんの兄がいた部隊が創設されるきっかけとなったのが、今から半世紀あまり前に起きたある出来事でした。
韓国 パク・チョンヒ大統領と北朝鮮 キム・イルソン主席(当時)
1968年、北朝鮮のゲリラ部隊が、韓国のパク・チョンヒ大統領(朴正煕)をねらって、大統領府への襲撃を試みたのです。
激怒した韓国側は、これに報復し、北朝鮮のキム・イルソン主席を暗殺することを目指したといいます。
現在の無人島「シルミド」(実尾島)
当初からこの部隊については、極秘にされていました。
集められた31人の隊員たちが訓練を受けていたのが、今のインチョン空港(仁川)から7キロほどの場所にある無人島「シルミド」(実尾島)です。
想像を絶する任務を全うするため、訓練は死亡する隊員が出るほど厳しいものでした。

しかし、国際情勢の変化によって、南北間では、緊張緩和を模索。
部隊が北朝鮮に送られることはありませんでした。

そして、いつしか、この部隊の存在そのものが、韓国政府にとっては、不都合なものになってしまったのです。

島を脱出、韓国部隊も目指すは大統領府

命令が出ないまま、3年以上にわたって続いた訓練。
徐々に待遇も悪化し、こうした中で、不満を募らせた隊員たちが起こしたのが「シルミド事件」です。

1971年8月、警備を担当する兵士との銃撃戦の末、武装した部隊の隊員24人が、島を脱出。
そして、バスを奪って、首都ソウルにある大統領府を目指しました。
目的は、大統領に抗議するためでした。
1971年8月23日 バスを調べる韓国軍当局者ら
しかし、大統領府に向かう途中、これを防ごうとした軍や警察と衝突。
隊員20人のほか、警備兵や民間人など合わせて46人が死亡しました。
隊員のうち、イムさんの兄を含む、4人が生き残りましたが、翌年、死刑となりました。

ただ、関連する書類も機密扱いとされるなど、この部隊の真相については明らかにされず、イムさんは、兄が部隊に行ったことも死刑になったことも知らないまま、長い年月がすぎました。

消えた兄を探し疲弊する家族

突如として姿を消した兄を探し続け、家族は疲弊していったといいます。
寂しさから父は徐々に酒を飲む量が増え、母は、いつ兄が帰ってきてもいいように、食事の準備を続けていたということです。
そうした両親の姿を見て、イムさん自身も胸を痛め、すれ違った人がもしかしたら兄なのではないかと思い、思わず追いかけたこともあったそうです。
手がかりがないまま、両親はこの世を去り、イムさんをはじめとする子どもたちに、兄を見つけ出すことを託しました。
イムさんの父親が持ち歩いていた兄の写真
イムさんが見せてくれたのは1枚の写真。
兄を探し続けた父親が、ずっとポケットに入れて持ち歩いていたものだといいます。

イムさんは、兄は優しく、面倒見がよかったと振り返ります。
「せめて夢ででも会えたらいいのに。でも夢にも出てきてくれません」と目頭を押さえました。
イム・チュンビンさん
一方、戸籍に関する書類を示しながら、語気を強めました。
書類には、シルミド事件の前の1969年に父親が兄の死亡届を出したと記されていました。
しかし、父は兄の生存を信じて、探し続けていただけに、イムさんは、事態を隠すために、何者かによって、虚偽で作成されたものと考えています。

大ヒット映画をきっかけに動き始めた調査

映画「シルミド」を紹介する看板
部隊への関心が高まるきっかけになったのは、1つの映画でした。
2003年に公開された「シルミド」。
この部隊をもとにした物語は、大きな反響を呼び、韓国で初めて観客動員が1000万人を超える大ヒットとなりました。

それをきっかけに、イムさんのもとには、兄が部隊にいたのではないかという情報が舞い込みました。
関係者にも話を聞いてまわったところ、兄が部隊に所属し、その後、死刑になったことがわかりました。

2005年には、韓国政府が初めての調査に乗り出しました。
1年近くにわたる調査の結果、もともと、隊員は死刑囚や犯罪歴のある人物だとされていましたが、守るつもりもない条件を提示して、民間人を募集していたことなどが明らかになったほか、遺骨の捜索も行われました。

ただ、イムさんの兄など、遺骨が見つかっていない人もいて、イムさんにとっては到底納得できる結果ではありませんでした。

50年目の真実を求めて

その後もイムさんは、真相を究明するための活動を続けています。
遺族会の代表として、国防省などへの申し入れを定期的に行っているほか、政府を相手取って訴訟も起こしました。

そして、事件から50年となったことし、遺族たちの声に応じて、大統領府の直属の機関が再び調査を始めることになりました。
今回の調査で、イムさんが何よりも期待しているのは、兄の遺骨を見つけ出すことです。
高台を案内するアンキム・ジョンエさん
その遺骨は、死刑が執行されたとされるソウル市内の場所のすぐ近くにある高台に埋められているのではないかと考えている人がいます。
1回目の調査に携わり、関係者への聴き取りを行ったアンキム・ジョンエさん(安金貞愛)です。
アンキム・ジョンエさん
「多くの人が射撃場で処刑され、そこから遠くに行かなかったと話しています。死刑の執行も秘密でした。遺体をのせてほかの地域に行くとは常識的に考えにくいです」
遺骨は真相を究明するうえで決定的な証拠にもなるとして、その重要性を指摘しますが、一方で長い年月がすぎ、新たな証言を得ることも難しくなっており、作業は簡単ではないだろうと考えています。

遺骨が見つかるまでは諦めない

ことし8月、慰霊祭では、再調査の担当者による説明会も行われました。
遺族らからは、速やかに情報を提供することや、隊員たちの名誉を回復してほしいといった要望が相次いで出されました。
軍の施設にある遺骨置き場 一部は何も置かれず…
慰霊祭が行われた軍の施設には、死亡した隊員の遺骨を置く場所があります。
遺族の中には、遺骨が見つかっていなくても、代わりのものを置いて、供養の場とする人もいますが、イムさんは遺骨が見つかるまでは、何も置くつもりはありません。
一日でも早く兄を見つけ出してあげたい、その思いが揺らぐことはありません。
イム・チュンビンさん
イム・チュンビンさん
「半世紀、長いような短いような感じですが、兄のために何もできていません。両親や兄、家族の恨みを晴らすきっかけにはなります。それで100%ではありませんが、恨みを晴らす一助にはなるでしょう」
ソウル支局記者
佐々 一渡
2003年入局
旭川放送局、
国際部、ウィーン支局を経て、2019年から現職

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