愛する人を迎えるまでは終われない 真珠湾攻撃から80年

愛する人を迎えるまでは終われない 真珠湾攻撃から80年
「これですべてが解決しました」

こう語り、涙を流したアメリカ人の女性。
真珠湾攻撃で犠牲になったおじの遺骨を、ことし、ようやく家族が眠る故郷の墓地に埋葬することができた。

彼女は、おじと顔を合わせたことはない。それでも“無名戦士”としてハワイの墓に眠っていたおじを迎え入れることが、帰還を見届けることなく亡くなった母をはじめ残された家族の務めだと考えていた。

真珠湾攻撃からことしで80年。

アメリカには、いまも遺骨の身元がわかっていない“無名戦士”を特定し、家族が待つ故郷に迎え入れたいと願い続ける人たちが多くいる。
(ワシントン支局記者 辻浩平)

世代を超えた願い

「おじを埋葬することができ、私たち一家の願いがかないました。おじは、ミシガンの故郷に帰ることができただけでなく(妹である)母(の墓石)と寄り添って眠っています。強い絆で結ばれた家族だったので、これ以上幸せなことはありません」
アメリカ・ミシガン州に住むカレン・バージンズさん。
真珠湾攻撃で犠牲になった、おじのウェズリー・グラム一等航海士(当時21)を、ことし10月になってようやく、故郷の墓地に埋葬することができた。
あの日、ウェズリーさんが乗っていた戦艦オクラホマは旧日本軍の攻撃で沈没。
海底に沈んだ船体が引き揚げられ、乗組員の遺体が収容された時には2年がたっていた。
およそ400人分の遺体は損傷が激しく身元の特定が困難だとして、ハワイの国立墓地にまとめて埋葬された。

アメリカではカレンさんのおじのように、戦争で命を落とし、遺骨の身元が特定されないままの兵士は“無名戦士”(Unknown Soldier)と呼ばれる。

カレンさんたち残された遺族にとって事態が動いたのは6年前。
アメリカ政府がDNA鑑定技術の向上を理由に一部の“無名戦士”の遺骨の特定作業を行うと発表したのだ。

対象となったのはカレンさんのおじが乗っていた戦艦オクラホマから引き揚げられたおよそ400人分。
アメリカ軍は埋葬されていたひつぎを掘り出して遺骨の鑑定を始めたのだった。
そして去年、カレンさんは、集団埋葬されていた遺骨の中からおじが特定されたとの連絡を受け取った。DNAを提供してから4年がたっていた。そのあいだに、身元の特定はできないのだと、諦めたこともあった。

なきがらを迎え入れた、めいのカレンさんは戦後の生まれで、おじと顔を合わせたことはない。
しかし、妹にあたる母親からいつもその人となりについて思い出話を聞かされ、家族の1人として愛着を感じていた。
カレンさんの母親は、いつも語っていた。
真珠湾攻撃で亡くなったウェズリーさんは歌うことが好きだった自分(=カレンさんの母親)のためにいつも干し草でステージをつくり、歌声に耳を傾けてくれた優しい兄だったと。
しかし、その母親も、兄の身元特定の知らせを聞くことなく、5年前に亡くなった。

おじのなきがらを、“無名戦士”がまとめて埋葬されたハワイではなく、故郷のミシガン州に連れて帰る。
それは、世代を超えた願いだった。
“Ready,Aim,Fire!”(構え、狙え、撃て)

カレンさんは、葬儀で響いた追悼の空砲を聞きながら、涙を流し続けた。おじの墓石は、慕い続けていた母親の隣に並んでいた。
「一家の願いがかなった」
安どの涙だった。
カレン・バージンズさん
「おじはここ(ミシガン州)から徴兵されました。だから同じ場所に戻してあげたかったのです。ようやく戻るべき場所に帰ってきました。彼は、歴史のなかではだだ1人の人、かもしれませんが、私たちにとっては家族の一員で彼を愛しています。これで、終止符が打てます」

“無名戦士”は1000人以上

真珠湾攻撃で、カレンさんのおじのような“無名戦士”は犠牲者のほぼ半数に上っている。

80年前のあの日、アメリカ側は戦艦など21隻が沈没ないし損傷、民間人を含む2403人が犠牲になった。
このうち、遺体や遺骨の身元がわかったのはおよそ1200人にとどまっている。
その理由の1つが、旧日本軍による爆弾や魚雷攻撃で戦艦が兵士を乗せたまま短時間に沈没したことだ。
それを如実に示す図面がアメリカ議会図書館に所蔵されている。
旧日本軍の攻撃隊を率いた淵田美津雄中佐が昭和天皇に報告するために作成したものだ。
どの戦艦が沈没し、どれだけの魚雷や爆弾が命中したのかなど戦果が詳細に描かれている。
真珠湾攻撃による“無名戦士”の遺骨はハワイの国立墓地に埋葬されている。

“無名戦士”一人一人が息子のよう

“無名戦士”の遺骨を特定し遺族に返還するため、アメリカ軍はDNA鑑定などを続けている。
その拠点が、ネブラスカ州オマハのオファット空軍基地だ。

基地を訪れるとすぐに目に飛び込んできたのは、100体はあろうかとも思われる遺骨。
頭蓋骨から両手両足など、身元が特定された骨が1体ごと整然と並べられていた。
遺骨はすべて同じ方向を向いていて、その先にはアメリカの国旗が掲げられている。
祖国に戻ってきたという意味が込められているとのことだった。
カレンさんのおじなど戦艦オクラホマの乗組員の“無名戦士”およそ400人の遺骨鑑定を担当した法医学者、ララ・マコーミックさんが取材に応じてくれた。
遺骨のかけらは、合わせて1万3000にものぼった。
その一つ一つの目録を作成し、同一人物と見られるものを集めて一体をつなぎあわせる地道な作業を続けたという。

遺骨は、損傷した戦艦から漏れ出した燃料やオイルなどの油にまみれていて、80年近くたってからも油の匂いが立ちこめ、マコーミックさんらの髪や服についた匂いは数日たっても消えなかった。

特定作業は当初、難航を極めた。
墓地から掘り出された遺骨は、多くの兵士のものが混ざっていたため、分類に時間がかかった。
そのうえ、遺骨を特定する際の参考になる兵士の身長や歯の治療歴といった健康記録が船とともに沈み、失われていた。
それでもマコーミックさんたちは遺族のDNAも集めるなどして、6年間かけ、戦艦オクラホマの“無名戦士”、388人のうち90%以上の特定にこぎつけた。

マコーミックさんのオフィスの壁には、身元を特定した兵士らの写真が誇らしげに飾ってある。
ララ・マコーミックさん
「この写真の数々が私にここで働く意味を日々思い出させてくれます。自分の息子のような気になるのです」

終わらない真珠湾攻撃

一方で家族のもとに帰ることができない遺骨もある。
最大の犠牲が出た戦艦アリゾナの乗組員たちだ。
遺骨のほとんどは今も海底に沈んでいる。
およそ1200人が亡くなった戦艦アリゾナ。
損傷が激しかったため沈没したまま引き揚げられず、海底に眠る船体には今も1000人近くが取り残されたままだ。
このため船そのものが巨大な墓として「慰霊の場」とみなされている。
アメリカ軍は船体を引き揚げて鑑定を行う予定はないとしている。

それでも、政府に身元の特定を行うよう求めている戦艦アリゾナの遺族などが話を聞かせてくれた。
父親が戦艦アリゾナの乗組員だったランディ・ストラットンさんもその1人だ。
ランディさんらが鑑定を求めているのは、海底に眠る船体に取り残されたおよそ1000人の遺骨ではなく、船とともには沈まずに、すでに収容され、ハワイの国立墓地に埋葬されている85人分とみられる遺骨だ。

ただ、アメリカ政府はこれについても現時点では特定作業を行わないとしている。
背景には太平洋戦争を含めた多くの戦争で今も遺骨が特定されていないアメリカ兵がおよそ8万人にのぼることがあると見られている。
政府は比較的鑑定しやすい遺骨から優先的に行っていると説明している。
コロラド州の自宅で迎えてくれたランディさんが見せてくれたのは、さびた鉄の板だった。
戦艦アリゾナの船体の一部で、よく見るといたるところに穴があいている。旧日本軍の攻撃機の機銃掃射によってあいたものだという。
戦艦アリゾナは旧日本軍の爆弾が弾薬庫での爆発を引き起こし、船体の前方が大破している。
船体の一部の実物を見せられ、戦闘の激しさが現実に迫ってくるかのような感覚を覚える。

ランディさんの父親は、全身の65%にやけどを負う大けがをしたが、生き延びることができた。
ただ、去年、97歳で亡くなるまで、生涯、真珠湾で亡くなった戦友を気遣っていた。
命を落とした兵士のために何ができるのか。
その思いがランディさんに受け継がれている。
ランディ・ストラットンさん
「父はよく言いました。“アリゾナに眠る仲間たちを忘れるな”と。遺族は真珠湾攻撃に終止符を打つ必要があります。“無名戦士”の遺骨にも一人一人に名前があり、家族がいます。身元を特定し、家族が待つ故郷に帰し、その死をたたえたいのです」

米軍がやらないなら みずからの手で

ランディさんは政府が動かないならば、自分たちの手でと、民間のDNA鑑定業者の協力もとりつけている。
協力を申し出た鑑定業者のなかには、アメリカ軍に殺害された過激派組織IS=イスラミック・ステートの指導者、バグダディ容疑者の遺体のDNA鑑定を行った会社も含まれている。

この動きに、戦艦アリゾナの遺族たちは希望を抱いている。
ランディさんと連携しながら動いている遺族たちは、声を詰まらせながらこう語った。
戦艦アリゾナの遺族
「おじの身元を特定できる可能性は低いかもしれませんが、可能性があるということ自体が私たちにとってはすべてなのです。80年がたっても、私たち遺族はおじを忘れていません」
遺骨の身元を特定できなければ、真珠湾攻撃に終止符が打てない。
80年たっても、そう話す人々の声が耳から離れなかった。

「日本を憎んではいません」

今回の取材で出会った遺族たちは、攻撃を仕掛けた日本に対して憎しみを語ることはなかった。
カレン・バージンズさん
「真珠湾攻撃は終わったことです。人々は前に進みます。私が日本の人々に対して悪い感情を持つことは間違っています。日本を憎んではいません。今の日本人は80年前に起きたことの責任を負っているわけではありません。個人個人はそれぞれの人として扱われるべきです」

「日本に対してわだかまりはない」
こうした答えは身元特定によって、おじの死に終止符を打てたカレン・バージンズさんに限らず、遺骨が戻ってきていない遺族らも異口同音だった。
日本人の記者として罵声を浴びるかもしれないと考えていた私にとっては意外だった。
80年という時がもたらした変化なのかもしれない。

ただ、残された人たちにとって、遠く離れたハワイに眠ったままの家族を故郷に連れて帰りたいという願いは変わらないままだ。

真珠湾攻撃は今なお、遺族の務めを果たしたいと願う人々を動かし続けている。
ワシントン支局記者
辻浩平
鳥取局、エルサレム特派員、盛岡局、政治部を経て2020年からワシントン支局