WEB特集

コロナのせいで、進学できない ~約4万人が教育から脱落か~

「勉強が好きです。もっと勉強してよりよい仕事に就きたいの」

こう話すタイ人の10歳の女の子。
将来の夢は学校の先生。
だから、ふだんから2歳年下の弟に宿題を教えているのだそうです。
でも、新型コロナのせいで、中学校に進学できないおそれがあるといいます。

いまタイでは「進学できない子どもたち」が急増しているとみられます。
いったい何が起きているのでしょうか。
(アジア総局記者 松尾恵輔)

将来の夢は先生、でも…

「学校が再開されるからワクワクします。また、大好きな先生と勉強できるから」
新型コロナの感染が拡大し、タイではことし4月、全土で学校が閉鎖され、対面での授業が取りやめとなりました。
それが、12月から通っている学校での授業が再開されることになり、小学4年生の女の子ナタコンさん(10)は、祖母と暮らす自宅で、うれしそうに話してくれました。
ナタコンさんは、ことし成績や生活態度が優秀だとして「最優秀児童」として表彰。
もらった賞状は、額に入れて飾ってありました。
弟に勉強を教えるナタコンさん
2歳年下の弟に勉強を教えるのが好き。高校に進学して、先生になりたい。
ナタコンさんは目を輝かせて教えてくれました。

娘に代わって孫3人を育ててきた祖母のチャラムさん(66)は、夢を語るナタコンさんをうれしそうに見守っていました。
でも、チャラムさんに教育費について話を聞くと表情が曇り、声を詰まらせました。
チャラムさんは、新型コロナで仕事を失い、孫たちの教育費を払えていないといいます。
そして、このまま払えないと、中学校に進学できないおそれがあるのだそうです。
祖母 チャラムさん
「貧しく生まれてしまった自分を責めています。私はこの子たちに教育を受けさせたいんです。もし卒業できないと、悪い道に進んでしまうかもしれません。だから、子どもたちのために、お金を借りるほかないんです」

孫たちに勉強を続けさせたい

チャラムさんたちが暮らすスラム街
チャラムさんたちが暮らすのは、タイの首都バンコクのスラム街。
中心部から車で10分ほど離れたところに雑然と建つ家の中の1軒で、子どもたちを残して7年前に連絡が取れなくなった娘に代わり、3人の孫たちを育てています。

新型コロナの感染が拡大する前、高齢の夫は体が不自由だったことから、チャラムさんがレストランで皿洗いの仕事をして、家族の生活費をまかなってきました。
働きづめの毎日でしたが、孫たちに教育を受けさせたいという思いで、なんとか乗り切ることができました。

スラム街で暮らすチャラムさんは、教育を十分に受けられず、麻薬を売買するなど道を誤ってきた子どもたちを何人も見てきたといいます。
チャラムさん自身も育った家が貧しく、小学校4年生までしか学校に通えなかったため、給料の高い仕事に就くことができなかったとも感じていました。
チャラムさん
だからこそ、教育が、貧しさから抜け出す唯一の方法だと信じ、どんなに家計が苦しくても、孫たちの教育を最優先にしてきました。

そのかいもあってか、長女は奨学金を得て中学校に進学、次女のナタコンさんは小学校で「最優秀児童」に選ばれ、チャラムさんは苦労して働いてきたことが報われたと感じてきました。

家族を襲った“新型コロナ”

生前の夫と写るチャラムさんたち
しかし、新型コロナの感染拡大で、チャラムさんの生活は一変。
ことし2月、チャラムさんはレストランの仕事を解雇され、その5か月後には、夫とともに新型コロナに感染。
夫は、感染発覚の翌日に亡くなりました。

新たな仕事もなかなか見つからず、貯金はすぐに底を突きました。

その後、ようやく大学の清掃員の仕事を得ましたが、月収はバンコクの平均世帯月収のおよそ13万2000円を大きく下回る2万5000円。
日々の生活で必要な食費などに収入を充ててしまうと、子どもたちの教育費に回せるお金は残りません。

子どもたちに教育を受けさせたい。

その思いから、チャラムさんが頼ったのは「ヤミ金」でした。
信用力が低く、銀行から資金を借り入れることができない人向けの「ヤミ金」は、コロナ禍で多くの人が仕事を失う中、タイ国内で広まっています。
しかし、返済できないと暴力を振るわれるなど、トラブルになるケースもあるといいます。

チャラムさんは、そうした状況も知っていましたが、法定利息を大きく上回る1か月で20%の利息を取る「ヤミ金」からお金を借りました。

しかし、給与をもらっても生活費と借金の返済であっという間に無くなり、返済が追いつかなくなって近所の人からも借金をすることになりました。
チャラムさん
「きょうも近所の人から返済の催促がありましたが『少し待ってほしい』と答えました。借りてもお金が足りず、1日1日をなんとか生きていくしかありません」

貧しさから進学できないおそれ

返済に追われ、子どもたちの教育費を払うこともできないチャラムさん。
このままだと、子どもたちが学校を卒業しても、進学できなくなるおそれもあるといいます。
玄関で遊ぶナタコンさんと弟
タイの公立学校では、原則学費は無償とされていますが、実際には学校の修繕費や課外活動の費用などとして、保護者は一定の支払いを求められます。
払わなくても学校に通い続けることはできますが、卒業の時点で費用を払えていないと「成績証明書」が受け取れないこともあるといいます。
そして「成績証明書」のない子どもの入学を受け付けない学校も、少なくないのだそうです。

チャラムさんも、学校から、1年に子ども1人あたり日本円で1万円余りの請求がありますが、新型コロナの前から支払いを猶予してもらっていて、7万円ほどが未払いになっています。
学校側は、新型コロナの影響が大きい間は、支払いを待つと言っているといいますが、月収は2万5000円、借金の返済にも追われる中、7万円ものお金を支払う見通しは全く立っていません。
チャラムさん
「子どもたちには進学をしてもらい、私のような暮らしを繰り返してほしくないんです。子どもたちのために、もっとお金を借りることも考えています」

「進学できない子どもたち」は約4万人の推計も

新型コロナの影響で、学ぶことや進学を諦めなければならない状況に陥っているのは、チャラムさんの家族だけではありません。

貧困世帯の子どもたちの教育を支援する「公平な教育のための基金」によりますと、ことし7月時点で、家族1人あたりの収入が1か月平均およそ4000円以下などの「特に貧困状態」にある家庭に暮らす子どもは130万人。
去年に比べて30%増えているということです。

さらに、このうち幼稚園、小学校、中学校を卒園・卒業予定だった学年の子どもたち29万人のうち、14%余りに上る4万3000人が進学できず、教育から脱落してしまったとみられています。
新型コロナの影響で親が失業したことや、オンライン授業を受けるための携帯電話を持つことができないことも原因だとみられています。

こうしたことを受けて基金では、貧困層の家庭に1年あたりおよそ1万円を配り、教育費などに充ててもらうことにしています。
また、オンライン授業で使用する携帯電話を配布するといった支援も行っています。

基金でシニアエキスパートを務めるソンポン・チットラダップさんは、それでも根本的な解決のためには、タイ社会で続く貧困や教育格差といった問題に社会全体で向き合わなければ、同じ状況が繰り返されてしまうと指摘します。
「公平な教育のための基金」の ソンポン・チットラダップさん
ソンポン・チットラダップさん
「新型コロナの感染が続いたおよそ2年の間に、多くの家庭が貧困に陥りました。そして、すでに教育から脱落してしまった子どもたちを学校に連れ戻すのはとても大変なことです。私の経験では、進学できなかった人のうち半分以上が、その後犯罪に関わってしまいます。貧しい子どもたちの教育の問題に真剣に向き合わなければ、タイ社会は多くの問題を抱え続けることになります」

いかに負の連鎖を解消していけるのか

新型コロナの感染者の数が減少し、タイでは、外国人観光客の受け入れの再開も始まりました。
バンコクでは、人の姿が戻り始めていますが、取材したスラム街では、感染への恐怖からまだ外に出るのをためらう人も多いといいます。

新型コロナによって、真っ先に影響を受けた貧困層の家庭や子どもたちが、今も苦しみ続けている現実を、今回の取材で目の当たりにしました。
こうした人たちに今どんな支援を届け、格差が生み出す負の連鎖をいかに解消していけるのか、引き続き取材を続けたいと思います。
アジア総局記者
松尾恵輔
平成22年入局
静岡局を経て社会部で厚生労働省担当として雇用問題などを取材。
令和2年からアジア総局でタイやラオスの取材を担当。

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