空襲で犠牲の先代への思い込めた落語披露 太平洋戦争 開戦80年

太平洋戦争の開戦から8日で80年になるのにあわせ、落語を通じて戦争や平和について考えてもらおうという催しが大阪市で開かれました。

この催しは、大阪 中央区にある平和資料館「ピースおおさか」で5日に開かれたもので、4人の落語家が参加しました。

このうち、三代目桂花團治さんは昭和20年6月の大阪空襲で47歳で亡くなった先代の近藤春敏さんをモチーフにした落語「防空壕」を披露しました。

落語は男性が防空ごうの中にいる夢を見て「このまま蒸し焼きにされるのか、誰かここから出してくれ」と寝ながらうめき声を上げるところから始まります。

途中、笑いも交えながら落語は進み、防空ごうの中で落語家の幽霊が登場する場面も設けられ、花團治を襲名してからわずか1年で空襲の犠牲になった近藤さんへの思いが込められています。

花團治さんは、少しでも多くの人に戦争について考えるきっかけにしてもらいたいとあえて、笑える場面を多く取り入れたということです。

会場にはおよそ140人が集まり、時折、笑いながら聞き入っていました。

観客として会場を訪れた東大阪市に住む20歳の女性は「若い世代が戦争についてもっと知っていかなければならないと感じました。きょうのことを大学のレポートに書きたいと思いますし、自分のブログでも発信していけたらいいなと思っています」と話していました。

催しのあと桂花團治さんは「月並みな言い方しかできませんが、戦争はだめだと伝えるのが僕の役目だと思っています。今後も、伝える機会を増やしていきたい」と話していました。

先代の二代目桂花團治さん 襲名からわずか1年後 空襲で犠牲に

花團治さんや芸能史の研究者によりますと、先代の二代目桂花團治さん、近藤春敏さんは、昭和20年6月の大阪空襲で犠牲になりました。

近藤さんは防空ごうの近くで亡くなりましたが、当時の詳しい状況はほとんど分かっておらず、埋葬された場所もはっきりとは分かっていないということです。

近藤さんが二代目桂花團治を襲名したのは昭和19年で、わずか1年後に空襲の犠牲になったということです。

近藤さんは、17歳から19歳のころに落語の世界に入りましたが、当時は漫才ブームだったことから落語ではなく漫才や喜劇で人気を集めました。

それでも落語を忘れなかった近藤さんは、少なくとも亡くなる3か月前までは落語の活動を続けていた記録が残っているということです。

三代目桂花團治さんの稽古場の壁には近藤さんの写真がかけられていて、稽古の前には、欠かさず、手を合わしているということです。

三代目桂花團治さんは、近藤さんについて「落語をやりたかったのに無念だったろうと思います。先代の写真を見ると『お前は恵まれているからもっと頑張らないといけない』と怒られているような気がしています。もっと落語をやらないといけない、もっと稽古をしないといけないと思っています」と話していました。

創作落語「防空壕」 空襲で犠牲の先代への思い込める

創作落語「防空壕」は、大好きだった落語を十分にできないまま空襲で犠牲になった先代を思い、花團治さんがことし5月ごろに作りました。

花團治さんは、6年前に襲名した際、先代が戦争で亡くなったことを知り、3年前には大阪空襲で犠牲になったことを先代の親族から伝えられたということです。

その後、書籍を読んだり研究者に話を聞いたりしてその足跡を調べ始め、先代が犠牲になった状況を少しでも知ろうと、実物大の防空ごうを展示する平和資料館にも足を運んだということです。

花團治さんはこうした中、戦争の悲惨さを落語で伝えたいと思うようになっていったということです。

創作落語は男性が防空ごうの中にいる夢を見て、「熱くなってきたで、蒸しあついで、煙入ってきてるがな、おれはこのまま蒸し殺されるのか、誰か助けてくれ」と寝ながらうめき声を上げるところから始まります。

目が覚めたあと、その日がちょうど、昭和20年に大阪が空襲に見舞われた6月15日だったことに気付いた男性は空襲で亡くなった人たちを思い、線香を手向けるために近所に残る防空ごうを訪れます。

防空ごうの中には落語家の幽霊がいる設定になっていて、花團治を襲名してからわずか1年で空襲の犠牲になった先代への思いが込められています。

また、若い人からお年寄りまで幅広い世代に戦争について考えるきっかけにしてもらいたいとあえて、笑える場面が多く取り入れられているということです。

三代目桂花團治さんは、「本当はこのような軽い感じでやってはいけないのかもしれないと思っています。それでも、先代の生きた証を僕が伝えることで、戦争の悲惨さに関心を持ってもらいたいと思ってやっています」と話しています。