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“棺桶”と呼ばれたコックピット 真珠湾攻撃を“追体験”する

「(敵弾の)光が自分に当たる!と思ったら、飛行機のそばでパッと分かれて通り過ぎる。気持ち悪い感覚です」

80年前の太平洋戦争開戦、真珠湾攻撃に参加した元搭乗員(103)は、あの日を鮮明に記憶している。

しかし近い将来、戦争体験者がゼロになる日は確実に来る。

そのとき、私たちはこの未曾有の体験をどう次世代につないでいくのか。

専門家の間では、新しいテクノロジーを駆使した「戦争体験」継承の模索も始まっている。
(NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」取材班/ディレクター 秋山遼)

記憶の風化・揺らぐリアル どう戦争を伝えるか

「太平洋戦争に日本は勝利した」「真珠湾があるのは沖縄県」

戦争に関するある意識調査の結果で、そう答えた人が少なからずいたと聞いて私たちは驚くとともに危機感をもった。

太平洋戦争80年というタイミングで、新シリーズ「新・ドキュメント太平洋戦争」を立ち上げることになったのだが、最大の課題は、いかにして若い世代に、戦争を伝えるか。

政治・軍事におけるリーダーたちの判断や行動を検証することも重要だが、若い世代からはかなり“遠い”話のように思えた。

戦争の時代を、視聴者が自らを重ね合わせながら理解していく、そんなアプローチができないかと考えた。
例えば、激しい空襲を経験した家族。

母の背中に負われた子供の目から見た、焼夷弾が落下してくるときのその光景。

例えば、戦場の兵士が、秒速800mを超える銃弾を無数に浴びせられるときの感覚。

そうした「個人の視点」から戦争を追体験していけないだろうか。

真珠湾攻撃 兵士たちの“エゴドキュメント”

大きな手がかりとなったのは、個人が記した日記や手記「エゴドキュメント」

公的記録とは違って個人の感覚や感情をたどることができるため“追体験”に適した資料だった。

専門家の間でも当時の空気感を知るための重要な研究材料となっている。
番組で収集した開戦前後の日記
そこで真珠湾攻撃に参加した搭乗員たちのエゴドキュメントを探した。

航空部隊は戦闘機・爆撃機・雷撃機の部隊に分かれており総勢770人。

そのほとんどが10代~20代の若者だった。

真珠湾から“生還した”搭乗員たちが、戦場のリアルを書き記していた。
1941年12月7日 真珠湾攻撃前日 空母「加賀」甲板上の搭乗員たち(島田徹さん提供)
「搭乗員指揮所前に整列の号令がかかる。注意事項とともに『コウフンザイ』が渡された。愈々搭乗である」

「この日は、ハワイでは日曜日にあたり、なにも知らずに朝の散歩に出ていた老婦人が、われわれを米軍機とでも思ったのか、手を振っているのが見られた」

「敵砲火をくぐり、機体をひねるように反転、急降下に入った。後席で声がする。なんだろう。注意して聞くと、耳なれた節である。桐の小箱に錦着て…私たちがよく歌った白頭山節だった。かれは鼻歌を唄っているのだった」

真珠湾で最も過酷な任務 “九九棺桶”

歴史的に、奇襲で大きな戦果を上げたという側面が強調される真珠湾攻撃だが、日本側に犠牲を生んだ過酷な任務もあった。

のちに“九九棺桶”とも呼ばれるようになる、九九式艦上爆撃機による、「急降下爆撃」である。

真珠湾攻撃に参加した航空機は、日本海軍の6隻の空母から発進したが、一度に飛び立てる飛行機の数は限られているため、真珠湾攻撃は第一次攻撃隊と第二次攻撃隊に分かれていた。
第二次攻撃隊が到達した頃の真珠湾上空(黒点は米軍の対空射撃のあと)
両者の攻撃開始時刻には1時間ほどの時間差があった。

現地時間で1941年12月7日午前7時に始まった第一次攻撃は、アメリカ側は不意を突かれ完全な奇襲攻撃となった。

その後、態勢を立て直したアメリカ軍が猛反撃に出たため、遅れて始まった第二次攻撃では、日本軍の航空隊は激しい防御砲火をかいくぐって攻撃することになった。

第一攻撃隊の被害が9機だったのに対し、第二次攻撃隊の被害は20機。

そのうち、14機が、急降下爆撃隊だった。
急降下爆撃とは、敵艦目指して数千メートルの高度から60度という急角度でまっさかさまにダイブし、爆弾を至近距離で投下するという攻撃方法である。

数千メートルの高度は保ったまま爆弾を投下する水平爆撃による爆弾の命中率が10%ほどなのにくらべ、急降下爆撃は40%と、命中率は格段に高かった。

しかし、敵に極限まで接近する攻撃方法は、地面への激突や被弾のリスクも高く、危険な攻撃方法だった。

当時急降下爆撃に使用されたのは九九式艦上爆撃機という機体で多くの犠牲者を生んだことから、“九九棺桶”と呼ばれたのである。

コックピットで搭乗員は失神していた

九九式艦上爆撃機
しかもこの攻撃方法には、“魔の時間”ともいえる無防備な状態が必ずつきまとった。

飛行機が爆弾を投下するのは地上からおよそ450mの地点だが、投下後、地面に激突しないように急激に機体を引き起こす必要がある。

その際、体重が5~6倍に感じられるほど強力なG(重力)がかかり、搭乗員の脳内をめぐっていた血液が足先へあつまり、必ず“失神”するというのだ。

元航空自衛隊空将で、軍用機の飛行経験を持つ永岩俊道氏に取材した。
元航空自衛隊空将 永岩俊道氏
永岩さん
「5~6Gになると、全身に数百キロのおもりを抱いているような圧力を感じ、徐々に目の前が真っ暗になり、何も見えなくなります。Gがかかるのは急降下の時だけでなく、急激な操縦を行うとかならず生ずるものです。

そうしたときパイロットは呼吸をとめ、思い切りいきんで全身の筋肉をガチガチに固め、脳の血が失われるのを防ごうとします。飛行中は常に全身に力を入れているため、鼓動が高まり、多量の汗をかくんですよ」
「そこまでやったとしても、この急降下爆撃のような状況だと、機体を引き起こす際の圧力には抵抗しきれず、操縦桿を手前に激しく引きながら、パイロットはブラックアウトしたり、G-LOC(Loss Of Consciousness by G-force:高Gによる意識喪失)状態、いわゆる“失神”の状態になることがあります。

それらの状態はGを緩めれば解消しますが、意識喪失中は回避機動等取れないので、最も無防備な状態で敵の格好の餌食になってしまう。

真珠湾でも多くのパイロットが意識喪失中に被弾したり、場合によっては意識喪失から回復せず、墜落してしまった事例もあるのではないかと推察できます」

“魔の時間”を追体験する

私たちは第二次急降下爆撃隊の体験を、“再現”できないかと考えた。

そして1人の搭乗員のエゴドキュメントに行き当たった。

空母・蒼龍の急降下爆撃隊に所属していた小瀬本國雄一飛兵。

岐阜県高山市出身、当時20歳。
第二次攻撃隊 急降下爆撃機パイロット 小瀬本國雄一飛兵(当時20歳)
手記には、真珠湾での体験が詳細に記されている。

小瀬本さんにとって、真珠湾攻撃は初めての実戦だった。

“魔の時間”を経験しながらも生還を果たしたが、軍の記録によると小瀬本機も無傷ではなく被弾していたことが分かっている。

回想では、「よくも突破できた」と自らの生還を感慨をもって記している。

小瀬本さんのエゴドキュメントを、日本における新進気鋭のVR研究者、東京大学の鳴海拓志准教授をはじめとした専門家チームとともに360度VR映像で再現することにした。

鳴海准教授はバーチャルリアリティー(VR)や拡張現実(AR)と認知科学・心理学などの知見を融合し、五感に働きかけることで人間の行動や認知、能力を変化させる研究に取り組んでいる。

国内外で、親から虐待を受ける子供や、人種差別を受ける人の目線を再現したVR、巨大地震の被災者の体験を再現した4D(3D映像に振動、においなどの体感を加えたコンテンツ)など、“追体験”することで行動変容を促したり、課題解決につないだりする試みが進んでいるという。
東京大学 鳴海拓志准教授
鳴海准教授
「パイロットと同じ目線の動きを自分が能動的に行うということが実現できれば、それによって共感は高まります。

(パイロットは)こう考えたかもしれないとか、想像力が働くようになる。そうなると、こういう状況を把握してたんだって伝わるだけで、かなり体験の質が変わるのかなって思います」
小瀬本さんの日記の記述だけでは分からない詳細な飛行ルート、爆撃地点などの推定にあたっては旧陸海軍航空史が専門の防衛研究所・柴田武彦氏に監修をお願いした。

さらに、元航空自衛隊空将の永岩氏には、飛行機の揺れや傾きなどパイロットの体感も監修して頂いた。

映像制作は、4Dコンテンツで数々の実績があるダイナモピクチャーズの協力を得た。

“敵弾がすべて自分に向かってくる”

CG制作風景(ダイナモピクチャーズ)
“九九棺桶”での体験を映像化するプロジェクトが立ち上がって3か月。

実際に、真珠湾攻撃に参加した770人のうちのひとりが存命だという情報が入った。

吉岡政光さん、103歳。

吉岡さんは真珠湾攻撃に第一次攻撃隊の雷撃隊として参加し、九七式艦上攻撃機という機体に乗っていた。

直接お会いして話を伺うと、真珠湾攻撃以外の作戦では急降下爆撃の任務にもついたことがあり、九九式艦上爆撃機に乗った経験を持っていたことが分かった。

小瀬本さんの“あの日”を詳細に再現するため、これ以上ない人物に出会えた瞬間だった。
真珠湾攻撃の搭乗員 吉岡政光さん103歳(当時23歳)
当時の飛行機に乗ったときの体感について、吉岡さんは実に克明に多くの事を記憶していた。

視覚的な情報はもちろん、印象的だったのはコックピットにおける匂いや音についてだった。
吉岡さん
「(敵の高射砲が近くで炸裂すると)匂い、まずこれが入ってくる。(当時の飛行機は)隙間だらけで、すぐに中が煙硝臭くなる。花火を打ち上げたときのあの匂いですよ。(敵の高射砲の弾幕の中を)突っ切っていくんですから、あちこちから入ってきて相当長いあいだ、臭い。それが気持ち悪いんです」
「(敵弾が)向かって来るその光が、自分の顔のところへまっすぐ来るように感じる。全部、自分に当たる!と思ったら、飛行機のそばでパッと分かれて通り過ぎる。気持ち悪い感覚です。初めは怖かった。でも怖くてもどうしようもない。次は撃たれるかな、といつも思っていた」
吉岡さんが最も印象に残っている「音」がある。

飛行機が被弾したときの音だ。
「気持ち悪い」という吉岡さん
当時の飛行機は気密性が低く、常にエンジン音や風を切る音が響いていて、よほど大きな音でなければ聞こえないという。

ただ、飛行機が被弾したときだけは、信じられないほど大きな音がした。
「当たった音だけは特に大きく聞こえました。バンっと。ガーッと響いている飛行機音と全く違った、バンっという大きな音。それだけはすぐわかるんです」

兵士たちの五感にすり込まれた“恐怖”

真珠湾攻撃に参加した他の搭乗員たちのエゴドキュメントにも“五感”にすり込まれた記憶が数多く登場する。

今回、奇襲を受けたアメリカ兵のエゴドキュメントも取材したが、彼らもまた、痛みなど身体的な記述だけでなく匂いや音なども書き記していた。

最前線で、自らの肉体を晒す兵士たちだからこそ、五感の記憶は生々しい。

そして勝敗に関わらず人間の命を奪っていく戦場のリアリティーがそこにあった。

真珠湾攻撃でアメリカ側の死者は2402人、日本軍の搭乗員の死者は55人に上った。

生き延びた搭乗員も終戦までに567人が戦死。

太平洋戦争末期には20人以上が特攻に飛び立った。

今回、真珠湾での体験をVR映像化した小瀬本さんもその1人。

1945年8月15日、特攻に飛び立ったが、偶然機体トラブルに見舞われ引き返した。すんでのところで終戦を迎え、生き延びた。

取材後記

日本人だけで310万人という甚大な被害を生んだ日本の戦争。

NHKスペシャルのシリーズは2025年の終戦80年まで展開していく予定だ。

その一方で、戦争を体験し、心身に傷を負った人たちは、ひとりまたひとりとこの世を去って行く現実がある。

360度VR映像や4Dといった“体感型”のテクノロジーが急速に進歩する中で、真珠湾のパイロットたちだけでなく、ジャングルを這いずり回った兵士たちの経験、空襲や砲弾の下を逃げ回った市民たちの経験などを、より深く伝えていくための手段は増えている。

ただ、過酷な体験を“追体験”することには、心理面・倫理面などで注意すべき部分がある。

どのような形が最善か専門家と協力しながら、新たな戦争の伝え方を模索していきたい。
NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」ディレクター
秋山遼
NHKスペシャル「激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官」ほか、歴史・文化系の特集番組を制作

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