カキの養殖できなくなる?~忍び寄る“海の酸性化”~

カキの養殖できなくなる?~忍び寄る“海の酸性化”~
冬を代表する味覚“カキ”

世界三大漁場の1つとも言われる三陸沿岸はカキの養殖が盛んで、宮城県は全国2位の生産量を誇ります。しかし、取材で聞いたある研究者のひと言が気になりました。

「このままの状態が続けば、カキの養殖ができなくなる」
「それは50年後、いや10年後かもしれない…」

豊かな三陸の海で何が起きているのでしょうか?
(仙台拠点放送局記者 北見晃太郎)

『海が炭酸飲料みたいに…』

先月まで、イギリスのグラスゴーで開催された国連の会議「COP26」。

入局3年目、日本有数の港町、宮城県の気仙沼支局で記者をしていた私は、深刻化する地球温暖化対策について世界レベルで話し合うビッグイベントを前に、温室効果ガスが及ぼす水産業への影響を取材していました。

港で話を聞いてみると…

「サンマやサケがほとんど捕れなくなった」
「伊勢エビやタチウオが捕れるなど、最近は見たことのない魚が増えている」

温暖化による海水温の上昇に伴って海の生態系の異変が起きているとは聞いていましたが、三陸の漁業者もその影響を実感しているようです。

その中でも特に強く印象に残ったのが地元・三陸の海の研究者のひと言でした。

「海が炭酸飲料みたいなイメージでどんどん酸性に傾いているので、将来的にはカキの養殖が難しくなるかもしれない…」

海の酸性化?
将来、カキの養殖ができなくなる?

初めて聞いた内容でしたが「日本の水産業の未来を大きく左右する問題だ」と指摘する研究者に背中を押され、本格的に調べてみることにしました。

“海の酸性化”って何?

“海の酸性化”とは、いったいどんな現象なのでしょうか。
海水は本来「弱アルカリ性」。このため、大気中に排出された二酸化炭素と海面で反応し、吸収する性質があります。

その量は二酸化炭素の排出量全体のおよそ30%。森林と肩を並べるほど吸収し、地球温暖化の進行を抑える役割を担ってきました。
しかし、人間の経済活動の活発化や森林伐採などで大気中の二酸化炭素濃度は上昇傾向に。その分、海の吸収量も年々増えていきます。
吸収する二酸化炭素の量が多くなるほど、海はアルカリ性から酸性に近づきます。

これが“海の酸性化”と呼ばれる現象です。
値が低くなるほど酸性化が進んでいることを示す「pH」。例えば、私たちがふだん飲んでいる水はpH7で中性、レモン水はpH2.5で酸性です。逆にせっけん水や洗剤などはアルカリ性です。

気象庁によると、日本近海のpHは平均で8.1。

酸性化が進むと、これがpH7=中性に近づいていきますが、数値だけ見るとまだアルカリ性で、余裕があるように見えます。

ただ、この“海の酸性化”が地球全体で急速に進んでいるというのです。
気象庁が日本近海で観測された海面のデータを詳しく解析した結果、「pH」は1998年から2020年にかけて10年当たりおよそ0.02の速度で低下。

これは産業革命以降250年間の10年当たりの平均値に比べると4.5倍のペースで進行しているといいます。

酸性化でカキが死ぬ?

では、海の酸性化が進むと、どんな影響があるのでしょうか?気象庁などによると、酸性化が進むとサンゴの発達が阻害され、海の生態系に大きな影響を及ぼす可能性があります。

またプランクトン、貝類、甲殻類などの生物は、殻や骨格の成分である炭酸カルシウムが溶け出して成長が妨げられるとみられています。
特に貝類の子どもは環境の変化に弱く、海がわずかでも酸性寄りになると死んでしまうというのです。

世界有数の漁業国で、魚介類の消費量が極めて多い日本。

宮城県南三陸町を拠点に海洋調査を進めている研究者は、三陸沿岸の地域にとって「死活問題になる」と指摘します。
南三陸町「サスティナビリティセンター」太齋彰浩 代表
「今すぐ起こるという訳ではありませんが、これからどんどん酸性化が進むと、石灰質の殻を持つ生き物が生きられなくなってしまいます。例えばカキとかウニ、ホタテなんかが体を作れなくなってしまうので、その時にはわれわれの食卓に影響が出る」

「このままの状態で二酸化炭素が増え続ければ、2100年までの間のどこかでカキの養殖ができなくなると言われています。それは例えば50年後、いや10年後かもしれないのです。地域にとってはまさに死活問題になってくると思います」

見えない危機 漁業者の不安

宮城県南三陸町の漁業者、後藤新太郎さん(35)。父親の代からおよそ40年、地元の海でカキの養殖を行っています。

この数年、温室効果ガスの増加による海水温の上昇で「カキの水揚げ時期が少し遅くなった」と感じていたという後藤さん。

ただ“海の酸性化”のことは、1年前に開かれた地元の漁業者対象の勉強会で取り上げられるまで知らなかったといいます。
「酸性化の影響をもっと知りたい」と思い、インターネットや本などで情報を調べていますが、“海の酸性化”の研究はまだ始まったばかりで十分なデータがそろっていないといいます。

後藤さんは、見えないまま進んでいく海の酸性化に不安を感じています。
漁業者 後藤新太郎さん
「最初よくわからなかったんですけど、カキが稚貝のうちに死んでしまったり、育たなくなったりということも出てきちゃうみたいなので、これはまずいと思いました。環境問題とかニュースでよく聞くので、海のダメージというか、これから状況が悪くなっていくんだろうなという不安はすごく持っていますし、カキにもどんどん影響が出てくると思います。カキの養殖業を子どもに継いでもらいたい気持ちはありますが、今の状況でなんとも言えません」

三陸の実態調査始まる

海の酸性化はどこまで進んでいるのか?宮城県南三陸町の沿岸では、去年から太齋さんなど専門家による詳しい調査が始まりました。

11月上旬、宮城県の志津川湾で行われている調査に同行しました。
調査は月1回。カキの養殖場など、湾内の5か所で海水を採取し、専用の装置で海の酸素濃度などをみることで酸性化の進行を調べます。

採取した海水のサンプルや機械で観測したデータは研究室に持ち帰り、さらに詳しく分析します。
これまでの調査では、南三陸町の沿岸の海水は平均で「pH8前後」。これは日本近海のほぼ平均値ですが、去年秋には、酸性化が進んでいることを示すpH7台の数値が出た時もあったといいます。

この数値、どの程度の影響を及ぼすのでしょうか?海洋環境学に詳しい専門家に聞きました。
北海道大学 藤井賢彦 准教授
「カキなどに影響が出るのはpH7.7より酸性寄りになった場合で、現時点では南三陸町の水産業にただちに影響が出る水準ではないとみられます。ただ、アメリカの西海岸では二酸化炭素濃度の高い海底の水が湧き上がったことで海が酸性化し、カキが大量に死滅したケースもあります」

三陸の宝をどう守るか

南三陸町沿岸での調査はまだ始まったばかりで、詳しい調査結果はおよそ1年後に公表される予定です。

太齋さんは調査を継続することの重要性を訴えています。
サスティナビリティセンター 太齋彰浩代表
「まずはやはり酸性化の現象をしっかり把握するということ。カキの養殖が盛んな漁場の近くで何が起きているのか、今まで捉えられてなかったので、現状を把握して今後どんなことが起こるのかを予測し、産地としてどんな手を打っていけばいいのかという対応を考えていく必要があると思います」
そして私たち消費者に対しては…
「温暖化も酸性化も原因は人間が出す二酸化炭素ということは明確ですから、自分たちに影響が出ることをちゃんと理解し、今後どんな手を打っていけばいいのかということを考えなければいけない。自分事として考えないかぎり人間の行動は変わらないと思うんですよね。“明日、カキが食べられなくなる”みたいな世界が想像できるかどうかだと思っています」
三陸の豊かな海の幸を次の世代に引き継ぐため、私たちは今、何をすべきなのか。

残された時間は限られています。
仙台拠点放送局
北見晃太郎
平成31年入局
気仙沼支局では震災や水産業を取材
現在は警察取材を担当