極秘文書から見えた 新しい“山本五十六”

極秘文書から見えた 新しい“山本五十六”
NHKが年末に放送する特集ドラマ「倫敦ノ山本五十六」(ロンドンのやまもと いそろく)。
主演の香取慎吾さんが演じるのは、旧日本海軍の軍人・山本五十六です。
ベースとなったのは、80年あまり封印されていた海軍の最高機密文書でした。(「倫敦ノ山本五十六」取材制作班)

“山本五十六”を知っていますか?

「山本五十六を知っていますか?」

この質問に「はい」と答えられる人がどれだけいるでしょうか?
職場で周りの人に聞いても、「海軍の軍人」とか「真珠湾攻撃を実行した人」ということ以上に知っている人はあまりいませんでした。

ちょうど80年前の12月8日、太平洋戦争が始まるきっかけとなった真珠湾攻撃を考えだしたのが、当時海軍大将だった山本五十六(いそろく)です。

真珠湾攻撃は日本側が勝利したため、国内で「英雄」ともてはやされた山本。

一方で、戦前にアメリカに滞在し、見聞を広めた経験から、「アメリカとは戦争すべきではない」と最後まで反対した人物でもありました。

開戦の中心にいた人物が、80年経って忘れられようとしているのではないか…。

なぜ、日本は戦争を始めてしまったのか。

そこに海軍はどのように関わったのか。

そして、山本五十六とは何者だったのか。

私たちは山本五十六について、取材を始めました。

80年の眠りから覚めた、海軍の極秘文書

とっかかりとなったのは、今回新たに明らかになった海軍の最高機密文書でした。

海軍内のごく限られた人間だけが閲覧を許される「極秘」の印が押された文書の数々。

赤い装丁が施された資料の分量は57冊分、なんと1万ページ以上になります。
80年余りに渡り、その存在すら公にされることなく眠っていました。

発掘したのは、これまで何度も番組でお世話になってきた近現代軍事史の権威、田中宏巳さん(防衛大学校名誉教授)です。

ある海軍幹部の遺族の元で保管されていたのを譲り受けたといいます。

長年、日本軍の資料の調査・研究をしてきた田中さんにとっても例を見ない大発見。

その呼びかけで、私たちは共同で調査を行うことになったのです。
防衛大学校名誉教授 田中宏巳さん
「戦争からもう何十年も経っているわけですけれど、まだこんなすごいものが残っていたのかという、それが一番の驚きですね」

極秘文書が物語る「戦争への分岐点」

膨大な資料と格闘する日々が始まりました。

幸い、取材班には学生時代「昭和初期のくずし字を読む」という特殊な訓練を受けたディレクターがおり、時間はかかりましたが全貌を把握することができました。

さらに、田中さんを中心に、海軍などの複数の専門家の協力も得ながら、何が新しい事実なのか、一つずつ検証を進めました。
その結果明らかになったのは、太平洋戦争が始まる7年前に、山本五十六が携わったある外交交渉の舞台裏でした。

当時、世界では第一次世界大戦の反省から、各国が保有する軍艦の数を制限する条約を締結。

ところが日本は、アメリカやイギリスより持てる軍艦の数が少なかったために、「国家の威信に関わる」として、「条約破棄も辞さない」強気の姿勢を示していました。
そうしたなかで、1934(昭和9)年、ロンドンで行われたのが軍縮会議の予備交渉。

その海軍代表を命じられたのが、世界に名前が知られる前の山本五十六だったのです。

今回見つかった資料には、山本五十六がどんな言葉で交渉を進めたのか、つぶさに記されていました。
一言一句が明らかになるのは初めてのことです。

意外なことに、山本がアメリカやイギリスに対して、あわよくば妥協案を出して歩み寄ろうとしていたことがわかってきました。
山本は日本海軍の代表でありながら、いったいなぜ、その方針とは異なる行動をとろうとしていたのでしょうか。

遺族の元に残されていた、山本五十六の手書きメモ

生前、自らの思いをほとんど明らかにしなかったとされる山本。どんな思いで交渉に臨んでいたのでしょうか。

公文書だけでは明らかにならないその事実を知るため、私たちは、山本五十六の遺族や関係者への取材を重ねました。

その結果、私たちは、その一端をうかがい知る、貴重な資料にたどり着くことができました。所有していたのは、山本五十六の孫にあたる源太郎さんです。

これまで、テレビメディアの取材には応じたことはなく、私たちが最初にお会いできたのも、「山本五十六の取材を始めるにあたって、ご挨拶だけでもさせてほしい」という願いを聞き入れてくださったからでした。

そして、その後もたびたび連絡を取らせていただくうち、「何かの役に立てば」と自宅に眠る山本五十六の遺品を探し出してくれたのです。
源太郎さんが見せてくれたのは、10ページほどの手書きのメモでした。
表紙には「備忘録」と書かれています。
山本五十六の孫 源太郎さん
「この備忘録はおそらくロンドンからの行き帰りに記したものです。祖父(五十六)の直筆で胸の内が書かれていて、交渉ではかなり苦悩したのだと感じ取ることができます」
「備忘録」には、数字がびっしり書き殴られていました。

アメリカやイギリスと交渉するにあたって、どこまでなら妥協できるのか、各国が持つ軍艦の数などを計算したものだと思われました。

軍人といえば豪放磊落(ごうほうらいらく)なイメージもありますが、山本五十六は、緻密に計算式を操り、合理的に交渉していくという面も持ち合わせていたのです。
「備忘録」のなかで私たちが最も注目したのは、“心構”と題されたメモ書き。
山本五十六が軍縮交渉に臨むにあたって、心に決めた7つのことが列挙されていました。
「日本の根本主張は曲げない」というあくまで日本の主張を重視する姿勢。
と、同時に「できる限り協調する」として、英米と協調することの大切さも記していました。

そして、“心構”の最後に書かれていたのは「自分の責任感」という言葉でした。
国家の命運、そして国民の命を背負う責任感。

交渉の進め方次第では、日本という国の運命が、大きく変わってしまうと考えていたのではないかと感じさせる言葉でした。

組織の一員としての任務を背負いながら、心に抱える自分自身の信念を密かに記した“心構”。

遺族はそこに伝わる思いを感じ取り、丁寧に装丁し、長年手元に置き続けてきたといいます。

研究者たちもはじめて触れる、山本五十六の等身大の心情でした。
防衛大学校名誉教授 田中宏巳さん
「日本の国際的な立場を少しでも良くするところまで、考えたうえでの行動を取っていることが見てとれる第一級史料。これまでの見方を変えなければならないかと思う」
しかし、山本五十六の思いとは裏腹に、軍縮交渉は、最後まで日本と英米の溝が埋まることはなく決裂。

日本は2年後、正式に軍縮体制から脱退し、国際的孤立をさらに深めていくことになります。

心中はいかに…山本五十六が“英雄”となった瞬間

ロンドンから帰った山本五十六は、その後どうなったのでしょうか。
手がかりとなる映像が、山本五十六の故郷に残されていました。

東京から上越新幹線で1時間45分。私たちが降り立ったのは、新潟県長岡市。
駅からほど近くにあるのが山本五十六記念館です。

記念館で企画展示委員を務める星貴さん。地元では知らぬ人もいないほど山本五十六に詳しい方です。
その手元にあったのが80年以上前に撮られた山本五十六の映像でした。

当時のニュース映画とみられる映像。
映っていたのは、イギリスから帰国した直後の山本五十六でした。

私たちは今回、NHKのアーカイブス資料をはじめ、各地を探して回りましたが、星さんの手元以外には存在しないであろう映像であることが判明しました。
映像は全部でわずかに数分。

最初に列車内で物憂げな表情を浮かべる山本五十六が映ったあと、画面が切り替わると、東京駅と見られる場所。
そこに到着した山本五十六の姿が映し出されました。
万歳三唱で称える群衆。

それを前に敬礼をしながらゆっくりと歩む山本の姿がありました。

山本五十六が、「英米に堂々と立ち向かった英雄」となった瞬間でした。

真珠湾攻撃へ

「アメリカとの戦争は回避すべき」と考え、国際協調を望みながらその思いを果たせなかった山本。
その目には「英米と決裂したことで国家の威信が守られた」と喜ぶ人々の姿はどう映っていたのでしょうか。

国家の威信や誇りと、国際協調によって守られる国民の命は、いったいどちらが大切なのか。

今回発見された“心構”の最後に記された「責任感」の一言が迫ってきます。

山本五十六は軍縮会議のあとは出世街道を進み、海軍次官として日独伊三国同盟に最後まで反対したとされています。

しかし「英米にくし」の世論に後押しされ、1940年に三国同盟は締結。日本は英米と完全に袂を分かってしまいます。
そして1941年、日米開戦。

真珠湾攻撃作戦を指揮したことで、山本五十六はアメリカから「ヒットラーに匹敵する悪魔」とまで呼ばれます。

乗っていた飛行機ごと米軍に撃墜されたのは開戦の1年4か月後のことでした。

ロンドンでの軍縮交渉を分岐点として、山本五十六の人生、そして日本の行く末は暗転していったのです。

日本人だけで310万人といわれる命を奪った太平洋戦争。

二度と繰り返さないために何ができるのか、私たち自身が考えるきっかけになればと思います。

新しい“山本五十六像”を

アメリカやイギリスとの軍縮交渉はなぜ決裂し、そのなかで山本五十六はどう振る舞い、どんな苦悩を抱えたのか…。

今回、海軍の最高機密文書から明らかになった軍縮交渉の全貌。
その取材を元にした特集ドラマは年末に放送されます。

主演は、大河ドラマ「新選組!」以来、17年ぶりのNHKドラマ出演となる香取慎吾さん。

頭を丸刈りにするなど徹底した役作りに挑み、これまでのコメディーやバラエティーでは見られなかった重厚なお芝居で、海軍という組織のなかでもがき続けた、新しい“山本五十六像”を演じ切ってくださいました。

日本はなぜ戦争に向かったのか。

80年あまり封印されてきた実話に基づく、開戦秘話にご期待ください。
政経国際番組部エグゼクティブディレクター
右田 千代
1988年入局
長年、戦争や軍部について取材
NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」や
「全貌 二・二六事件」など
首都圏局ディレクター
大森健生
2016年入局
札幌局、首都圏局で戦争や文学など取材
NHKスペシャル「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」
「三島由紀夫 50年目の“青年論”」など
首都圏局ディレクター
梅本 肇
2016年入局
大学で近現代史を専攻
大阪局、首都圏局と戦争をテーマに取材を続ける。
NHKスペシャル「戦慄の記録インパール」など