スケボーが習い事の定番に “聖地”で見えたその魅力

スケボーが習い事の定番に “聖地”で見えたその魅力
東京オリンピックで、日本選手のメダルラッシュが注目されたスケートボード。高難度の技だけではなく、選手が互いのパフォーマンスを笑顔でたたえ合う姿が、多くの人の印象に残りました。
その“聖地”とされるアメリカのロサンゼルスで見えたのは「失敗から学ぶスポーツ」として、子どもの習い事の定番にまでなるほど社会に浸透しているスケートボードの魅力でした。
(ロサンゼルス支局長 及川順)

習い事の定番

アメリカ・ロサンゼルス、平日の夕方、各地域にあるスケートボードを楽しむ施設「スケートパーク」は、いつも地元の子どもたちであふれています。

大人のスケーターが教えるスケートボード教室です。小学校の校庭で開かれることも多く、放課後のサッカー教室などと同じように人気です。

ロサンゼルスには、こうしたスケートボードの教室がいくつもあり、習い事の定番になっているのです。
なぜ、習い事にスケートボードを選んだのでしょうか?
ロサンゼルス郊外で行われた小学生などが出場する大会の会場で、ある親子に話を聞きました。
ワイアット・ハモンド君(7)と、母親のジェニー・ハモンドさんです。こんな答えが返ってきました。
ワイアット・ハモンド君
「スケートボードを始めて2年半です。より多くの技ができるようになるのが楽しいです」
母親 ジェニー・ハモンドさん
「スケートボードは、ほかのスポーツよりも失敗が多いので、息子は失敗にどう対応するか、一方で成功した場合でもどうすべきか、どう謙虚であるべきかを学んでいます。試合では競争相手のはずなのに、友情を感じ、お互いをたたえあう点がスケートボードはユニークです。親としては、そうした過程を通じて、息子が人間的に成長することを願っています」

“聖地” ロサンゼルス

ロサンゼルスは、いまにつながるスケートボードのスタイルがうまれた場所として愛好家から“聖地”として知られています。

そのロサンゼルスのなかでも、太平洋に面した「ベニスビーチ」と呼ばれる海岸を中心とした地域には有名なスケートパークがあり、スケートボードの店が建ち並びます。
海外からも一目見ようと訪れる人もいるほどです。
大通りに面した店舗の外壁には、有名なスケーターの華麗な滑りから、子どもが楽しむ様子までさまざまな壁画も描かれ、地元の人たちのスケートボードへの愛着が感じられます。
スケートボードの店の1つを訪ねてみました。
店内の壁には、ナチュラルな木目が美しいものや、細密画のようなデザインが施されたものなど、見た目の美しいスケートボードが飾られ、多くの客でにぎわっていました。
店長 ダコタ・フランクリンさん
「私たちは10代の若者ではなく、40代半ばまでの大人をターゲットにしています。この世代は、10代か20代前半まで滑っていて、しばらく遠ざかっていたけれども、子どもができて、若い頃を思い出して、今度は家族と一緒にやっているのです」

“レジェンド”の思い

ロサンゼルスが“聖地”として知られるようになったのは、ここを拠点に活動するスケートボード界の“レジェンド”の存在抜きには語れません。

今もスケートボードを作り続けるアジア系アメリカ人のジェフ・ホーさん(73)です。
今回、ホーさんに直接会って話を聞くことができました。ホーさんが“レジェンド”と目されるわけは、1970年代に今のスケートボードのスタイルの土台を築いたとされる競技チーム「Z-boys」を結成した生みの親だからです。
しかし、スケートボードを見る目はいまとはちがったといいます。

ホーさんがスケートボードに乗り始めたのは、移動手段として便利で、滑ること自体が楽しかったからですが、スケートボードは高価なサーフボードに手が届かない人が乗るものというイメージで見られていたということなんです。
ジェフ・ホーさん
「スケートボードは、貧しい若者がサーフィンの代わりにやるものだと気がついたんです。確かに当時、サーフボードはとても高くて買うのが大変なものでした」

“ドッグタウン”から巻き起こした新風

いまでは、週末になると大勢の人たちでにぎわうロサンゼルスの“聖地”も、ホーさんが立ち上げた「Z-boys」が活動を始めたころは、人通りも少なく、治安がよい場所ではなかったそうです。
つけられた呼び名は「ドッグタウン(=犬がうろつく街)」。

チームのメンバーは、ホーさんが経営するサーフボードとスケートボードの店に出入りしていた若者たち。ホーさんは、彼らが収入を得て独り立ちできるようにするためには世間が彼らの才能に注目する仕掛けが必要だと考え、「Z-boys」を結成しました。

チームは、当時は新しかった路面への密着度が高いウレタン製の車輪を取り入れ、波がトンネル状になった中を進むようなサーフィンの動きを取り入れました。そうすることで、多様な技を可能にしたのです。

そして、そのスタイルを各地の大会で披露し、それまで単調な技が多かったスケートボード界に新風を吹き込みました。
ジェフ・ホーさん
「私のチームのメンバーが、テニスシューズ、ジーンズ、チームのロゴ入りのシャツといった格好で、スケートボードをサーフィンのように滑ると、けっこうな騒ぎになりました」

“人種や言葉の壁を乗り越える”

およそ半世紀にわたってスケートボードに関わり続けるホーさん。
改めてその魅力を聞きました。
ジェフ・ホーさん
「スケートボードは、誰でも楽しむことができます。年齢やアイデンティティーは関係ありません。スケートボードに乗り、そこに立ち、前に滑り出せば、スケートボードを楽しむことができるのです」
この言葉に込められているのは、みずからもアジア系として、有形無形の人種差別を感じてきたというホーさんの多様性を尊重する気持ちです。

ホーさんが立ち上げたチーム「Z-boys」も、メンバーにはヒスパニックや日系人など人種的マイノリティーが多くいました。ホーさんは、スケートボードは人種の壁や言葉の壁を容易に乗り越えると熱く語ります。
ジェフ・ホーさん
「スケートボードができれば、その人たちの間には兄弟愛、絆が生まれます。このスケートボードの文化を次の世代に伝えたいと思っています」
東京オリンピックで私たちが見た選手たちの立ち振る舞いは、スケートボードに息づくこうした精神を体現したものだと今回の取材を通じて感じました。

ホーさんの思いは、当時の若者たちと1970年代に新風を巻き起こしてから半世紀がたった今、確実に次世代に継承されています。

スケートボードが技の難易度を競うだけのものだったら、若者の楽しみの域を出ず、子どもたちの習い事として定着することもなかったでしょう。

それが、私がスケートボードの“聖地”を訪ねて到達した結論です。
ロサンゼルス支局長
及川 順

1994年入局 政治部、アメリカ総局、大阪局(選挙デスク)などを経て2019年から現職