WEB特集

バナナを食べただけなのに

ある日、若者たちがSNSに投稿した「バナナを食べる動画」。ありふれた1シーンにしか見えませんが、この投稿をきっかけに、若者は国を追われる瀬戸際に。

でも、なぜ?

背景には、一皮むくだけでは分からない事情がありました。

(イスタンブール支局長 佐野圭崇)

勃発、バナナ論争

トルコのネットテレビ局が行った街頭インタビュー
発端となったのは2021年10月、トルコのネットテレビ局が行った街頭インタビュー。マイクを持つリポーターが尋ねたのはトルコの大統領選挙についてでした。

そのとき、あるトルコ人の女性が、別の人のインタビューに割って入り、トルコで暮らす難民について持論を展開。シリア人もアフガニスタン人も母国に帰るべきだ、全員をトルコに受け入れる余裕はない、と訴えたのです。

この発言に、となりにいた男性も同調します。

「シリア人は俺たちより楽に暮らしている。俺はバナナも食えない。お前たちはキロ単位でバナナを買っているじゃないか」

その場に居合わせたシリア人の女性が反論します。

「私たちは自分たちのお金を払っている。タダでもらっているわけではない」

興奮した女性はマスクをあごの下にずらし、なおもまくしたてます。

「違う。あんたたちには難民支援のためのモノが買えるカードがあるじゃないか」

バナナを食べるという抗議

このときの激しい言い争いはSNSの世界へと飛び火します。動画共有アプリにはシリア人がバナナを食べる動画が続々と投稿されました。

「バナナも食えない」とまくしたてるトルコ人の男性の音声を使っている点は共通していますが、女性が街を歩きながらカメラ目線でバナナをほおばるバージョン、理髪店で従業員も客もバナナを食べているバージョンなどさまざまな動画がSNS上に投稿されていきました。
ビシュル・ジャマーリーさんが投稿した動画より
投稿した1人、ビシュル・ジャマーリーさん(25)。5年前にシリア第二の都市アレッポから逃れてきた難民です。

ジャマーリーさんは「皮肉を込めてビデオを作りました。私たちが怠惰に生きているかのような言いぐさは完全に間違えている」と話し、“バナナ動画”を投稿した思いを語りました。

ジャマーリーさんは公的支援に一切頼らず、服飾の仕事に就いてなんとか生計を立てているといいます。ジャマーリーさんは冒頭のシリア難民に対する発言に抗議の意思を示し、シリアの同胞を励まそうとしたというのです。

バナナを食べただけなのに

ところが、こうした動画がトルコ社会に波紋を広げました。

「シリア人は私たちの国を侮辱している」とか「シリア人を送り返すべきだ」などとネット上で怒りの声があがりました。

ほどなくしてトルコの入国管理当局は、「挑発的なバナナを食べるアクションを含む動画が流布されている」という声明を発表し、11月12日時点で、投稿に関係した45人に対して国外追放する手続きをとっているとしています。
ビシュル・ジャマーリーさん(25)
ジャマーリーさんも、友人たちが同様の処罰を恐れたことから、動画をSNS上から削除しました。

しかし胸中は複雑です。

「ここではたしかにシリアよりは自由に意見を言えます。でも今、こうして私たちの意見表明の機会は失われてしまった」と釈然としない思いを吐露しました。

世界最大の難民受け入れ国の苦悩

内戦で破壊されたシリアのアレッポ
10年に及ぶ内戦で国民の2人に1人が家を追われたシリア。隣国トルコは世界各国の中で最も多い370万人の難民を受け入れてきました。

しかし、難民の生活を支えるために経済的な負担感が増し、より安い労働力となったシリア人に仕事を奪われるようになったとしてトルコ人の反感は日に日に高まっていきました。

この10年、トルコは通貨リラが下降の一途をたどり、気付けば対ドルでその価値はおよそ6分の1に。一方、物価は上がり続け、10年前に比べて食料品の価格がおよそ3倍になったという分析もあり、市民生活は年々苦しくなっています。

バナナ論争は、行き詰まる経済へのトルコ国民の不満が噴き出したように見えます。

トルコ政府は、動画に関係したシリア人を念頭に「強制送還の手続きをとる」としながらも実際に送還までは行っていません。「母国で拷問や処刑のおそれがある人物を強制送還してはならない」という法律があるからです。

ただ野党の中にはシリア難民を送り返すべきだと公言する党もあり、難民問題は政権への格好の攻撃材料になっています。

そうした中で“国外追放”の方針を発表したのは、野党や国民の不満をやわらげ、政府に批判の矛先が向かないようにしたという見方もできます。

シリア難民めぐり暴動も

放火された車(アンカラ)
難民排斥の機運は急に高まったわけではありません。

トルコ人とシリア難民のあいだではたびたび衝突が起きていました。

2021年8月、シリア人の男がトルコ人青年を口論の末、殺害する事件が発生すると、現場となったアンカラの住宅街では一部のトルコ人住民が暴徒化し、シリア人の住宅や商店を襲撃しました。

「シリアにいる時より怖かった」

サーリム・ハッジャールさんと長男アリくん
襲撃を受けたサーリム・ハッジャールさん(33)、シリア北部アレッポに住んでいるときに空爆で足を失ったといいます。

車いすで暮らすハッジャールさんは地域に溶け込んで暮らしてきましたが、あの夜は近所の様子は全く違ったといいます。暴徒が通りにあふれ、自宅の窓が投石で割られました。

「あの日は家族と廊下で息を潜めて隠れました。シリアにいる時よりも怖かった」

取材した日に笑顔で出迎えてくれたハッジャールさんの長男アリくん。しかしあいさつをしても、年齢を聞いても、笑顔を振りまくものの返事はありません。

ハッジャールさんによりますと、これまでは活発な性格だったものの、暴動のショックできつ音に悩まされるようになったといい、めっきり口かずが減ってしまったといいます。
投石で割れたハッジャールさんの自宅の窓 修理する経済的な余裕はない

「戻れば殺人、とどまれば差別」

さらに地域のシリア難民を悩ませているのは違法建築の解体問題。

建築基準を満たさない古い建物を当局が次々と解体しています。

シリア人の住民たちは赤いバツ印が建て壊しの警告の合図だとみて、自宅の外壁をおそるおそるチェックする日々を送っています。

安い家賃で住めると、こうした古い建物に引っ越してきたシリア人も退去を迫られていますが、転居先が簡単に見つかるとは限らず、高い家賃を払える余裕もありません。

ムハンマド・ハムウィさん(35)もその1人。直ちに退去しなければ難民認定の手続きを止めると当局に警告されたといいます。
住居からの退去を迫られているムハンマド・ハムウィさん
難民の立場を失ったら強制送還されてしまうのではないかと眠れぬ日々を送っているハムウィさん。

「戻れば飢餓と砲撃と殺人、とどまれば差別にさらされる」として、行き場のない境遇にため息をつきました。

「帰省できるのなら戻ってくるな!」

一方で、トルコ政府はこれまでに難民46万人以上がシリア側に自発的に帰国したとしています。それでも大多数はトルコにとどまっているのが現実です。

治安の心配はあるものの、どうしても故郷の様子を見たいという人たちが選択するのが「帰省」です。文字どおり、トルコにいる難民たちがシリアの反政府勢力が支配する地域にトルコ当局の許可を得て一時帰国します。

イスラム教の犠牲祭などの休暇をふるさとで過ごそうと、この時期になるとトルコ・シリア国境にスーツケースを抱えたシリア難民が集まる様子がトルコで報道されます。

そうしたニュースが出るたびに、トルコのSNSでは「帰省できるのなら、そのまま戻ってくるな!」などと辛辣(しんらつ)なことばが飛び交います。
シリア国境に程近い街で6人の子どもを育てるこちらの女性もそのひとり。2021年7月下旬の犠牲祭をシリア北部テルアビヤドで過ごしました。

トルコ政府は、2019年10月、国内のテロ組織とつながる勢力をシリア国境から排除するとして、シリア北部に侵攻し、国境沿いに「安全地帯」を作り、難民の一部を帰還させることを計画しました。その「安全地帯」となったのが女性の故郷シリア北部テルアビヤドです。

待ち望んだ7年ぶりの帰郷、そして家族との再会。しかしその「安全地帯」で見たのは電気も水も学校もない暮らしだったといいます。

取材中にテルアビヤドの今の様子を聞こうと女性に現地の友人たちに電話をかけてもらいました。しかし全員電波がなく、誰とも連絡がつかず、「故郷には何もない、これが現実です」と言葉少なに話しました。

バナナが問いかけた“共存と融和”

トルコではこの10年間で370万人のシリア難民のコミュニティーができました。

トルコのシリア難民に詳しいトルコ・ドイツ大学のムラット・エルドアン教授はトルコ国民の多くは当初、シリア難民はそのうち帰国すると考えていたものの、長引く内戦で難民に対する反感が高まっていったと指摘します。

エルドアン教授は、この10年間でシリア国籍の子どもおよそ70万人がトルコで生まれたという推計を示しました。そして、トルコ語で教育を受けて、祖国との接点がなくなった子どもたちは、内戦の状況にかかわらず、シリアに戻ることは難しくなっていくだろうと指摘し、懸念を示しています。
トルコ・ドイツ大学 ムラット・エルドアン教授
トルコ・ドイツ大学 エルドアン教授
「トルコはこの10年間、多くの難民を受け入れてきたことから分かるように、社会の受容度は高い。しかしトルコにいるシリア人の若者たちは同胞どうしの絆が強く、彼らの間で独自のナショナリズムが生まれている。差別や直接的な衝突が起きている中で、より大きな問題に発展するおそれもある」
シリアの混乱と内戦が始まってから10年。

難民のうち17万人にはトルコ国籍が与えられるなど、難民たちは移民としての側面も備えつつあります。

それでもバナナ1つで争いは起き、トルコ社会を揺さぶる事態となりました。

共存とは、融和とは、それが何かバナナが問いかけたのです。
イスタンブール支局長
佐野 圭崇
2013年入局
山口局・国際部を経て
2021年から現職

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