#なくそう自転車事故

#なくそう自転車事故
15歳の命が突然奪われた。

鹿児島で事件や事故を取材している私は、ある高校生の死にこだわり続けている。

毎日、多くのニュースが消費されていく中でも、ひとつひとつの事故を終わらせてはいけない。

その思いで取材を続けた先に、事故を悼み、変わろうとする人たちと出会った。
(鹿児島放送局記者 庭本小季)

被害者は15歳

「常磐トンネル近くで路線バスと男子高校生の事故」

4月24日、土曜日の朝。

私は取材先からのショートメッセージで目を覚ました。

急いで鹿児島市内の現場へ向かう。

デスクから警察の発表文がメールで送られてきた。

「交通死亡事故」と書かれた紙。

被害者の名前の横に「15歳」と書かれている。

高校1年生だ。
なぜ路線バスに?
どこへ向かっていたのだろうか?
土曜日だが授業はあったのだろうか?

警察への取材で分かったのは、自転車で走行中に歩道から車道へ転倒し、後ろから来た路線バスにはねられ死亡したという状況だった。

バスの運転手は「ブレーキが間に合わなかった」と話しているという。

見せつけられた事故の残酷さ

現場の近くには高校があり、通学路にもなっている。
ここで同世代の人に話を聞けば、被害者のことや事故について何か分かるかもしれない。

片っ端から声をかけ続けた。

その中に、サッカーのユニフォームを着た男子高校生のグループがいた。

自転車の前かごにスパイクを乗せた彼らは、部活動から帰宅するところだという。

話を聞くと、何人かが朝、部活動へ向かう途中に救急車を見ていたことが分かった。

「どんな事故でしたか?」「何を目撃したのですか?」

メモを取りながら矢継ぎ早に質問をぶつけた。

死亡した高校生についても聞いた。

名前を伝えると、彼らは一瞬、言葉を失った。

死亡した高校生は地元では有名なサッカー少年で、彼らは中学生のころからのサッカー仲間だったのだ。

ポジションはゴールキーパーだったこと。

通っていた中学は違ったが、サッカーでつながって友達になったこと。

一緒に映画を見に行ったこと。

現場から少し離れた鹿児島高校へ自転車で通っていたこと。

おそらく、けさもサッカー部の練習に向かっていたこと。

彼らは少しずつ話してくれた。

一緒に遊んでいたときの写真も見せてくれた。

友人に向かって微笑んでいる写真。

この笑顔が突然失われてしまったのだ。

私は交通事故の残酷さをまざまざと見せつけられる思いだった。

そして、取材に協力してくれた高校生たちに、友人の死を伝えてしまったことも後悔していた。

彼らの心に傷が残らなければ良いのだが…。

広がる悼む声

次の日もう一度現場へ行くと、近くの街灯の下に、数多くの献花と死亡した高校生へのメッセージが手向けられていた。
「たくさんの笑顔ありがとう。ずっと忘れないよ!」

「お前の分までみんな精いっぱい生きるから天国から見ててください。友達になれて、一緒にサッカーできて本当に良かった」

「ずっとわらっていてね」
事故が起きた現場は、およそ750メートルにわたって続く緩やかな下り坂で鹿児島市が管理している。

車道と歩道は高さ10センチメートルほどの縁石で区切られ、ガードレールはない。

車道には消えかかった文字で「スピード注意」と書かれていた。

「この道を通る自転車はかなりのスピードが出る」
「車もスピードを出すから、朝は親に車で送り迎えをしてもらっている」

そう話したのは、この道で通学している女子高校生だ。

危ないと感じている人もいた。

事故は道路の形状が原因だったのだろうか。

ガードレールの設置要望も

鹿児島では、死亡事故が起きると、警察が事故原因や再発防止策を検討する「現場診断」を実施する。

この事故では、近隣の高校の教員や関係者など25人が参加して、5月13日に行われた。
教員たちの多くが要望したのは「ガードレールの設置」だった。

結局、警察と鹿児島市は7月、歩道と自転車通路を分ける白線を引き直し、「スピード落とせ」と書かれた看板を8枚設置するという対策を実施した。

しかし、ガードレールは無いままだ。

警察庁は自転車乗用中の事故による死傷者の数をまとめている。
最近10年間のデータを5歳ごとの区分でみると、事故の数自体は減少傾向だが、高校生が含まれる15歳から19歳が最も多く18%を占めている。

なんとか事故を減らすことはできないか。

私は事故から何週間が経っても花や線香が手向けられている現場を通るたびに、もやもやとした思いを抱えていた。

ある営業マンの思い

状況が動いたのは5か月後。

全く分野が異なる、県内の制服の校則をめぐる問題について取材しているときだった。

制服メーカーを訪ね歩いていた私が出会ったのが、岡山県の制服メーカー「明石スクールユニフォームカンパニー」の鹿児島支店で働く久木原健太さん。
久木原さんは3年前から、自転車で通学する高校生の安全を守るため、自身の担当ではないにも関わらず、ヘルメットの導入を県内の高校に提案し続けているのだという。

きっかけは、愛媛の営業所で働く同僚から聞いた話だった。

自転車の高校生が巻き込まれる交通事故が頻発した結果、全国で初めて自転車通学時にヘルメットの着用を義務づける県の条例が成立したというのだ。

地元の鹿児島でヘルメットの着用義務が中学生までとなっていることに疑問を感じた久木原さん。

いつ大きな事故が起きてもおかしくないと考え、ことあるごとにヘルメットの重要性を取り引き先の高校に伝えるようになったという。
制服メーカーで働く久木原健太さん
「事故のリスクは鹿児島でも一緒ではないかなと。

鹿児島でそれを知らない人が多いので、誰かではなくて自分がそういった声かけをしていくべきなんじゃないかなと」

提案し続ける“命を守る校則”

ところが、ことしの4月。

久木原さんがおそれていた事態が起きてしまった。

それが、高校生が路線バスにはねられて死亡した事故だった。

この日もヘルメットについて説明するため、高校へ挨拶に訪れていた久木原さんは、深い衝撃を受けたという。
久木原さん
「起きてからではなくて、実際に先頭を走っていただけないでしょうかというお願いを込めたご紹介をさせていただいたところだったんですけれども、『まぁどうかなぁ』というところで話は終わって、帰ってきたらまさか、そういうお話をしているのとほぼ同時に事故が起きてしまっていた」
ただ、この事故を受けて、ヘルメット導入に動き出したところもあった。

久木原さんが当日に説明に訪れていた鹿児島情報高校だ。
事故の後、急きょ保護者に対して行ったアンケートで、ヘルメット義務化の賛否について問い、およそ87%が賛成すると回答。

県内で初めとなる校則が、3学期から本格的に運用される。
久木原さんは、こうした取り組みが鹿児島情報高校以外にも広がってほしいと考えている。

実は久木原さんは、4月の事故で死亡した高校生の制服も納めていた。

彼の名前や制服の寸法は、はっきりと覚えている。

もう2度と悲しい事故が起きないよう“命を守る校則”を提案し続けて行く覚悟だ。
久木原さん
「自分の提案があと2・3年早かったら、なにか変わっていたのだろうかと考えるときもあります。

来年、再来年も交通事故で、自分とご縁のある方が亡くなることがあるかもしれない。

でもそれが自分の動き1つで変えられるのかも。あぐらをかいているわけにはいかないです」

取材後記

鹿児島放送局では、鹿児島情報高校で新たな校則ができるのをきっかけに、「#なくそう自転車事故」というプロジェクトを立ち上げ、視聴者のみなさんに意見を聞くことになった。

自転車の事故を防ぎ、通学時の安全を守るにはどうすれば良いか、社会全体で考えたいというものだ。

15歳の子どもを失ったご両親のショックはあまりに深く、いまだにお話をうかがえる状態ではない。

このような悲しい事故を少しでも減らせるよう、私も取材を続けていきたいと考えている。
鹿児島放送局記者
庭本小季
2020年入局
事件・事故のほか
調査報道プロジェクトにも関わる
秋から新たに災害・防災も担当