危険なのは自分だけじゃなかった

危険なのは自分だけじゃなかった
「額にはプレートが埋め込まれています。大変な手術でした」

まぶたが紫色に腫れ上がった、痛々しい写真。全治1年以上の大けがで、今も仕事に支障をきたすほどだといいます。

この男性、誰かに襲われたわけでも、けんかしたわけでもありません。

原因は「歩きスマホ」でした。

(社会部記者 江田剛章/おはよう日本ディレクター 山内沙紀)

慣れきった自宅の目の前で・・

神戸市に住む、高橋大輔さん(46)。

スポーツジムのトレーナーで、週末にはプロレスラーとしても活動しています。

今年2月21日の昼過ぎ。

高橋さんは買い物のため、いつものように自宅マンションの部屋を出ました。

仕事柄、スマホで音楽を聴いて気分を高めることが習慣になっているという高橋さん。

この日も、部屋を出た直後にスマホとイヤホンを取り出し、さっそく曲選びを始めました。
高橋さん
「駅や人混みでは歩きスマホをしないという自分なりのルールを作っていましたが、それ以外の場所ではスマホを触っていました。特に今回は自宅を出てすぐの勝手知ったる場所だったので、大丈夫だという自信がありました」
画面を見たまま、マンションのエレベーターに通じる階段を上り始めた高橋さん。

その瞬間、右足が階段に引っかかりました。

とっさに受け身を取ろうと体をひねりましたが、そのまま前に転倒。

顔面を強打したということです。

日頃から体を鍛えている高橋さんは、この時はすぐに治ると考えていました。

しかし、しだいに痛みが強くなるとともに、立っていられないほどの吐き気に襲われ、その日は夜通し吐血が続いたといいます。

これはただ事ではないと、翌日病院へ。

検査の結果、右目の上にある骨が陥没していたことが分かりました。
医師からは、あと少しずれていたら失明したり、重い後遺症が残ったりしていたかもしれないと告げられたということです。

その後、全身麻酔をした上で、骨を固定するプレートを額に埋め込む手術を受けた高橋さん。

けがの影響でプロレスの仕事を2か月休まざるを得なくなったほか、当時従事していた接客の仕事もできなくなりました。

額は今も触るだけで痛むといいます。
高橋さん
「あの一瞬で失明してしまうおそれがあったと聞いた時はぞっとしました。私自身、歩きスマホでこんな大けがをするとはまったく思っていませんでしたが、『自分は大丈夫』ということは絶対にないのだと思い知りました。

今は、外でスマホを操作する時は必ずベンチに座ったり、壁際で立ち止まったりするようにしています」

視聴者の声から見えてきた“思わぬ問題”

こうした「歩きスマホ」の危険性について、私たちは今年9月に「おはよう日本」とNHK NEWS WEBで特集しました。

この中では、今年7月に都内の踏切で起きた、歩きスマホが原因とみられる死亡事故を取材。

脳がスマホ画面の処理に追われ、視界だけでなく、音も含めて周囲の状況が認識できなくなるおそれがあることが分かりました。
実態をさらに探るため、私たちは今回、視聴者から歩きスマホの体験談などを募集。

あわせて120件近くの声が寄せられました。
まず目についたのは、高橋さんのようにけがをしたり、危険な目にあったりしたというケースです。
・暗闇で画面を見ていたら、足元の側溝に気づかず転落。こめかみの上を打ち、数針縫うけがをした(50代男性)

・親戚の女子高校生が歩きスマホで横断歩道を渡っていて交通事故にあった(40代)

・歩きスマホをしながら路面電車の線路を渡っていた時、電車にひかれそうになった。警笛が鳴るまでまったく気づかず、電車との距離は1メートルもなかった(30代)
これだけを見ても、歩きスマホがいかに危険な行為であるかがよく分かります。

しかし今回、より多くの声を寄せてくれたのは、当事者ではなく周囲の人たちでした。

歩きスマホが、無意識のうちにまわりの人を危険にさらしているというのです。
・歩きスマホをしている男性が、こちらを一切見向きもせずに正面から衝突してきた(10代)

・信号待ちをしていたら、歩きスマホの人が背負っているリュックがぶつかった。危うく車にはねられるところだった(50代女性)

・駅の階段を下りていたところ、歩きスマホをしていた前の人が突然ゆっくりになり、ぶつかりそうに。将棋倒しになるところだった(60代女性)
この中で、特に気になる声がありました。

群馬県の盲学校で歩行指導に携わっていたという60代の女性の訴えです。
「視覚障害者にとって『欄干のない橋』に例えられる駅のホームでは、点字ブロックが歩行の唯一の手がかりです。

しかし、そこには多くの乗客がいることが少なくなく、現在ではその大半がスマホの画面を見ています。そのため、白杖を持った人が近づいてもまったく気づかず、落下すれば命の危険がある点字ブロック上で衝突してしまうことが頻繁に起きます。

この『点ブロスマホ』とでもいうべき行動が、障害者を死の危険にさらすことを多くの方に知ってほしい」
この女性のように、スマホを見ながら点字ブロックの上を歩いたり、立ち止まったりする行為が危険だと訴える視覚障害者などからの声は、あわせて11件に上っていました。

「点ブロスマホ」で救急搬送も

歩きスマホが、障害がある人たちの命を脅かしかねない状況を生んでいる。

正直、これまでの取材では気づかなかった視点でした。

当事者から話を聞きたいと、私たちはさっそく視覚障害者の支援団体などに取材を始めました。

そこで出会ったのが、「点ブロスマホ」が原因で救急搬送された経験があるという全盲の男性です。
東京・八王子市に住む宮川純さん(43)。

地元の支援団体の会長を務めていて、平日は毎朝、白杖を頼りに1人で事務所に通っています。

自宅からバスに乗り、JR八王子駅へ。

そこから続く点字ブロックに沿って15分ほど歩くのがいつものルートです。

宮川さんは、この通勤ルートでこれまでに何度も危険な目にあったといいます。

特に記憶に残っているのが、3年前の夏の出来事です。

午前8時前、宮川さんはいつものように駅前の点字ブロックの上を歩いていました。
すると、正面から人が近づいてくる気配が。

一瞬身構えましたが、そのまま勢いよくぶつかってきたといいます。

はずみで白杖を落としてしまった宮川さん。

相手も何かを落とした音が聞こえました。

その直後、「目が見えないのに1人で歩いてるんじゃねえ」という声とともに、ふくらはぎを蹴られたというのです。

白杖も折れていました。

宮川さんは視力が全くありませんが、当時の音や周囲の目撃情報などから、30代くらいの男性が点字ブロック上で歩きスマホをしていたことが分かったということです。
宮川さん
「その男性が舌打ちした後に『うわ、画面いった』とか『画面に傷がついた』ということを言ったんです。それで歩きスマホをしていたんだなと。

けがはありませんでしたが、男性はその後いなくなってしまったので泣き寝入りの状態でした。精神的なショックが大きかったですね」
これだけではありません。

宮川さんは、今年4月にも歩きスマホをしていたとみられる男性と点字ブロック上で衝突。

後ろに倒れた際に頭を打ってその場でおう吐し、救急搬送されました。

通りかかった人が介抱してくれましたが、ぶつかった男性は「ちょっと急いでいるので」と言い残し、そのまま立ち去ったということです。

幸い大事には至りませんでしたが、その後は点字ブロック上を歩くことすら怖くなり、外を歩く時は体が無意識のうちに緊張するようになったといいます。

実際、私たちが宮川さんの通勤に同行したところ、「点ブロスマホ」をしている人があちこちに見受けられました。

イヤホンをつけて歩きスマホをしていた若い男性が白杖に接触し、あわや衝突という場面も。

宮川さんたちは、こうした現状に理不尽な思いを抱いています。
宮川さん
「歩きスマホをしている人にとって、点字ブロックはたしかに歩きやすいのだと思います。しかし、私たち視覚障害者が唯一、安全に歩けるのが点字ブロックです。そこで事故に遭うわけですから、やはり怖いです。

歩きスマホはただよそ見をしているのと違って、画面に夢中になっていると思うんですね。周りがほとんど見えていないので、私たちに気づくのが遅れたりとか、全く警戒せずに歩いてきたりする。それが私たちにとって非常に脅威になっているんです。

歩きスマホは3、4年前から急激に増えたという感覚があります。であれば、最低限のルールとモラルをセットにしてもらわないと、こうした事故は今後も増えていくと思います」

歩きスマホめぐるトラブルで3700万円の賠償請求

周囲の人や障害がある人を危険にさらしていた歩きスマホ。

さらに取材を進めると、歩きスマホをめぐるトラブルで訴訟に発展したケースもあることが分かりました。
現場は、都心の幹線道路沿いにある幅およそ6メートルの歩道です。

裁判所の判決などによると、トラブルが起きたのは2016年の春頃。

男子高校生(当時)が深夜、この歩道を1人で歩いていました。

左手にスマホを持ち、画面を見ながらイヤホンで音楽を聴いていたといいます。

すると、正面から歩いてくる男性が。

前をよく見ていなかった生徒は、すれ違いざまに男性と肩がぶつかりました。

男性は当時、酒に酔っていたということです。

生徒が振り返って謝ったところ、男性が近づいてきてもみ合いに。

その結果、男性は路上に転倒し、一時意識を失いました。

頭の骨を折るなどの大けがだったということです。

これを受けて、男性は生徒と保護者を相手取り、およそ3700万円の損害賠償を求める訴えを起こします。
1審の東京地方裁判所は生徒側の過失を認め、2000万円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。

そして今年3月、2審で和解が成立。

生徒側が謝罪するとともに、解決金などあわせて1160万円を支払うことで決着しました。

歩きスマホがきっかけで、予想もしない多額の支払い義務を負うことになってしまったのです。

当時、高校生だった男性は先月、私たちの取材に応じ、次のように話していました。
高校生だった男性
「何の悪気もなくやっていた歩きスマホでこれだけの金額を背負うことになるとは思っていませんでしたし、相手にも親にも迷惑をかけてしまい、ショックでした。

社会人になった今、私も働きながら少しずつ支払いを続けています。自分の行動ひとつで回避できたトラブルであり、本当に申し訳ないという気持ちと、後悔の気持ちしかありません」

普及しなかった「歩きスマホ防止アプリ」

今回の取材で、歩きスマホをめぐるさまざまな問題があらためて浮き彫りになりました。

一方、スマホを手放せなくなる人が増える中、個人のモラルに頼るのは限界があるようにも思えます。

対策やルール作りは進んでいないのでしょうか。

NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの携帯大手3社は、実は2013年頃から歩きスマホを防止するアプリを提供していました。

歩きながらスマホを操作すると、画面に警告が出てロックされ、使えなくなるというものです。
しかし、こうしたアプリは一部の機種にしか対応していなかった上、歩くとすぐにロックがかかってしまう不便さなどから、利用は伸び悩んだといいます。

結局、3社とも去年から今年にかけて、アプリのサポートを終了してしまいました(一部子ども向けのサービスを除く)。

また、携帯電話各社と鉄道事業者などは、2014年から毎年「やめましょう、歩きスマホ。」キャンペーンを行ってきました。

今年も今月1日にスタートしたばかりです。
目的は、歩きスマホによる衝突や線路への転落などの事故を防ぐこと。

全国各地の駅の構内などに啓発ポスターを掲示したり、アナウンスで注意を呼びかけたりしています。

ただ、個人のモラルに委ねられている現状は変わっていません。

主催者側が去年行ったインターネット調査(1600人余りが対象)でも、98%の人が「歩きスマホは危ない」と感じているにもかかわらず、このうち半数以上が「歩きスマホをすることがある」と回答しています。

一方、神奈川県大和市など一部の自治体では、条例によって歩きスマホを規制する動きが広がり始めていますが、個人の行動をどこまで制限すべきかという議論もあり、いずれも罰則規定はないのが現状だということです。

歩きスマホをめぐる対策は、まだまだ試行錯誤の段階といえそうです。

海外に目を向けてみると・・

では、スマホが普及しているほかの国々はどうしているのでしょうか。

何かヒントが見つかるかもしれないと、私たちは海外の「歩きスマホ事情」についても調べてみました。

その結果、日本にはないさまざまな対策が行われていることが分かりました。

大きく分けると2つのタイプがあります。
1 歩きスマホそのものを規制する「規制型」
2 歩きスマホを前提とした上で事故を防ぐ「共存型」
このうち「規制型」の代表は、観光地として日本人にも人気が高い、アメリカ・ハワイ州のホノルル市です。

市では、2017年に歩きスマホを禁止する条例を制定。

最大で99ドル(1万1000円程度)の罰金を科すようになりました。

こうした条例は、アメリカの主要都市では初めてだということです。

ホノルル市ではかつて、歩きスマホが原因とみられる事故がほかの都市に比べて多く、議会で問題視されていました。

その議論の中で、低予算で安全を確保できる対策としてこの条例案が浮上。

地元の高校生たちが「若者世代の歩きスマホが危険だ」と議会で訴えたことも後押しになったといいます。
条例では、歩行者がスマートフォンやタブレット端末の画面を見ながら道路を横断することを禁止しています。

ハワイ州の司法当局によると、実際に罰金を科されたケースは、先月までにあわせて324件。

条例制定後、街ではスマホをポケットやバッグに入れて持ち歩く人が増えたということです。

ちなみにハワイ州を含む欧米では、歩きスマホは下を向いてふらふらと歩く様子から、揶揄する意味を込めて「smartphonezombies」(スマートフォンゾンビ)と呼ばれているそうです。
一方、「共存型」を代表するのが韓国です。

アメリカの調査研究機関が2018年に行った調査で、韓国は成人のスマホ所有率が94%と世界一に(日本は59%)。

歩きスマホ対策が急務となっています。

そこで韓国は、ホノルルとは真逆の視点で対策を講じました。

導入したのは、道路に埋め込むタイプの信号機です。

歩行者用の信号機と連動して、横断歩道の両端の部分が赤と青に光ります。
これなら、スマホの画面を見ていても光が足元から視界に入ってくるため、事故を防げるというわけです。

警察庁が2018年に試験的に設置したのをきっかけに各地に広がり、今では人通りの多い横断歩道や通学路を中心にあわせて1000か所以上に上っています。

ソウル市内では、信号機のおよそ20基に1基がこのタイプだということです。

このほか「共存型」では、歩道に「歩きスマホ専用レーン」を設置している国もありました。

中国の重慶市やベルギーのアントワープなどです。
文化や背景はそれぞれ異なるものの、各国の積極的な取り組みは、日本も参考にすべき点があるのではないかと感じました。

専門家「誰もが歩きスマホ」前提に議論を

最後に、私たちは9月の特集の際にも取材した、スマホの操作と脳の関係に詳しい早稲田大学の枝川義邦教授に話を聞きました。
今後の対策のあり方について教授は、スマホの機能が進化し続ける中、「歩きスマホは誰もがしてしまうもの」という前提に立った議論が必要だと指摘しています。
枝川教授
「スマホが普及して10年ほどたつが、通信環境の向上や大画面化によって人を惹きつける要素がどんどん盛り込まれ、スマホはこれまで以上に没頭しやすくなっている。 

また、仕事を含む社会のあらゆる場面で使われているため、歩きスマホをしてしまうのは自然なことであり、個人のモラルによって制限することは難しい。 

こうした現状に社会の制度や意識が追いついていない状態で、まずはそのことを踏まえる必要がある。利便性を損なわない形で対策を進めることは簡単ではないが、歩きスマホをどのようにコントロールしていくか、もしくはうまくつきあっていくか、個人単位ではなく社会全体で考えるべき時期に来ていると思う」
今日も次々に鳴るプッシュ通知、目に飛び込んでくる動画や広告の数々。

個人の意志にかかわらず、歩きスマホの危険は常に私たちのそばにあります。

“被害者”や“加害者”をこれ以上増やさないために、個人として、社会として何ができるのか。

その答えを求めて、これからも取材を続けたいと思います。
社会部記者
江田 剛章
2013年入局
徳島局 名古屋局を経て
2020年から現所属
警視庁を担当
おはよう日本ディレクター
山内 沙紀
2013年入局
山口局を経て2019年から現所属