横浜 点滴連続殺人事件 旧大口病院の元看護師に死刑求刑 検察

横浜市の病院で入院患者3人の点滴に消毒液を混入して殺害した罪などに問われている元看護師に対し、検察は死刑を求刑しました。

一方、弁護士は、心神こう弱の状態だったとして無期懲役が相当だと主張しました。

横浜市神奈川区の旧「大口病院」の元看護師、久保木愛弓被告(34)は、5年前の2016年9月、70代から80代の入院患者3人の点滴に消毒液を混入し、殺害した罪などに問われています。

22日横浜地方裁判所で開かれた裁判で、検察は「被告の精神障害の影響は極めて小さく、犯行は計画的で完全責任能力があった」と述べました。

そのうえで「家族と共有できた時間や安らかに天寿を全うする権利を勝手に奪われる理由はない。人生の終幕を他人が左右することは生命への冒とくだ。3人を殺害した結果は重大で極刑を選択せざるをえない」などと述べ、死刑を求刑しました。

被告は表情を変えることなく、まっすぐ前を向いていました。

一方、弁護士は「『患者の死について遺族に説明したくないため、自分の勤務時間外に亡くなるようにしたかった』という動機で殺人をするというのは根本的な解決にならず不合理だ。被告は当時統合失調症を患い、心神こう弱状態だった」と述べました。

そして「今は犯行に真摯(しんし)に向き合って反省している。死刑に処するのはやむをえないとは言えず、無期懲役が相当だ」と主張しました。

最後に、被告は「消毒液を混入しなければ退院できたり、家族に見守られながら静かに最期を迎えられたりした人たちでした。身勝手な理由で大切な家族を奪ってしまい、申し訳ないと思っています。死んで償いたいと思っています」と述べました。

22日は遺族の意見陳述も行われ、亡くなった西川惣藏さん(88)の長女は「被告は命を救う立場なのに理不尽な理由で父を殺害しました。父は家族にことばを残さず、突然最後の時間を奪われました。被告には死をもって償ってほしい」と時折涙を流しながら述べました。

判決は来月9日に言い渡される予定です。

【全文】八巻信雄さんの長男 陳述

亡くなった八巻信雄さん(88)の長男の信行さん(61)は、裁判で次のように陳述しました。

(以下、陳述)

父は、昭和3年9月20日に宮城県の片田舎で10人兄弟の末っ子として生まれ、尋常小学校卒業後、戦前は勤労奉仕として働き、戦後は大工として働きました。

結婚後、姉や私が生まれましたが、田舎では仕事がなく、この横浜で単身、建設業に従事し、家計を支えていました。

姉や私が自立したあとは、母と2人で暮らしていましたが、今回の事件の2年前に母が亡くなり、その後は私たち家族と暮らしていました。

菊名記念病院の担当医から「終末期医療を受ければ、退院して自宅に戻るよりは、半月から数か月は長く生きられるでしょう」と症状の説明を受け、家族みんなで検討した結果「1日でも長く生きていてほしい」という思いで、終末期病棟への転院を決めました。

そして、母の死に目に会えなかったこともあり、父の最期だけは、家族みんなでみとってあげたいと思い、危篤状態になっても家族全員がすぐに駆けつけることのできる場所にあった大口病院を選びました。

平成28年9月20日午前4時30分ごろ、病院からの連絡を受け、みんなで慌てて病院に向かいました。

30分ほどで病院に着きましたが、父はすでに息を引き取ったあとで私たちは父の最期をみとることはできませんでした。

皮肉にも父の亡くなった9月20日は、父の88歳の誕生日の日でした。

前々日、米寿のお祝いに家族みんなで病院に行った時の様子は、転院前と変わりませんでした。

むしろ元気になったかな?と思うくらいで、孫たちの声かけにうれしそうにほほえんでいたので、急変したことが不思議でした。

当直の医師に急変の原因を確認したところ明確な回答はありませんでした。

当時、何があったのか全くわかりませんでした。

その後、仮安置所から自宅に戻るやいなや病院から連絡があり、病院に戻ったところ、警察から「殺人事件です」と説明がありました。

1日でも長く生きてくれることを願っていましたが、転院して数日で亡くなってしまい、私たち家族の思いは、かないませんでした。

本当に悔しくてなりません。

この裁判で、被告人の行為により父の死期が早まったこと、父の死に至るまでの経過や様子を知り、胸を押しつぶされる思いです。

ベンザルコニウムが体内に入り、どんなに苦しかったことでしょう。もう、あまりしゃべることもできなくなっていた父が「苦しい」と口にすることもできないまま、誰にもみとられず息を引き取ったことを思うと父がかわいそうでなりません。

母が亡くなって2年、父は「寂しい、寂しい」と言いながらも本当によく頑張ってくれました。

そして私たち家族にたくさんの思い出を残してくれ、多くのことを教えてくれました。

父の孫となる私の娘たちは「寝たきりでもいいから、おじいちゃんに長生きしてほしい。1日でも長く一緒に過ごしたい。わがままだけど、おじいちゃん、かわいいから大好き!」と常日頃言っていました。

そんな父の命が他人の手によって、ましてや看護師という人の命を預かり、支える職に就く人の手によって奪われるなんて、絶対に許せません。

生まれたばかりの赤ちゃんから死期の迫った高齢者まで、命の重さに変わりはなく、被告人には人の命の尊さ、生きてきた人生の重さ、その人生に関わってきた人たちの思いをしっかりと受け止め、自分の犯した罪の重さを感じてほしいと思います。

【全文】興津朝江さんの姉 陳述

亡くなった興津朝江さん(78)の92歳の姉は代理人の弁護士が代読する形で次のように述べました。

(以下、陳述)

私は、朝江の10歳年上の姉です。

朝江は私の心のよりどころでした。

よく一緒にごはんを食べに行ったり、年中電話でたわいのない話をしていました。

朝江は食道楽で、特にフカヒレが好きだったので、中華街へ一緒に食べに行ったり、伊勢佐木町などにも行ったりしました。

朝江はずっと勤めをしていましたが、亡くなる数年前に片目が見えなくなってしまい、仕事を辞めて最後に住んでいたところに引っ越しました。

以前に住んでいた家の近くでもよく一緒に食事をしましたが、そこは2階の部屋だったため、片目が見えないと危険ということで1階のアパートに越したのです。

5年前の9月13日、朝江のヘルパーさんから「足をけがして入院した」と電話がありました。

翌14日、私は朝江がどんな様子か心配で病院へ見舞いに行きました。

すると朝江は普通に歩いていて「今、うちに帰ってきたの」と言っていました。

聞けば病院に許可をもらって一時帰宅をしていたとのことでした。

そして見舞いにきた私に「誰が知らせたの? 私は元気だから知らせなくてよかったのに。お姉さんのほうが足が悪いのに。私は大したことないから、来なくても大丈夫よ」と言って心配してくれました。

私が帰るときには、しっかりした足取りで病院の入り口まで一緒に来て「気をつけて帰ってよ」と見送ってくれましたし、その日の夜にも、私が無事に帰れたかどうか心配して電話をかけてきてくれました。

その次の日の9月15日も、朝江は、私が疲れてしまっていないか気にかけて電話をかけてきてくれました。

私は、朝江がとても元気な様子だったので、弟から「見舞いにいったほうがいいかな」と電話をもらったときも、元気だから行かなくても大丈夫だよと話しました。

まさか、その翌日に、突然、朝江がいなくなってしまうなんて。

病院から連絡を受けた弟は、私の家に電話をしてくれたようなのですが、私は買い物に出かけていていなかったので、私の友達に連絡して朝江の訃報を伝えてくれました。

私は、その友達から「妹さんが亡くなった」と聞きましたが、まさかあんなに元気だった朝江が急に亡くなるとは思っていなかったので「誰の妹が亡くなったの?」と聞き返してしまいました。

友達に「あなたの妹よ」と言われましたが、私は何が何だか分からず、驚くばかりで涙も出ませんでした。

病院で朝江の遺体を引き取りに行ったときは、まさかこんなことだと思わなかったのでお礼を言いましたが、私は当初の死亡診断書も適当に書かれたものだと思っています。

今回の裁判において当初書かれていた「多臓器不全」という死因が、きちんと「急性呼吸不全」と正しい死因に訂正されたのでほっとしました。

また、裁判の中で、主治医が朝江の血液検査の数値から何が起こったのかよく分からなかったと言っていたことや、看護師さんも元気だった朝江が突然亡くなって驚いたと言っていたことも分かりましたが、それならそのときにきちんと調べてもらいたかったです。

朝江の死になぜという疑問ばかりが浮かぶ中、朝江が借りていた家を片付けに行ったとき、大家さんが涙ながらに「お姉さん、警察に行ってください。看護師さんも点滴を打ったら亡くなったと言っているし、あんなに元気だったのに突然亡くなるなんておかしい。近所の警察でいいから行ってください」と私に訴えてきました。

この大家さんは、ちょうど9月16日に病院へ見舞いに行っていて、朝江には会えなかったものの今回の件をよく知っている方ですし、朝江自身、私が見舞いに行った際に「この病院おかしいのよ。人がいっぱい死んでいくのよ」と言っていたので、弟とも相談して警察に届け出ることにしました。

私は今の地域に50年以上住んでいますが、今回の件が起こるまで、地元の警察署がどこにあるのかも知りませんでした。

何とか警察に届け出たものの、裁判までは長い時間がかかりました。

私は裁判を待つ間に90歳を超えましたが、妹がなぜこんなことになってしまったのか、この裁判を見るまでは死ねないと思って今日まできました。

久保木さん(被告)は朝江が外出したことで何かあったら、同僚の看護師から
責められると思って、妹がいなくなったらいいと考えて点滴に消毒液を混入したと言っていました。

被告の保身のために朝江は死んだのですね。

私は、被告は、朝江がいなくなったあとも責任を取らないでいいように計算して今回のことをやった知能犯だと思います。

この裁判で、朝江が消毒液を点滴されたときにとても痛がったことや、その後の壮絶な様子を聞いて本当につらかったです。

3時間近くも苦しみ続けたのだと思うと、朝江がかわいそうでしかたありません。

被告は、点滴に消毒液を入れるとき、朝江が苦しむのではないか、私たち家族が悲しむのではないかなど、頭によぎったりもしなかったのですか。

事件から5年過ぎた今でも、悔しくて、悲しくて、たまりません。

【全文】西川惣藏さんの長女 陳述

亡くなった西川惣藏さん(88)の長女は、裁判で次のように述べました。

(以下、陳述)

父はもの静かな人でした。

若い時に地方から上京し、同郷の母とお見合い結婚して私と兄が生まれました。

今の時代のように積極的に育児に参加するお父さまたちとは違い、運動会なども見に来てもらったことはありませんでしたが、私が2人の子どもを連れて週末に実家に行くと、とても喜んで2人の相手をしてくれる孫思いのおじいちゃんでした。

孫2人の運動会も見に来てくれ、孫たちの順番になると1番よく見える席につき、黙ってほほえんでいた父の姿は忘れられない思い出です。

食べ物の好き嫌いが多く、母の手料理を食べないこともあり、母を困らせていましたが、孫たちの運動会のときは「これうまいなぁ」と喜んで私の作ったお弁当を食べてくれました。

もの静かで不器用でどこにでもいる本当に平凡で特別に大それたエピソードもない、そんな父でした。

私が母から相談を受け、あの病院に入院させたばかりに事件に巻き込まれてしまったことを今もずっと後悔しています。

父が外出から戻ったときに、玄関先で倒れ、救急病院に運ばれました。

しばらくして救急病院から転院することになったとき、いくつか転院先の候補があり、その中の1つが大口病院でした。

大口病院に見学に行ったところ、体調がよければ横になったままで浴槽に入ることができるお風呂があると言われ、実際にお風呂の様子を見せてもらいました。

父は入院してからずっと「風呂に入りたい」と言っていたのでここならと思い、転院先を大口病院に決めたのです。

その結果、ただ静かに人生を終えるはずだったのに、安らかに最期を迎えることができず、犯人の自分勝手な都合で突然人生を終えることになってしまいました。

私が大口病院を選んでしまったことは今でも父に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

犯人のことは許せません。

看護師という命を救おうとするべき立場の人間が、無抵抗で声をあげることすらできない父を、理解しがたい理不尽な理由で、自分の勤務時間に合わせて亡くなるように殺害しました。

父だけでなく、それ以外の方にも同様のことをしていたとすれば、犯人は、そのような非情な行為をしながら病院から給与を受け、好きなものを食べ、好きなものを買い、好きなことをして、何食わぬ顔で日常を送っていたということです。

そんなことが許されていいわけはありません。

この裁判での犯人のことばによれば、犯行当時、罪の意識や反省、後悔はなかったというのですから、そのような犯行が日常のこととなっていたとしか考えられません。

今回逮捕されなければ、このような犯行がずっと続いたかもしれないと思うと、言いようのない恐怖と憤りを感じます。

裁判の資料をいくら読んでも犯人が殺人に至るまでの気持ちが全くわかりませんでした。

殺人を犯すほどの理由がどこにあるのでしょうか。

私の父は、それほど、ひどいことを犯人にしたのでしょうか。

犯人に対して怒りを通り越し、あきれ果ててしまいます。

でもその後、やはり私が大口病院を選んでしまった深い後悔と、父への申し訳ない気持ちに、さいなまれます。

犯人は、私たち家族がどのようなタイプの人間かわからないけれど、何か問い詰められたり、責められたりするかもしれないと思い、父を殺害したといいました。

しかし、母は「お世話になったから」と、病院に菓子折を持って行くよう私に頼んだので、私は、父が殺された翌日、菓子折を持って「ありがとうございました」と頭を下げにナースステーションに行きました。

何も知らなかったとはいえ、悔しくてたまりません。

犯人がどんな精神疾患を抱えていたとしても行った行為は殺人です。

勉強をして国家資格を取り、専門的な技術を得て、殺人を行ったのです。

「どのように償っていいかわからない。申し訳ありません」と頭を下げられても、検察官の質問に対して「わかりません、覚えていません」と繰り返す被告人の態度は矛盾しているようにしか感じられず、自分の行った殺人に対して真摯に向き合い反省しているとは到底思えません。

今回の裁判で専門家の先生のお話から、間違いなく犯人によって父の最期が早められたと伺い、さらに怒りが込み上げました。

父は最期に母と2人で話すことも、私たち子どもや孫にことばを残すこともできずに1人きりで亡くなってしまいました。

自然に最期が訪れたのではなく、犯人に突然最期の時間を奪われたのです。

犯人は、看護師を辞めようとは思わなかったのか、という問いに対し「自分が看護師を辞めたら、どのように生活していけばいいのかわからない」と答えていました。

看護師を辞める、つまり殺人をやめるということよりも生活を維持するために自分の都合で人殺しを続けていくことを選んだということに強い憤りを感じます。

犯人には、死をもって償ってもらいたいと思います。

できることなら、父や大勢の患者さんにしたようにベッドに横たわり、点滴に異物を入れ死んでいってほしいです。

でも、それがかなわないことはわかっていますので、せめて極刑をのぞみます。

ただ嫌なことから逃げたいという本当に身勝手で稚拙な理由で、自分の手を汚すことなく、あっさり人を死に追いやった。

そんな人間に極刑以外のどんな刑も考えられません。