アメリカ パウエル元国務長官死去 コロナ感染に伴う合併症で

アメリカで、黒人として初めて国務長官を務めたコリン・パウエル氏が、新型コロナウイルスの感染に伴う合併症のため、亡くなりました。
分断が深まるアメリカ社会で、パウエル氏は、共和党の穏健派として党派を超えた人気を集め、その死を悼む声が相次いでいます。

これは、パウエル氏のフェイスブックの公式アカウントで、家族が、日本時間の18日夜、明らかにしました。

それによりますと、パウエル氏は18日午前、新型コロナウイルスの感染に伴う合併症のため亡くなりました。84歳でした。

ワクチンは接種していたということです。

パウエル氏は中東のイラクに対して、アメリカを中心とする多国籍軍が武力行使に踏み切った湾岸戦争当時、アメリカ軍の制服組トップである統合参謀本部議長を務め、多国籍軍を勝利に導きました。

その後、2001年に発足した共和党のブッシュ政権では、黒人として初めて国務長官に就任しました。

共和党では中道寄りの穏健派として知られ、2001年の同時多発テロ事件を受けて、ブッシュ政権が「テロとの戦い」を掲げ、アフガニスタンとイラクでの2つの戦争に突入する中、政権内の強硬派とは距離を置きながら、アメリカ外交をリードしました。

パウエル氏は、国務長官を退いたあとも党派を超えた人気を集め、2008年の大統領選挙では共和党の候補ではなく、民主党のオバマ氏への支持を表明し話題となるなど、その発言はたびたび注目されました。

アメリカではパウエル氏の死を悼む声が相次いでいて、このうちブッシュ元大統領は声明を発表し「彼は偉大な公僕だった。多くの大統領が彼の助言や経験を頼りにし、国内外から高い評価を受けていた。何より重要なことに、彼は家族を大切にする人であり、私の友人だった」として、哀悼の意を表しています。

オバマ元大統領 “パウエル氏の姿勢に深く感銘”

オバマ元大統領は声明を発表し「パウエル氏は人々の模範となる軍人であり愛国者だった。彼と働いた者は皆、彼の明敏さや物事を多角的に見ることへの姿勢、そして実行力に感謝していた」として、パウエル元国務長官をしのびました。

さらにオバマ氏は、大統領選挙戦中に「イスラム教徒だ」という事実ではない情報を広められたことに触れ、パウエル元長官が「オバマ氏はキリスト教徒だが、もしイスラム教徒だったとして、何か問題はあるのか」と述べて、宗教に偏見を持つべきではないと主張していたことを振り返りました。

オバマ氏は、パウエル元長官の姿勢に深く感銘を受けたとしたうえで「彼はアメリカにとって何が最も重要かを理解し、その理想に向けて、自身の人生やキャリア、公の場における発言を一致させてきた」として、その功績をたたえました。

バイデン大統領「軍人として 外交官として 高い理想を体現」

バイデン大統領は、パウエル元国務長官の死去を受けて声明を発表し「親愛なる友人であり、比類ない名誉と尊厳ある愛国者の死を深く悲しんでいる。彼は軍人として、そして外交官として、高い理想を体現していた。自分のことや政党、そのほかの何よりも国を優先し、国民から多大なる尊敬を集めた」として、その功績をたたえました。

バイデン大統領はまた、パウエル元長官に弔意を表すため、ホワイトハウスや国内外の政府機関などに対し、半旗を掲げるよう指示を出しました。

ハリス副大統領は記者団に対し、パウエル元長官が黒人として初めて国務長官などを歴任したことで、多くの人を勇気づけたとしたうえで「決して簡単なことではなかったはずだが、彼は数多くの壁を威厳と品格をもって壊した。彼が成し遂げたことは、われわれの国を多くの点において向上させた」と述べました。

また、ブリンケン国務長官はパウエル氏の死去を受けて、急きょ記者会見し「パウエル元国務長官は上下関係を気にすることなく、あらゆる人たちから話を聞くことを望んでいた。真の指導者そのもので、強力で結束したチームをつくりあげる方法をわかっていた。われわれがアメリカを信じているのは、少なからず、パウエル氏のような人物を生み出したからだ」と述べ、その死を悼みました。

オースティン国防長官は、訪問先の旧ソビエトのジョージアで記者団に対し「アメリカ軍の統合参謀本部議長と国務長官をアフリカ系アメリカ人として初めて務め、世界中から尊敬を集めた。彼は長年にわたる私の恩師であり、困難な問題に直面したときは、いつもすばらしい助言をしてくれた」と振り返りました。

“フセイン政権が大量破壊兵器”演説 「汚点」と振り返る

パウエル氏は1937年、ジャマイカ系移民の息子としてニューヨークで生まれました。

1958年に陸軍に入隊し、ベトナム戦争当時のベトナムや韓国に駐留するアメリカ軍で勤務したあと、1987年から1989年まで、当時の共和党のレーガン政権で国家安全保障問題担当の大統領補佐官を務めました。

1989年10月、パウエル氏は黒人で初めてアメリカ軍の制服組トップの統合参謀本部議長に就任。52歳での就任は歴代の議長の中で最年少でした。

1991年、中東のイラクに対して、アメリカ軍を中心とする多国籍軍が武力行使に踏み切った湾岸戦争で、多国籍軍を勝利に導きました。

その後、2001年1月に発足した共和党のブッシュ政権では、黒人初の国務長官に就任し、アメリカが同時多発テロ事件を受け、アフガニスタンとイラクでの2つの戦争に突入する中で、アメリカ外交をリードしました。

共和党の中道寄りの穏健派として党派を超えて人気があり、たびたび大統領選挙への立候補を期待する声もあがりました。

パウエル氏は2005年に国務長官を辞任しましたが、その後も動向は国内外の関心を集めてきました。

2008年の大統領選挙では、共和党の候補ではなく民主党のオバマ氏への支持を表明したほか、去年の大統領選挙では、民主党の党大会で、バイデン氏を支持する異例の応援演説を行いました。

一方、2003年、イラク戦争の開戦をめぐり、パウエル氏は国連の安全保障理事会で国務長官として演説し、当時のフセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っているとして、武力行使を容認するよう訴えました。

その後、アメリカはイラクへの武力行使に踏み切りますが、大量破壊兵器は見つからず、パウエル氏は、この演説について、人生をささげた公務における「汚点だ」と振り返っています。

磯崎官房副長官「緊密かつ良好な日米関係の発展にも貢献」

磯崎官房副長官は、記者会見で「パウエル元国務長官は、同時多発テロ事件を受けて『テロとの戦い』が続く非常に難しい時期に、アメリカの外交をリードされた。また、当時の小泉総理大臣とブッシュ大統領との間の個人的な信頼関係を背景に、非常に緊密かつ良好な日米関係の発展にも貢献された。心からのご冥福をお祈り申し上げたい」と述べました。