見つけられなかった難聴 7年半の孤独

見つけられなかった難聴 7年半の孤独
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音が聞き取れないことを、誰にも気付いてもらえない。

ことばを覚える幼少期に、ほとんどコミュニケーションがとれないまま、7年半という孤独な時間を過ごした中学2年生の少女がいます。
(北九州放送局 記者 財前祐里香)

おちゃめな中学2年生

福岡県北九州市に住む柴崎茜さん(13)。
ユーチューバーの動画を見ることが大好きな中学2年生です。
少し恥ずかしがり屋ですが、猫や犬と遊ぶときは、はじけるような笑顔。

ただ、3年前までは誰とも会話ができない世界で生きていました。

音を聞き取れていなかった…

茜さんが高度の難聴と診断されたのは3年前。10歳の頃でした。

生まれた時から「オーディトリー・ニューロパチー」という聴覚障害があったといいます。

音そのものは聞こえていても、音の情報がうまく脳に伝わらないという障害です。

当時通っていた特別支援学校の担任から「唇の動きを読んでいる。耳が聞こえていないのではないか」と指摘を受け、病院で検査を受けた結果でした。

それまで、茜さんは誰にも難聴に気付いてもらえなかったのです。

孤独だった7年半

茜さんは、生後すぐに聴覚検査を受けた際、両耳ともに「pass(反応あり)」と判定されたといいます。

その後、2歳のころ、ことばの遅れから知的障害があると診断を受けました。

小学校に入る年齢になると、特別支援学校に入学。
難聴に気付かれないまま、音が聞き取れていることを前提とした教育を受けていました。
母親の柴崎瑶さん。
ふだんの生活では「ことばの遅れ以外には問題はない」と感じることがありました。

茜さんを連れて何度も病院を訪れましたが、難聴と診断されることはありませんでした。

茜さんは10歳で難聴と診断されるまで、ほとんど会話ができない状態でした。
知的障害と診断されてから難聴が見つかるまでにかかった時間は、およそ7年半。

この時間を、茜さんは孤独の中で過ごしました。
母親の瑶さん
「自分の努力ではどうにもできない、誰もフォローしてくれないという7年半。きつかったと思います。どうせお互いに話にならないだろうからと、茜自身が人とのコミュニケーションを諦めていた時期もありました」

なぜ見つけられなかったのか

新生児の聴覚検査は「OAE(耳音響放射)」と「ABR(聴性脳幹反応)」という主に2つの方法があります。

音は、外耳、中耳、内耳を通り、聴神経から脳幹にその情報が伝達されます。

2つの検査には次のような特徴があります。
OAE:音に対する反応を内耳まで検査するもの。

ABR:音に対する反応を聴神経や脳幹まで検査するもの。
茜さんは、生後まもなくOAE検査を受けて「refer(要再検)」ではなく「pass(反応あり)」と判定されたといいます。

茜さんのような「オーディトリー・ニューロパチー」の場合は、OAE検査では見つけることができず、ABR検査が必要です。

しかし、茜さんは10歳になるまで、ABR検査を受けて難聴と診断されることはありませんでした。

遅れて始まった学習の日々

それまでの時間を取り戻そうと、茜さんはたくさんのことを学び始めました。
まず手話を学び、数か月後にはそれまで理解できなかったひらがなもすべて覚えました。
難聴がわかった時、話せたのは「お父さん」「お母さん」などわずか50のことば。

母親の瑶さんは、家じゅうのあらゆるものに名前を書いたシールを貼り、茜さんと練習を繰り返しました。
カーテンやテレビ、電気のスイッチ、スプーン、フォークなど、いまもシールが残っています。

初めて聞けた「パプリカ」

茜さんは、人工内耳を埋め込む手術を受け、いまでは簡単な会話もできるようになりました。

瑶さんは、茜さんが新しくできるようになった一つ一つをメモに書き留めています。
初めて1人で買い物に行き「いってらっしゃい」と送り出すことができた時のこと。
くり上がりの足し算ができるようになった時のこと。
人工内耳の手術の後、初めて音楽を楽しめたというメモもありました。
妹が、大好きでよく聞いていた「パプリカ」という曲。
それまで茜さんは雑音のようにしか聞こえていなかったといいますが、妹が楽しんでいた曲を初めて聞くことができた、と涙を流したといいます。

忘れられない11歳の誕生日

瑶さんが忘れられないことがあります。茜さんの11歳の誕生日。
みずから、プレゼントにある遊具を買ってほしいと初めて伝えました。
瑶さんがプレゼントの約束をすると、茜さんは泣き出しました。

「生まれて初めて誕生日プレゼントがほしいと伝えられたことがうれしかった」

駐車場に止めた車の中で、親子で泣き続けたといいます。
母親の瑶さん
「誕生日プレゼントという毎年、当たり前に来るものなのに『これがほしい』と、簡単なことも伝えられなかった。本当にさみしかっただろうなと思いました。その日は、一緒になってずっと泣いていました」

取り戻せない時間

取り戻せない時間もあります。
聴覚障害者が学ぶ特別支援学校に転校した茜さん。
中学2年生ですが、いま勉強しているのは、小学2年生の内容です。
学校では同じ学年の生徒たちと一緒に学ぶことはできず、特別クラスで先生と1対1で授業を受けているといいます。

再来年には中学校を卒業しますが、その後の進路は難しい選択を迫られています。

それでも前を向いて

茜さんは、最近、将来の夢を話すようになりました。

大好きな動物に関わる仕事がしたいといいます。

記者が取材で家を訪れた際にも、世話をしている子猫を連れてきたり、飼い犬を紹介してくれたりしました。
瑶さんは、できるだけ茜さんの希望をかなえたいと考えています。
母親の瑶さん
「やりたいことは全部やってみてほしい。好きなことは好きって言って、やってほしい。一般的には『そんなこと、将来の役には立たないよ』っていうことだって、そんなことはきっとないから、やりたいことは全部やってほしいと思います」

取材で感じたこと

ふだん事件や裁判の取材を担当する記者の私が、茜さんのことを知ったのは、民事裁判の記録を見たことがきっかけでした。

茜さんの一家は、難聴の発見が遅れたために適切な教育などを受けられなかったとして損害賠償を求める訴えを起こしていたからです。

なぜ、もっと早く見つけることができなかったのか。
母親の瑶さんは裁判を通じて「責任を明らかにしたい」といいます。

今回、取材に応じてくれたことについては、こう話してくれました。
「もし茜のような子どもが1人でもいるならば、少しでも早く見つけてほしい」

専門家によると、先天性の難聴は、早期発見がとても重要だといいます。
早く対応を行えば、影響をできるかぎりおさえながら、ことばの発達を促進できるからです。

茜さんが、難聴に気付いてもらえなかった7年半の間、どれほどさみしかったのか、私には想像もつきません。

もし、同じようなケースがほかにもあるのならば、少しでも早く検査をして、見つけてあげてほしいと強く思います。
北九州放送局 記者
財前祐里香

令和3年入局。事件、事故、裁判の取材などを担当
ご飯をおいしく食べるため学生時代はレタスについて研究