台風19号 豪雨災害から2年 各地で追悼 被災地の課題は

台風19号による記録的な豪雨災害から12日で2年です。死者・行方不明者は合わせて123人で、このうち災害後に亡くなった災害関連死と認定されたのは29人にのぼっています。
各地の一日の動きと課題をまとめました。

死者・行方不明者 合わせて123人

おととし10月の台風19号では、東日本や東北で記録的な大雨となり、国土交通省によりますと、国や都県が管理する河川で堤防が決壊したのは合わせて142か所にのぼったほか、氾濫した河川の数は延べ325に達しました。

また、崖崩れなどの土砂災害も952件にのぼりました。

NHKが今月上旬、全国の自治体に取材したところ、死者は福島県や宮城県、神奈川県や長野県を中心に合わせて121人、行方不明者が2人でした。

死亡した人のうち、土砂災害や川の氾濫など直接的な被害で亡くなったのは92人で、災害後に亡くなった災害関連死と認定されたのは長野県で8人増え、29人にのぼっています。

宮城 長野 神奈川…各地で追悼

【12人が犠牲 宮城県丸森町】
宮城県内では災害関連死を含めて20人が死亡し、このうち丸森町では土砂崩れなどで県内で最も多い11人が死亡、1人の行方が今も不明のままです。

町では遺族などおよそ90人が参列して追悼式が開かれ、はじめに黙とうをささげました。

続いて保科郷雄町長が「犠牲となった方々のご冥福をお祈りするとともに、1日も早い復旧・復興と安心して暮らせるまちづくりのために全力を尽くすことを誓います」と述べました。

そして遺族を代表し、今も妹の行方が分からない天野民子さんが「元気だった頃の姿を思いだすと今でも胸が張り裂けそうです。ただ、いつまでも悲しみに暮れていると、亡くなった人たちを悲しませることになると思うので、災害を後世に語り継ぐとともに、前を向いて生きていきたいと思います。天上で見守っていてください」と語りかけました。
【2人が死亡 長野県佐久市】
佐久市では、81歳の男性が浸水した地域で車の上に取り残されて流され死亡したほか、68歳の男性が土のうを取りに行ったまま行方がわからなくなり、市内を流れる千曲川の中州で遺体で見つかりました。

佐久市役所では、12日正午に「台風災害から2年にあたり、犠牲になった方に対し1分間の黙とうをお願いします」という放送が流れ、職員が立ち上がって黙とうをささげました。

【8人が死亡 神奈川県相模原市】
相模原市では土砂崩れや川の増水が相次ぎ、市内4か所で合わせて8人が死亡しました。
このうち緑区の神之川キャンプ場では、増水した川に流されて亡くなったキャンプ場経営者の関戸基法さん(当時82)の遺族などが、花を手向けて追悼しました。

キャンプ場のテントを立てる場所は流されるなどしましたが、遺族によって営業は再開され、今も関戸さんを慕う人たちがキャンプ場を訪れているということです。

経営を引き継いだ長女の高崎幸江さんは「2年はあっという間だったが、父がもういないという気持ちがだんだん強くなってきた。父には感謝しかなく、みんなで頑張っているといつも伝えている」と話していました。

長野県では今も900人余りが避難生活

長野市内の千曲川を含む6つの河川で堤防が決壊し、災害関連死も含め23人が死亡した長野県。

6900棟余りの住宅が被害を受け、県によりますと仮設住宅や民間の賃貸住宅を活用したいわゆる「みなし仮設」などで避難生活を余儀なくされている被災者は、最も多かったときの984世帯から4割余り減少したものの、今月1日の時点でも394世帯、918人にのぼっています。
被災者からは、今後の生活の見通しが立たないと不安の声が聞かれました。

長野市上野にある仮設団地には13世帯が入居していて、祖母とともに生活している北澤光彦さん(31)は、祖父のりんご畑を継ごうと県外から引っ越してきたやさきに被害に遭い、畑もすべて流されました。

今はアルバイトなどで収入を得ているということで、北澤さんは「自分の家ではないので落ち着きません。リンゴ畑を立て直したいのに、家がないことや収入が途絶えてしまったことが大きな負担になっています」と話していました。

被災後に人口減少 地区の活動は

長野市の千曲川が決壊した場所に近い地区では、この2年で人口が流出し、コミュニティーをどう維持していくかが課題となっています。

長野市津野では、台風の前はおよそ250人が住んでいましたが、この2年で3割余りが別の場所に転居しました。

区長を務める小口吉昭さんによりますと、住み続ける意思のある住民はさらに少なく、今後、人口は被災前の半数ほどになる見込みだということです。

こうした中、課題となっているのが、地区の活動です。

住民が分担して地域の清掃や草刈り、高齢者の見守りなどを行っていますが、被災後は防災や復興に向けた話し合いなどの活動も増えていて、人口が減るなかで負担になっているということです。

原則2年とされる仮設住宅の入居期限が迫るなか、避難生活を送る人たちが地元に残るかどうか決断を下す時期が来るため、地区ではアンケートなどを行って、地区の活動や役員の人数、交流行事などを規模に見合った形にするか検討を始めているということです。

小口区長は「住民が減るのは寂しいが、災害の不安を抱えてまで、この地区に家を再建してほしいとは言えないのでしかたない。災害の影響で地区の人口減少が10年、20年単位で一気に進んでいるので、住民の負担を減らすためどう見直していけばいいのか考えたい」と話しています。

仮設住宅の入居期間 まもなく終了

一方、被災者が暮らす仮設住宅はまもなく2年の入居期間が終わります。

茨城県内では那珂川と久慈川の堤防が決壊するなどして2人が死亡し、1人が行方不明となったほか、住宅などの浸水する被害は5000棟余りに上りました。

県によりますと、今月1日時点で20世帯42人が仮設住宅や、いわゆる「みなし仮設」などでの生活を余儀なくされているということです。

仮設住宅の入居期間は法律により原則2年で、自治体は入居者に、最も長い人でも来月28日までの退去を求めていますが、高齢などのため新たな住まいが見つからない人もいて、生活の再建が課題となっています。

住民「入居2年は短いと思う」

茨城県常陸大宮市の仮設住宅に住む後藤幸子さん(74)と娘のひろみさん(46)の親子は、2年前の台風19号で、市内にあった平屋建ての自宅が1メートル80センチほど水に浸かる被害を受けました。

幸子さんは「今もニュースで災害の映像を見ると、音もなく迫ってくる水の怖さがよみがえってくる」と当時の様子を振り返りました。

後藤さん親子が入居する仮設住宅は、来月上旬、入居できる期限を迎え、近く2人は市内の住宅に引っ越すことにしています。

被災した最初の1年は、仮設住宅での生活を整えるのに追われ、その後の1年で住まいを探そうとしても、条件にあったところを探すのには時間がなかったということで、幸子さんは「市役所としては2年でけじめをつけてほしいということかもしれないが、仮設住宅に入居する人たちからすれば2年は短いと思う」と話していました。

木原官房副長官「災害の経験や教訓を継承」

木原官房副長官は閣議のあとの記者会見で「改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げたい。政府としては、被災者の生活となりわいの再建に向けた対策パッケージに基づき、インフラの復旧などを進めてきたところで、引き続きしっかり取り組んでいきたい」と述べました。

その上で「この台風では、避難勧告と避難指示の区分が分かりにくいといった指摘や、高齢者の避難が難しかったといった課題が指摘され、先の通常国会で災害対策基本法を改正し、対策を強化している。災害が激甚化する中、政府としてはさまざまな災害の経験や教訓を継承しながら、災害発生時には万全の対応を速やかに行えるよう、防災・減災、国土強じん化にしっかりと取り組んでいきたい」と述べました。
台風から2年となり避難生活が長引くなか、被災地では生活の再建が引き続き課題となっています。