
落語家の柳家小三治さん死去 81歳 江戸落語の大看板で人間国宝
とぼけた味わいと卓越した人物描写で語られる本格的な古典落語で人気を集めた、江戸落語の大看板で人間国宝の柳家小三治さんが、今月7日、心不全のため、東京都内の自宅で亡くなりました。81歳でした。
柳家小三治さんは1939年に東京に生まれ、高校で落語研究会に入部し、素人が出演するラジオの落語番組で15週連続で勝ち抜くなど、早くから頭角を現しました。
高校卒業後、両親の反対を押し切って入門した五代目柳家小さんに才能を高く評価され、1969年に真打に昇進すると同時に、師匠 小さんの前の名前の、十代目柳家小三治の名を襲名しました。
とぼけた味わいと登場人物を巧みに演じ分ける卓越した人物描写で知られ「宗論」や「厩火事」「長屋の花見」などのこっけい噺(ばなし)を軸に、師匠の柳家小さんや古今亭志ん生など、昭和の名人の芸を受け継いだ本格的な古典落語で人気を集めました。
一方、身近な話題を語る「まくら」でも人気を集めて「まくらの小三治」とも呼ばれ、小三治さんのまくらだけを集めた書籍も発表されました。
テレビでのタレント活動はせず、独演会や寄席を中心に活動を続け、最もチケットのとりにくい落語家のひとりとして、高い人気を誇ってきました。
また、2010年から2014年まで落語協会の会長を務め、落語家が真打に昇進できる基準を従来の年功序列から実力主義に改めるなど、落語界の活性化を図りました。
2005年には紫綬褒章を受章したほか、2014年には落語界では3人目となる、いわゆる人間国宝に認定されました。
小三治さんは長年、重いリューマチを患い、体の痛みと闘いながら高座に上がっていて、ことしの春は腎機能に問題があったとして、予定していた高座などへの出演を見送っていました。
小三治さんの事務所によりますと、今月2日にも高座に上がるなど仕事を続けていたということですが、今月7日、心不全のため、東京都内の自宅で亡くなりました。81歳でした。
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そして、小三治さんについて「とぼけたようなあの間がなんとも言えず、ふだんの生活で交わす会話さえも落語になっている。演技でもなんでもない、それが小三治だった。本人は『勉強してますよ』って言うかもしれないが、あれは生まれつきで天才だった。正月になると小三治を目当てにした客が寄席を回る、いわば追っかけもいた」と振り返りました。
そのうえで、馬風さんは「今は本当にご苦労さまと言いたい。晩年は病気に悩まされ、馬が食べるほどの量の薬をビニール袋いっぱいに飲んでいて、大変だったと思う。ゆっくり休んでほしい。落語界では若手たちが頑張っているので、天国から見守ってほしい」と長年の友の死を悼みました。
弟弟子の柳家小さんさん「気が抜けてしまったような状態」
小さんさんは、15年ほど前、父でもあった先代のあとを継いで六代目を襲名しました。
先代は落語界では初めての人間国宝で、葛藤もあったということですが、思い切って決断し、子どものころからよく知っていた兄弟子の小三治さんに相談したということです。その際、小三治さんは「お前が自分の意志でこうなりたいと言ったのは初めてだ。大人になったということなのかな」と話し、襲名を後押ししてくれることになりました。
小三治さんは、その後開かれた小さんさんの襲名披露の記者会見でも「ここ3年ほどの間に大木のような存在感が出てきた。そのままの姿勢でがっちりとした四つ相撲をとってもらいたい」とエールを送っていました。