「あの人」はいま…アメリカを動かし続けている

「あの人」はいま…アメリカを動かし続けている
政治家が新型コロナウイルス対策として市民に外出自粛を求めながら、自分で決めたルールを破って批判されるのは、洋の東西を問わないようだ。
アメリカで最も人口が多いカリフォルニア州で、「将来の大統領候補の一人」とも評されてきた知事を追い詰めたのは、熱狂的な支持者たちがいる「あの人」の存在だった。
(ロサンゼルス支局長 及川順)

「すべて良し」の州知事

アメリカ西部カリフォルニア州は新型コロナの感染防止で「優等生」とされてきた。
陣頭指揮に当たるのが、民主党のニューサム知事(53)。
感染拡大が始まった去年3月には早々と「外出禁止令」を出すなど、積極的に手を打ってきた。

資金力は十分、演説も切れ味が鋭く、まさに「すべて良し」の政治家だ。
『将来の大統領候補の1人』と評するメディアさえある。

一組の写真で評価が急落

ところが、去年11月。一組の写真が報じられると、その評価は急落した。
写っていたのは、テーブルを囲むニューサム知事と支援者たち。
場所は、ワインの産地として世界的に有名なナパの高級レストランだった。
レストランのホームページに載っているコース料理の値段は350ドルから1200ドル(4万円弱から13万円以上)、ワインは高いもので1本3500ドル以上(38万円以上)などとある。
マスクも着けずに会食を楽しんでいた様子のニューサム知事は、謝罪に追い込まれた。
ニューサム知事
「友人の誕生日で招かれました。着席してすぐに、出席者が多いことに気付きました。私は退席すべきでした。私も人間です。及ばないこともあります」

「シュワちゃん」以来のリコール選挙

知事の謝罪にもかかわらず、批判は収まらなかった。
市民に外出の自粛などを求めながら、みずからは豪華な生活を満喫している。
その姿は、いわば「上級国民」に映ったのだろう。
知事のリコール=解職を求める署名は約210万人分に上り、リコールへの賛否と、知事が解職された場合の新しい知事を選ぶ選挙が、9月14日に行われることが決まった。
カリフォルニア州で知事のリコール選挙が行われるのは、映画俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー氏が当選した2003年以来、18年ぶりのことだ。

対立候補は「あの人」そっくり

リコールが成立した場合の知事の座に立候補したのは46人。
このうち、オリンピックのメダリストや、同じ州のサンディエゴ前市長などを押さえ、世論調査でトップに立ったのがラジオ番組の司会者で、共和党のラリー・エルダー氏(69)だ。
ラジオでの鋭い弁舌で保守層の人気を得てきたエルダー氏。
選挙戦では、政治経験がないことを逆手にとり、エスタブリッシュメント=既得権益層の打倒をアピールした。
この政治手法、「あの人」にそっくりではないだろうか。そう、トランプ前大統領だ。

実際、エルダー氏は過去に「2016年のトランプ氏の当選は神のご意思だ」と発言。
みずからのツイッターにも、トランプ氏とのツーショット写真を載せている。

カリフォルニアとは思えない光景

投票を10日後に控えた9月4日、ロサンゼルス郊外でエルダー氏の集会を取材した。集まった約200人の中で、マスクを着けていた人は1人もいなかった。
演説の冒頭からエルダー氏が語気を強めて批判したのが、ニューサム知事の高級レストランでの会食についてだ。
エルダー氏
「私たちにマスクの着用や人との距離の確保を求めながら、自分たちは守っていなかった。これは偽善であり、知事を辞めるべきだ」
民主党を既得権益層と見なして鋭く批判する演説に、熱狂する参加者たち。まさにトランプ前大統領の集会のようだった。
参加した女性に話を聞いて、さらに驚いた。
「エルダー氏の支持者のほとんどは、トランプ前大統領の支持者です。エルダー氏は、カリフォルニア州のトランプ氏のような存在です」
全米でもリベラルな有権者が多く、与党・民主党が強いとされるカリフォルニア州で、このような光景を見るのは驚きだった。

求めるのはリコール? それとも…

会場の後方には、3つの出店が立ち並んでいた。
いずれも「トランプグッズ」を販売する出店だった。
商品棚に並んだ帽子には「TRUMP 2024」の文字。2024年の大統領選挙へのトランプ氏の立候補を支持するというメッセージだ。店主のソロモンさんは、アメリカ全土を行脚してトランプグッズを販売していると言う。
ソロモンさんからもらった名刺には「The MAGA Mall」という屋号が書かれている。MAGAというのは「Make America Great Again=アメリカを再び偉大に」という、トランプ前大統領のスローガンの頭文字だ。
商売が成り立つのは、全米各地に多くのトランプ支持者がいることの証しだと言う。
ソロモンさん
「トランプ氏の応援グッズはアメリカ全土で需要があり、一番人気は帽子です。一日に1000ドル以上(11万円以上)の売り上げがあります」
商品の中で帽子とともに目立つのは、トランプ氏の名前が書かれた旗だ。
ことし1月に首都ワシントンで連邦議会議事堂への襲撃事件が起きた際、このようなデザインの旗がいくつも掲げられていた。この日の集会では、1月の事件当日、襲撃への連帯を示すためワシントンにいたという人にも3人出会った。
私にはまるで、ニューサム知事のリコールと言うより、2024年の大統領選挙へのトランプ氏の立候補を求める人たちの集会のように見えた。

ついに世論調査が逆転

アメリカの選挙では、候補者は当選後すぐに取り組む政策について「Day one」という表現で、有権者にアピールすることが多い。就任初日に実行するという意味だ。
トランプ支持者たちの期待を集めるエルダー氏が「Day one」に掲げたのは、民主党が進めてきた感染対策の打ち切りだった。具体的にはニューサム知事が進めてきた、マスクの着用や新型コロナワクチン接種の義務化などの廃止だ。それまでの州の政策をひっくり返す公約だが、共和党支持者や経済の活性化を望む人たちの賛同を多く集めた。

そして、各社の世論調査では、知事のリコールへの賛否がきっ抗。中には、賛成が反対を上回るものまで出てきた。

「トランプの影」におびえる民主党

強固な地盤であるはずのカリフォルニア州での苦戦に、与党・民主党は対策を強化。
オバマ元大統領が出演するテレビコマーシャルの放送を投票1週間前から始めたほか、地元出身のハリス副大統領、さらに投票前日にはバイデン大統領も応援のため現地に入り、対立候補のエルダー氏に対する警鐘を鳴らした。
バイデン大統領
「私は去年、本物のトランプ氏と戦ったが、今回の選挙に立候補している共和党の人物(=エルダー氏)は、今まで見た中でトランプ氏のクローンに最も近い人物だ」
トランプ主義の台頭を肌身で感じたニューサム知事も、危機感を口にした。
ニューサム知事
「去年11月の大統領選挙でトランプ氏は敗れたが、トランプ主義はなくなっていない。それはアメリカ全土で生きていて、カリフォルニア州にまで来ている。マスクの着用とワクチンの接種で人々の命を守り、経済を復活させ、学校の安全を確保しよう!」

届き続けるメール

9月14日に行われた投票の結果、リコールに対する反対票が賛成票を大幅に上回り、ニューサム知事は続投が決まった。
背景には、トランプ主義の是非を争点に掲げた民主党の作戦が功を奏し、危機感を抱いた多くの民主党支持者が投票したことがあると見られる。
カリフォルニア州での去年11月以降の政局は、ひとまず収束した。

ただ、知事の座を守った形の民主党は今回、候補者ですらなかったトランプ前大統領の影と必死に戦っているように見えた。そのことがかえって、アメリカ政治におけるトランプ氏の存在感の大きさを印象づけた。
そのトランプ氏は現在も、資金集めを積極的に進めている。
取材のため、支持者などで作る団体「チーム・トランプ」にメールアドレスを登録した私のもとには、1日に何通も献金を呼びかけるメールが届く。
バイデン政権の議会運営を大きく左右する来年11月の中間選挙、そして2024年の大統領選挙に向け、トランプ主義は拡散を続け、影響力を増しているように見える。
ロサンゼルス支局長
及川 順
1994年入局
政治部 アメリカ総局
大阪局(選挙デスク)
などを経て
2019年から現職