私が追ったスティーブ・ジョブズ

私が追ったスティーブ・ジョブズ
「彼はジーンズのポケットから取り出して言いました、これがiPhoneだよ、と」

2007年3月。発売前のスマートフォンを、アップルの創業者、故スティーブ・ジョブズ氏本人から見せてもらったという写真家がいます。ジョブズ氏が亡くなって10年。長年の友人だった彼女の写真や話から浮かび上がる、ジョブズ氏の素顔とは。(ロサンゼルス支局記者 山田奈々)

最悪の第一印象

「仲間の写真家からは、スティーブは扱いにくい人物だと聞かされていました」

そう話すのは、アメリカの雑誌、TIMEの写真家として活動していたダイアナ・ウォーカーさん。

1982年の年末、TIMEが毎年発表している「ことしの人」に関連する取材で、スティーブ・ジョブズ氏の撮影を任されました。

Lisaと名付けた最新のコンピューターの発売を間近に控え、注目されていたジョブズ氏。

ウォーカーさんが最初に会ったのは、カリフォルニア州のスタンフォード大学で学生を前に講演した直後だったと言います。
ウォーカーさん
「スティーブが学生に言ったんです。“有名になったことでパパラッチが付いてくるようになった”と。私は自分をパパラッチと表現されたのが嫌でとても腹が立ったので、講演のあと『失礼すぎる』と伝えました。『失礼?僕が?』と彼が言ってきたので、『私、あなたより年上の子どもがいるのよ!』と言ってやりました。スティーブは私を見て『そんなことあるはずない』と。私が『うそよ』と言うと、2人で大声でゲラゲラ笑いました。これが最初の会話でした」

多くのものはいらない

第一印象こそ最悪でしたが、2人はこの会話のあと意気投合。

ウォーカーさんは、スタンフォード大学からさほど離れていなかったジョブズ氏の自宅に招かれ、数日間にわたって写真を撮ることになります。
自宅で最初に撮影されたうちの1枚、殺風景な部屋で床に座るジョブズ氏は、ウォーカーさんのお気に入りの1枚だと言います。
ウォーカーさん
「『多くのものはいらない。好きな音楽ときれいなランプ、そしておいしいコーヒー。それさえあれば、あとは必要ない』。そう言っているようでした。ただそこに自然体で座っている彼の姿が印象的でした」
ジョブズ氏の自宅や職場で数日間を過ごしたウォーカーさん。

2人を写したスナップ写真では、ウォーカーさんの頭の上で気付かれないようにピースサインをするジョブズ氏の姿が。

「こういうことをするのが本当に彼らしい」

ユーモアのセンスにあふれ、おもしろいことが大好きだったと振り返ります。

透明人間になる

その後、長年、ジョブズ氏を追ったウォーカーさん。

大切にしてきたのが、「ビハインド・ザ・シーン」、つまり舞台裏を撮るということです。

ジョブズ氏は、他の人といる時にはウォーカーさんを透明人間として、そこに存在しないものとして扱ったといいます。
開発中のコンピューターについての社内会議にも、入室を許されました。

ウォーカーさんは、舞台裏のありのままを記録したいと願う自分の思いを汲んでくれていたのではないかと感じています。
ウォーカーさん
「私が撮影したスティーブの多くは、ビハインド・ザ・シーンなんです。マスコミ向けに用意された撮影機会ではありません。私の役目は、他の人が見たことがない、彼のキャラクターをあぶり出すことだと思っていました」
ジョブズ氏と妻のローレンさんを自宅の庭で撮影した写真からも、夫妻のリラックスした様子が伝わってきます。
ウォーカーさん
「カップルの写真を撮るときには、私やカメラに向かってではなく、2人で話をしてもらうんです。この時は、ローレンがスティーブをからかって、彼のおなかを触ったんです。その瞬間『撮れた』と思いました。2人の関係性を表す写真、写真を見るだけで、お互いを愛し、とても幸せなんだということが伝わる写真です」

居合わせた“決断”の現場

舞台裏を撮る姿勢が“特ダネ”につながったこともありました。

1997年、アップルの業績が厳しい状況にある中、ボストンで開かれるイベントでジョブズ氏が重要な発表をするのではないかという情報をキャッチ。

ウォーカーさんはジョブズ氏と同じ飛行機でボストンに入り、イベントのリハーサル現場で「透明人間」になって撮影機会を狙っていました。
ウォーカーさん
「突然、スティーブのアシスタントが携帯電話を彼に手渡しました。誰と話しているのか見当もつきませんでしたが、翌日の発表会で何かが起こるとは思っていたので、この電話はその何かと関係があるかもしれない。イベントのリハーサルを中断してまで話さなければならない内容で、それだけ重要なのだと感じました」
電話の相手は、“宿敵”マイクロソフトのビル・ゲイツ氏でした。

ジョブズ氏はマイクロソフトと提携し、資金支援を得ようとしていたのです。

イベントでは、マイクロソフトが1億5000万ドルで議決権なしのアップル株を購入することなどが発表され、世間を驚かせました。
リハーサルの会場でしゃがんだり、床に寝そべったりしながらゲイツ氏と話すジョブズ氏の写真は、提携を決断する瞬間をとらえたものとなり、その月のTIMEの表紙を飾りました。

闘病と、家族への思い

2004年。
ジョブズ氏が最初にすい臓がんの手術を行った年、手術後に自宅で撮影されたのが、こちらの写真です。

ウォーカーさんにとって、彼を撮影する最後の機会になりました。

ジョブズ氏は「僕の父は、僕が12歳の時に亡くなりかけたんだ、だから今、当時の自分と同い年の息子がどんな気持ちかよくわかる。すごく大変なことだけれど、病気のおかげでみんなが1つになれた」

そう話したといいます。
ウォーカーさん
「TIME誌も私とスティーブが友達だと知っていたからでしょうか、このあと撮影を持ちかけられたことは一度もありません。病院から戻った彼はひどくやせていて、でも気持ちだけはしっかりしていました。『すい臓がんには2種類あるんだよ、僕のは、回復できるほうなんだ』。そう話していましたが、きっと本当は病気の状態が良くないことを知っていたんだと思います」

発売の3か月前に

その後も、2人の友人関係は続きました。

2007年3月。
ウォーカーさんが写真集に載せるコメントをもらうため、ジョブズ氏の自宅で夕食をともにしていた時のことでした。
ウォーカーさん
「スティーブはよく、コンピューターについて何も分かっていないと言って私のことをからかってきました。彼の自宅で夕食をとっていた時、『ちょっと見せたいものがある』と言ってきたんです。『君も持つことになるものだ』と。そして彼はジーンズのポケットから取り出して言いました。『これはiPhoneだよ』と」
ジョブズ氏は、その端末を使って家族の写真を見せてくれたり、ウォーカーさんの自宅の衛星写真を見せたりして驚かせたといいます。

実際の発売は、2007年6月。

ウォーカーさんはその3か月前に、ジョブズ氏本人から端末を見せてもらっていたことになります。
ウォーカーさん
「私たちは良い友達で、彼にとって私は発売前のものを見せてもいいと思える存在でした、今思えばとんでもないことだと思いますが」

さよならを言えずに

長年、ホワイトハウスの取材も担当していたウォーカーさん。

2011年10月、取材でヒラリー・クリントン国務長官の外国訪問に同行することが決まっていました。

その直前にジョブズ氏が亡くなります。

葬儀の案内が届きましたが、参列を断念せざるを得ませんでした。

後日、妻のローレンさんから葬儀の様子をまとめたアルバムが届きました。

いまも、そのアルバムを大切にしているといいます。
ウォーカーさん
「さよならを言えませんでした。彼のことをとても好きでしたから、とにかく悲しかったです。今もスティーブがいたら、世の中はどう変わっていたでしょう。その変化を見続けていたかった。ありがとう、ただ、あなたがまだここに居たらよかったのに」
ロサンゼルス支局記者
山田 奈々
2009年入局
長崎局、経済部、国際部などを経て今夏から現所属