「妹がジャングルジムから落ちた」

「妹がジャングルジムから落ちた」
公園の滑り台で遊ぶ小さな女の子。

この写真が撮られた半年後の夏休み、女の子は同じ公園のジャングルジムの下で倒れているのが見つかりました。

わずか6歳で奪われた命。

逮捕されたのは、17歳の兄でした。

「私があのとき、家にいれば」と、母親は後悔を口にします。

事件に至る経緯を取材すると、妹も、兄も、そして母親も、それぞれが追い詰められていたことがわかりました。

(大津放送局 記者 松本弦)

「ジャングルジムで遊んでいて妹が落ちた」

ことし8月1日午前9時半ごろ。

大津市の児童公園の近くに住む住民から、119番通報が入りました。

消防や警察が駆けつけ、倒れた女の子を発見。

病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。
亡くなったのは、小学1年生の女の子。

当時、一緒にいたのは17歳の兄でした。

住民に助けを求めて、通報を依頼した兄は「ジャングルジムで遊んでいて妹が落ちた」と説明していました。

ジャングルジムは最も高いところで2.4メートル。幅は1.6メートル。

大津市によると、ことし5月には点検を行っており、安全上の問題はなかったといいます。
ジャングルジムから足を踏み外したのか、それとも何かの衝撃を受けたのか。

取材を始めた私は、どんな遊び方をしていたら、ジャングルジムから落ちて亡くなるのか、気になっていました。

”事故”から”事件”に

ところが、その3日後の8月4日。事態は思わぬ展開を見せました。

兄が女の子を死亡させたとして傷害致死の疑いで逮捕されたのです。
警察は、当初転落事故とみて捜査していましたが、司法解剖の結果、女の子は内臓の破裂や骨折など全身に100か所ほどのけがをしていたことがわかりました。

改めて警察が兄から事情を聞いたところ、兄はこう供述したのです。
「事件の数日前から妹に暴力をふるうようになった。腹や背中、顔などを素手で殴ったり蹴ったりした」
「妹に暴力をふるったことを隠そうと、ジャングルジムから落ちたように装った」

「妹の世話をし続けることが、つらかったんじゃないだろうか」

なぜ、兄は妹に暴力をふるったのか。

近所の人たちは、仲よさそうに遊ぶ2人の姿をたびたび目撃していたといいます。

スケートボードをしたり、ボールで遊んだり…

10歳以上年の離れた兄が優しく妹の面倒を見ている。近所の人には、そんな風に映っていました。

取材を続けていると、捜査関係者から、こんなことばを耳にしました。

「妹の世話をし続けることが、つらかったんじゃないだろうか」

いったい、どういうことでしょうか。

深夜のコンビニで「1000円ほしい」

自宅付近で取材を続けると、事件前のきょうだいの足取りが分かる映像が見つかりました。

事件の11日前。7月21日、午前0時ごろ。

小学校が終業式を迎え、夏休みに入ったその日でした。

近くのコンビニを訪れた女の子の姿を防犯カメラが捉えていました。
何かを探すように首を動かしながら1人で店内を歩いていましたが、何も買わずにそのまま店の外に出ていきます。

「1000円ほしい」

捜査関係者によると、女の子はコンビニの客に「1000円ほしい」とねだっていたといいます。
店の外の防犯カメラには、駐車場にいる客に女の子が近づき、声をかけているとみられる様子も写っていました。

駐車場には、兄の姿も写っていました。

追い込まれた2人の異変 警察も児童相談所も気付けず

深夜にもかかわらず、客にお金をねだる小学1年生の女の子と、一緒にいた兄。

このあと、通報を受けた警察が駆けつけ、2人を保護します。

児童相談所にもトラブルは通告されていました。

兄の供述によると、この翌日から妹への暴行が始まったといいます。
家の中で行われていたとみられる暴行に、大人たちが気付くことはありませんでした。
警察
「兄の妹への暴力に関する相談や通報は警察には寄せられておらず、コンビニで保護した際も、妹にけがはなかった」
また警察は児童相談所に通告し、児童相談所は母親に電話で連絡をとりました。

しかし、家庭訪問やきょうだいからの直接の聞き取りは行いませんでした。

母親とは面会する約束をしましたが、日付は2週間後の8月4日。

その面会の3日前に、女の子は亡くなりました。
児童相談所
「母親は『兄が妹の面倒をよく見てくれている』と話していた。妹が兄に暴力をふるわれていたというような情報は学校などから得ておらず、緊急性はないと判断した」
深夜に小学1年生が客に1000円をねだるほど追い込まれていた状況。

誰か異変に気付いてあげられなかったのかという思いは、ぬぐえませんでした。

母親が語るきょうだい

きょうだいは、自宅で母親と3人で暮らしていました。

どのような家庭環境だったのか。そして、今回の事件をどう受け止めているのか。

私は母親に話を聞こうと考えました。

電話越しに「気持ちの整理がつかず、いまはお話しできることはありません」というやり取りが続きました。

その後も何度も話を続けました。

するとある日、取材に応じると連絡がありました。

「娘や息子のことを伝えてほしい」というのです。
駅前の喫茶店に現れた母親は、とても憔悴した様子でした。

それでも、2人について尋ねるとスマホを取り出し、思い出の数々を見せながら話し出しました。

家族仲はよかったといいます。

家族3人でランニングし、カメラに向かってピースしている様子。

女の子が亡くなる3週間前のことでした。
滋賀県のアスレチック施設で、高い場所から一歩踏み出すことを怖がる息子を励ましている母親の動画。

きょうだい2人が笑顔で並んで座っている写真。
現場の公園で撮影された動画には、ことし2月、滑り台で元気に遊ぶ女の子の姿も写っていました。

事件の時は大阪に 自宅にはきょうだいだけ

事件が起きた8月1日は、母親は自宅から離れた大阪にいたといいます。
母親
「大阪にいる時に、警察から電話があったんです。『落ち着いて聞いてください。娘さんがジャングルジムから落ちて、心肺停止です』と。私はすぐに車に乗って病院に向かいました。どうしよう、どうしようと焦りながら、無事でいてほしいと祈る気持ちでした。病院で『亡くなった』と聞いたときは、その場に崩れ落ちました。息子はそこにいなくて、次に会ったときは警察署の中でした」
ことし7月ごろから県外で働くようになり、家を留守にすることが多かったという母親。

もともと経済的な理由から、兄は京都府、妹は大阪市にある児童養護施設で別々に暮らしていました。

しかし母親は家族で一緒に暮らしたいと子どもたちを引き取る決意をし、ことし3月、妹が小学校に入学するのを機に一緒に住むようになりました。

それでも経済的には全く余裕が無く、家賃も払えない状況になったといいます。

頻繁に督促が来るようになり、追い詰められた母親。

少しでも収入を得ようと仕事を探す中で見つかったのが、大阪での介護関連や引っ越しの仕事。家に帰らない日が多くなっていったと説明しています。

「私がすべて悪い…」

長い間、子ども2人だけにすることに心配はなかったのか。放置していたのではないか。

こう尋ねると、母親は子どもたちへの接し方を振り返り、後悔する気持ちを口にしました。
母親
「息子は娘ととっても仲がよくて、手をあげたところは一度も見たことがありません。あんなことが起きるなんて信じられない。私があのとき、家にいれば事件も起きなかった」
「私がすべて悪いと思っています。子育ての方法を誤り、ストレスを与えてしまったんだと。2人を愛して、子育てを頑張っているつもりだったけど、そんな現状にもっていった私は親として悪いんだと感じています」
そして、娘が命を落とし、息子が逮捕されたことについて、涙を流しながら複雑な思いをにじませました。
母親
「赤の他人であれば、もっと怒りを向けることもできたでしょう。でも、娘に手をかけたのは息子なんです。とてもやりきれない気持ちです。娘のことは愛情かけて育てていたし、息子も優しい子だった。家族みんなで、仲よく暮らしていたはずなんです。そのことを知ってほしい」

母親にも支援が必要だったのでは

悲しみや後悔は受け止めつつも、自宅に子どもだけを残していた母親に、私は割り切れなさも感じました。

同時に、家族の日々の生活が困窮していく中で、母親にも何らかの社会的な支援が届く必要があったのではないかとも感じました。

裁判所が指摘 兄は“ヤングケアラー”

9月17日に開かれた少年審判。

家庭裁判所は「少年は自分とは圧倒的な力の差や体格差のある妹に対し、およそ10日間、暴行を多数回繰り返し、執ようかつ危険で、悪質だ。原則として検察官送致とすべき事案だ」と指摘しました。

そのうえできょうだいがネグレクト状態にあったとも指摘。
児童相談所などの公的機関の責任にも触れました。
家庭裁判所
「少年は事件の数か月前に母親と妹と同居を始めたが、母親が家に帰らない日が増え、妹が死亡するまでの7日間も家に母親は帰ってこなかった。児童相談所などの公的機関も兄や妹がネグレクト状態に置かれていることを知りながら一時保護などの措置がとられることなく、1人で家事や、妹の世話をすることを余儀なくされた」
捜査関係者などによると、兄は学校には通っていませんでした。妹の食事を作ったり小学校に送っていったりするなど、日常的に妹の世話を1人でしていました。いわゆる“ヤングケアラー”です。

また今回の事件までは、妹への暴力は確認されなかった一方、まだ小学1年生の妹はさみしさもあってか、ふざけて兄にちょっかいを出すこともあったということです。
動機について、裁判所はこう指摘しています。
家庭裁判所
「少年は妹の言動に腹を立てるたびに、その言動をあらためさせたいという動機もあって衝動的に暴力を振るうようになった」
兄は幼いころから養育者が頻繁に入れ代わり、暴力やネグレクトを受けており、人と深い関係性を築くことが難しくなっていました。

複雑な家庭環境の中で、しつけという名目で身近な大人から何度も暴力を振るわれてきたといいます。その影響か“言葉で分からなければ暴力はやむをえない”という考えをもつようになっていったそうです。

裁判所が出した結論は「刑事処分ではなく、保護処分が適切だ」というものでした。
家庭裁判所
「気晴らしの方法もない閉鎖的な空間で妹と2人だけで過ごし、頼れる人もいないまま、少年が感じていたストレスは相当なものであった。本件は、そのような過大なストレスを感じる状況下で起こった面が大きく、その責任を少年のみに負わせるのは酷な面がある」
兄は今後、少年院で更生への道を歩むことになります。

ヤングケアラーの子どもたち「ひと事ではない」

親の代わりに、幼い妹の世話をしなくてはならなかった兄。

同じような境遇に置かれた子どもたちは、今回の事件をどう感じたのか気になり、話を聞かせてもらいました。

訪ねたのは大津市のNPO「こどもソーシャルワークセンター」です。

家庭にいることがつらかったり、いじめを受けて学校に行きにくくなったりしている子どもたちが日々訪れ、思い思いの時間を過ごしています。

日曜日は週に1度、高校生たちが集まる日。この日集まった高校生たちは皆、家庭に事情があり、幼いきょうだいの面倒を見なくてはならない”ヤングケアラー”です。

事件の話題をきっかけに、1人ずつ自分の話をしてくれました。
男子高校生
「僕は逮捕された少年と同い年です。5歳の妹の世話をしていて、食事を作ってあげたり、洗濯をしたりしています。お絵描きとか、おりがみ折ってあげたりして遊びながら、合間で家事もしています。でも、家事をしない時があると妹から『どうしてしないの』と責められることもあって複雑な気分になることもあります」
女子高校生
「家事をするのは全部大変です。けんかをしてストレスがたまることもあるので、世話をしなくていい時間があると正直、ほっとします。1人でずっとつきっきりで世話をするなら、自分ならどうなっているんだろうと想像しました。事件のことはひと事だと思えません」

ヤングケアラー 家庭以外にも“居場所”があれば

きょうだいを世話するエピソードを語る中、子どもたちが口をそろえて訴えていたのは「居場所」の大切さでした。

逮捕された兄も、家庭以外の居場所があれば違っていたのではないかといいます。
男子高校生
「親はこうしろ、ああしろと言うこともあるけど、同世代と話したり、ゲームしたりできる居場所は本当に大切で、何より楽しい。親がいない環境で友達と遊ぶ時間があったらいいし、そもそも友達がいないっていう子もいると思う。こういう場所があれば人とコミュニケーションがとれるし、もっともっと増やしてほしい」
NPOの理事長は、同じ大津市で事件が起きたことに衝撃を受けながらも、事件の責任を兄や母親に押しつけるだけでは悲劇はまた繰り返されると訴えました。
NPO「こどもソーシャルワークセンター」幸重忠孝理事長
「妹には自由に遊べる環境が、お兄ちゃんには、弱みを出せたり、困った時に連絡したりする場所が必要だったんじゃないかと思います。いろんな家庭がある中で、親が家を空けざるをえない事情もあります。多くの人は親を批判しますが、生活のためだったりとか、親自身の人生のなかで、どうしてもという場面は誰しもに起こりえることなのです。こうした事件をきっかけに、多くの人に考えてほしいことです」

妹を何度も抱き直して歩いていた兄は…

親子3人がそれぞれの立場で追い詰められ、起きてしまった事件。

家族が発していたSOSには、誰1人気付くことはありませんでした。

事件が起きた8月1日。自宅と公園の間にある防犯カメラには、自分が傷つけた妹を抱きかかえる兄の姿が写っていました。

体が痩せ細って見える兄。ぐったりとした状態の妹を何度も抱え直しながら、いったいどんなことを考えていたのでしょうか。そして妹は、どんな思いでいたのでしょうか。
人知れず孤立し、困窮していった3人の親子。

“手をさしのべることはできなかったのだろうか”

今回の事件は、私たちにそう問いかけているように感じています。
大津放送局 記者
松本弦

平成30年入局。事件や事故、いじめ問題など子どもを守るための取材にこだわる。