白鵬 引退会見【全文】“型をもって型にこだわらない”

元横綱 白鵬は、東京 両国の国技館で師匠の宮城野親方とともに会見しました。引退を決めた理由やこれからどんな親方になりたいか。そして次の世代へのメッセージなど、引退会見のほぼ全文です。

“ほっとした気持ちでいっぱい”

<冒頭あいさつ>
宮城野親方
「本日は白鵬の引退並びに間垣襲名に報道陣の大勢の方に出席いただき、ありがとうございます。白鵬もこれから頑張って若い衆の後進の指導に当たって、しっかりと協会のために頑張ってくれると思っています。これからも協会のために多くの力士を育て上げて、皆様方に貢献できるように頑張っていく所存ですので今後ともよろしくお願いします」

白鵬
「本日は足元の悪い中、お集まりいただきまして誠にありがとうございます。私白鵬は引退させていただくことになりました。年寄・間垣を襲名し、後進の指導をさせていただきます。現役中は皆様にお世話になりました。そして活躍の場を与えていただいた日本相撲協会に感謝しています。本日はありがとうございます」

(質問)今、引退記者会見の席に座ってどんな思いかー
(白鵬)「大変緊張しています。そして、ほっとした気持ちでいっぱいです」

(質問)これまでに経験してきた会見とは、違う思いがあると思うがー
(白鵬)「そのとおりです」

(質問)引退。重い決断だと思うが、いつどのように決めたのかー
(白鵬)「引退を決めたのは、名古屋場所中の10日目に決めました」

(質問)どんな思いだったのかー
(白鵬)「去年の8月に手術して、コロナに感染し、3月に再び右ひざの手術をしました。進退をかける最後の場所もひざが言うことを聞かなくなり、この場所は10勝、2桁勝利が私の目標でした。初日に勝ち、そして若手との一番、一番、決して簡単な取組はなかったと思います。その10勝を達成したときに宿舎に戻り、親方をはじめ部屋の皆さん、裏方に、今場所で引退させていただきますと伝えました」

“本当に相撲が大好きで幸せ者です”

(質問)引退に迷いはなかったのかー
(白鵬)「右ひざのことを思えば、迷いはなかったと思います」

(質問)まだまだやれる、という気持ちはー
(白鵬)「やっぱりひざのことを思えば、なかったと思います」

(質問)家族はどんな思いだったのかー
(白鵬)「奥さんはやっぱり残念がっていましたけど、子どもたちはもっと頑張ってほしいという声もありました」

(質問)もっとやってほしいとー
(白鵬)「はい」

(質問)それに応えることはできなかったー
(白鵬)「そうなりましたね」

(質問)モンゴルのお母さん、きょうだいの皆さんに連絡はー
(白鵬)「やっぱり母に電話したとき『よく頑張った』と『体が大事ですから』ということでした」

(質問)21年間土俵に上がり、振り返ってみてー
(白鵬)「話せば長いことになると思いますけど、本当に早いような感じがします」

(質問)長くても構いません。振り返っていかがでしょうかー
(白鵬)「本当に相撲が大好きで幸せ者です」

(質問)入門したときのことは思い出すかー
(白鵬)「はい」

(質問)日本に来て、相撲の世界入れるか分からない中で入門したー
(白鵬)「今があるのは親方、師匠が私を声かけてくれたおかげで、今があると思うので、この場を借りて、師匠に感謝しております」

(質問)ぎりぎりで入れた相撲界。1日の違いがあれば今もないと、どう思うかー
(白鵬)「感謝の気持ちと、今後も師匠のもとで力をつけ、親方として勉強して頑張っていきたいと思います」

(質問)強くなっていく過程について。どんな感触で横綱に近づいていったのかー
(白鵬)「思い返せば、本当に師匠が優しく、力士思いで弟子思いで本当に感謝していますし、その親方があがり座敷にいるだけで、親方にほめてもらいたい一心で稽古に励んでいました。その思いはそれは関取なり、大関、横綱に昇進していくことにつながったのかなと思います」

(質問)準備運動に時間をかけていた。稽古への思いはー
(白鵬)「体が細く、大きくしないといけないという自覚もありましたし、早く強くなりたい時期もありましたけど、その辺、師匠の考えがすべて、あったような感じがあります」

“大鵬親方と出会ったことに改めて感謝”

(質問)常に大きな目標を立てていたように思えるー
(白鵬)「相撲に入るときは、横綱になりたいという夢はありましたが、45回優勝したいという目標は立てていなかったと思います。一つ一つが記録につながったと思います」

(質問)記録の数々について、改めてどう感じるかー
(白鵬)「師匠の稽古、その基本の大切さを守ってきたことが、勝利につながったのかなと思います」

(質問)横綱として900勝まであと1勝だった。未練はないかー
(白鵬)「本当は名古屋場所後に引退を発表したかった思いでしたが、相撲協会に報告するのを優先というのがありました。その気持ちでいっぱいです」

(質問)横綱として14年。その重みはー
(白鵬)「横綱に昇進したころは勢いがあったし、うれしい気持ちもありましたけど、右も左も分からないときに大鵬親方と出会ったことに改めて感謝しています。『横綱という宿命の中で頑張らないといけない。負けたら引退』ということを言われ、32回優勝した昭和の大横綱のことばは重かった。それから横綱として3年、5年、8年、10年、頑張りたいという気持ちになりました」

(質問)「負けたら引退」ということばは、何度も頭に浮かぶことはあったのかー
(白鵬)「ありました。特にこの6場所休場は、大変重いものがありました」

親方「稽古を『やれ』と言ったことは1回もなかった」

(質問)師匠にも聞きます。この日はどんな思いで迎えたかー
(宮城野親方)「名古屋場所のとき、本人の稽古終わったあとに足を冷やしたり、そういうのがずっと続いていて、寝てるとき以外は機器をつけて冷やしたり。そんな姿は初めてでしたから、これ以上相撲取らせることができないなと思いました。それまでは、3年くらい前にけがをして、前に出る相撲ができなくなってきて、それでどうすればいいかなと考えてやっていましたけど、本人は『頑張ります』と言っていて、治療が増えてきて、今回は本当に無理だなというのが、はっきりわかるところまで我慢していたような気がします」

(質問)横綱のこうした姿を見るのはつらかったかー
(宮城野親方)「はい。寝る前もトレーナーとかが来て、2人がかりでマッサージして、それで寝ていたので、そこまであれなのかと、びっくりしました」

(質問)平成12年の暮れに入門が決まり、部屋に迎え入れたときを振り返ってみてー
(宮城野親方)「その時は175センチ62キロという小さい体で、この子はどこまで強くなるかと心配しました。そのあと、6か月で75キロまで太らないといけないと。そのため、どうしようかと思って、稽古をさせないで、この子のためには食べて寝かせて、それで最後にどうなるかわからないけど、努力して受かったらいいなと。それで75キロまで太ることができて受かることができた。稽古に対しても、人が言わなくても、記憶に残っていることは稽古は『やるな』と言ったことはあるのですが、自分から『やれ』と言ったことは1回もなかったです。逆に止める側だったんです。あまりにもやりすぎるから、もうやめなさいということは何回もありました」

(質問)どんな弟子だったかー
(宮城野親方)「準備運動とか、そういうのは1番だと思う。今まで力士を30数人入れてやってきましたが、こういう若い人は初めて見ましたね。稽古には本当にまじめで、努力したし、偉くなろうと思ったときには、番付が上だろうが、しっかり稽古をやってきたと思います。横綱になってすぐのときは、大関の稀勢の里とかと日馬富士をつかまえて、よく稽古しているのを見ましたけど、2人で1時間くらい稽古をぶっとおしで日馬富士とやっていたことも覚えています。それだけよく稽古をやったなという気持ちはあります」

“型をもって型にはこだわらない”

(質問)白鵬へ。稽古は好きだったかー
(白鵬)「正直言えば稽古が好きな人はいないと思うんですけど、強くなりたい、恩返ししたい気持ちがあったものですから、親方の言うとおりに、褒めてもらいたい一心でやっておりました」

(質問)相撲協会の不祥事や東日本大震災、コロナ禍。こうしたときに力士の中心だったことを振り返ってー
(白鵬)「さまざまな問題がありましたし、それを経験して私の財産になったと思います。それを生かして後進の指導に生かしていきたいと思います」

(質問)子どもたちが参加する「白鵬杯」も長年行われている。子どもたちへの思いはー
(白鵬)「私が26歳の時から始まって、もう10年になりますけど、大会で活躍した子どもが入門し、自分とも対戦し、私も負けましたし、大会の花は咲いているのかなと思います。そして、大相撲を目指す子どもたち、そして若手力士がまず基本を大事にし、型をつくること。型ができたときに型を破ること。まさに“型をもって型にはこだわらない”。そうすれば必ず強くなっていくんじゃないかと思います」

(質問)横綱審議委員会などからの厳しい意見はどう受け止めているかー
(白鵬)「やっぱり横綱になりたてのころは、自分の理想の相撲を追い求めた時期もありましたし、最多優勝を更新をしてからはケガに泣き、そこからは自分の理想とする相撲ができなくなり、横審の先生方のことばのとおりに、なおしたという時期もあったし、それを守った場所もあったと思います。だけど、たび重なるケガがあり、理想とする相撲ができなくなったことは反省しているし、自分自身も残念に思っています」

(質問)自分にしか分からないつらさもあったのではー
(白鵬)「そうですね、やっぱり…。途中つらい部分はありましたけど、綱を長く張ることで何かできるんじゃないかという思いもありましたし、それがこの白鵬杯。子どもたち、また世界の子どもたちに相撲に興味を持ってもらいたい、元気に続けていきたいという思いはそこにあったと思うし、最多優勝の記録を更新した時、目標、夢を失う寂しさや悲しさはあったから、目標は大きくあればあるほど、将来、大相撲を目指す子どもたちが頑張るんじゃないかという思いで、一生懸命頑張ったつもりです」

“あの負けがあるから、ここまでこられた”

(質問)支えてくれた家族に対してー
(白鵬)「私が出会った方々が応援してくれたおかげでここまでこられたと思うし、感謝の気持ちでいっぱです。近くで奥さんと子どもたちが支えてくれたことで、ここまでこられたことは間違いないです。ことわざにもあると思いますが、強い男の裏には賢い女性がいるということですので、この場を借りて妻に感謝しています」
(質問)記憶に残る取組を1つ選ぶならばー
(白鵬)「たくさんありますけど、私は1つ選べません。2つにしたいと思っています。やっぱり上がってきて上位で壁に当たった時、最初で最後の金星は、横綱 朝青竜関に勝った一番と、双葉山関の69連勝(に挑戦していた)の時に負けた稀勢の里関だったと思います。この2つはあげたいです」

(質問)九州場所で連勝が止まった。今でも思い起こす負けかー
(白鵬)「あの負けがあるから、ここまでこられたっていうのはあると思います」

(質問)師匠へ。どんな指導者になってもらいたいかー
(宮城野親方)「協会とかそういう人の見本になるような、自分が若い衆のための一番の教えをしてほしいというのがあります。いろんな面で引っ張っていく、そういう気持ちになってもらえたらいいかなと思っています。人の見本になってもらいたい、自分が一番、若い衆の。そういう風になって自分と似たようなすばらしい力士を作ってもらえたら、協会のためにも頑張ってもらいたいと思っています」

(質問)どんな親方になりたいかー
(白鵬)「宮城野親方のように、優しさがある弟子思いの親方になっていきたいなと思います」

(質問)モンゴルでも驚いている方がたくさんいる。メッセージをー
(白鵬)「やっぱり父を愛し、自分を愛し、応援してくれたことが結果につながったと思うので、モンゴルの人々にこの場を借りて感謝の気持ちでいっぱいです」

(質問)日本のファンにもー
(白鵬)「私を育ててくれた、そして私が出会った方々の応援があったからこそ、この20年間頑張れたと思いますし、その方々に感謝の気持ちでいっぱいです」

(質問)土俵に忘れてきたもの、思い残しはないかー
(白鵬)「はい、全部出し切れました」

“大相撲と出会ったことが私のすべて”

(質問)名古屋場所の千秋楽、どんな思いで土俵に上がったのかー
(白鵬)「呼出に名前を呼ばれたとき、これが最後の一番だと思い、20年間、本当に支えていただいたことに感謝の気持ちを伝えたいと土俵に上がりました」

(質問)ひざの状態はー
(白鵬)「この半年で2回の手術を受け、コロナに感染しまして、その中でリハビリと稽古、トレーニングを続けた中でひざを悪化したところもありました。医師からは『私はやることは全部終わりました。次、また右ひざを痛めた場合は人工関節になる』と報告を受けました」

(質問)目標(10勝)に達したとき、限界を感じたのかー
(白鵬)「そうですね。10日目を乗り越えた時にこれであと5日間取り切れる、やっぱり15日間全うして引退したいという気持ちもありましたし、できるものなら優勝して引退したいという気持ちもありましたから、10日目に師匠をはじめ、皆さんに伝えました」

(質問)14年間、横綱を務めた。自身にとって横綱とはー
(白鵬)「土俵の上では手を抜くことなく、鬼になって勝ちに行くことこそが横綱相撲だと考えていました。その一方、周りの皆さんや横綱審議委員会の先生などの横綱相撲を目指したこともありましたが、最終的にその期待に応えることができなかったかもしれません」

(質問)照ノ富士が横綱に昇進した秋場所をどのように見たかー
(白鵬)「名古屋場所では肌で感じ、後を託せるなと感じましたし、本来ならば名古屋場所後に引退という形でいきたいという思いもありましたが、照ノ富士の横綱昇進のこともありますし。オリンピック、パラリンピック、9月(秋)場所前に(引退)という気持ちもありましたが、部屋でのコロナ感染もあって、きょうまでになってしまいましたが、本当に若手力士が今、力をつけてきたと名古屋場所でも感じましたし、バトンタッチというか、あとを託せると思うし、ぜひとも照ノ富士関には頑張ってもらいたいと思います」

(質問)横綱なってよかったことー
(白鵬)「横綱というより、大相撲と出会ったことが私のすべてだし、そして、選んでくれた師匠と出会ったことに感謝ですし、相撲から離れたら私は何もできないものですので、本当にこの20年、大相撲には感謝しています」

“横綱を14年間 自分を褒めたい”

(質問)時には厳しいことも言われたと思う。これをどう指導に生かしていくかー
(白鵬)「そうですね、自分の経験を生かし、親方としては人に優しく、自分に厳しく、義理と人情を持った力士に育ってもらいたいと思います」

(質問)最も悔しかった一番はー
(白鵬)「先ほどの思い出の一番ということでもありましたけど、稀勢の里関に63連勝の時に敗れた一番だと思います。その一番があるからこそ、63連勝にふさわしい、恥ずかしくない相撲を取りたいということで、ここまでやってこられたと思います」

(質問)横綱として守ってきたことはー
(白鵬)「横綱というのは看板力士でもありますし、横綱昇進してからの14年間は、自分に勝つことが一番大変な思いでもありました。横綱昇進にするのも大変なことでもありましたけど、それを14年守り続けたのは、自分を褒めたいなと思いつつ、そういう気持ちでいっぱいです」

(質問)自身は15歳で入門。相撲に限らず、若い世代がチャレンジする時代になった。若い世代へのメッセージやエールがあればー
(白鵬)「先ほどと同じになると思うんですけど、基本を大事にして、まずは型をつくって、その型ができたときに型を破る、まさに『型をもって、型にこだわらない』。これができれば、必ず強くなっていくんじゃないかなと思います。相撲人生のなかで、たくさんの技を持っている人は1つも怖くなかったです、型を持っている人が怖かったです」