元横綱 白鵬が引退会見【詳細】「ほっとした 迷いなかった」

大相撲で史上最多となる45回の優勝を果たし、30日現役を引退した元横綱 白鵬の間垣親方が会見し「ほっとした気持ちでいっぱいです。引退に迷いはなかった」と心境を話しました。

“ひざがいうことをきかなくなった”

30日に現役を引退した元横綱 白鵬は、東京 両国の国技館で師匠の宮城野親方とともに会見しました。

およそ20年の現役生活を振り返って「ほっとした気持ちでいっぱいです。早いような感じがします。本当に相撲が大好きで幸せ者だなと思います」と心境を話しました。

引退を最終的に決断したのは、ことし7月の名古屋場所の10日目だったとしたうえで「去年8月にひざを手術して、その後、新型コロナウイルスへの感染があり、ことし3月に再び右ひざを手術しました。進退をかけた最後の場所もひざがいうことをきかなくなりました。ふた桁勝利が目標で、10勝を挙げた10日目に宿舎に戻り、親方をはじめ部屋の皆さん、裏方に引退を伝えました。右ひざのことを思えば、迷いはなかった」と説明しました。

そして「師匠が私に声かけてくれたおかげで今があると思うので、この場を借りて師匠に感謝します。感謝の気持ちと今後、師匠のもとで親方として一から勉強します」と時折、声を詰まらせながら話しました。

史上最多となる45回の優勝については「横綱になりたいというのが夢でしたが、45回優勝したいという思いはありませんでした。稽古や基本の大切さを守ってきたことが、勝利につながったのかなと思います」と振り返りました。

また、記憶に残る一番については「1つは選べないです。朝青龍関から金星を奪った一番と、連勝が「63」で止まった稀勢の里との一番です。あの負けがあるからここまで来られました」と話しました。

一方で、現役終盤は、横綱審議委員会などから取り口に対して、厳しい意見があったことについて問われ「横綱になりたてのころは、自分の理想の相撲を追い求めた時期もありましたし、最多優勝を更新をしてからはケガに泣き、そこからは自分の理想とする相撲ができなくなり、横審の先生方のことばのとおりになおしたという時期もありました。理想とする相撲ができなくなったことは反省しているし、自分自身も残念に思っています」と無念さをにじませるように話しました。

そして、横綱とは何かという問いに対しては「土俵の上では手を抜くことなく、鬼になって勝ちに行くことこそが横綱相撲だと考えていました。その一方、周りのみなさんや横綱審議委員会の先生などの横綱相撲を目指したこともありましたが、最終的にその期待に応えることができなかったかもしれません」と用意したメモに目を落としことばを選びながら話していました。

今後、親方としては「人に優しく、自分に厳しく、義理と人情を持った力士を育てたい」と抱負を語っていました。

白鵬は、会見の最後に妻の紗代子さんから花束を受け取り、3人の子どもたちと笑顔で握手をしていました。

会見 詳細

【冒頭】
師匠の宮城野親方が、引退した白鵬について「後進の指導にあたってしっかりと協会のために頑張ってくれると思います。多くの力士を育て上げて皆様方に貢献できるように頑張っていく所存ですので、これからもよろしくお願いします」と話しました。

白鵬は会見の冒頭であいさつし「本日は足元が悪い中、お集まりいただき本当にありがとうございます。白鵬改め、年寄『間垣』を襲名し、後進の指導にあたります。20年の現役中は大変お世話になりました。活躍の場を与えてくれた日本相撲協会に感謝申し上げます」と述べました。

【名古屋場所10日目に決断】
白鵬は引退を決断した時期について「進退をかけた名古屋場所でひざが言うこときかず、ふた桁勝利が目標だった。10勝をあげた10日目で親方などに引退することを伝えた」と話しました。
【「迷いはなかった」】
引退の決断に迷いはなかったかという質問に対して白鵬は「迷いはなかったと思います。やっぱりひざのことを思えばなかったと思います」と話しました。
そのうえで、家族に引退を伝えたときの状況については「子どもたちから頑張ってほしいという声はありました。母に電話したときは『よく頑張った。身体が大事ですから』ということでした」と述べました。

【「本当に相撲が大好き」】
白鵬はおよそ20年の現役生活を振り返って「早いような感じがします。本当に相撲が大好きで幸せ者だなと思います」と述べました。
相撲界への第一歩について「師匠が私に声かけてくれたおかげで今があると思うので、この場を借りて師匠に感謝します」と述べました。
そして、唇をかみしめながら「感謝の気持ちと今後、師匠のもとで親方として一から勉強します」と述べました。
【「親方にほめてもらいたい一心で稽古」】
白鵬は師匠の宮城野親方について「師匠は優しくて本当に感謝していますし、親方にほめてもらいたい一心で稽古に励んでいました。その思いが関取、大関、横綱に昇進することにつながりました」と述べました。
また、準備運動に時間をかける稽古については「体が細かったので大きくしないといけないという思いと師匠の考えがありました」と話しました。

【「一つ一つの積み重ねの結果」】
白鵬は現役中に掲げていた目標について「大相撲に入るときは横綱になりたいという夢があったが、45回優勝したいという思いはありませんでした。一つ一つの積み重ねがこの結果につながったと思います。師匠の稽古、その基本の大切さを守ってきたことが、勝利につながったのかなと思います」と話しました。
横綱としての地位の重みについては「大鵬親方に『横綱の宿命の中で頑張らないといけない、負けたら引退』とことばをかけられました。昭和の大横綱のことばは重かったです」と話しました。
【6場所休場「大変思うものあった」】
白鵬は大鵬親方から「負けたら引退」と言葉をかけられたことについて「6場所休場したときには、大変思うものがありました」と述べました。

【親方「稽古をやれと言ったことはない」】
師匠の宮城野親方は、白鵬の稽古に臨む姿勢について「今まで記憶に残るのは、自分からです。逆に止める側で、もういいからやめなさいと言うことはありました。準備運動については一番で、こういう力士は初めて見ました。稽古に対しては本当に真面目な子でした」と話しました。

【「強くなりたい、恩返しをしたい気持ち」】
白鵬は現役中の稽古に対して「稽古が好きな人はいないと思いますけど、強くなりたい、恩返しをしたい気持ちがあったので、親方に褒めてもらいたい一心でやっていました」と話しました。

また大相撲をめぐる不祥事や東日本大震災などの時期に角界の中心にいたことについて「さまざまな問題がありましたし、それを経験したことが私の財産になったと思う。それを生かして後進の指導に生かしていきたいと思っています」と話しました。
【“型を作り型を破る”】
白鵬が主催する相撲大会「白鵬杯」が去年で10回目を迎えたことについては「26歳から始まってこの大会が10年になるが、活躍した子どもも入門しています。大相撲を目指す子どもたちや若手の力士にはまず基本を大事にして型を作ること。その型ができたら型を破る、そうすれば必ず強くなっていくと思います」と述べました。
ました。
【「理想の相撲できず反省」】
白鵬は現役中の自身への厳しい意見について「横綱になりたての頃は自分の理想の相撲を追い求めたが、最多優勝更新をしてからケガで泣き、自分の理想とする相撲ができなくなりました。横綱審議委員会の先生方の言葉を守った場所もありましたが、またたび重なるケガがあり、理想とする相撲ができなくなったことは反省しているし残念に思っています」と述べました。

【記憶に残る一番は…】
記憶に残る一番について白鵬は「1つは選べないです。朝青龍関から金星を奪った一番と、連勝が止まった稀勢の里との一番です。あの負けがあるからここまでこれました」と振り返りました。
【親方「見本になってすばらしい力士作って」】
白鵬の師匠の宮城野親方は指導者として期待することについて「いろいろな面で引っ張って行く気持ちになってくれたらと思います。見本になってもらいすばらしい力士を作って協会のために頑張っていってもらいたいです」と話しました。

【「優しさと弟子思いの親方になっていきたい」】
白鵬は今後どのような親方を目指すかについて「宮城野親方のように優しさと弟子思いの親方になっていきたいです」と述べました。

【モンゴルの人たちへ】
また、母国モンゴルの人たちへのメッセージを問われると、白鵬は「父を愛し、自分を愛し、応援してくれたことがきょうまでの結果につながりました。感謝の気持ちでいっぱいです」と話していました。

【「全部出し切りました」】
日本の人たちに向けては「私を育ててくれて、出会った方々の応援があるからこそ、この20年頑張れたと思ういます。感謝の気持ちでいっぱいです」と述べました。そして、土俵に思い残したことはないかと問われると「全部出し切りました」と話しました。
【けがをしたひざの状況は…】
白鵬はけがをしたひざの状況について「この半年で2回の手術を受けました。新型コロナにも感染し、その中でリハビリと稽古、トレーニングを続けて医師からは『私がやることは全部終わりました。次、右ひざを痛めたら人工関節になる』と報告を受けました」と話しました。

【「鬼になって勝つことが横綱相撲」】
また横綱とはどんな存在かと問われ「土俵の上では手を抜かず、鬼になって勝つことが横綱相撲だと思っていました。横綱審議委員会の先生などの横綱相撲を目指したこともありますが、最終的に応えることができなかったかもしれません」と話しました。

【「義理と人情持った力士育てたい」】
白鵬は時に厳しいことも言われた現役生活だったが、今後の相撲人生にどういかすかという質問に対し「自分の経験をいかし、親方として弟子たちには人に優しく、自分に厳しく、義理と人情を持った力士を育てたい」と述べました。

記者会見の最後に会場には白鵬の妻の紗代子さんと3人の子どもが入り、白鵬は紗代子さんから花束を受け取って、会見を終えました。

【白鵬とは】

白鵬は進退をかける意向を示して出場した名古屋場所で、史上最多を更新する45回目の優勝を全勝で果たしながらも引退を決断しました。

白鵬は15歳で宮城野部屋に入門し、平成19年夏場所後に第69代横綱に昇進しました。

通算の勝ち星は1187勝、優勝回数45回、横綱在位はおよそ14年にわたる84場所で、いずれも史上最多を記録し、現役生活およそ20年で大相撲の記録を次々と塗り替えました。

引退決定まで異例の経緯

日本相撲協会は30日の理事会で、横綱 白鵬の引退と年寄「間垣」の襲名を承認しています。

引退と年寄「間垣」の襲名を巡っては、誓約書の署名を条件に認められるなど、史上最多45回の優勝を果たした横綱が正式に引退を承認されるまで、極めて異例の経緯をたどりました。

ことし3月に右ひざの手術を受けた白鵬は、近づく引退の時に向けて5月には年寄名跡「間垣」を取得しました。しかし、関係者によりますと、この「間垣」取得の審査を巡っては、これまでの取り口や言動への懸念から、明確に反対する意見もあり、今後、規則やしきたりを守る意思を白鵬に確認したうえで、認められた経緯があるということです。

年寄名跡を取得した白鵬は、進退をかける意向を示していたことし7月の名古屋場所前にはすでに複数の関係者に対して「今場所15日間、相撲を取ることにすべてをかける」という強い決意を伝えていました。

その思いで出場した名古屋場所では15戦全勝で45回目の優勝を果たしました。
しかし、千秋楽の照ノ富士との対戦で見せた、ひじ打ちのようなかち上げや張り手など、白鵬の取り口が再び物議を醸しました。

横綱審議委員会の矢野弘典委員長は「実に見苦しくどう見ても美しくない」と厳しく批判し、八角理事長からも口頭で注意を受けていました。

さらにその直後に開幕した東京オリンピック。
白鵬は、モンゴル相撲の英雄でレスリングで前回の東京大会に出場した父のムンフバトさんと同じ舞台に現役の横綱として関わりたいとかねてから考えてきました。

切望していた横綱土俵入りは実現しなかったものの、白鵬は柔道の会場に姿を見せました。生まれた国、モンゴルオリンピック委員会のアンバサダーとして公式に出向いたと説明しましたが、日本相撲協会に対して必要な外出の届け出をしておらず、この行動についても、協会幹部の1人が報道陣の取材に対して厳しく非難しました。
オリンピック閉幕後、白鵬は現役引退に向けて周囲の関係者や師匠の宮城野親方と話し合いを始めました。

ここで白鵬の周辺が最も危惧したのは、引退後、白鵬が親方として部屋を持つ師匠になることに対して、相撲協会の親方の中にも反対の声があることでした。

白鵬の師匠の宮城野親方は、来年8月の誕生日で定年を迎え、部屋付きの高島親方も、その直後に定年となります。白鵬が引退後、師匠になることが認められなければ、宮城野部屋の継承が大きな問題となるからです。

その一方で、白鵬は「右ひざの状態がぼろぼろだ。もう横綱として本場所の土俵で相撲は取れない」などと複数の支援者に話し、親方になるめどがついたとはいえない状況の中で、いったんは秋場所前に引退の意向を相撲協会に伝える方向で調整が進みました。

ところが、今度は、所属する宮城野部屋の力士が新型コロナウイルスに感染。白鵬を含む、部屋の力士全員の休場が決まりました。

関係者によりますと、師匠の宮城野親方は、秋場所中も「年寄資格審査委員」の親方に連絡を取るなど、白鵬が親方になれるように水面下で説得を続けていたということです。
そして、秋場所千秋楽の翌日、今月27日に宮城野親方を通じて引退の意向を相撲協会に伝えた白鵬。これを受けて開かれた親方の襲名を議論する「年寄資格審査委員会」では、「親方になっても10年は部屋持ちの師匠にはさせない」などという白鵬の周囲が危惧していたとおりの厳しい意見が出ました。

最終的には「協会に指導に従い、規則やしきたりを守る」という誓約書の署名を条件に年寄「間垣」の襲名が承認されました。

芝田山広報部長が「初めてだ」と話したように異例の形で、親方になることが認められました。

通常は本人と師匠の間で決まる力士の現役引退。史上最多の45回の優勝など最も偉大な記録を達成した横綱の引退は、批判を受けた数々の言動の影響もあって、引退の思いを秘めた真夏の7月から2か月以上もたった秋めいてきた9月30日に異例の形で決まりました。