
あす“全面解除”だったのに…惜しまれながら閉館 閉店 休刊も
政府の新型コロナウイルス対策として実施されてきた「緊急事態宣言」と「まん延防止等重点措置」が、10月1日からすべて解除されます。しかし、長引くコロナ禍の影響で入館者数や売り上げなどが大幅に落ち込み、翌日の全面解除を待つこともなく、9月30日で惜しまれながら営業を辞めざるを得ない歴史ある施設やサービスもありました。

50年以上の歴史に幕 神奈川の水族館
50年以上前の1968年に開業した神奈川県三浦市の水族館、「京急油壺マリンパーク」。
秋篠宮ご夫妻もご結婚前の1989年にデートで訪問されるなど、多くの方々に親しまれてきました。

しかし、施設の老朽化に加え、新型コロナの影響で来館者数が大幅に減ったことから、9月30日で閉館することになりました。
最後の営業日となった30日は、親子連れなど多くの人が訪れ、360度見渡すことができる回遊型の水槽や、ペンギンやカワウソの姿を楽しんでいました。
最後の営業日となった30日は、親子連れなど多くの人が訪れ、360度見渡すことができる回遊型の水槽や、ペンギンやカワウソの姿を楽しんでいました。

また、名物のイルカショーも最後の公演が行われ、イルカの豪快なジャンプや、アシカと職員による時代劇のパフォーマンスが披露されると、観客が盛んに拍手を送っていました。

ショーの最後に、水族館の職員たちはステージに並び、「53年間ありがとうございました」と声をそろえ、深く一礼していました。

家族で訪れた女性は、「親子3世代の思い出の場所です。時代の流れでこういう形になったのは残念です」と話していました。

館長の中井武さんは「閉館を迎えてつらい気持ちがこみ上げてきます。皆さんの心の中に少しでもこのマリンパークの思い出が残ってくれれば幸いです」と話していました。
空港の土産物店とレストランも 高知
高知県の高知空港にある土産物店とレストランも30日、利用客に惜しまれながら閉店しました。

閉店した土産物店「とさでんショップ」は昭和34年に、「レストラン チャオ」は昭和58年に、それぞれ開業され、観光客や県民に親しまれてきました。
経営していた「とさでん交通」によりますと、新型コロナウイルスの感染拡大で空港の利用者が減って店の売り上げが例年の2割ほどにまで落ち込んだため、閉店を決めたということです。
最終日の30日、土産物店では店の片づけが行われていたほか、レストランには閉店を惜しむ客が訪れて最後の食事を楽しんでいました。
そして、午後4時になると、関係者などが拍手するなかシャッターが閉められ、長い歴史に幕を下ろしました。
幼いころから訪れていたという高知県香南市の26歳の男性は「閉店すると聞いて最後に母と来ました。小学生のころに祖母と来るなど思い出があるので寂しいです」と話していました。
18年にわたり土産物店とレストランで働いてきた多田眞弓さん(69)は、「接客が好きで働き始めたので閉店は寂しいですが、きょうもお客さまに『最後だから来たよ』と声をかけてもらえたのでうれしかったです」と話していました。
経営していた「とさでん交通」によりますと、新型コロナウイルスの感染拡大で空港の利用者が減って店の売り上げが例年の2割ほどにまで落ち込んだため、閉店を決めたということです。
最終日の30日、土産物店では店の片づけが行われていたほか、レストランには閉店を惜しむ客が訪れて最後の食事を楽しんでいました。
そして、午後4時になると、関係者などが拍手するなかシャッターが閉められ、長い歴史に幕を下ろしました。
幼いころから訪れていたという高知県香南市の26歳の男性は「閉店すると聞いて最後に母と来ました。小学生のころに祖母と来るなど思い出があるので寂しいです」と話していました。
18年にわたり土産物店とレストランで働いてきた多田眞弓さん(69)は、「接客が好きで働き始めたので閉店は寂しいですが、きょうもお客さまに『最後だから来たよ』と声をかけてもらえたのでうれしかったです」と話していました。
コロナ禍 ライフスタイルの変化などで休刊に 熊本

一方、コロナ禍によるライフスタイルの変化やインターネットの普及などで、69年前から発行されてきた熊本市にある新聞社の夕刊も、9月30日で休刊となりました。

「熊本日日新聞」は、昭和17年に創刊され、昭和27年からは朝刊とセットで夕刊を発行してきました。

熊本市中央区世安町にある本社の編集局では、最後の夕刊の記事の配置を検討したあと入念に紙面をチェックしていました。
最後の夕刊には河村邦比児社長が読者に感謝を伝えるメッセージが一面に掲載され、刷り上がると、トラックで販売店に運ばれていきました。

熊本日日新聞社の河村社長は「ご愛読ありがとうございました。より親しまれる新聞にしていきたい」と話していました。