コロナで父を亡くした記者が伝えたいこと

コロナで父を亡くした記者が伝えたいこと
私はNHKさいたま放送局に勤務する入局3年目の記者です。

7月27日の夕方、携帯電話が鳴りました。
市外局番は「076」、金沢市内の警察署からでした。

「マンションの部屋でお父さんが亡くなっているのが見つかりました。身元を確認したいので来ていただけますか」

単身赴任中だった父は57歳。
私は突然、“コロナ死”の遺族になりました。

感染状況は落ち着いてきましたが、自身の経験が誰かの役に立てばと思い、父が亡くなる前後の経緯、感じたことを記します。
(さいたま局 記者 粕尾祐介)

遺体発見後 検査でコロナ陽性

「きょう中に向かいます」
金沢市内の警察署から電話を受けたときは頭が混乱し、そう答えるのが精一杯でした。

事件・事故の取材を担当し、ふだんから警察官と話すのは慣れているはずなのに、父がどういう状況で亡くなったのか死因は何なのか、何も聞けませんでした。

急いで仕事を切り上げて大宮駅で北陸新幹線に乗り込もうとすると、また警察から電話がかかってきました。

「遺体発見後に抗原検査をしたら陽性でした。コロナに感染して亡くなったのかどうかはわかりませんが、きょうはお父さんの顔を見ることができないことはご理解ください」

父がコロナ…。
感染して療養中だったわけではないので、正直まさかという思いでした。

「自宅には入らないで」

金沢駅で母と合流し、遺体が置かれた警察署に向かいました。

父との対面はやはり認められず、撮影された写真で身元を確認。生活状況などの聞き取りを終えてホテルに着いたときには、午前0時を回っていました。

警察からの説明で、父を見つけたのは職場の同僚と分かりました。当日、在宅勤務をしていた父と連絡がとれなくなったため、管理人と部屋に入ったところベッドの上で死亡していたそうです。

母に聞くと父は軽度の糖尿病を抱えていて、ワクチンは翌週に接種する予定だったということです。

あまりにも突然すぎる父の死…。
この日はなかなか寝付くことができませんでした。
翌日、遺品を整理するため父が暮らしていた部屋に行こうとしましたが、保健所から止められました。

「感染のおそれがあるので、最低でも3日間は部屋に立ち入らないでください」

亡くなった父と対面できず。最期を迎えた場所にも行けず。

新型コロナウイルスの非情さ、そして無力感を感じ涙が止まりませんでした。

対面は3日後「5分以内で」

父が亡くなってから3日後、ようやく対面が許可されます。
PCR検査も陽性で、死因は「新型コロナウイルス感染症」とされました。

「対面は5人以内で5分まで」

事前にそう伝えられていたため私と母と妹、それに叔父の4人で安置されている場所に向かいました。

ひつぎに納められた父はシートで二重に包まれ、顔の部分だけが見えます。

優しい表情で顔色も赤みが差していたので、まるで寝ているようでした。発見されたときも、父の表情は穏やかだったといいます。

立ち会った警察官は「寝ている間に苦しまずに息を引き取ったのではないか」と話していて、それが唯一の救いに感じました。

実家に連れて帰りたいという気持ちもありましたが、金沢市からコロナに感染しているので市内で火葬するよう求められ、だびに付しました。

すぐに家に帰ることができない父がふびんでなりませんでした。

楽しみにしていた妹の成人式

メーカーに勤務していた父。私が小学校高学年のときから単身赴任の生活が続いていましたが、週末に帰ってきたときには食事や買い物などに連れて行ってくれました。

まじめで口数が少なく、責任感の強い人。それが父の印象です。

記者になって思うような仕事ができないと愚痴をこぼしたとき、「そんなすぐにやりたいことができるものじゃない」とたしなめられました。

私が記者になることを反対していた時期もありましたが、社会人の先輩として厳しくも温かく見守ってくれていました。
そんな父が楽しみにしていたことがあります。

亡くなった3週間後に予定していた妹の成人式用の写真撮影です。晴れ着姿を見るのを心待ちにしていました。

3年後には定年退職し、母と一緒に旅行を楽しむことも趣味のゴルフを思う存分することもできたはずでした。

久しぶりに実家で会い、駅まで送ったとき。車から降りる父に「じゃあ」と声をかけたのが、最後に交わした言葉となりました。

これまで育ててくれたことに感謝の気持ちを伝えたかった。
今はもう叶わない願いです。

亡くなるまでの経緯は

父は亡くなるまでの間、異変に気付かなかったのか。
家族や職場の方に話を聞くと、部分的にですが状況が分かってきました。
<7月20日(亡くなる1週間前)>
母が電話をかけるも、父は「のどが痛い」と言って会話を渋る。
父は、LINEで「エアコンでのどをやられて話せない。木曜日の昼までに帰ります」と、のどを痛めた理由をエアコンのせいだと伝えていました。
<7月22日(亡くなる5日前)>
家の用事で母のいる自宅に帰る予定だったが取りやめに。
父は、LINEで「のどの痛みは、だいぶ収まってきたけど、移動がきつそうなので今日帰るのやめます」と母にメッセージを送っていました。
やり取りの中で母は、ワクチンの接種券が届いたことなどを父に伝えていましたが、この状況でも、コロナに感染したとは思っていませんでした。
母もエアコンのせいだと思い込んでいたといいます。
<7月23日(亡くなる4日前)>
父が電話で母に「のどの調子もよくなり、元気になった」と伝える。
これが父と母の最後の会話になりました。
<7月26日(亡くなる前日)>
体調が回復したとして出社したものの、せきこむなどしたため午後から在宅勤務に切り替え。
この日の午後5時ごろ、同僚が電話をかけたときは、せきもなく元気そうだった。
<7月27日(当日)>
この日も在宅勤務で午前9時前にオンライン会議に出席。その後、連絡がつかなくなったため同僚がマンションを訪ね、亡くなっている父を発見。
職場の同僚に話を伺うと、父はいつも個室で一人で仕事をしていて、食事も弁当を持参するなど人との接触は極力控えていたそうです。

父の職場で感染者は出ていましたが、保健所からは濃厚接触者にはあたらないと判断されていました。

どこで感染したのかはわかりませんし、いまさら言ってもしかたありませんが、「父はなぜ異変があったときに新型コロナに感染したかもしれないと疑わなかったのか」「病院を受診していれば」と無念でなりません。

感染に気をつけていたのに

父の死から3日以上たち、ようやく部屋に入ることができました。
専門の業者が室内を消毒したあと、遺品の整理にとりかかりました。

リビングにはアルコール消毒液や大量のマスク、洗面所には非接触型のハンドソープが置かれていました。

そしてパソコンやスマートフォンの履歴を確認すると、頻繁に出前を頼んでいた記録が残されていました。
母の話では感染が拡大してからは、得意ではなかった自炊も始めたとのこと。軽度の糖尿病を抱えていたこともあり、人並み以上に感染には気をつけていたそうです。

思い返すと高速バスで帰る際は混雑する時間を避けていたし、ことし実家で会ったときも食事は自分の部屋で一人でとっていました。

新型コロナへの感染を疑わなかったのは、対策は十分行っているという自負があったのかもしれない。

父の部屋を訪れたとき、そう感じました。

“コロナ死”の遺族として感じたこと

感謝の言葉も別れの言葉も何も伝えられず、父は突然逝ってしまいました。

命を奪った新型コロナウイルスがただただ憎いです。
そして父がのどを痛めたときや前日に体調が悪化したとき、感染に気付くチャンスがあったと思うと本当に残念です。

新型コロナに関するニュースを連日伝えていますが、父親に「もっとコロナの怖さを伝えておけば違う結果になったかもしれない」と自分を責めることしかできませんでした。
ワクチンの接種が進み、第5波も収まってきたことで、さまざまな活動制限は緩和されます。

父のように感染を恐れ、気をつけていても亡くなることがある。

それも突然に…。

自身が、そして大切な人がそうならないためにもできる限りリスクを減らす行動を続けてほしい。

そして少しでも体調に異変を感じたら、感染を疑って検査を受けるなどしてほしいと思います。
さいたま局 記者
粕尾祐介
2019年入局 事件や事故、新型コロナを取材