“うつ”のママでごめんね~出せなかったSOS~

“うつ”のママでごめんね~出せなかったSOS~
「“うつ”のママでごめんね」
5人の子どもを持つその母親は、心の中で毎日謝っていたそうです。病気のために、子育てを十分にできなかったと話す彼女。誰かに助けを求めなきゃ、求めたい。何度もそう思ってきました。でも、そう思うたび「ダメな母親」と後ろ指を指されるのが怖くて、いつしかSOSを出せなくなっていました。
(国際部 記者 山本健人)

“ダメな母親”と思われるのが怖くて

「何より苦しかったのは、母親として最低限のことさえしてあげられず、子どもたちに頼らざるをえなかったことです」
こう話すのは、ミシェル・モナハンさん(37)です。イギリスで、10歳から19歳の5人の子どもたちと一緒に暮らしています。一時、重いうつ病になり、1日のほとんどを寝たきりで過ごす日々が続きました。

ミシェルさんの身の回りのことはもちろん、幼いきょうだいの学校への送り迎えや、料理、洗濯、掃除といった家事のほとんどを、長女に頼ってきました。そのため、長女は学校にほとんど通えなくなっていきました。
ミシェルさんにとって、自己嫌悪の毎日だったといいます。

子どもたちのためには、支援を求めるしかないことはわかっていました。実際に何度か試みたこともありました。でも、そのたびに、周囲に「ダメな母親」「悪い親」と思われているような気がして、次第に、SOSを出せなくなっていったのだといいます。
ミシェル・モナハンさん
「いろいろなことが重なって、誰かに支援を求める自分は『ダメな母親』と思うようになりました。正直、周囲からもそう思われるのが怖くてたまらなかったのだと思います」

大家族で暮らすのが夢

ミシェルさんが、初めての子どもを授かったのは、17歳の時。小さな長女を胸に抱いて、その顔を見つめていると、自然と、子どもたちの笑い声があふれる大家族を持ち、母親として成長を見守っていきたいと思うようになりました。

その後も、ミシェルさんはパートナーの男性との間に4人の子どもをもうけ、思い描いていた母親としての姿に近づいていると実感していました。

しかし、けんかをするとミシェルさんに暴力をふるうこともあったパートナーのDVがエスカレート。9年前、子どもたちにも危害が及ぶことを恐れ、5人の子どもを連れて、ミシェルさんの母親が暮らす街へ移り住みました。

28歳だったミシェルさんは、シングルマザーとして子どもたちを育てていくことを決めました。

頼りだった母親ががんに

ミシェルさんの母親は、いつも優しく受け入れてくれ、子育てやシングルマザーとして生きていくことの悩みがあると、相談に乗ってくれました。
母親の家に行き、子どもたちが家の中を大きな笑い声を上げて走っているのを眺めていると、ミシェルさんは、自分の選択は間違っていなかったと感じることができました。しかし、そんな時間は長くは続きませんでした。

ミシェルさんが母親の元へ移り住んでから5年後、母親が子宮けいがんでなくなったのです。

子どもに頼らざるをえない自分

母親という大きな心の支えを失ったミシェルさん。気持ちがふさぎ込むようになり、1日中、ベッドから起き上がれない日が続くようになりました。

医者の診断は、重いうつ病でした。

さらに同じ頃、足の神経痛やつい間板へルニアも発症し、長い時間立っていることなどが難しくなり、掛け持ちしていた介護施設やホテルの清掃の仕事は辞めざるをえませんでした。

それ以降、きょうだいの学校への送り迎えや家事を担ったのは、当時16歳でセカンダリースクールに通っていた長女でした。

ミシェルさんの介護やケアも、長女が担うようになりました。
ミシェルさんは、長女に十分な教育を受けてもらいたいと思いましたが、長女はすぐに学校を休みがちになっていきました。

ミシェルさんのこと、きょうだいのこと、そして家のことを優先すると、彼女自身の時間が確保できなくなっていったからです。

そんな長女の姿を見て、ミシェルさんは「“うつ”のママでごめんね」、そう心の中で謝りました。

そして、これは本当の自分じゃないと、何度も自分自身に言い聞かせようとしました。

出せないSOS

長女の状況を改善したい。

母親らしいことをできるようになりたい。

ミシェルさんはそのために、何度もSOSを出そうとしました。
ただ、そのたびにミシェルさんの期待は裏切られました。

次男が不登校になったことで、ミシェルさんは思い悩んだことがありました。

学校に支援を求めようと思いましたが、学校側からは「ミシェルさんが子どもを学校に行かせないようにしている」と言われ、虐待を疑われたといいます。

父親に会いたいという子どもたちの願いを尊重しようと、元パートナーに預けたとき、約束した時間になっても子どもたちを帰宅させなかったことから、口論になったことがありました。

仲介に入って擁護してくれると思っていたソーシャルワーカーは「ミシェルさんがネグレクトしている」という元パートナーの主張を信じ、逆にミシェルさんが非難されたといいます。

「母親としての役割を果たせていない」

そのことはミシェルさん自身がいちばんわかっているつもりでした。

それでも助けを求めて非難されることが続くと、周りの人たちにまで「ダメな母親」と責められているような気がして、いつしか、助けを求めるのが怖くなったのだといいます。

初めて寄り添ってもらえた

「誰かに助けを求めることは、決して恥ずかしいことではありません。できることから一緒に考えていきませんか」
ふさぎ込んでいたミシェルさんに、こう言葉をかけたのは、長女の出席率が低いことを不審に思った学校が連絡した、ヤングケアラーの支援団体の担当者でした。

どうせ、自分のことなんか信用してくれない。

はじめはそう思っていたミシェルさんですが、支援団体の担当者はミシェルさんのことを決して責めることなく、ミシェルさんの話に耳を傾け、何度も足を運んで、現状を理解しようとしてくれました。

寄り添ってもらえるのかもしれない。

ミシェルさんは、徐々にそう思えるようになり、サポートを受け入れてみようという気持ちになっていきました。

支援団体は、ミシェルさんができることとできないことを整理し、介護やケア、それに家事が長女に集中しないよう、家族全員で分担する案を一緒に考えてくれました。

長女は、家事をみんなで分担し、支援団体のアドバイスを受けて授業の進め方を柔軟に選べる学校に転校したことで、無事に卒業できました。

不登校だった次男は、支援団体が医療機関につないだことで、対人関係が苦手な自閉症の一種であることがわかりました。

虐待を疑っていた学校も、診断書を提出したことで、サポートしてくれるようになりました。
ミシェルさん自身も、同じ境遇の母親たちと一緒に語り合うグループワークに参加することで、「同じ悩みを抱えているのは、私だけじゃなかったんだ」と思えるようになり、少しずつ母親としての自信を取り戻せるようになりました。

助けを求めていい

支援を受け始めてから3年。ミシェルさんの病状は改善し、安定して過ごせるようになっています。

この夏、ミシェルさんと長女は、支援団体の助けを借りて、ペットトリマーの資格が取れる専門学校に2人一緒に入学しました。

親子2人でドッグサロンを開くのが、今の夢だといいます。
そしてミシェルさんが何よりうれしいのは、以前に比べて家の中が明るくなったと感じられることです。

一緒に音楽を聴いたり、映画を見たり、そんな何気ない家族との時間を過ごせるようになったことが、ミシェルさんの一番の喜びです。
ミシェル・モナハンさん
「自分が抱えていた悩みは、私ひとりの悩みではないことがわかり、孤立していた感覚が無くなりました。支援を求めることは『私はダメな親です』と手を挙げることではありません。人に助けを求めることは恥ずかしいことではありません。子どものことを一番に考えて、最善のことをしている証拠なんだと、今は思えるようになりました」

SOSを出せない親たちの支援

ケンブリッジ大学のソール・ベッカー教授は、病気や障害などを抱えて、介護やケア、それに家事などを子どもに頼らざるをえない親の多くは、本来、支援されるべき対象にも関わらず、周囲から非難されることを恐れ、支援を求めることをちゅうちょしてしまう傾向にあると指摘します。

その結果、介護やケアなどを担うヤングケアラーへの支援が遅れてしまう可能性もあるといいます。

このため、早くからヤングケアラー支援が行われてきたイギリスでは、およそ20年前から、ヤングケアラーの家族も支援の対象に位置づけるべきだと認識されるようになっているということです。

また、ミシェルさん親子を支援した団体は、同様の支援を年間40組の家庭に行っていて、担当者はヤングケアラーの家族への支援の重要性について、次のように話します。
支援団体「シェフィールド・ヤングケアラーズ」ヘレン・ボルトさん
「ヤングケアラーの親を支援することは、子どもたちへの支援と同じくらい重要です。親を支援することで、家庭内の環境が改善し、それがひいては子どもたちの負担を軽減していくことにつながるのです」

助けを求めやすい環境作りに向けて

ヤングケアラーの取材をする中で、子どもたちが介護やケア、それに家事を担うことについて、“親の無責任さ”を指摘する声を実際に耳にすることがあります。

確かに、親には子どもたちを支える役割があります。

一方で、病気や障害など、さまざまな事情でその役割を十分に果たすことが難しい状況に陥る可能性は、どの親にもあります。

そうなった時、どう孤立させず、SOSを出しやすい環境を作っていけるのか。

そのSOSをいかに見落とさないか。
そうした視点の重要さを、取材を通して改めて感じました。

日本でも、ミシェルさんと同じような悩みを抱えている親は少なくありません。

イギリスの事例を参考に、日本でのヤングケアラーの家族支援のあり方について、引き続き取材を進めていきたいと思います。
国際部 記者
山本健人
2015年入局 初任地の鹿児島局を経て現所属。アメリカ担当として人種差別問題などを中心に幅広く取材