大相撲 横綱 白鵬 現役引退の意向固める 史上最多45回優勝

大相撲で史上最多となる45回の優勝を果たした横綱 白鵬が現役を引退する意向を固めたことが関係者への取材でわかりました。

“今後本場所で横綱として15日間土俵を務めることはできない”

白鵬は、右ひざの手術の影響などで休場が続き、去年の11月場所後に横綱審議委員会から「休場があまりにも多い」として「引退勧告」の次に重い「注意」の決議を受けていました。ことし3月の春場所は、再び右ひざのけがで3日目から途中休場して場所中に手術を受けました。

白鵬は、7月の名古屋場所に進退をかける意向を示し、リハビリとともに土俵上での稽古を再開したうえで、6場所連続休場から復帰しました。その名古屋場所では、初日から連勝を重ねて史上最多を更新する45回目の優勝を全勝で果たしました。
直後のNHKの取材に対して「体もあちこちぼろぼろだ。先のことはゆっくり考えたい」などと話していて、秋場所に向けた合同稽古に姿を見せたもののその後、同じ部屋の力士が新型コロナウイルスに感染したため秋場所は初日から休場していました。

関係者によりますと、白鵬は痛めた右ひざの状態などから、今後本場所で横綱として15日間土俵を務めることはできないと判断し、現役を引退する意向を固めたということです。

また、白鵬はことし5月には、年寄名跡を取得していますが、親方になるための正式な手続きは近く行われる見通しだということです。

白鵬はモンゴル出身の36歳。15歳で宮城野部屋に入門し、天性の体の柔らかさに厳しい稽古による力強さや卓越した技を兼ね備え、平成19年夏場所後に69代横綱に昇進しました。

通算の勝ち星は1187勝、優勝回数45回、横綱在位はおよそ14年に渡る84場所でいずれも史上最多を記録していて現役生活20年で大相撲の記録を次々と塗り替えてきました。

おととし9月には日本国籍を取得し「強いお相撲さんを育てることが1つの恩返しだと思う」と話し将来は親方として後進の指導に当たる意向を示していました。

決断に至る背景は

平成27年初場所で33回目の優勝を果たした白鵬は、優勝回数で昭和の大横綱、大鵬を抜いて以降は、本場所ごとに優勝回数や通算の勝ち星数などみずから目標を設定してモチベーションを維持する状況が続きました。

そのころから白鵬は「取って変わるような若手が出てくれば自分は退く」と周囲の関係者に口にするようになりました。

しかし、白鵬のあとを追って横綱に昇進した日馬富士と、鶴竜、それに稀勢の里の3人は、いずれも白鵬よりも先に現役を引退し、台頭する若手も脅かす存在までには至りませんでした。

優勝や勝ち星に関わる記録のほぼすべてを塗り替えてきた白鵬は、ここ数年、「東京オリンピックを現役として迎える」ことを目標の1つに挙げてきました。モンゴル相撲の英雄で、レスリングでも前回の東京オリンピックに出場した父のムンフバトさんと同じ舞台に関わりたいという思いが理由でした。

その思いの影には、ライバル不在の状況が続く中で、土俵外のことに目標を定めるしかモチベーションを維持する方法がなかった白鵬の心情が見て取れます。

しかし、ここ3年はけがによる休場が目立つようになりました。両ひざに加えて、足の親指などを相次いで痛め、満身創いの状態となります。

それでも、休場明けの場所で優勝するなど健在ぶりを見せてきましたが、去年11月場所までの12場所のうち8場所を休場。横綱審議委員会から「休みがあまりにも多い」として「注意」の決議を受けました。
4場所連続で休場したあと、ことし3月の春場所には出場しましたが、右ひざの痛みから3日目から休場し右ひざの2回目の手術を受けました。

ひざの皿の裏にある軟骨の損傷した部分をなめらかにするなどの処置を受けた白鵬は、その後、軟骨の再生医療を取り入れ、4月からはひざの周りの筋肉を刺激して強化するリハビリを行い、6月には土俵上で相撲を取る稽古を再開しました。

7月の名古屋場所直前には関取の炎鵬などとも申し合いを行って調整し、急ピッチな仕上げで復帰の場所を迎えました。

場所前には、複数の関係者に名古屋場所で15日間相撲を取りきることに強い覚悟を示していたほか、宮城野部屋の宿舎に飾られた七夕の短冊にも「15日間取り切る」と書き、相撲人生をかけて場所に臨みました。

序盤は、危ない場面もありながら、持ち味の対応力と素早い相撲で勝ち星をあげ、中盤以降は力強く寄り切る相撲も見せて初日から連勝しました。

一方で、本来は右足で踏ん張り左足から踏み込むのが白鵬の立ち合いですが、今場所は、手術した右足への負担を考慮してか、すべて左足で踏ん張って右足から踏み込んでいました。

関係者によりますと、場所中も毎日、取組後には右足を中心に入念なケアを受け、疲労をためないように、朝稽古で稽古場に降りない日もあったということです。

こうしてすべてをかけて臨んだ復帰場所で全勝優勝を果たし、みずからこだわったきた強い横綱としての貫禄を示すことができたと判断し引退を決断したものとみられます。

記録ずくめの相撲人生

通算勝ち星、幕内での勝ち星、通算優勝と全勝優勝の回数、横綱在位、いずれも白鵬が歴代1位です。

通算の勝ち星は、平成13年春場所の初土俵から積み重ねた1187勝。2位、大関 魁皇の1047勝を大きく上回り断然トップです。

幕内での勝ち星は1093勝。幕内の通算出場は1282回で、歴代8位にとどまる中、幕内での勝ち星は、ただひとり1000勝を超えていて、勝率は8割5分と非常に高い率を誇っています。

6年前、平成27年の初場所では33回目の優勝を果たし、昭和の大横綱 大鵬の32回の優勝回数の最多記録を44年ぶりに塗り替えました。

最後の優勝はことし7月の名古屋場所で、最多記録を45回にまで伸ばしました。このうち15戦全勝での優勝は16回、双葉山と大鵬の大横綱2人の通算8回の2倍となる歴代1位です。
さらに、平成22年春場所から平成23年5月の技量審査場所まで7場所連続優勝の記録も横綱 朝青龍と並ぶ歴代1位です。

朝青龍が引退した平成22年には、初場所から九州場所にかけて、双葉山の69連勝に次ぐ歴代2位の63連勝を記録しました。

さらに平成21年と22年は、年間6場所、90戦のうち86勝し、年間で4回しか負けないという圧倒的な強さを2年間も見せつけました。朝青龍が平成17年に記録した年間勝利数の84勝を上回るこちらも歴代1位の記録です。

秋場所の時点で幕内に103場所在籍、歴代1位、魁皇の107場所まであと4場所まで迫っていました。このうち横綱在位は84場所、横綱在位中の出場回数は1019回、さらに横綱在位中の勝ち星899勝、これらも歴代1位でまさに記録ずくめの相撲人生でした。

取り口や言動に批判も

圧倒的な強さを見せてきた白鵬は近年、取り口や言動に批判を受けるようになりました。

平成29年の九州場所後には、横綱審議委員会の当時の北村正任委員長が「張り手やかち上げが15日間のうちの10日以上もあるというような取り口は横綱相撲とは到底いえない、美しくない」と相撲ファンからの多くの投書を引用する形で苦言を呈しました。

こうした批判に対して白鵬は、その後の取材で「横綱が8勝7敗で良いのなら、いいんだけどね」と話すなど、勝つための手段という考えを示しました。

さらに平成29年九州場所の優勝インタビューでは万歳三唱をして場所後に厳重注意を受けたほか、平成31年春場所の優勝インタビューでは手締めをし相撲道の伝統と秩序を損なうとして、相撲協会から「けん責」の懲戒処分を受けました。

白鵬は当時「ファンが喜ぶと思いやってしまった」などと弁明しました。

さらに6場所連続休場から復帰し全勝優勝を果たしたことし7月の名古屋場所のあとも14日目の仕切りや千秋楽の張り手やかち上げについて、横綱審議委員会の矢野弘典委員長が「実に見苦しくどう見ても美しくない」と厳しく批判し、八角理事長からも口頭で注意を受けていました。

こうした批判から勝つこと、強さこそが横綱の務めと考える白鵬と、周囲が求める横綱像との隔たりがかいま見えていました。

親方になるための審査は

力士が親方になる際は、通常105ある「年寄名跡」のいずれかを取得したうえで、相撲協会の「年寄資格審査委員会」に襲名を認められなくてはなりません。

白鵬は、ことし5月に年寄名跡を取得していますが、襲名が認められるかどうかは秋場所後の「年寄資格審査委員会」で議論されることになります。

白鵬は過去に取り口や言動が繰り返し批判を集めているだけに議論に影響することも考えられ、親方になることが承認されるかどうかが今後の焦点となります。

一方、白鵬が親方になるにあたっては「一代年寄」が認められるかも注目されていました。成績や功績が特に優れている横綱の場合、しこ名のまま親方の資格を得る「一代年寄」となることが認められてきました。

これまでに大鵬と北の湖、それに貴乃花の3人が認められていて、白鵬もかねてから一代年寄への希望を口にしてきました。

ただ、ことし4月、相撲協会が大相撲で守るべき規範を検討するために設置した有識者会議が提言をまとめ、その中で一代年寄について「名乗りを認める根拠は見いだされない」などと否定的な見解が示されました。

こうしたことから一代年寄が認められる可能性は低いとみられています。