聴覚障害のある私が取材した東京パラリンピック

聴覚障害のある私が取材した東京パラリンピック
「“障害がある人の可能性”についてより多くの人に知ってもらいたい」

そう思って聴覚障害のある私がリポーターになったのが2017年。それから4年かけて、パラスポーツの取材を続けてきました。

東京大会の理念の一つが「多様性と調和」。

残念ながら新型コロナウイルスの影響で、当初の想定とは異なる大会となってしまいましたが、取材を通じて、今後につながる「可能性」をいくつも見つけることができました。

私たちはその「可能性」を社会にどう根づかせていけばいいのでしょうか。

(NHKパラリンピック放送リポーター 後藤佑季)

躍動するパラリンピアンたち

東京パラリンピックが開幕した8月24日から閉幕した9月5日まで、私は国立競技場で陸上を中心に連日取材をしました。そこで目にしたのはパラスポーツの競技レベルの高さでした。

東京大会で出た世界記録は150以上。躍動する選手たちの姿に心を動かされた人も多いのではないでしょうか。
中でも私が注目していたのは、3大会連続で走り幅跳びの金メダルに輝いた義足のマルクス・レーム選手(ドイツ)です。

自身の持つ世界記録は8m62cmで、東京オリンピックの優勝記録8m41cmを超えています。
マルクス・レーム選手
「私は義足をつけているが、それは私が弱いとか、他人より劣るということではない。私たちパラアスリートが活躍することで、障害があってもこんなことができると世界に示すことができる」

テクノロジーの「可能性」

大会では、障害のある人と健常者が同じ競技場に集い、時間を共有することで、互いの理解を深めることを目指しさまざまな仕掛けも準備されていました。

そこで私が見つけたのが、「テクノロジーの可能性」です。
大会期間中、国立競技場では、車いす利用者の案内などを目的として導入された遠隔操作のロボットが稼働していました。

通行人に声をかけたり、ペットボトルを配ったり、写真を撮ったり。

無観客での開催となりましたが、選手や海外メディアに対してサービスをしていました。

実はこのロボット、競技場から200キロ以上離れた場所から車いす利用者によって遠隔操作されていたのです。
村瀬礼美さん(車いす利用者)
「ずっと車いすに乗って生活しているので、接客業は職業の選択の中に入ってこなかった。このロボットがあることでずっとやってみたかった接客業をする夢がかなった」
村瀬さんたち車いす利用者のアイデアで生まれたのが「ゴミ回収ロボット」です。
人混みの中、車いすでゴミを捨てに行くことはためらわれるため、ゴミ箱が回収に来てくれたらうれしいという発想が取り入れられました。

車いすの人だけでなく、荷物が多い人や子ども連れの人などにとっても便利なものだと感じました。
私自身、「テクノロジーは障害を障害でなくす」と感じています。

私は最重度の難聴でほとんど音を聞くことができませんが、手術をして「人工内耳」という機械を装着することで、「音を聞く」ことができるようになりました。初めて「人工内耳」をつけた時、「世界はこんなに音であふれていたんだ!」と色鮮やかに感じたことを今も鮮明に覚えています。

これもテクノロジーのおかげです。

ボランティアで育まれた「可能性」

大会を支えたボランティアの姿にも大きな「可能性」を感じました。

障害のある人も参加し、健常者と一緒に活動することで周囲の意識が変わっていったのです。
大会ボランティアとして参加した工藤滋さん(56)です。生まれた時から弱視で、20歳を過ぎたころから症状が悪化し全盲になりました。

工藤さんが担当したのは、競技場内の座席などを消毒する作業です。

最初はボランティア仲間の手助けを受け、作業内容や座席の位置・間隔などを、把握していきました。その後は、健常者と変わりなく働いていました。

一緒にボランティアをした仲間は、工藤さんの働きぶりに驚いたといいます。
ボランティア仲間
「最初はサポートしなくてはと思っていましたが、様子を見ていたら自分自身でされていることも多くて、障害の有る無しが違うだけで、大会を支えたいという気持ちは全く変わらない」
大会ボランティア 工藤滋さん
「こんなふうに障害がある人とない人が協力し合って、チームでよりよい社会にしていくことができる。僕が参加する中でいろんな人に伝えていきたいし、感じてもらえれば」
「ちょっとしたサポート」さえあれば、障害のある人も社会で役割を果たすことができる。その気付きは、聴覚障害がある中で伝えることを仕事にしている私自身、強く感じてきたことと重なりました。

リポーターという仕事は取材先から話を聞き、ことばにして伝えること、すべてが「コミュニケーション」で成り立っています。

インタビューの際、聞き取りやすい環境を作ってもらう。聞こえなかったときは、まわりのスタッフに教えてもらう。さまざまなサポートを得て、こうして伝えることができています。

「ちょっとしたサポート」を広めるために

障害がある人への「ちょっとしたサポート」。

大会の中だけにとどまらず、社会に広げる取り組みも行われています。
私が訪ねたのは、障害者や高齢者など異なる立場の人とどう接すればいいのか、コミュニケーションやサポートの方法などについて学ぶ講習です。大会の開催が決まった2013年から始まりました。

講師は障害のある当事者が務めます。

受講者は白杖(はくじょう)を使った視覚障害のある人の体験や、車いすの乗車体験などを通じてサポートする側とされる側、両方の立場を学びます。

参加者は年々増え、これまで10代から90代まで12万人以上が受講しています。
参加者
「パラのアスリートたちの活躍を見て、何かサポートできることはないかなと思って参加した」
参加者
「いままで電車や街で、高齢者や障害者などを見てきて何かしたい気持ちはあったが、かえって迷惑になるかなと思って、結局何もせずに終わったことが多かった。やっぱり知るだけでも全然違うと思う」
講習会の主催者は、まさにいま、パラリンピックで得た気付きや教訓を社会に根づかせる重要な岐路にあると強調します。
垣内俊哉 代表理事(日本ユニバーサルマナー協会)
「特定の人が身につけたらいい特定の知識ではなく、皆が当たり前のように得ておいた方がよい知識・スキルです。パラリンピックが終わり、意識も少し薄れてしまったであろう状況だからこそ、改めて何ができるかということを一人ひとりに考えてもらえるといいと思います」

「可能性」を未来に

東京パラリンピックで芽生えた新たな「可能性」を未来へどうつなげていけばいいのか。

取材の終わりに、話を聞きたい人がいました。
今大会、フランス代表として走り幅跳びで銀メダルを獲得した義足のマリー アメリ・ル フュール選手。

3年後のパリ大会に向け、フランスのパラリンピック委員会の会長も務める彼女は、東京大会を準備の段階から見つめてきました。

世界の人口のおよそ15%、12億人に何らかの障害があると言われていますがルフュール選手は、障害のある人が“特別”な存在ではなく、当たり前にいる“ふつう”の存在だと認識することが何より大切だといいます。
マリー アメリ・ル フュール選手(フランスパラリンピック委員会会長)
「選手は4年に1回、夏や冬のパラリンピックの時だけに存在するわけではなく、継続的に伝えたいメッセージがあります。パラスポーツについて伝われば伝わるほど、新たなロールモデルが生まれて人々の障害のある人に対するイメージが変わります。障害に対してポジティブなイメージを伝えることが大切です。障害のある人がスポーツをしているのを見て『あの人大変そう』という同情的な見方ではなく、『すごいパフォーマンスだ!』『こんな動きができるなんて!』と称賛の視線に変わるのだから」

4年間のパラ取材を終えて

東京パラリンピックでは、大会のレガシーとして「“心のバリアフリー”が大切だ」とよく耳にします。

“心のバリアフリー”について、厚生労働省は、「さまざまな心身の特性や考え方を持つすべての人々が、相互に理解を深めようとコミュニケーションをとり、支え合うこと」としています。

ただ障害がある当事者として、私は「いくら心で思っても簡単にできることではない」と感じます。

交通機関や学校・企業など、社会の中に障害者が“当たり前に”いられるよう、環境や制度なども整える、ソフトとハードの両輪で取り組まなければいけないと思うのです。

なぜ学校や職場に障害のある人が少ないのか、どうしてテレビの中は健常者ばかりなのか。

どうしたら“社会”に障害のある人たちが“いられる”ようになるのか、考えてみてほしいと思います。

障害に関するマークやサイン

社会には「外見ではわからない障害」がある人も大勢います。

これらのマークやサインを知ることで「ちょっとしたサポート」を実践していただけたらと思います。
NHKパラリンピック放送リポーター
後藤 佑季
パラ競技や共生社会実現の課題などを継続して取材
生まれた時から聴覚障害があり左耳に人工内耳を使用
ニュースウオッチ9ディレクター
安食 昌義
平成25年入局
学生の時は陸上部に所属
ピョンチャン・パラではチェアスキーを取材
映像センターカメラマン
岡部 馨
平成19年入局
障害者やボランティアなど競技者以外に焦点を当てた取材で東京2020大会を記録し続けてきた
映像センターカメラマン
安居 智也
平成23年入局
銀メダルを獲得した車いすバスケ男子を撮影
パラアスリートの底力と無限の可能性を感じた