“親ガチャ” 話題のことばをぶつけてみたら

“親ガチャ” 話題のことばをぶつけてみたら
初めて聞いたとき、私、ドキッとしました。

「親ガチャ」です。

「親は自分じゃ選べない」それをおもちゃ売り場やソーシャルゲームの「ガチャ」に例えたことばです。

“何が当たるのかは運頼み でもガチャを回せるのは人生で原則1回”

「親をモノに例えるなんて…」というわき起こった嫌な感情はひとまず横に置いておいて、調べてみたら、いま、あちこちで親ガチャへの意見がすごく飛び交っていました。

(ネットワーク報道部記者 大窪奈緒子 鈴木有 高杉北斗 映像センター 田代翔子)

私は親ガチャ失敗者

親ガチャが特に話題なのはネット上です。使われ方はこんな感じでした。
「私は親ガチャ失敗してる。もっと金持ちの家に生まれたかった。こんな貧乏な暮らししたくない」
「とりあえず整形したい。親ガチャ失敗者なので」
読むと親でもある私(大窪)としては何か息苦しい感じで、家庭の経済状況についての声が多い気がしました。
一方で親から虐待や過剰な支配を受けている時に使うんだという声もありました。
「虐待とネグレクトあたりを経験してから親ガチャ失敗って言えよ」
「親ガチャって言葉『貧乏かどうか』って部分だけで語られる風潮は本当に好かない」
また「どうしてその言葉が流行ったか考えて欲しいわ」という意見もあり、いろんな立場の人たちが登場して、親ガチャが話題になる背景を分析していました。

実際の生活ではどうなんだろうと、まず、みんなで街に出て聞いてみました。

汚いことばで言うけど、本心はママが好き

最初に声をかけたのは高校生たちで、意外だったのは(この言い方はちょっと失礼ですが)「知らない」「使わない」「ネットでしか見たことない」という声が多かったことです。
男子高校生
ユーチューバーが言っていたのを聞いたことあります

周りで全然そのことば使わないですけど、うちはそれでいえば「神引き」っすね
女子高校生の3人組は強烈でした。
女子高校生
親ガチャはネットで流れてきたので聞いたことあるくらい。私も、毎日ママとケンカしてばばあとか言う、けど本心ではママが大好き。ママのお弁当がいちばんおいしい

男子はもっと大好きだよ「うるさいばばあ」は心の中では「ママ大好き」だから
話はどんどんとそれ、3人の男の子がいる私の励ましの会になりました。

ネットの中でしか見ない、周りでも使わないというのが取材した高校生12人の中での声でした。

親ガチャは不満の吐き出し口だと思います

ちょっと年齢を上げて20代の人に聞いてみると、使っていたという女性がいました。
親が感情的だと思っていた時があって、それが嫌で私自身もすれていて、親とけんかした時にも「親ガチャ失敗したな~」と言っていました

友達が私よりお小遣いを多くもらっていた時とかも使っていましたね

最近は親との関係がすごく良好になって、全く言わなくなりました。当時は「親ガチャ」ということばで気軽に不満を吐き出していたんだと思います
一緒にいた20代の男性は、SNSの影響があり、不満を納得させるために使うのではないかと、親ガチャを分析していました。
バイトで忙しい時に、遊んでいる学生を見て「あいつ親ガチャ成功したんだ」みたいに使われています

それって昔は友達の家に行かないとわからなかったことが、今はSNSで他人の家庭の状況を見られるようになったじゃないですか

それで他人と比べた時に、自分に負の感情が出てしまうと「親ガチャ」ということばになってしまう

日々の生活の不満を、親が悪いわけじゃないのに親にぶつけてしまう。親が悪かったことにして、そのことばで納得しようとしているのかもしれないです

関係を築く潤滑油のような気がします

若者の社会意識に詳しい専門家にも聞いてみました。

筑波大学の土井隆義教授です。

親ガチャはここ数年、学生の間で聞くようになり、若い世代と親の世代ではことばの認識にギャップがあると話していました。
今の若い人は、深刻なことを深刻に語るのは相手に負担をかける、と考えて避ける傾向にあります。例えば『うちは貧乏だから』ってストレートに語るより『親ガチャに外れた』っていうとちょっとソフトになって、聞かされる側も反応しやすくなる。関係を築く潤滑油のような気がしています
(記者)
親の世代ではどうなんでしょうか。
上の世代にとっては『親ガチャ』と言われると、親に責任をなすりつけているとか、自分の努力を放棄していると感じているのかもしれません

注意しなきゃいけないのは親ガチャに外れたというのは親を非難したり、責任を押しつけたりしている訳ではないということです。おもちゃのガチャに外れてもガチャの責任だなんて言わないですよね。自分の能力では超えられないものが目の前にあるという思いを伝える時の表現だと考えてほしいんです

生きづらさを語りやすい面はあるかも

(記者)
ネット上ではより深刻な状況を訴える声もありますが。
土井教授
そうですね「親ガチャ」ということばで語らざるをえないような境遇の人がいるのは事実です。例えば親から虐待されているとか、学校に行かせてもらえないとか

そうした厳しい家庭環境にある人がそういうことばを使いたくなるのは理解してあげないといけない。自分の生きづらさを語りやすい面はあるかもしれないです
(記者)
「子どもは親を選べない」ということば自体は昔からあるのに、どうして今、こんなに注目を集めたんでしょうか。
これだけネットが発達し、他人と自分を比べやすくなったという面はあるでしょう

それに現代は評価が不安定です。例えば所属する企業が5年後、10年後も存続しているかどうかわからない。社会で身につけてきた属性が、将来もずっと有効かどうかもわからない

そういう時に決して揺るがないものは何かというと生まれ持ったもの。そこに重きを置くという人生観が広まる中で、親ガチャということばが使われているのかもしれません

どうしても話を聞きたい人がいました

「親ガチャ」ということばを聞いた時、どうしても話を聞いてみたいところがありました。宇都宮市の自立援助ホーム「星の家」です。
ここでは虐待や経済的な厳しさで親と暮らせない子どもたちが生活しています。

社会で自立できるよう児童養護施設の職員だった星俊彦さんと妻の美帆さんが、運営し支援を続けていて、10年以上前、ここで暮らしていた17歳の子どもへのインタビューのことばが忘れられないのです。

2歳の時から施設で育った純さんに、親について聞いた時の、そのままのことばです。
純さん
オレの場合は全く親も見たことないすから。見たことない。会ったことない。きょうだい何人いるかもわからない。だったら逆に思うんですね。育てることができないんだったら、逆に生まれないほうがよかったんかなーみたいな

もしケンカになると“親のいない子は”ってなるんですよ。なる、絶対なる。

親のいない子はってちょっと違うイメージがあるんですね。一般家庭の子とちょっと違う。いやできが悪いつーか。親がいないっていうそれだけで変わってきちゃうんですよ。見られ方が変わってきちゃうんですよ

おまえら、親を選べないもんな

純さんのように、親に対して複雑な思いを持っている多くの子どもと接してきた星さん夫婦。親ガチャについて聞くと、

「子どもは親を選べない、というのは星の家でもよく話題にのぼります」

そう言って美帆さんは話し始めました。
美帆さん
虐待をしてしまう親や育児放棄をする親がいます。しつけのために厳しくした、というのを見聞きするたびに「親になると決めたのは親で子どもは親を選べないのに」と。親ガチャということばがなくても私たちは日々そんなことを感じています
親ガチャということばで、美帆さんはふと、ある光景を思い出したと言いました。夫の俊彦さんが子どもたちに語りかけていた時のことです。
お前らは親を選べないもんな。幸せな家に生まれてくるのも、家の中がぐちゃぐちゃで崩壊寸前の家に生まれてくるのも偶然なんだよな。お前ら『たまたま』そういう家に生まれちゃったんだよな
かたわらで聞いていた美帆さんは、はっとしたそうです。
夫は『たまたま』という軽いことばを使って「これからどうにでもなるんだよ」「お前が幸せになりたい、明るいほうに行きたいって思えれば、そっちに行けるんだよ」というのを伝えていたのだと思いました

「おれたち大人は、『たまたま』星の家に来る子どもたちよりは恵まれた家庭に生まれてきたわけで、それも『たまたま』なんだ。だからこそ、おれたちはなにかをしてあげるじゃなくて、子どもたちの胸にぽっかりと空いた穴があるんだとしたら、それを埋めるためになにかをしなくてはならないんだ」そういう話もしてくれました

ガチャのように『たまたま』

俊彦さんは7年ほど前から、パーキンソン病と闘いながら、星の家で子どもたちとともに暮らし、支えになり続けています。

今回、親ガチャということばを取材してみて、改めて子どもたちが親を思う気持ちを知りました。

このことばには親に対する期待やがっかりする気持ち、ときには親への甘えの気持ちも、そして、なかなかうまくいかない自分自身へのいらだちも、含まれているかもしれません。

一方で、親ガチャということばでは語りきれないほど苦しい状況にある子どもたちがいることや、それを支えようという大人たちからも話を聞きました。

星さんが言うように私たちはまさにガチャのように『たまたま』今の状況を生きているのかもしれません。
“そんなたまたまある今の状況は変わっていくし、変えることができるに違いない”

最後にそんなことを考えた取材でした。

その後

星の家でインタビューに答えたくれた当時17歳の純さん。ずっと手放さないものがひとつありました。

母子手帳です。

「つながり、これしかないんすよ」と言って見せてくれたのを思い出します。

純さんに久しぶりに連絡すると、近況を教えてくれました。

施設を出たあと、職を転々として、車上生活も半年ほどしたそうです。
どん底だと思っていたそうです。

20歳のころ、つきあっていた女性の親に「せめて高校くらい行っていればいいのに」と言われたのが“胸をえぐられるくらいショック(純さん)”で、23歳で通信制の高校に入ることにしました。

そんな時、自分の戸籍を用意することになり、母親の本籍を知りました。
母親の名前や本籍を見ているうちに会いに行こうと思うようになり、見たことのない親を探し始めました。

2,3年かけて、ようやく母親のきょうだいにたどりつくことができました。
母親のことを聞いてみました。

(純さん)
「でも母は亡くなっていたんです。おれが探している2,3年の間に死んじゃったんです」

母親に捨てられたという思いがあったはずですが、号泣したそうです。

17歳で純さんを産み、手放さなければならなくなった事情も知りました。
「どこか吹っ切れた」と純さんは話していました。

高校は26歳で卒業し、いま配達や営業の仕事をする正社員となり、“天職だ(純さん)”と思っているそうです。

『親ガチャ』のことばは、知りませんでしたがこんな話をしていました。

「親がいないとか、施設の子とかずっと言われ、“世の中不公平だ”ってずっと思っていました」

「でも『親を選べない』って言うけど、周りだっておれを選べないじゃないですか。それでも星の家とか、仕事で知り合った人とか周りはおれを支えてくれたんです。だからいまがあるんで。仮に親ガチャであったとしても、自分の気持ち次第、生き方次第でそれは変わるかもしれないじゃないですか」

“まあ、親ガチャってノリで使っていると思いますよ”と言いながら、そんな話をしてくれました。