水俣病の被害 世界に伝えた報道写真家を描いた映画 公開へ

水俣病の被害を世界に伝えた報道写真家、ユージン・スミスを描いた映画「MINAMATAーミナマター」が、9月23日から公開されます。
公開を前に、主演のジョニー・デップさんがNHKのインタビューに応じ「水俣病のことを学べば学ぶほど、伝えるべき出来事だと分かり、自分たちにその責任があると感じた。映画をきっかけに、この問題が語り継がれることが大事だと思う」と思いを語りました。

映画「MINAMATAーミナマター」は、アメリカの報道写真家、ユージン・スミスが、1970年代、当時の妻とともに熊本県の水俣市に移り住み、被害に苦しむ患者や支える家族、それに原因企業のチッソへの抗議運動などの姿を写真に収め、世界に伝えたという実話に基づく物語です。

映画の製作チームは、リアリティーを追求するため、水俣病の患者や家族などを取材したり、当時の写真などを集めた400ページの資料を作ってキャストやスタッフに配布したりして、撮影に臨んだということです。

公開を前に、ユージン・スミスの役を演じた俳優のジョニー・デップさんがNHKのインタビューに応じました。

ジョニー・デップさんは「水俣病のことを知ってショックを受けた。学べば学ぶほど、これは伝えるべき出来事だと分かり、自分たちにその責任があると感じた。映画をきっかけに、この問題が語り継がれることが大事だと思う」と思いを語りました。

そして「世界中で人が使い捨てにされ、命が軽んじられていて、こうした不正義が何世代にもわたって続いていくことが問題だ。まず映画を見ることから始めて、さらに自分の目と耳でさまざまな問題を学んでいってほしい」と話しました。

また、映画のエンドロールでは、世界各地で繰り返されてきたいくつもの公害が紹介されていて、この演出について、アンドリュー・レヴィタス監督は「世界中で水俣病と同じようなことが起きていて、いまも誰かが被害を受けていると気づいてほしい。私は関係ないと目を背けることは簡単だが、被害を受ける“誰か”が、自分や、愛する人だったかもしれないと伝えたかった」と語りました。

そのうえで「誰もが平等に生きる権利があり、みなで手を携えれば状況を変える力があると、映画を通して勇気を与えたいと思った」と話していました。

映画「MINAMATAーミナマター」は、9月23日から全国の映画館で公開されます。

報道写真家 ユージン・スミスとは

アメリカの報道写真家、ユージン・スミスは、妻のアイリーンさんとともに1975年、写真集「MINAMATA」を出版。「公害の原点」とも言われる水俣病の被害の実態を世界に伝えました。

ユージン・スミスは、1918年にアメリカ・カンザス州に生まれます。

14歳で写真を撮り始め、アメリカの写真雑誌「LIFE」などに写真を発表しながら実績を重ね、第2次世界大戦では、従軍写真記者となり、サイパンや沖縄など激戦地を取材しました。

そして1971年、知り合いのすすめをきっかけに、水俣病の取材で来日。

その撮影スタイルは、テーマを決めたのち、長期間現地に滞在して撮影を行うもので、水俣では3年間、患者が多発した袋地区に一軒家を借りて暮らしました。

水俣病の患者に対する差別が根強くある中で、誰にでも分け隔てなく接するユージンの姿勢は、患者や家族からも受け入れられたといいます。

患者と原因企業のチッソの交渉の取材では、社員から強制的に排除されて大けがを負い、カメラのピントをうまく合わせられなくなりましたが、取材を断念することはありませんでした。

アシスタントを務めていた東京の写真家、石川武志さんによりますと、ユージンは写真の力を信じ「写真で病気は直せないが、メッセージを出すことで、誰かが動いてくれる」と話していたということです。

アメリカに帰国したあとに出版した写真集「MINAMATA」は、世界中の反響を呼び、水俣病問題に世界の注目が集まるきっかけにもなりました。

水俣病の現状

水俣病は、ことし5月で公式確認から65年となりましたが、いまも全面的な解決が見通せない状況が続いています。

環境省によりますと、これまでに水俣病と認定された患者は、ことし7月末の時点で、熊本県が1790人、鹿児島県が493人、新潟県が716人の、合わせて2999人です。

一方、国の基準で水俣病と認められず、救済策の対象になった人はおよそ5万人に上ります。

そして、3つの県で合わせておよそ1500人が、患者の認定を求めて審査結果を待っています。

また、各地で裁判も続いていて、およそ1800人が国や原因企業のチッソなどに損害賠償などを求めています。

さらに、被害の全容もいまだ明らかになっていません。

12年前に成立した被害者救済のための特別措置法では、被害の広がりを調べるため、国が水俣湾周辺の住民の健康調査を行うことが定められていますが、調査の実施時期や具体的な方法はいまも示されていません。

環境省は、健康調査に向けて開発している検査方法を来年秋をメドに確立させるとしていますが、住民の高齢化が進む中で、患者団体などは調査の早期実施を繰り返し求めています。

水俣市で先行上映 患者など鑑賞

映画「MINAMATAーミナマター」は、全国での公開を前に18日、熊本県水俣市で先行上映されました。

上映会は、水俣病の患者や支援者などでつくる実行委員会が開き、当時、ユージンの被写体になった患者など、およそ1000人が2時間の映画を鑑賞しました。

母親の胎内で水銀の被害を受け、写真集にも掲載された胎児性患者の長井勇さんは「ユージンの暗室に遊びに行ったことが思い出に残っています。映画を全国の人たちに見てほしい」と話していました。

水俣市の13歳の男子中学生は「ユージン・スミスのことは知りませんでした。水俣病のことをもっとよく知らなければならないと思いました」と話していました。

上映会終了後、ともに写真集を出版した元妻、アイリーン・美緒子・スミスさんが登壇し「患者が苦しみながらも裁判を続け、補償を勝ち取った本当の出来事をもとにしていることを知ってほしい」とあいさつしました。

水俣病を学び続ける 東京の高校

公式確認から65年。被害者の高齢化が進み、水俣病の問題を次の世代にどう伝えていくのかが課題になっています。

東京都内の高校では、四半世紀にわたり、生徒たちに水俣病について学んでもらう取り組みを続けています。

9月1日、東京 世田谷区の田園調布学園高等部で映画「MINAMATAーミナマター」の上映会が行われ、およそ400人の生徒たちが鑑賞しました。

この高校では、25年前から生徒たちが授業の中などで水俣病について学んでいます。

1年生のときには、国語の授業で、石牟礼道子さんの小説「苦海浄土」を取り上げます。

水俣病を患った人たちとその家族の苦しみを描いたこの小説。9月に行われた授業では、海が好きだという漁業者の女性が水俣病を患い、体がむしばまれていく様子が書かれた一節を、生徒たちが順番に朗読しました。

その後、グループに分かれ、小説にどんな思いが込められていると思うかなどについて意見を出し合いました。

生徒たちは2年生になるころに、修学旅行で水俣市を訪れます。

コロナ禍でこの2年間は足を運べていませんが、患者やその家族、支援者などから直接話を聴いてきました。

生前の石牟礼道子さんや、水俣病研究の第一人者で患者の診察を続けた医師の原田正純さんとの懇談の場もあったといいます。

取り組みが始まったころは修学旅行で水俣市を訪れる学校は少なかったということで、この四半世紀で延べ5000人の生徒が参加したということです。

水俣病の学習を発案した一人で、社会科を担当している川口重雄教諭は「実際に話を聴くことで、生徒たちは『水俣病はまだ終わっていない』と確認できている。水俣病は確実に『歴史』の一面が出てきているが、生徒たちには、取り返しがつかない過去の事実を知り、みずから考えることで、未来を見通してほしい」と話していました。

生徒たちは、映画を鑑賞したあと、ユージン・スミスの元妻でともに患者たちを取材したアイリーン・美緒子・スミスさんと懇談することになっていました。

アイリーンさんから何を学び取るのか。懇談会を前にした8月下旬、3年生8人が学校に集まり、話し合っていました。

そのうちの一人、浅井真愛さんは、去年中止になった修学旅行の代わりに、患者の家族や医師などとオンラインで懇談する催しを同級生と企画。

この取り組みを通して、水俣病の問題を自分なりに深く考えるようになったといいます。

ユージン・スミスの写真集を見ながらアイリーンさんに聞きたいことをそれぞれメモしていた生徒たち。

浅井さんが書いたのは「取材することに対して抵抗はなかったのか」ということばでした。

水俣病の被害について理解を深めることで自分が受けた衝撃を考えると、なぜ「写真を撮る」という気持ちを持ち続けることができたのかを知りたいと思ったといいます。

そして迎えたアイリーンさんとの懇談の場。

司会を務めた浅井さんは「患者を撮影することに、気持ちの面で抵抗がなかったのか」と用意した質問を投げかけました。

アイリーンさんはこう答えました。「抵抗がなかったわけではありません。しかし、公害で多くの人が倒れているという話を聞いて、『これは伝えなければならないと』と突き動かされたのです。自分がおかしいと感じたことを大事にし、周りの目を気にせずに前に進んでみることで、道は開けるはずです」

懇談会のあと浅井さんは力強く、こう話してくれました。「ユージンやアイリーンさんが水俣病を伝えたことで、私も問題を知ることができたのかもしれません。二人のようなことが私にできるかは分かりませんが、真実に向き合い、過ちを繰り返さないための方策を考えられる、そんな人間でありたいと思いました」