自衛隊アフガン派遣 知られざる“深層”に迫る

自衛隊アフガン派遣 知られざる“深層”に迫る
それはまさに、急転直下で決まったオペレーションだった。
武装勢力タリバンが権力を掌握し、アメリカをはじめとする国際社会が支援してきた政権が崩壊した、アフガニスタン。残された日本人などを退避させるため、自衛隊に派遣命令が下った。現地に向かったのは、輸送機など4機と、隊員約260人。退避させることができたのは、日本人女性1人と、アメリカから要請があったアフガニスタン人14人だった。日本大使館やJICA(国際協力機構)で働くスタッフ、その家族など、政府が退避の対象と想定していた500人以上のアフガニスタン人は、結果的に、1人も救い出すことはできなかった。
今、「自衛隊を派遣する判断が遅かったのではないか」という指摘が、専門家などから相次いで出されている。混乱の極みにあったアフガニスタン。あのとき、自衛隊はどう行動していたのか。その内幕を、徹底取材で報告する。
(社会部記者 南井遼太郎 西牟田慧 須田唯嗣)

「自衛隊が出ることはないだろう」

8月20日 カブール陥落から5日

「やはり、『TJNO』の要請ということになりそうだ」
関係者からその情報がもたらされたのは、カブール陥落の5日後、8月20日の夕方だった。

「TJNO」は「Transportation of Japanese Nationals Overseas」の頭文字をとった略語で、自衛隊法に基づく「在外邦人等の輸送」を意味する。自衛隊が航空機を出して、アフガニスタンに残る日本人などを輸送するよう、外務大臣が防衛大臣に要請する、ということだ。

「本当にやるのか?」

最初にこの情報に触れたとき、そう思った。直前まで、「自衛隊が出ることはないだろう」というのが、大方の防衛省関係者の見方だったからだ。

この6日前の8月14日。外務省は防衛省に対し、自衛隊機の利用の可能性を内々に打診していた。しかし、この時、外務省はまだ、民間のチャーター機が活用できると想定していた。自衛隊への打診は、あくまで「可能性」を伝えたもので、「基本的にはお世話にならない」(外務省関係者)と考えていた。タリバンによる権力の掌握、つまり、首都カブールの陥落は、まだ先だとみていたのだ。自衛隊関係者の間でも、「民間の航空機が飛んでいる段階では、自分たちの出番はない」という見方が広がっていた。

“急転直下”の派遣劇

その流れが一気に変わったのが、翌15日のカブール陥落だった。
政権が事実上崩壊したことで、「民間機の運航継続」という前提は崩れ、日本政府は、現地にとどまる日本人などをどう退避させるか、計画の練り直しを迫られた。

カブール陥落の2日後、大使館の日本人職員12人が退避した。彼らが乗ったのは、イギリスの軍用機。ドイツやフランスを含め、ヨーロッパ各国はすでに、自国民や現地協力者の退避を始めていたのだ。

翻って、日本。500人を超える大使館やJICAのアフガニスタン人スタッフなどは、依然、取り残されたままだった。ただ、この段階でも、防衛省・自衛隊関係者の間では、「TJNOはないだろう」という声が多かった。

自衛隊が出て行くとなると、準備も含めて時間がかかる。また、大使館の日本人職員がすでに退避する中、「退避を希望している在留邦人はいるのか」という懐疑的な声や、「外国人のために自衛隊機を出すのは、政治的にも法律的にもハードルが高いのではないか」という意見もあった。

政府は、「他国の軍用機の余った席に乗せてもらえないかなど、さまざまな手立てを検討した」と説明している。しかし、実現のめどは立たなかった。最終的に、自衛隊機を派遣する以外に方法はないと判断した。

そして、8月20日。外務省から防衛省に対し、「TJNO要請」の可能性が示された。TJNOは、「在外邦人等の輸送」という名が示すように、日本人が含まれていないと、実施できない。裏を返すと、日本人が含まれていれば、その数にかかわらず、外国人を輸送することができると政府は解釈してきた。

関係者によれば、このとき、数人の在留邦人が国外退避を希望していたという。この日本人の退避と一緒に、大使館やJICAのアフガニスタン人スタッフなども、自衛隊が退避させる。今回のオペレーションの枠組みが固まった。
8月23日 輸送命令発出

準備は急ピッチで進められ、23日午後0時13分、岸防衛大臣は、自衛隊機による輸送を命令した。

その6時間後には、C2輸送機が埼玉県の入間基地を離陸した。これを追うように、C130輸送機2機も、活動拠点を置くことになる隣国パキスタンに向けて、日本をたった。

“統合任務部隊” その全貌

今回の任務で、自衛隊は、航空自衛隊と陸上自衛隊の隊員からなる「統合任務部隊」を編成した。TJNOは今回が5回目だが、陸上自衛隊の部隊が関わったのは今回が初めてだ。

その理由を、防衛省関係者は、こう解説する。
防衛省関係者
「“陸”が入ったのは、事態の急変も予想されたからだろう。TJNOは輸送の安全が前提だが、現地の状況を考えれば、万が一がありえるという判断だと思う。過去4回とは、危険性の認識が違ったということだ」
防衛省は、今回の統合任務部隊について、その詳細を明らかにしていない。関係者への取材から、その全貌が見えてきた。
隊員の約半数を占めるのが、「誘導輸送隊」だ。空港の中で、輸送対象者を護衛しながら輸送機まで誘導する役割を担う。このほか、輸送機の運航を担う「空輸隊」や、外務省の担当者とともに、輸送対象者への説明などを行う「搭乗支援隊」などがある。

「誘導輸送隊」の主な要員が、陸上自衛隊の「中央即応連隊」だ。災害やテロなど、さまざまな「緊急事態」に派遣されるほか、海外派遣では先遣部隊として活動するのが主な役割だ。安全保障関連法で可能になった、武器使用も想定される日本人の「救出」や「警護」に備え、訓練を繰り返している。

「誘導輸送隊」に中央即応連隊が充てられたのは、対象者を輸送機まで誘導する際の「万が一」に備えるためだと考えられる。

また今回、防衛省は、セキュリティー上の問題があるとして、部隊が携行した武器については明らかにしなかったが、複数の関係者への取材によれば、携行したのは小銃と拳銃だけ。

過去の海外派遣では、隊員は機関銃を携行したり、装甲車が使われたりしたが、今回はアメリカ軍によって空港内の安全は確保されていることから、最小限の武器の携行にとどめたという。

始まったオペレーション

8月25日 自衛隊輸送機カブールへ

日本をたった3機の輸送機は、25日夜までに、相次いでパキスタンの首都、イスラマバードに到着した。この頃、防衛省・自衛隊関係者の間には焦りが広がっていた。
アメリカのバイデン大統領が、8月末までとしていた撤退期限を延長しない方針を表明。日本を含む各国に対し、27日中にはカブールの空港を撤収するよう求めたのだ。

このとき、日本が確保していたカブール空港の発着枠は、25日から27日の3日間。しかし、27日に撤収となると、この日は、退避希望者の輸送に充てるのは難しいかもしれない。

退避希望者は最大で「500人以上」にのぼる。全員を運ぶことを考えれば、もはや、一刻の猶予もなかった。

統合任務部隊は急きょ、最初に到着したC2輸送機をカブールに向かわせることを決めた。この機体は隊員や資機材の輸送のために派遣され、もともとは退避希望者を乗せる予定はなかったが、背に腹は代えられなかった。

初めてカブールに到着も…

25日の午後11時前にイスラマバードをたった輸送機は、約40分でカブールの空港に到着した。今回の任務で、自衛隊の輸送機が初めてカブールに入った瞬間だった。

「誘導輸送隊」の隊員など数十人と、現地で必要になる物資を届けた輸送機。しかし、肝心の退避希望者は、空港にいなかった。

誰一人、たどりつけなかったのだ。

日本政府はこの頃、退避を希望する人に対しては、「空港までは自力で移動するよう求める」と説明していた。自衛隊も、空港の外での活動は認められていなかった。アメリカ軍の管理下にない空港の外は、安全が保証できないからだ。

しかし、退避を望む人は、「安全が保証できない」その環境下で、空港にたどりつく必要があった。

「到着できないのも、無理はない」

率直にそう思った。

結局、退避希望者を1人も乗せることなく、輸送機はイスラマバードに戻った。

アフガニスタン人14人を退避

8月26日 輸送2日目

翌日、統合任務部隊は、C130輸送機2機を使って、イスラマバードとカブールの間を6回程度往復させる計画を立てていた。発着枠がさらに確保できれば、C2輸送機を活用することも念頭に置いていたという。

しかし、この日の未明、C130輸送機1機に油圧系統の故障が発覚。この日に飛んだのは、もう1機のC130輸送機だけだった。

1回目は、正午すぎにイスラマバードを離陸。隊員や物資は届けたものの、またも、空港に退避希望者はいなかった。
いったんイスラマバードに戻った後、午後7時半ごろ、再びカブールに向けて出発。1時間ほどで到着した。

そして、この時、空港にいたアフガニスタン人14人を退避させた。14人は旧政権に関係する人やその家族。アフガニスタンに残ると迫害されるおそれがあるとして、アメリカから退避を要請された。TJNOで外国人を運んだ、初めてのケースとなった。

退避を阻んだ自爆テロ

一方、この頃、カブールでは、日本人などの退避を実現するための計画、「コンボイ(護送)・オペレーション」が、ひそかに進行していた。政府やJICAがバスを用意し、退避希望者を空港まで届けようとしていたのだ。

当時、退避を希望する人がカブール空港にたどりつくまでには、市街地でタリバンが設けていた検問で通過を認められる必要があった。

政府の説明によれば、この日の午後には、アメリカ軍とタリバンの間で、日本人やアフガニスタン人スタッフなどの通過に合意するメドがたったのだという。

退避希望者には日本時間の午後10時半までに市内の集合場所に集まってもらうよう呼びかけた。対象者はおよそ600人。27台のバスが用意され、空港に向かうことになっていた。

退避が実現すれば、ほぼ「ミッション・コンプリート(任務完了)」と言えた。

しかし…
車列が空港に向けて、出発しようとしていたまさにその時、自爆テロによる大規模爆発が起きた。退避を希望していた人たちは、解散を余儀なくされた。

後日、外務省は取材に対し、こう説明した。
外務省の説明
「タリバンの検問を通過するための調整はアメリカ軍が行っていて、われわれとしては通過を希望する人のリストをアメリカ軍に出し、タリバンの了承が出るのを待つしかなかった。返す返すも残念なのは、車列がスタートする直前で、テロが起きてしまったということだ」

万事休すか

8月27日 輸送最終日

大規模爆発の被害が明らかになるにつれ、防衛省・自衛隊の間では、「もはやTJNOは続けられないのではないか」という見方が広がっていた。爆発の後、現地に派遣された部隊が、コンクリート製のごうの中に退避する場面もあったという。
防衛省関係者
「動揺は計り知れなかった。派遣の前提となっていた『輸送の安全』が揺らぎかねなかったからだ。退避希望者が空港にたどり着くのはますます難しくなり、この時点でのオペレーションの中止も十分にありえた」
さらに、政府の説明によると、アメリカ軍から、空港に設けているゲートは開けるものの、タリバンの検問は通過できないかもしれないと、通告があったという。

万事休すか。

しかし、事態は急変する。タリバンが、アフガニスタン人以外であれば、通過を認めることに同意したという情報が入ったのだ。

これを受け、日本人女性1人が、用意されたバスで空港に向かった。バスは午後5時半頃、無事にタリバンの検問を通過。あとは自衛隊機の到着を待つだけとなった。

この日、統合任務部隊は、カブールの空港に6つの発着枠を確保していた。しかし、前日に故障したC130輸送機の修理が、この日の午後までかかった。C2輸送機にも、トラブルが起きたという。

そしてこの日も、退避希望者が空港にたどり着けない状態が続いたため、せっかく確保した発着枠を4つ、キャンセルせざるをえなかった。残る発着枠は、夜に確保した、20分間隔で発着する2つ。

政府は、C130輸送機2機をカブールに向かわせ、このフライトで、すべての自衛隊員や外務省・防衛省職員らを撤収させる方針を決めた。
本当の、ラストチャンス。日本時間の、午後7時すぎ。2機は相次いでイスラマバードをたち、カブールに向かった。
到着したのは、出発から1時間後。

空港では、タリバンの検問を通過した、あの日本人女性が待っていた。タリバンを恐れてだろうか、女性は黒い布を身にまとい、顔は目しか見えない姿だったという。

1機には女性を乗せ、もう1機には自衛隊員や資材を積み込み、C130輸送機2機は、カブールをたった。午後10時過ぎ、2機は無事イスラマバードに戻り、任務は事実上、終わった。

「500人以上」とされる、大使館やJICAのアフガニスタン人スタッフなどは、現地に残された。

4日後の8月31日、岸防衛大臣は輸送活動の終結を命じ、自衛隊は撤収した。

政府は、「邦人の退避という最重要の目標は達成できた」と説明した。しかし、防衛省関係者の1人は私たちに、こう漏らした。
防衛省関係者
「結果論だが、派遣が遅すぎて間に合わなかったということだと思う。17日にイギリスの軍用機で大使館員を退避させたところが分岐点だったかもしれない。退避の是非はともかく、このあとの在留邦人やアフガニスタン人スタッフの退避に備え、あのタイミングで自衛隊を派遣し、イスラマバードに活動基盤だけでもつくっていれば、もう少し輸送できたのではないか。派遣の前段階の判断が、結果を左右したと思う」

“TJNO経験者”はどう見たか

今回の派遣を、専門家はどう見ているのか。自衛隊の海外派遣に携わった経験のある、2人に話を聴いた。
自衛隊トップ・統合幕僚長として、2度にわたりTJNOを指揮した、河野克俊さん。

「派遣は遅かった」としたうえで、その背景に、自衛隊の海外派遣をめぐるこれまでの議論があると指摘する。
河野さん
「今回、政府内でどういうやり取りや判断があったかはわかりませんが、一般論として、自衛隊派遣をめぐる法律を作る時は、安全確保について非常に厳しい条件がつく。自衛隊が行くところは安全なんです、というのがいつも議論の前提になるんです。そういう議論から自衛隊派遣ができるようになっているので、民間機が使えるなら民間機を使った方が無難だと、論議を呼ばないというメンタリティーに知らず知らずのうちになっているんじゃないかと思うんです」

「最初から自衛隊機を使うという発想に転換した方がいいのではないか。民間機が使えるとしても、自衛隊機を使った方が、国が責任を持って在留邦人の方々の命と安全を守るという意思を明確に示すことができる。その意味でも、自衛隊機の活用を積極的に考えた方がいいと私は思います」
元防衛官僚で、内閣官房副長官補として、自衛隊のイラク派遣、そして初のTJNOに関わった柳澤協二さん。

「派遣は遅かった」という認識は、河野さんと同じだ。
柳澤さん
「(アフガニスタンの)州都のほぼ半数は、カブールが陥落する1週間ほど前には陥落していたのだから、厳しく見れば、少なくとも8月10日前後には、政府は『緊急モード』に切り替え、退避のプランを立てるべきだったと思います。そうすれば、もっと早く自衛隊機を出すこともできた。『1人の邦人を運べたからよかった』という評価は、するべきではない。あくまで端から見ている印象ですが」
そのうえで柳澤さんは、今回の任務をふまえ、自衛隊を派遣する要件を緩めるべきだという意見が出ていることに対し、こう述べた。
柳澤さん
「各国とも、どうやって武器を使わず、空港まで輸送できるかというところで苦労していたわけで、そこに成否の分かれ目があった。だから、今回の件を受けて、武器を使って救出するということを議論するというのは、まったく的外れなんだろうと私は思います。空港の周辺に集まっていたアフガニスタンの民衆を、武器を使って排除すればよかったのか。安全が確保されてないのに派遣して退避希望者が犠牲になったら、誰が責任を取るのか。自衛隊が行って成果を上げるということが大事なんじゃない。いちばん大事なことは、関係者が無事であることなんですね」

自衛隊派遣はどうあるべきか

当初想定していた、アフガニスタン人の退避対象者を1人も退避させられなかったことで、今、自衛隊派遣の在り方に注目が集まっている。自衛隊法の改正を議論すべきだという意見も出始めた。

岸防衛大臣は、自衛隊機を派遣する判断が遅かったなどと指摘されていることなどをふまえ、一連の対応を検証する考えを示した。

問題はどこにあったのか。情報不足か、判断の遅れか、それとも、オペレーションか。政府には、今もアフガニスタンに残る「500人以上」の退避に向けた努力を続けることはもちろん、今回の任務について、可能なかぎり国民に情報を開示し、開かれた場で、徹底的に検証することが求められる。

そのときに、忘れてはならない事実がある。

自衛隊は、これまでの海外派遣で、実戦で1発の銃弾も撃ったことはない。そして、1人の犠牲者も出していない。それは、海外派遣の歴史が、国会などでの徹底的な議論、そして事後の地道な検証の積み重ねによって形作られていることの証左でもある。

今回の経験を「次」に生かすには、どうすればいいのか。

拙速な議論で終わらせてはならないことは、歴史が教えてくれている。

(文中の時間は日本時間)
社会部記者
南井遼太郎
2011年入局
防衛省・自衛隊担当
社会部記者
西牟田慧
2011年入局
防衛省・自衛隊担当
社会部記者
須田唯嗣
2014年入局