ビジネス特集

いま最も恐れられる女

「彼女は偏見を持っている。調査から外すべきだ」
7月、アメリカの“ビッグテック”(巨大IT企業)アマゾンとフェイスブックが、相次いで政府機関のトップを名指しした異例の嘆願書を提出した。ビッグテックがこれほどの警戒を示す人物こそ、日本の公正取引委員会にあたるFTC=連邦取引委員会のリナ・カーン委員長だ。いま“最も恐れられる女”はいったい何を目指しているのだろうか。
(ワシントン支局記者 吉武洋輔 ロサンゼルス支局記者 山田奈々)

32歳の抜てき

首都ワシントンのFTCの建物の前に、目を引く像がある。
暴れる馬を押さえつけようとする人。
“巨大な権力を持つ大企業の独占は許さない”。
そんな意味が込められているという。

FTCは、不公正な企業の活動を監視・規制する強い権限を持つ。
6月15日、この組織のトップに就任したのが、リナ・カーン委員長だ。
リナ・カーン委員長
1989年生まれの32歳。最年少での就任となった。
年功序列の慣習がない国とはいえ、異例の抜てきだった。

FTCは「インスタグラム」などの競合企業の買収を通じて公正な競争を妨げたとして、反トラスト法(=日本の独占禁止法)違反の疑いでフェイスブックを提訴。
また、アマゾンについても、過去の買収案件などをめぐって反トラスト法違反がないか、調査を進めている。
こうした重要案件の陣頭指揮を担うことになったのだ。

『ビッグテックたたきの急先ぽう』

現地メディアは、バイデン政権の肝いりの人事として、こぞって大きく取り上げた。

出身はイギリスのロンドン。パキスタン出身の両親を持ち、11歳の時に渡米した。
大学を卒業した22歳のカーン氏が就職先に選んだのが、ワシントンにあるシンクタンク「ニュー・アメリカ」だった。
バリー・リン氏
この組織でカーン氏の採用を決めたというバリー・リン氏は、「面接をした時点で、驚くほどの高い知性と権力の集中に立ち向かう情熱を持っていた」と、そのときの印象を話す。

カーン氏はここで、企業の独占がもたらす弊害や、反トラスト法の研究・調査にのめり込んでいったという。
その後、2017年に、研究を深めるために在籍したイェール大学で「アマゾンの競争上の問題」という論文を発表。
これまでにない視点だとして、その内容が世間の耳目を集めた。

そして、巨大化するビッグテックへの規制のあり方を探っていた議会下院の調査メンバーに選ばれ、報告書のとりまとめを主導した。

階段を駆け上がるようにキャリアを積み、バイデン政権のもとでFTC委員長に選ばれた。

何を問題視するのか

FTCの委員長としてカーン氏が目指すものは何なのか。
そのヒントが、前述の論文から見える。
「アマゾンの競争上の問題」では、アメリカのネット通販でおよそ40%のシェアを握るアマゾンの戦略を分析した。

当時、送料無料などのサービスが消費者の人気を集めていたが、これを「略奪的な価格設定」と指摘。

圧倒的なシェアを獲得するために利益度外視でサービス料を下げ、それで得た絶対的な権力で市場を支配し、小さな事業者が排除されていったと結論づけた。

「抵抗できる余地はなかった」

ミシガン州に住むダグラス・メルデサさんは、7年前、アマゾンのサイトで日焼け止めなどの販売を始めた。
ダグラス・メルデサ氏
スタートから販売は好調で、一時は日本円で年商25億円のビジネスにまで育った。
その一方で、アマゾンが年々増額を求めてきたのが手数料などの経費。
最終的にはアマゾン側に支払う金額が、売り上げの半分を占めるようになったという。

さらにアマゾンは、メルデサさんが扱う商品と同じ商品を自社で仕入れて、販売を開始。
利益は大きく落ち込み、およそ50人の従業員は全て解雇。
去年、廃業した。

「彼らが“もう十分だ”と判断したとたん切られる。僕たちに抵抗できる余地はなかった」と憤った。

会社側の立場は

市場支配の批判には、アマゾンにも言い分がある。

去年7月、アマゾンの創業者、ジェフ・ベゾス氏は「アマゾンのシェアは世界の小売市場の1%に満たず、米国内でも4%に満たない」と述べ、激しい競争のさなかにいると主張した。
ジェフ・ベゾス氏
また、会社の理念は「地球上で最もお客様を大切にする企業になること」。
消費者の利便性を追求し続けているとの立場だ。

“弱きを助け、強きをくじく”

しかしカーン氏は、アマゾンは「法の監視から逃れてきた」と主張する。
同時に、消費者にメリットがあることをすれば規制の対象になりにくいという、現行の反トラスト法の限界論も指摘する。
カーン氏
「私たちは、市民を食いものにしようとする動きを積極的に摘発していきます。大企業が強権的に利益を生み続ける構造に焦点を当てるべきです」
就任からまもない7月下旬、議会下院の委員会に出席した際の強いことばが印象に残った。

そのカーン氏は、さっそく手腕を問われる局面を迎えている。
上述のフェイスブックを相手取った裁判で、6月、裁判所が「法的根拠が不十分だ」として、FTC側の訴えを退けたのだ。

8月、FTCは、当初より30ページ近く多い80ページの訴状を出し直し、正当性を主張した。
この裁判の行方は、カーン氏率いるFTCとビッグテックの闘いの、大きな試金石になる。

富と権力の集中はどこへ

新型コロナウイルスという未曽有の危機に直面した世界で、ネット通販、SNS、動画配信、オンライン会議など、数々のITサービスが人々の生活を支えている。

皮肉なことに、これがビッグテックの“ひとり勝ち”の度合いを強めている。
バイデン大統領が、ビッグテック批判で筋金入りのカーン氏に規制当局のトップを任せた背景には、アメリカの大きな課題とも言える“富と権力の偏り”に向き合うねらいがある。
大企業・富裕層への増税案なども同じだ。

こうした手法には「左派に乗っ取られている」といった批判もあるが、バイデン政権は、規制や国の関与を最小限にすることこそが成長の源泉だとする従来の考え方を見直し、格差是正に向けて、小さな事業者、労働者、家計を重視した経済運営を目指している。

ビッグテックに対する審査や訴訟をめぐっては、規模拡大を狙うM&A(合併や買収)の審査の厳格化だけでなく、サービスの縮小、事業の分割といった、ビジネスモデルの根幹に踏み込む可能性までささやかれる。

カーン氏による暴れる馬の手綱さばきが、この国にどんな変化をもたらすのだろうか。
ワシントン支局記者
吉武 洋輔
2004年入局
名古屋局・経済部を経て現所属
ロサンゼルス支局 記者
山田 奈々
2009年入局
長崎局、経済部、国際部などを経て今夏から現所属

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