アメリカ同時多発テロ事件20年~「テロとの戦い」何を生んだ?

アメリカ同時多発テロ事件20年~「テロとの戦い」何を生んだ?
「アメリカが安全になったとは思わない」

「最悪中の最悪のテロリスト」とアメリカ政府が呼んだ人々が拘束されてきたグアンタナモ収容所。そこで14年間にわたって捕らえられていた人物が語った言葉だ。

拷問などを理由に国際社会から批判を浴びてきたこの施設。収容されたおよそ800人のうち、起訴に向けた手続きまで進んだのは10人余りにとどまっている。
ほとんどがテロとの関わりは立証されず釈放されていった。

世界に衝撃を与えたアメリカ同時多発テロ事件から20年。
アメリカは安全になったのか。(ワシントン支局記者 辻浩平)

「テロとの戦い」の象徴

「レディース&ジェントルマン、グアンタナモへようこそ」
グアンタナモ基地に着陸したアメリカ軍のチャーター機で機内アナウンスが流れる。
この夏、基地内の収容所の取材が許可された。アメリカ同時多発テロ事件をきっかけに始まった「テロとの戦い」を象徴する施設だ。
グアンタナモ基地はカリブ海に浮かぶキューバの南東部に位置している。アメリカが100年以上にわたり租借している土地だ。同時多発テロ事件後、アメリカの国内法が適用されないこの特殊な場所にグアンタナモ収容所は設置された。
アメリカ政府が「最悪中の最悪のテロリスト」と呼んだ、テロ組織との関係が疑われた外国人800人近くがこれまでに拘束されてきた。無期限の拘束や拷問が行われているなどとして国際社会からは批判が相次いだ。
だが、そうした事前知識とは裏腹に基地内の風景は拍子抜けするほど平穏だった。基地内には他のアメリカ軍基地でも見かけるファストフード店にショッピングモール、ボーリング場などが並ぶ。
しかし、いったん撮影に入ると、取材は厳しく制限され、現在使われている収容施設の撮影や収容者へのインタビューは許可されなかった。
公開されたのは20年近く前に最初に建設された収容施設だった。今は使われておらず、雑草が伸び放題となっていた。
撮影した映像は基地を出る前にすべてチェックされ、セキュリティーを理由にその多くが消去を求められた。アメリカ政府が今も神経をとがらせているのがうかがえる。
施設内で何が行われていたのか。
元収容者が取材に応じてくれることになり、私たちはバルカン半島に位置するセルビアの首都ベオグラードに向かった。

「私は20代というものを知らない」

インタビューに答えてくれたのは、中東 イエメン出身のマンスール・アダイフィさん。14年間にわたりグアンタナモ収容所で拘束された人物だ。母国が内戦中であることを理由に、釈放後もアメリカ政府が帰国を認めず、受け入れに同意したセルビアで暮らしている。
2001年、テロ組織に関する研究活動を手伝うために訪れていたアフガニスタンで地元の軍閥に捕らえられ、その後アメリカ軍に引き渡された。アメリカのCIA=中央情報局などがテロ組織との関係が疑われる人物と引き換えに支払っていた報奨金目的で引き渡されたと見られている。

アダイフィさんはグアンタナモで一から学んだという流ちょうな英語で語り始めた。
アダイフィさん
「同時多発テロ事件にもあらゆるテロ組織にも一切関与していませんでした。何もわからないままグアンタナモに連れて行かれました」
収容所では、アダイフィさんを国際テロ組織アルカイダに関わりがあるエジプトの元軍人だと思い込んでいた取調官から繰り返し尋問されたという。
取調官
「ビンラディンはどこにいるんだ?」

「核施設の標的はどこだ?」

「次の標的は何だ?」
テロとの関わりを否定し続けるたびに、アダイフィさんは「嘘をつくな」と暴力を振るわれ、取り調べには拷問のような虐待が加わっていったという。
結局、テロとの関わりは立証されず、5年前に釈放。
アメリカ政府から謝罪や補償はなかった。

14年にわたった拘束。釈放された時には33歳になっていた。20代のすべてをグアンタナモで過ごしたアダイフィさんは失われた時間についてこう語った。
アダイフィさん
「私は20代がどういうものかわかりません。20代で経験したのは拷問だけです。普通の20代はどう過ごしますか。大学に行き、仕事を見つけ、結婚し、子どもや家庭を持つでしょう。そのどれも経験することができませんでした」

「グアンタナモは失敗だった」

グアンタナモではアダイフィさんのようにテロとの関与が立証されないケースが相次いでいる。それはなぜなのか。訴追に関わっていた当時のアメリカ軍関係者が実情を語った。
収容者たちを裁く特別軍事法廷で検察官を務めたスチュアート・カウチさん。
友人を同時多発テロ事件で亡くしている。
同時多発テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んだ旅客機の副操縦士が海兵隊時代の親友だったのだ。
テロ行為に憤りを感じていたカウチさんは、「テロリストに法の裁きを下す」と当初、大きな責任と誇りを感じていた。

しかし、訴追に向けた資料集めのためにグアンタナモを訪れた際、カウチさんは収容者が置かれていた状況を目の当たりにすることになる。そこでは真っ暗にした部屋にフラッシュライトが点滅し、大音量でヘビーメタルがかけられる中、収容者が手錠と足かせで身動きできない状況で、尋問にかけられていたという。
カウチさん
「それを見た瞬間、怒りがわき起こり、吐き気すらしました。拷問が情報を引き出すのに効果的ではないと知っていたからです。アメリカは法の支配を信じる国です。にもかかわらず政府の中に(国際条約で禁止されている拷問を行い)法を曲げてもいいと許可した人物がいたことに怒りを感じたのです」
拷問によって得られた自白は信頼性に欠けるため、裁判で証拠として使うことはできない。そう考えたカウチさんは次々と訴追を断念していった。
カウチさん
「罪を犯した人間が自由の身でいられることより悪いことが1つだけあります。それは無実の人間が刑務所に行くことです。グアンタナモで起きたことは控えめに言って失敗で、最悪のケースでは無関係な人の拘束もありました」
グアンタナモに収容された779人のうち、同時多発テロ事件に関与したなどとして起訴に向けた手続きまで進んだのは10人余り、有罪となったのはわずか2人にとどまっている。ほとんどの収容者はテロとの関わりは立証されず釈放されていった。

「最後に笑う者が最も笑う」

グアンタナモはアメリカや世界をより安全にしたのだろうか。
アダイフィさんは今、大学に通いながら他の収容者が釈放後にどのような経過をたどっているのかを調べ論文にまとめている。その中には再び、アメリカとの戦闘の場に戻っていった人もいる。
アダイフィさんは、グアンタナモが反米感情をあおることにつながったと考えている。
ことし8月、それを裏付けるようなことが起きた。

武装勢力タリバンが再び権力を掌握したアフガニスタン。首都カブールが陥落したその日、大統領府に入ったタリバンの戦闘員たちを撮影したとする映像にグアンタナモの元収容者が映っていたのだ。
アダイフィさんと同じ建物に収容されていた人物だった。

かつてアメリカが拘束していた人物らがアメリカが支援してきた政権を崩壊に追い込み、アメリカ軍が混乱を残したまま撤退する事態。

映像を投稿した別の元収容者はツイッターに、アメリカをあざ笑うかのような言葉をつづっていた。
「彼はグアンタナモでアメリカ兵にこう言っていた。『戦いはまだ終わっていない。最後に笑う者が最も笑うのだ』」
今週、タリバンが発表した暫定政権の閣僚らの中には、グアンタナモの元収容者が4人も含まれていた。アメリカ政府がおととし機密解除した文書によると、グアンタナモから釈放後、テロ行為に関与したりテロ組織と接触したりした元収容者は全体の17%にのぼるという。

アダイフィさんはこう指摘する。
アダイフィさん
「グアンタナモはイスラム過激派組織のプロパガンダに使われています。アメリカがイスラム教徒にどのような仕打ちをしたのか示すのに利用されているのです。グアンタナモがアメリカを安全にしたとは思わない」
過激派組織IS=イスラミック・ステートがアメリカ人など外国人ジャーナリストを殺害する映像では、犠牲者はいつもオレンジ色の囚人服を着せられていた。
これはグアンタナモ収容者の囚人服の色に由来するプロパガンダで、まさに反米のシンボルとなってきたのだ。
オバマ元大統領も在任時、「グアンタナモ収容所はアメリカの安全保障を強化するどころか損なうことになった」と認めている。

「私自身が選択できる」

私はアダイフィさんに取材の最後にこう尋ねた。

「アメリカ政府に対して今も憤りを感じていますか」
アダイフィさん
「もちろん怒りや憎しみ、怨念すら持ち続けていました。でも、怒りにとらわれたまま生きるのか、それとも憎しみを過去のものにして前に進むのか、それは私自身が選択できるのです。失われた時間を取り戻し、結婚し、家庭を持ち、子どもを育てる。そんな当たり前の人生を送りたい。憎しみを抱き続けた段階を経て、ようやくそうした心境になりました」
取材のあいだ中、アダイフィさんは常に明るいオレンジ色のスカーフを身につけていた。グアンタナモの囚人服の色だ。つらい日々を思い出してしまうことはないのかと聞くとアダイフィさんは笑いながら答えた。
アダイフィさん
「オレンジという色自体に罪はありません。この色を嫌いになってしまうことこそが怒りにとらわれることなのです。過去を乗り越えて前に進んで行く、そう自分に言い聞かせるためにもオレンジ色のスカーフをしています」

20年の戦いで得られたもの

アメリカのバイデン政権はグアンタナモ収容所を閉鎖する方針を示している。しかし、その道は平坦ではない。オバマ元大統領も閉鎖を公約に掲げたが、議会の反対などによって実現できなかった。
アメリカ同時多発テロ事件から20年。
今も世界各地でテロの脅威は消えず、国際テロ組織が企てる組織的なテロから過激な思想に染まった単独犯や過激な地域組織によるテロ活動に形を変えるなどして残っている。
「テロとの戦い」によってアメリカは安全になったのか。

答えが明確にならない中で、グアンタナモ収容所では今も39人の拘束が続いている。
ワシントン支局記者
辻 浩平
鳥取局 エルサレム支局
盛岡局 政治部を経て
2020年から現所属